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欧米人が驚くほど日本人が「マスク依存症」になった根本原因

プレジデントオンライン / 2020年4月16日 11時15分

マスク姿の通勤客らの波が途切れることなく続く品川駅の自由通路。ただ、40代のシステムエンジニアの男性は「いつもよりも少し少ない。感覚では7割ぐらいじゃないか」と話した=2020年4月8日午前8時29分=東京都港区 - 写真=AA/時事通信フォト

日本人はなぜ、マスクを手放せなくなったのか。社会学者の堀井光俊さんは「大正時代、スペイン・インフルエンザが大流行したことでマスクが日本人に広がった。近年では花粉症の影響も大きいが、それだけではない深い理由がある」という——。

■欧米で廃れ、日本で定着した「マスク文化」

新型コロナウイルスが世界的に広がり、マスク姿の人々が、中国において感染が問題化した初期からこの事件の象徴として世界中のメディアで取り上げられています。

日本でもマスクの品切れが話題となるほど、「コロナ不安」は人々をマスク着用へと駆り立てています。

あまり知られていないことですが、現代日本で広く行われている予防目的でのマスク利用の起源は、実は欧米にあるのです。スペイン・インフルエンザが大流行した大正時代、マスクの着用を義務付けた欧米を参考に、日本政府がマスクを紹介しました。

4月10日付の記事「これだけ言われても欧米人がマスク着用を嫌がる社会的事情」で紹介したように、現在、欧米でその利用法はすっかり廃れてしまいました。

しかし、日本ではマスクが定着し、世界有数のマスク大国になりました。本稿では、マスクの歴史を振り返りながら、日本人がマスクを手放せなくなった理由を紹介します。

■明治時代、マスク着用は「奇行」だった

日本では、少なくとも江戸時代終わりごろには銀山で防塵(ぼうじん)マスクが使用されていました。その一例が、石見銀山で鉱山病対策として使われた「福面(ふくめん)」です。明治時代には伝染病患者治療の現場でマスク着用が見られます。しかしながら、日本人の市民生活において、マスクはあまり縁のないものでした。

例外的に、1898(明治31)年から1901(明治34)年にかけて「東都の婦女間に、白絹の襟巻きを鼻口にかけて顔の半分を包むこと流行せり」とのこと(『桃泉随筆』)。東京の新橋界隈の芸者が防寒のためにしていたものが「良家の婦女」の間にも広まったそうです。

『都の花』所載、流行夜目遠目の一節には、「女の中、風呂敷的の白襟巻きしたるが多く、いずれも鼻の上より打ち巻きて口鼻を隠したる。下品にて厭わしきものなり。反歯隠しなど称えて好し」とあります。さらには、男子にもこの風が移ったそうです。

この明治時代のマスクは、特異な諷刺家として知られる宮武外骨(1867~1955年)が発行した『明治奇聞』に「女の「反歯隠し」」と題して掲載されています。そのことからしても、一部の流行でありながら、社会的には奇行として認識されていたことがうかがえます。

■きっかけは大正時代、「スペイン・インフルエンザ」の大流行

大正時代には「工場マスク」とよばれる粉塵(ふんじん)マスクがありましたが、一般には普及しなかったようです。しかし、スペイン・インフルエンザの大流行(1918~1920年)を機に、ウイルス感染予防としてのマスク着用が一般市民に広まっていきました。

スペイン・インフルエンザによって全世界で2000万から4500万人が死亡、日本国内(植民地を除く)でも死者は50万人に達したと推計されています。同時期にあった第1次世界大戦の戦死者は世界で約1000万人と言われていますので、被害の甚大さが分かります。

スペイン・インフルエンザの世界的な大流行で、多くの欧米諸国は感染予防のために一般市民に公衆でのマスク着用を義務付けました。

アメリカでは1918年の春からスペイン・インフルエンザが流行し、10月にはサンフランシスコで「マスク令」が発令され、外出時のマスク着用を全市民に義務付けました。マスク着用はサンフランシスコ以外の都市でも義務付けられ、同様の対策が欧州でも採られました。

その後、欧米諸国において公衆でのマスク着用は姿を消します。なぜ欧米諸国においてすぐに廃れたのかは不明であり、今後の重要な研究テーマとなるかもしれません。

■日本のマスク文化は欧米のまねから始まった

こうした欧米諸国における市民によるマスク着用はその後すぐに日本に紹介され、日本政府のインフルエンザ対策に取り込まれることとなったのです。

1922(大正11)年に内務省衛生局が刊行した『流行性感冒』を開くと、当時の日本政府が多くの国々の事例を参考にしていたことがわかります。

この『流行性感冒』では、欧米諸国におけるスペイン・インフルエンザ感染予防策とインフルエンザ感染に関する最新の研究成果の紹介にかなりのページを割いていて、その上で日本国内のインフルエンザ感染予防対策を解説しています。

ここで奨励されている感染予防対策は、ワクチン接種、含嗽(がんそう)(うがいの意味)、そしてマスクの着用です。インフルエンザ・ウイルスがまだ発見されていないこの時代の「インフルエンザ・ワクチン」とは肺炎などの二次感染に備えたものでありました。

マスクの着用は、市民にマスク装用を義務付けたサンフランシスコの「マスク令」のことが紹介されており、健康な個人による感染予防策として奨励されています。

ちなみに、この時代の予防対策にはまだ「手洗い」がありませんでした。手洗いに関するガイドラインが制定され、公式に健康管理の一環とされるようになったのは、なんと1980年代になってからなのです。

■日本にマスクを浸透させた内務省の知恵

日本においては比較的すぐに受け入れられました。インフルエンザ予防として健常者のマスク利用が始まったのもこの頃です。

当時の新聞記事を見ると、スペイン・インフルエンザ直後の1920年末、再度インフルエンザ予防としてのマスク着用が浮上しています。1922年には、空気の乾燥から喉を守るためのマスク着用が進められるなど、インフルエンザ感染予防以外の、新しい使用目的が散見でき、マスクが社会に浸透している様子がうかがえます。

スペイン・インフルエンザ流行当時に内務省衛生局が全国に配布したポスター。「恐るべし『ハヤリカゼ』の『バイキン』!」「マスクをかけぬ命知らず!」と、マスクの着用を積極的に呼びかけている。内務省衛生局『流行性感冒』(1922)に掲載。

その理由として日本の伝統的な疾病観とマッチした形でマスクが啓蒙され成功したのではないかと推測します。風邪やインフルエンザについていえば、江戸時代まで「風」と書き、文字どおり自然界をかく乱する「風」と同じ現象が、体の中に生じていると考えられていました。そのため、当時の人々は風に当たることを極力避けていました。

そうした感覚は大正時代にもまだ残っていました。1920(大正9)年から1922(大正11)年にかけて内務省衛生局はインフルエンザ予防対策啓蒙のポスターを全国に配布します。

そのポスターは近代医学が「風の神」を追い払うというストーリーを描いており、その近代医学の一つとしてマスクが従えられているのです。マスクは近代的な響きを持ちながらも、伝統的な疾病観と折衷されたからこそ、日本社会に浸透したのではないでしょうか。

■予防方法として定着し、マスク着用がマナーになる

当時の新聞記事を読む限り、昭和初期にはマスク着用がかなり定着したようです。風邪やインフルエンザが蔓延するたびに、感染者・健康者ともにマスク着用が励行されました。

例えば1927(昭和2)年1月16日の朝日新聞には「マスクをかけうがいを忘るな」と題した記事が掲載され、インフルエンザ感染予防対策としてのマスク着用の重要性が、当時の政府の防疫官の口から語られています。

しかし、マスクへの見解は実にさまざまなものでした。昭和初期には、伝統的な風邪に対する発想を引き継ぎ、冷たい空気を避けるためにマスクを着けるべきとの見解も見受けられます。同時に、近代科学を根拠にその誤りとして指摘し、感染者からの飛沫を吸い込まないためにマスクを着用すべきという考えが度々紹介されるようになりました。

さらに重要なのは、マスクによる病原菌の「ろ過」「殺菌」という考え方です。しかし、戦時期になるとマスク着用は過剰防衛であり低効力を弱め身体を弱体化させるとする言説も登場します。これらの異なる考えはお互いにとても入り組んだ形で存在していました。

しかし昭和初期・戦時中の時代を全体的に俯瞰すると、マスク着用それ自体は公衆道徳的な意味を持つほどに定着していました。1940年代には感染者のマスク着用はマナーと言われはじめ、マスクが贈り物として価値を持ち始めたほどです。

■戦後マスク史に欠かせない「インフルエンザ」と「花粉症」

大正時代のマスクは黒朱子だけが使われていましたが、その後、べッチン製や皮製のものも現れます。白いガーゼマスクが主流になるのは戦後になってからです。現在、幅広く使用されている「不織布マスク」が台頭するのは1990年代になってからです。

戦後は「イタリアかぜ」(1947~1956年)、「アジアかぜ」(1957年)、「香港かぜ」(1967年)、「ソ連かぜ」(1977年)といったインフルエンザの大流行があり、そのたびに白いガーゼマスク姿の人々で街はにぎわいました。

インフルエンザの予防策はワクチン接種が主流となり、1980年代までにマスクは停滞したかに見えました。しかし副作用が問題になると、再びマスクが浮上したのです。そして、日本人にマスクを一気に普及させたのが「花粉症」です。

花粉症が社会問題化したのは1960年代ですが、当初は抗ヒスタミン剤などが注目されていました。しかし、薬の副作用に対する懸念などが広がり、1980年代から現在に至るまで、マスクが花粉症対策として支配的な地位を占めるようになりました。

1990年代以降、マスクは花粉症とインフルエンザ対策の2つの領域で用いられ、マスクの市場規模も急速に拡大していきます。

2009年の新型インフルエンザに加え、2011年の東日本大震災の直後は、福島の原発事故に伴う放射性物質対策、2013年ごろからはPM2.5対策としてマスクを大勢の人がマスクを買い求めるようになりました。

■求められる役割は「感染予防」から「不安除去」にまで拡大

日本社会で広く定着したマスクですが、厚生労働省のガイドライン(2008年)を見ると、マスクは「咳やくしゃみ等の症状のある人」が着用すべきとしていいます。実は健常者による着用は公式には勧めていないのです。

それにもかかわらず、マスク着用の目的の裾野はその後も拡大していきます。

さまざまな用途でマスクが利用される中で、大手マスクメーカーによる若年女性によるマスク着用をさらに推し進めようと試みが見られます。ファッションアイテムとして若年女性市場拡大を図っているわけです(※1)

加えて、2011年から話題になり始めたのが「だてマスク」。これは「なんとなく落ち着く」「視線に曝されない安心がある」といった理由でマスクを着けることであり、「風邪でも花粉症でもないのに、年中マスクを手放せない」人々が多いことがメディアで語られました(※2)

市民の間でマスクは、フェティッシュな着用方法から、被爆予防としてまで活用されただけでなく、個々人のさまざまな不安を吸収するための道具として活用される――。それが「だてマスク」として話題になったと言えるでしょう。

■マスクは「日本のセーフティーブランケット」

東日本大震災の後、2011年5月16日付米国ロサンゼルスタイムズ紙には、「日本の薄くて白いセーフティーブランケット」(原題:Japan's thin, white security blanket)という題名の記事が掲載されました。日本のマスクを考えるうえで、わたしはこの「日本のセーフティーブランケット」とはとても当を得た表現だと考えています。

「セーフティーブランケット」とは直訳すると「安全毛布」。大きな意味では、子供が寝る時にお気に入りの毛布がないとダメとか、そのような、精神の安定に不可欠なモノを指します。つまり、具体的な防御策・解決策ない危機的状況において、その不安を解消し、精神的安定を取り戻すためのセーフティーブランケットが日本におけるマスクというわけです。

新型インフルエンザ、原子力発電所からの放射性物質飛散、そして今回の新型コロナウイルス……。そして、専門家の見解は分かれ、メディアや政治への不信が積もるばかり。問題は人々の不安自体ではなく、不安の原因を解決する手段を持っていないことなのです。まさにこういう状況の人々の不安がマスク着用という行動へと「昇華」され、不安はマスクへと「吸収」されていったと考えられます。マスク着用という行為は、あるリスクを軽減させるための道具的効果には限界があります。それはむしろ、象徴的行為、つまり儀礼として機能しているのではないでしょうか。

■見えない脅威に立ち向かう視覚的な効果

日本人がマスクを手放せなくなった理由を、別の角度から考えたいと思います。それは目の前の脅威が「目に見えない」ことが深く関係しています。マスクはそれを着けていることが目に見えてわかります。これは今の日本社会において現実的な利点となります。

堀井光俊『マスクと日本人』(秀明大学出版)
堀井光俊『マスクと日本人』(秀明大学出版)

現代社会においては個々人がさまざまな疾病の予防に努めることが要請されています。これには当然、ウイルス感染も含まれます。もし自分が予防に努めず病気になれば自己責任だと周囲から非難されかねません。会社などの組織レベルでも同様です。

そうした世の中では自分が、あるいは組織が予防に努めていることを周囲にアピールする必要があります。有効とされている手洗いの場合、それはいくら実践しても他人の目には映りづらいもの。しかしマスクは誰に目にも映り、責任回避の手段として有効というわけです。

最後に社会レベルでは、みんながマスクを着けることにより、非常事態であるという緊張感が生まれます。それがユニフォームのように同じ敵に立ち向かう集団の結束力を生みます。こうした社会的心理はパンデミックのような非常事態において非常に重要な要素だと思われます。どんな感染防止対策も国民の協力と団結なしには成功しませんので。

こう考えると現在の日本では道徳的な意味でもマスクは不可欠なアイテムであるということができます。マスクなしの社会生活を想像するのは難しそうです。マスクは現代日本の社会生活に織り込まれてしまっているのです。

※1 日用品大手「ユニ・チャーム」は、2007年10月、女性ブログサイト『GiRLSGATE.com』とのコラボレーション企画として、「マスクコレクション2007」(マスコレ2007)を開催。健康な女性モデルに装着させ、マスクを「ファッショナブル」なアイテムとしてその着用を啓蒙した。マスクと若年女性の接点はちょっとフェティッシュなサブカルチャー的ブームにもなった。
※2 例えば、菊本裕三『[だてマスク]依存症~無縁社会の入口に立つ人々~』(扶桑社新書)では、家庭や社会の人間関係において「本音」を出せず孤立し極端な防衛本能のためにマスク着用によって顔を晒すことを拒んでいる、と論じられている。

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堀井 光俊(ほりい・みつとし)
社会学者、秀明大学教授
1977年、埼玉県に生まれる。2000年、英国立ケント大学社会学部を卒業。その後、同大学大学院に進学し、2006年に博士号(Ph.D.)を取得。現在は、イギリスに在住。著書に『The Category of ‘Religion’ in Contemporary Japan: Shūkyō and Temple Buddhism』(Palgrave Macmillan社)のほか、『私たち国際結婚をしました』(グリーン光子氏との共著)、『マスクと日本人』『「少子化」はリスクか』『女性専用車両の社会学』(いずれも秀明大学出版)などがある。

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(社会学者、秀明大学教授 堀井 光俊)

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