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昭和天皇最側近の読み違え「軍人を首相にすれば戦争を避けられる」

プレジデントオンライン / 2020年4月21日 9時15分

木戸 幸一(きど・こういち)1889~1977/明治の元勲・木戸孝允(桂小五郎)の孫。政治家。父の侯爵・孝正は侍従長という華族の御曹司。京大法科卒。内大臣秘書官長などを経て、内務大臣に就任。戦後A級戦犯として終身刑となるが、のちに釈放写真=近現代PL/アフロ

戦前の日本は、なぜ負けるとわかっていて対米戦争に踏み切ったのか。名古屋大学名誉教授の川田稔氏は「内大臣の木戸幸一は、対米戦争を避けるために陸軍を統率できる東条英機を首相に推したと語っている。しかし、それは皮肉な結果になった」という——。

※本稿は、川田稔『木戸幸一』(文春新書)の一部を再構成したものです。

■東条英機の首相に推した内大臣・木戸幸一

近衛文麿の「突然の総辞職」によって、後継首班を決めざるを得なくなった。その選定をリードしたのが内大臣である木戸幸一だった。

1941年10月17日、後継首相を検討する重臣会議が開かれた。出席者は、木戸幸一内大臣、清浦圭吾、若槻礼次郎、岡田啓介、広田弘毅、林銑十郎、阿部信行、米内光正(いずれも元首相)、原嘉道枢密院議長の9人だった。

そして、木戸のリードで、後継首班に東条英機陸相を奏薦したのである。会議の席上、木戸は次のように述べている。

「結局今日の癌(がん)は、九月六日の御前会議の決定である。東条陸相とかなりその点について打割った話をしてみると、陸軍といえども海軍の真の決意なくして、日米戦争に突入すること不可能なるは、十分承知している。……そうすれば、この事態の経過を十分知悉(ちしつ)し、その実現の困難なる点も最も身をもって痛感せる東条に組閣を御命じになり、同時に……御前会議の再検討を御命じになることが、最も実際的の時局拾収の方法であると思う。」

ここで注意を引くのは、木戸が、対米開戦決意を含む9月6日御前会議決定の再検討を主張したことである。

木戸の意見に反対はなく、広田、阿部、原が賛意を示した。なお、若槻は宇垣一成を推したが、同意はえられなかった。

■東条へ大命降下、「国策遂行要領」は白紙へ

東条に白紙還元を求める組閣の大命を受けた東条に木戸は、天皇の「思召(おぼしめし)」として九月六日御前会議決定の白紙還元を求め(いわゆる「白紙還元の優諚(ゆうじょう)」)、東条は了承した。「国策遂行要領」が、白紙に戻されたのである。

この白紙還元の優諚は木戸の考えによるものだった。大命降下のさいの昭和天皇の発言は、憲法の遵守(じゅんしゅ)と、陸海軍の協力を求めており、御前会議決定の白紙還元にはふれていない。

「白紙還元の優諚」は、天皇から直接東条に示されたものではなく、木戸から間接的に「思召」として、こう伝えられたのである。

「ただいま、陛下より陸海軍協力云々の御言葉がありましたことと拝察いたしますが、なお、国策の大本を決定せられますについては、九月六日の御前会議の決定にとらわるるところなく、内外の情勢をさらに広く深く検討し、慎重なる考究を加うることを要すの思召であります。」

■木戸が「思召」を東条に“間接的”に伝えた理由

木戸はなぜこのような形式を取ったのだろうか。それについて、木戸自身はふれていない。だが、おそらく、この白紙還元による戦争回避の結果が後に大きな問題になった場合を考えてのことと推測される。

戦争回避に成功した結果、それが原因で日本が何らか国内外の困難な局面に立たされた場合、その責任を木戸自身が負うつもりだったのではないかと思われる。

白紙還元により戦争が回避されれば、副作用として、そのような状況になる可能性は十分にあると木戸は考えていた。その場合、非難が天皇や皇室に及ばないよう、自身の独断によるものと処理することが可能な、間接的な手法をとったのではないだろうか。

■なぜ木戸は東条を選んだのか

東条推薦の経緯について木戸は、その手記「第三次近衛内閣更迭の顛末」(昭和16年11月付)に次のように記している。少し読みづらいが重要なので直接引用する。

「今日海軍の態度より推して対米開戦は容易に決し難しと認めらる……、九月六日の御前会議の決定は不用意なる点あり……敢然再検討をなすの要あるべきは勿論なりと信ず。要するに海軍の自信ある決意なき限り、国運を賭する大戦争に突入するは、最も戒慎を要するところなるべし。東条陸相も余の意見に全然同感にして、九月六日の御前会議の決定は癌(がん)にして、実際海軍の自信ある決意なくしてはこの戦争はできざるなり、とまで述べられたり。而して……少なくとも九月六日の御前会議の決定を一度白紙に返すことが、今日なすべき最小限度の要求なのであるが……[それは]最近の情勢よりみて至難事中の至難事である。すなわち今回大命を拝して組閣するものは、陛下の思召を真に奉戴して、軍部ことに陸軍を充分統率するとともに、陸海軍の協調をも完全になさしむることが肝要である。……余は以上の理由をもって東条陸軍大臣を推選し、多数の同意の下に奉答したのである。」

すなわち、御前会議決定を白紙に返すために、その方向で陸軍を統率しうる東条を首相に奏薦したというのである。しかも東条自身、御前会議決定を「癌」だとして、木戸の考え(決定再検討、白紙還元の方向)に同調していた。

なお、東条が、海軍に自信がなければ戦争はできないとの判断に傾いてきたのは、武藤章軍務局長の説得によるものだった。

■この選択は木戸にとっても危険な賭けだった

木戸が東条を選択したのは、よくいわれているように、単に天皇の意向を尊重し陸軍を統率できる人物だったからだけではない。それに加えて、すでに東条が御前会議決定の白紙還元に同調していたからだった。木戸は白紙還元による対米戦争回避を意図していたのである。

ただ、この選択は木戸にとっても危険な賭だった。

木戸が望んだ、東条内閣下での白紙還元による戦争回避は、海軍が対米戦への「自信ある決意」を示さないことを前提としていた。したがって、もし海軍の態度が変われば、東条ら陸軍の本来の主張すなわち御前会議決定(開戦決意)のラインに回帰する可能性をもつ選択だったからである。

なお、木戸は戦後、東条を近衛の後継首班に推した理由として、「東久邇さんという意見もあったがね、僕はその時に、要するに戦争は避けられないと思っていたんだ。……そして戦争すれば負けると思ったんだ」。だから、敗戦によって「皇室が国民の怨府になる」ことを避けるため東条にした、と回想している。

■「虎穴に入らずんば虎児を得ず」

しかし、この回想は、右の手記の記述と必ずしも整合性がとれていない。手記では、東条が9月6日御前会議決定の再検討(白紙還元)に賛成していたから、後継首班に推したとしている。

当時木戸は何とか対米戦を回避しようとしており、そのため、御前会議決定の再検討に同調し、しかも陸軍を統率しうる人物として、東条が妥当と判断していたのである。

この(1941年)10月の時点では、木戸は必ずしも戦争は避けられないとみていたのではなく、対米戦回避に力を傾けており、東条ならその可能性があると考えていたことは間違いない。

この手記は東条組閣の翌月に書かれたものであり、事実はこちらに近かったのではないかと推測される。木戸は戦後さまざまな回想を残しているが、その資料評価には注意を要するだろう。

10月20日、木戸は昭和天皇に、「今回の内閣の更迭は真に一歩を誤れば不用意に戦争に突入することとなる虞れあり。熟慮の結果、これが唯一の打開策と信じたるがゆえに奏請した」旨を言上した。これに対して昭和天皇は、「いわゆる虎穴に入らずんば虎児を得ずということだね」、と答えている。

■首相が陸相、内相を兼任する異例の組閣

10月17日、組閣の大命を受けた東条は、閣僚の選考に入った。陸相は、陸軍三長官会議(陸相、参謀総長、教育総監)において、東条自身の希望で首相との兼任が決まった。これは木戸内大臣の意向によっていた。

川田稔『木戸幸一』(文春新書)
川田稔『木戸幸一』(文春新書)

陸軍統制のためだった。また東条は自身の判断で内相も兼任した。東京裁判の宣誓供述書によれば、戦争回避となった場合の国内の混乱に対処するため、とされている。

海相については、海軍側は豊田副武(そえむ)呉鎮守府司令長官を推したが、豊田はそれまで東条ら陸軍との折り合いが悪く、東条が忌避した。そこで結局、嶋田繁太郎横須賀鎮守府司令長官を推薦し、嶋田が海相に決定した。

そのほかは、外相に東郷茂徳、蔵相に賀屋興宣、企画院総裁に鈴木貞一、商工大臣に岸信介、内閣書記官長に星野直樹などが就く。

こうして、10月18日、東条英機内閣が成立した。東条は陸軍大将に昇進し、現役のままで首相、陸相、内相を兼ねた。異例のことである。

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川田 稔(かわだ・みのる)
名古屋大学名誉教授
1947年高知県生まれ。1978年、名古屋大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。法学博士。専門は政治外交史、政治思想史。名古屋大学大学院教授などを経て現職。

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(名古屋大学名誉教授 川田 稔)

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