「安倍首相に従って」妻の制止を振り切りハンコのために出社する夫たち
プレジデントオンライン / 2020年4月16日 9時15分
■「テレワークではできない」仕事とはいったい何なのか?
安倍晋三首相が新型コロナウイルス感染拡大防止のため、4月7日に7都府県を対象に緊急事態宣言を発出した後、11日に全企業に要請した在宅勤務が波紋を広げている。
具体的には、①オフィスでの仕事は原則在宅で行う、②どうしても出勤が必要な場合でも出勤者を最低7割は減らす――ことを求めるものだ。
大企業ではスムーズに在宅勤務に切り替えているところも多いが、それでも全社員を在宅勤務にすることはほぼ不可能に近い。
東京商工会議所が実施した調査(3月13日~31日)によると、テレワークを「実施している」のは、従業員300人以上の企業は57.1%と過半数に達している。
だが、中小企業を含めた全体の数字を見ると26.0%にとどまっている。また、「実施検討中」は19.5%、「実施予定なし」が54.4%。つまり、「実施中」に「実施検討中」を足しても半分にとどかない。
もしテレワークを実施しても、政府要請の出勤者7割減を達成するのは至難の業だ。それでも政府の要請に従うために極力出勤者を減らそうと努力している企業もある。
■営業やクリエイティブ、給与計算、期末決算・支払い対応……
都内の広告業の人事部長は現状についてこう語る。
「営業やクリエイティブ部門は個人の裁量で仕事ができる業務が多いので在宅も可能です。しかし、制作部門は現場が会社ではなく、顧客や関連会社と一緒にやる現場業務が多いので、中止にならないかぎり在宅勤務は難しい。事務部門も似た状況にあります。たとえば人事部門は給与計算業務、経理部門は期末の決算対応や各種支払い対応もあり、在宅ではどうしてもできない仕事もあります。もちろん、部門の全員が在宅勤務をできないわけではなく、個人ごとに担当業務の内容が異なるので、うまくやり繰りができれば、出勤率を20%程度に抑えられるだろうと思っています」
■ハンコを押すためだけに出社するケースも多い
最大の問題は「業務に使う資料や伝票類、申請書、企画書がペーパーレス化されておらず、会社に紙で保管されていること」(同人事部長)という。
特に経理・財務部門は2020年3月期の決算業務の真っ最中だ。日本CFO協会が実施した会員企業調査(3月18日~4月3日)によると、テレワークを実施・推奨している企業は約70%もあるが、そのうち出社した経理・財務担当者は41%にのぼった。
出社の理由として「紙の書類の処理(請求書・証憑書類・押印手続き)」「会議への参加」「銀行対応」などを挙げている。わかりやすい話、ハンコを押すためだけに出社するケースも多いわけだ。
在宅勤務に切り替えても業務上、出社せざるをえない部署はどの会社にも存在する。
都内システム開発企業のCSR部長もこう話す。
「最低限出社する社員を絞り込んで対応しています。事業活動や会社機能維持のために部門ごとに必要な業務と要員の確認をし、協力会社の社員を含む対応する社員候補をリストアップしています。部署によって出社する社員が多いと密閉・密集・密接の3密状態になり、感染する恐れもあるので出社日を輪番制にするなどの配慮も行っている」
■「総理大臣が出社自粛を要請しているのに、なぜ出社するの?」
ただ、新型コロナウイルスの感染拡大によって社員の不安も高まっている。好き好んで電車に乗って都心のオフィスまで出社したいと思う社員は少ないだろうが、業務とあればしかたがない。しかし、社員の出社を阻む家族も出ているという。
前出CSR部長は言う。
「どうしても出社しなくてはいけない経理部の社員が妻に止められたという事例があります。妻は言ったそうです。『総理大臣が出社自粛を要請しているのに、なぜあなただけ出社しないといけないの』『ウイルスを家に持ち込んだら子どもや私にも感染するかもしれないのよ、それでも行くの』と。家族の制止を振り切って会社に出てくる社員は、会社と家族の板挟み状態になっている。そんな部下の姿を見ても、上司は安易に『休め』とも言えないので困っているようです」
出社に関してたとえ社員の理解と協力を得ても家族から反対されれば、会社も強く出社を求められない。そんな問題は今後も増えているに違いない。
■最初は元気に「報・連・相」してきた社員が何も連絡しなくなった
一方、感染拡大と長引く在宅勤務の中でさまざまな問題も発生している。特にストレスなど健康面の悪化だ。
前出の広告業の会社では海外現地法人からの一時帰国組や都市部の単身赴任者など、2月以降に在宅勤務を続けている社員が出てきているという。
「一時帰国組や単身赴任者の中にはホテル住まいやワンルームで2カ月以上在宅勤務を続けている社員もいます。1カ月ほど経過した時点で、上司から仕事はそれなりに真面目にやっているようだが、最初の頃は元気に『報・連・相』をしてきたのだが、しばらくしてまったく何も連絡してこない日もあり、電話をしても元気がないという相談を受けました。相当ストレスがたまっていることがわかり、放置しておくと精神面の不調に発展する恐れもあるし、対策を打つことにしました」(人事部長)
現在、会社ではストレス対策として、1時間ごとの部屋の換気と10分の休憩、2時間おきの軽いストレッチの推奨をしている。そのほかに業務開始時・昼食時・業務終了時にメールによる会話や電話連絡を上司に義務づけているという。
在宅勤務中の仕事の成果も大事だが、長期化することで社員の心身の不調を警戒しなければいけない事態にもなっている。
■コロナによる医療崩壊は深刻だが、家庭崩壊も深刻だ
在宅勤務中のストレスの発生は本人にとどまらない。同居する家族も含めて深刻な影響を与えている。都内のIT企業の人事部長はこんな話をしてくれた。
「当社にも1カ月以上在宅勤務を続けている社員がかなりいます。ある40代の社員は、妻と高校生と中学生の2人の息子がいますが、妻のパート先が休業になり、しかも学校休校で子どもも家にいる。中学生の息子は反抗期で親とも会話をせず、母親に悪態をついては部屋に閉じこもり、高校生の息子は友達と夜も出歩いているそうです。子どもにあまり注意を払わないで部屋で黙々と仕事をしている夫に妻がいらだち、時折、大げんかになることもある。そのたびに夫がパソコンと資料を持って近くのカフェに出かけようとすると、背中越しに罵声を浴びせられるそうです。こんな家庭は珍しくない光景なのかもしれません」
ストレスがたまるのは在宅勤務の社員だけではない。妻や子どもも一緒だ。こんな環境下で、会社と同じように仕事ができるとは思えない。
本来のテレワークとは、通信環境などICT機器が整備された環境で始業・休憩・終業の適正な時間管理の下で効率よく仕事をすることが求められる。
しかし今は脆弱な通信環境に加えて、強制的な“にわか在宅勤務”を強いられている。しかも家族全員が家に閉じこもる中で仕事をしなければいけない人も多い。
■在宅勤務でも「働かないオジさん」はやっぱり働かない
想定外の事態に頭を抱えている人事関係者も少なくない。前出の広告業の人事部長は今の実態をこう吐露する。
「会社としては日々適切な時間管理をしながら仕事の内容と成果をチェックする必要があります。しかし、管理職が自分の仕事に追われて部下のマネジメントできない状況が続いているのが実態です。スカイプやZoomを使っていると家の中が見えてしまい、プライバシーの保護をどうするかという課題も浮上しています。また、いわゆる働かないオジさんや問題社員が自宅でまったく働かないなど、想定外のさまざまな問題が水面下で発生しています」
こうした問題にどのように対処していくのか、具体的な解決策は乏しい。
仮に厳密に仕事の成果をチェックしようとプレッシャーを与えれば「在宅勤務の長期化で相当なストレスを与えることになりかねず、在宅勤務の新たな労働問題に発展しかねない」(広告業の人事部長)と危惧する。
出社と在宅勤務を交互に繰り返す平時のテレワークと違い、非常時のテレワークの問題点をどのように解決するのか、企業は新たな課題を突きつけられている。
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人事ジャーナリスト
1958年、鹿児島県生まれ。明治大学卒。月刊誌、週刊誌記者などを経て、独立。経営、人事、雇用、賃金、年金問題を中心テーマとして活躍。著書に『人事部はここを見ている!』など。
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(人事ジャーナリスト 溝上 憲文)
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