「テレビにはもう出ない」そんな石原裕次郎を翻意させた後輩のひと言
プレジデントオンライン / 2020年4月24日 15時15分
※本稿は岡田晋吉『ショーケンと優作、そして裕次郎 「太陽にほえろ!」レジェンドの素顔』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■「もう少し待ってほしい」の一点張りだった
石原裕次郎は結核の療養で、国立熱海病院に昭和46(1971)年から長期入院をしていた。そこを退院した直後だったと思うが、とにかく出演依頼をしてみようということになった。東宝の梅浦プロデューサーが石原プロに電話をするところから、出演交渉は始まった。
今思えば、奇跡的とも思える幸運に恵まれ、「テレビというのはこれから映像の世界で非常に有益なものだ」と考えている銭谷功プロデューサーが交渉の窓口になってくれた。
「これはいい話なので、すぐに石原を口説きます」
これは幸先がいい。早速、企画書を渡して、番組の主旨も説明した。ところが、なかなか返事が来ない。電話をしても、相手は「もう少し待ってほしい」の一点張りだった。こちらができることをするしかない。第1話の台本を届ける。退院した直後だったからか、直接本人と交渉できない。こちらは誠心誠意、出演をお願いするしかなかった。
■「テレビっていうのは、ちゃっちい感じがするなあ」
「この役は石原さんしか考えられないのです」
石原プロ内部には「この際、無理をしないで、テレビのレギュラーを持つのがいいんじゃないですか」という意見もあった、と石原本人が語っている。それでも、彼は固辞し続けた。最後の最後に「13本だけでもいいので」と懇願して、やっと本人の了解が得られた。
![岡田晋吉『ショーケンと優作、そして裕次郎 「太陽にほえろ!」レジェンドの素顔』(KADOKAWA)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/1/9/250/img_19628948ff8f3c9821b4a6a4bc4b0cfb592656.jpg)
結局、石原裕次郎とは撮影開始まで一度も会うことはなかった。クランクイン初日、
「俺は俳優で来たんだから、何でも注文してよ」
現場で初めて顔を合わせた時、石原は嬉(うれ)しいことを口にしてくれた。ニックネームの「ボス」も問題ない、という。
ところが、ホッとしたのもつかの間、セットでの撮影に入ると、石原がいきなり変なことを言い出した。
「ここの刑事部屋は便利だね」
「なんでですか?」
「壁が動くじゃないか」
そう言ったかと思うと、彼は刑事部屋の壁を押した。
「ほら、動くだろ」
例の笑顔を浮かべながら、まるでいたずらっ子のように言う。
「やっぱり、テレビっていうのは、ちゃっちい感じがするなあ」
それはそうだろう。その当時のテレビ映画の制作費は、たかだか1000万円である。それに比べて、映画の『黒部の太陽』は4億円の製作費といわれる。これではまったく勝負にならない。
「石原さん、制作費が映画と違うんだから、仕方ないんですよ」
「それにしてもだな……」
まだ何か言いたそうだったが、最後のセリフは心の中に閉じ込めてくれた。きっと「こんなセットで、よくやるよな」とでも言いたかったに違いない。
撮影に入る前、日活時代の彼を知っている友人から言われた言葉が頭をよぎった。
「石原裕次郎と仕事をするのは大変だよ……」
■アクションがなくて視聴者はがっかりした
第1話の視聴率は20%だったが、第2話からガタッと落ちてしまった。
これにはいくつかの理由が考えられるが、その第一は、石原裕次郎がテレビドラマに出るというので期待したが、それまでのイメージとまったく違う石原裕次郎だったのでがっかりしてしまったということなのだろう。彼の持ち味である「アクションがなかった」ことに、視聴者ががっかりしたのだ。
先に述べたように、石原は「俺は俳優で来たんだから、何でも注文してよ」と言ってくれていた。
「いかに料理しようといいよ。俺はそれをちゃんとやるよ」
■“見守る役”にとまどい始める裕次郎
そういう意味では、彼はまったく難しい人ではなかった。こちらの要求したことに、文句が出ることは一つもない。我々はそんな石原の言葉をありがたく受けて、思い切って「受けの芝居」をお願いした。もともと「太陽にほえろ!」は新人刑事の成長過程を描くことを目的としていたので、石原にはそれを温かく見守る役をお願いしたのだ。
「まあ、これは楽でいいや」
石原が軽口をたたくように言ってくれたので、うまく受け芝居のほうに持っていくことができた。
でも、しばらくすると石原のほうにとまどいが出てきた。日活時代の映画を見ると、彼はほぼ全シーンに出ている。撮影も毎日だっただろう。それに比べて、こちらでの撮影日数は2話をまとめて、セット1日、ロケ1日くらいしかない。彼はシーン全体の4分の1も出ていないのだ。
■「俺はみんなの芝居を受けてやればいいんだ」
これが続いていったものだから、何か物足りなさを感じていたに違いない。石原自身が心配になってきたようだ。
「俺の出(出演場面)がこれっぽっちしかないけど、いいのか?」
「まだ(スケジュールは)空いているから、もっと出てもいいよ」
「大丈夫ですよ、いまのままで。視聴者は喜んでいますよ。石原さんがこの番組の芯であり、この番組は石原さんのものだと認識していますよ。我々もそのつもりでシナリオを作っていますから……」
彼にとって「受け芝居」も、主演なのに出番が少ないのも、初めての経験である。意外なやり方にとまどったのだろうが、我々としては何が何でも彼に受けてもらいたい。若手が走り回る。それをボスが受ける――そういう位置に彼を持っていきたかった。
勘のいい石原は、すぐにそれに気付いたようだ。
「俺は、みんなの芝居を受けてやればいいんだ」
自ら、そう言いだした。それからは、デスクに座っていたり、無線機で指示を出したり……という芝居が定着していくことになる。
■新しい石原裕次郎像の誕生
本人は自著『口伝 わが人生の辞』でこう語っている。
“ファンの中には、昔のような、アウトローもののアクションをやってくれという人もいるけど、アウトローをやる年でもないし、あれをもう1回やれというのは、しんどいね。
だけど、僕に言わせれば、アクションっていうのは、殴り合いをやればいいというもんじゃない。そこを日本のライターは勘違いしていると思うね。”
これは「太陽にほえろ!」での経験が言わせたものではないだろうか。ショーケンをはじめとするレギュラー陣の活躍や、青春ものとしての刑事ドラマということが浸透していくとともに、映画の石原裕次郎を知らない、まったく新しい石原裕次郎ファンが生まれてきた。一度落ちた視聴率がまた20%を超えたことが、それを示している。
そして何よりも、新しい石原裕次郎像が誕生したことがもっとも嬉しい。ボスとして彼を起用して本当に良かった、と思った。
■「13本でやめる」と言いだした裕次郎に大慌て
「ワンクール、13本でやめるよ」
石原が話し合いもなく、いきなり言いだした。この時、放映は5話まで終わっていて、制作は10話まで進んでいる。あまりにも時間がない。
最初の約束だったとはいえ、あれは「噓も方便」と言ったら語弊があるが、とにかく出演してもらうための苦しい物言いだ。こちらとしては、少なくとも5年は続けたい。長期番組のつもりである。会社にも、スポンサーにも、そう説明していた。
その段階では、最低でも1年は番組を続ける約束をしていた手前、13本で石原に降りられたのではとんでもないことになってしまう。
時間がない中、梅浦プロデューサーと必死になって策を練った。直接本人に会って口説くしかない——それが結論だった。
成城の石原邸に向かったこの時のことは、今でも昨日のことのように覚えている。私と梅浦プロデューサーだけでなく、ゴリさん役を演じている竜雷太を連れて行くことにした。間違いなく、酒を飲みながら話すことになる。私はまったくの下戸、梅浦は多少飲めるが、飲みながら相手を説得できるタイプではない。そこで、竜の出番となったわけだ。
■「テレビは捨てたもんじゃない」竜雷太の説得
私たちは懸命に話をした。番組はボスがいて初めて成立する。少なくとも1年間、できれば番組が続く限り、ボスはあなたしかいないのだから……。
竜雷太は同じ役者同士として、飲むにつれ本音が飛び出した。自分はテレビで育ったという自負があるからか、それとも酔った勢いからか、突然、石原に嚙(か)みついた。
「テレビをバカにしないでください!」
一瞬、わが耳を疑った。石原も驚いている。
「ボス、テレビっていうのは、捨てたもんじゃないですよ」
そこからは、酔っているくせに理路整然と話した。
「太陽にほえろ!」は全国ネットで視聴率20%の番組だから、見てくれている人の数は映画よりはるかに多い。子どもからお年寄りまで、老若男女が見ている。しかもこの作品の内容は素晴らしい。とどまることなく、竜の説得が続いた。石原は黙って聞いていた。
■酒を酌み交わして口説いてくれた
それまで黙って聞いていたまき子夫人が、助け船を出してくれた。
「これからはテレビっていうのがあるかもしれないから、それだけ言われるんだったら続けてみたら?」
まき子夫人の援護が嬉しい。石原の心が、次第に「続ける」方向に傾いていくのがわかった。
「こんな良い番組はほかにない!」
竜はまだまだやめない。まるで異性を口説くような物言いの竜に向かって、石原が笑いながらボトルを手にした。
「わかったわかった! さあ、もっと飲めよ!」
二人で酒を酌み交わしていく。
我々の代弁者となって、竜は石原を口説いてくれた。必死に説得してくれた。嬉しかった。本当に嬉しかった。竜の熱意と石原の心意気に、飲めない私まで酔わされてしまった。
石原が13本で降板とならなかったのは、ひとえに竜雷太のおかげである。そう断言してもいい。
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川喜多記念映画文化財団理事
1935年2月22日生まれ。1957年慶應義塾大学文学部を卒業後、日本テレビに入社。海外ドラマの吹き替え版制作を担当。1963年より、テレビ映画の企画・制作に携わる。以降、「青春とはなんだ」「これが青春だ」「飛び出せ!青春」などの“青春シリーズ”をはじめ、「太陽にほえろ!」「俺たちの旅」「大都会―闘いの日々―」「あぶない刑事」など、日本テレビを代表する名作ドラマを数多く制作。中京テレビ副社長を経て現職。
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(川喜多記念映画文化財団理事 岡田 晋吉)
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