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わが子を「英語ペラペラにする」に潜む重大なリスク

プレジデントオンライン / 2020年4月18日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/recep‐bg

この4月から小学校で英語が必修化された。授業を先取りして幼少期から子どもに英会話を習わせるべきなのか。心理学博士の榎本博明氏は、「脳が著しい発達を示す幼少期には、まず日本語をしっかり習得させるのが先だ。思考の道具としての日本語をきちんと身につけないと、学校の授業についていけなくなる」という――。

※本稿は、榎本博明『伸びる子どもは○○がすごい』(日経プレミアシリーズ)の一部を再編集したものです。

■ますます高まる親たちの英語熱

電車に乗ると、英会話と脱毛の広告ばかりが目立つ。

大学入試で英語力が重視されるようになることや、小学校で英語が正規科目になったこともあり、その動きを先取りした英会話塾などによる宣伝文句に煽られ、わが子に英会話を習わそうとする親たちの英語熱がますます高まっている。

ただし、そうした子どもビジネスあるいは英会話ビジネスの宣伝文句に乗せられると痛い目に遭う可能性があるので、注意が必要だ。

なぜかと言えば、英語教育の専門家の間では、早く始めた方が英語ができるようになるというのは幻想に過ぎず、母語をきちんと習得してからの方が、英語も効果的に習得できるとされているからである。それゆえ、同時通訳の第一人者である鳥飼玖美子氏など英語教育の専門家の多くは、小学校から英語を学ばせることに反対の姿勢を取ってきた。

認知心理学の観点からしても、母語体系が習得できていることで初めて、それをもとに外国語がうまく習得できると考えられる。

■「会話力」は学力と関係ない

バイリンガル教育が専門のカナダのトロント大学教授のジム・カミンズも、母語の能力が外国語学習を支えるとしている。トロント在住の日本人小学生を対象としたカミンズたちの研究によれば、母語の読み書き能力をしっかり身につけてからカナダに移住した子どもは、しばらくすると現地の子どもたち並みの読み書き能力を身につけることができる。それに対して、母語をきちんと身につける前の年少時に移住した子どもは、発音はわりとすぐに習得するものの、読み書き能力はなかなか身につかない。

学力と関係するのは、会話力や発音ではなく、読み書き能力なので、教科学習をしっかり習得できるだけの言語能力、つまり学習言語の習得という意味では、年少で移住するより年長(5~6年生)で移住した方が好ましいことが明らかになったのだ。年少時に移住した子どもたちは、すぐに会話ができるようになるものの、学習言語の習得に支障があり、授業についていけなくなる。

■日本語を鍛えないと思考力が伸びない

ここで重要なのは、日常会話で用いるコミュニケーション言語と勉強に必要な学習言語を区別することである。コミュニケーション言語を習得することで日常会話はうまくこなせても、それだけでは学校での勉強など知的活動をスムーズに行うことはできない。

母語の学習、私たち日本人であれば日本語の学習をおろそかにして英会話に時間や労力を費やし、「うちの子は英語でアメリカ人と会話ができる」などと喜んでいると、バイリンガルどころかセミリンガルになってしまい、後に学校の勉強についていけなくなる恐れがある。セミリンガルとは、この場合で言えば、日本語力も英語力も両方とも中途半端で、思考の道具としての言語を失った状態を指す。

つまり、日本語も英語もペラペラになったとしても、思考の道具としての学習言語を身につけていないため、学校の授業についていけないばかりか、自分の内面の繊細な思いを表現できなかったり、抽象的な議論が理解できなかったりする。これでは専門的な本を読むこともできないし、就ける職業も限られてくる。

私たち日本人は日本語でものを考える。ゆえに、まずは日本語能力を鍛えておかないとものを考えることのできない頭になってしまうのである。

■「英語ができる子は頭が良い」という勘違い

英会話業界が派手に宣伝攻勢をかけているとはいえ、なぜ世の親たちの間で英会話熱が高まり、競うようにしてわが子に英会話を習わそうとするのかと言えば、英会話ができることがカッコイイと思っており、英語ができる子は頭が良いと思っているからだろう。それが大きな勘違いなのだ。

英会話というと、日本人は勉強と同じもののように勘違いしがちだが、日本語の会話で考えてみれば、その勘違いに気づくはずだ。

たとえば、お喋りな子が勉強ができるというわけではないだろう。日本語会話ができる、つまり友だちと流暢な日本語でおしゃべりしているからといって、「あの子はすごい」「あの子は頭が良い」とは思わないだろう。

たしかにかつては英語ができる子は勉強ができる子だった。そんな親自身の過去の経験が勘違いさせるといった面もある。

英語の授業が英会話中心になったというと、何か良いことのように思う人が多いようだが、それによって英語の授業は頭を鍛える勉強ではなくなり、おしゃべりのスキルを身につけるものに変わり、勉強とはかけ離れた活動になったのである。

■英会話の授業は「知的なトレーニング」にはならない

かつての英語の授業では、英文学を読んだり、文化評論を読んだりして、その理解や日本語への訳出の過程で、英語や日本語の知識を駆使し、国語で鍛えた読解力を最大限発揮しようとすることで、言語能力が鍛えられた。

人間は言語で思考するわけだから、言語能力が鍛えられれば、思考力も高まる。さらには、文学や評論の内容を理解することで教養も豊かになる。まさに英語の授業は頭を鍛え、知力を高めるための勉強になっていた。

だからこそ、かつては英語ができる子は、他の教科も含めて勉強ができる子だったのである。

このように英文を読んで日本語に訳す授業は、知識や思考力を総動員して知力を鍛える場になるが、英会話の授業は知的なトレーニングにはならない。

小中高を通した英語の授業で日常会話ができるような訓練をするとしたら、そこで行われるのは英語圏で生まれた子が幼児期までにできるようになる程度のことを身につけるための訓練に過ぎない。

脳が著しい発達を示す幼少期に、その程度の英会話力を身につけるために貴重な時間と労力を費やしてしまってよいものだろうか。

■「逆に専門分野の力がおろそかになったら元も子もない」

英語学者の渡部昇一は、『英語の早期教育・社内公用語は百害あって一利なし』(李白社)という本の中で、「いま一匹の妖怪が日本を徘徊している。英語教育という妖怪が」として、英会話を重視する最近の風潮に警告を発している。

ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英博士も、やたら英語を気にする最近の風潮に疑問を投げかけている。

「最近、国はどうしてこんなに英語、英語と熱心なのかな、と不思議に思うことがあります。(中略)学問で大事なのは『遊び』の心です。教科書通りに覚えることではない。自分で問題をつくり、自分で解いて、ここまでわかるんだと感動する。そんな経験がもとになって、物理や数学が本格的に好きになっていく。自分のセンス、感覚を研ぎ澄ましていくんです。そういうトレーニング、つまり何かに憧れ、情熱を燃やす」
「若いうちから英語に追いまくられていたら、そんな時間がもてなくなりはしませんか。それで4技能(著者注:聞く、話す、読む、書く)が身についたとしても、逆に専門分野の力がおろそかになったら元も子もない。英語はあくまでも他者に何かを伝えるための道具、手段なんですから」(朝日新聞2014年11月26日付)

■英語ビジネスの戦略を疑ってみる

榎本博明『伸びる子どもは○○がすごい』(日経プレミアシリーズ)
榎本博明『伸びる子どもは○○がすごい』(日経プレミアシリーズ)

では、なぜ大学入試で英会話を重視したり、小学校で英語が正規科目になったりするのだ、と訝しく思うかもしれない。そんな動きがあるくらいなのだから、英会話を早くから学ばせることには教育上大きなメリットがあるに違いないと思う人もいるかもしれない。だが、ここは慎重に考えるべきだろう。わが子の将来がかかっているのだから。

マーケティングを学んでいる学生が、「必要ないものを欲しがらせ、買わせるのがマーケティングの醍醐味だ」などと開き直ったようなことを言うことがあり、私はそんな考えで後悔なく真っ当な人生を送れるだろうかと疑問をぶつけたりすることがある。だが、たしかにビジネスというのはそうした価値観で動いているようなところもある。

子育てしている親たちも、ビジネスの場では、そうした戦略に触れることがあるはずだ。子どもビジネスのマーケティング戦略に疑いの目を向けてみることも必要だろう。

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榎本 博明(えのもと・ ひろあき)
心理学博士
МP人間科学研究所代表。1955年、東京都生まれ。東京大学教育心理学科卒業。東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。『〈ほんとうの自分〉のつくり方』(講談社現代新書)『50歳からのむなしさの心理学』(朝日新書)『ほめると子どもはダメになる』(新潮新書)など著書多数。

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(心理学博士 榎本 博明)

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