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同じ仕事でも「健常者は月10万円、障害者は8000円」の不条理

プレジデントオンライン / 2020年4月22日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Natee127

障害者の賃金は安い。同じ職場で働いても、健常者は月10万円の「給料」なのに、障害者は月8000円の「工賃」ということもザラだ。だが、京都にそうした不条理を克服したフランス料理店がある。放送作家の姫路まさのり氏が取材した――。(第1回/全3回)

※本稿は、姫路まさのり『障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ。ソーシャルファームという希望』(新潮社)の一部を再編集したものです。

■学生バイトは10万円なのに障がい者は月8000円

「出発点は、同じ人間なのに働くことの格差があることへの疑問でした」

精神疾患や身体障害をもつ人々が働くフランス料理店・ほのぼの屋を立ち上げた中心人物である支配人の西澤心さん(55)は、店に込めた感情を、そう追憶する。

きっかけは、西澤が学生時代、兵庫県の障がい者施設でアルバイトを始めた頃に遡る。働き始めたばかりで不得手で失敗も当然。それでも受け取った給料は、時給で計算され、月に10万円以上になった。対して、同じ施設で同じように働く障がい者は、自分より年上にもかかわらず月8000円しか受け取っていなかった。それも、自分は“給料”なのに、障がい者は「工賃」と、お題目さえ違った。

「工賃が月8000円とか……考えられへんでしょ? 正直、僕なら一日働いたらもらえる金額です。なんぼなんでも少なすぎひんかと」

「工賃」とは、実は法律上は明確に定められておらず、通知などにより行政指導がなされているだけだ。本来は【物を製作、加工する労力に対する手間賃】(大辞泉)を意味し、収益の有無にかかわらず、労働コストに算入されるのが一般的だ。だが、障がい者施設における工賃は収益が出た場合のみ支給される。大部分の施設は、収益の少なさから工賃も極めて低く、お小遣い程度の支払いを余儀なくされている。

■「もうちょっと、給料、もらわれへんかな?」

「内容は違うけれど、僕より長く、自分の仕事を続けてきた人なのに」

間尺に合わない労働を不思議に思った西澤は、施設の先輩に尋ねるも、返ってきた答えは、「仕方がない」「そういう仕組み」「そんなもん」と、判を押したような言葉ばかり。それでも、理不尽な違和感はずっと消える事はなかった。

西澤は1987年に障がい者施設・まいづる共同作業所の職員となる。プレハブを借り受けて始めた作業所では、10人ほどの利用者とスタッフが一つになり、「働きたい」という切実な願いをかなえる為に奔走した。ある時、共に働く障がい者から、こんな言葉を聞かされた。

「あの……もうちょっと、給料、もらわれへんかな?」

現状に不満を抱く賛同者の出現を、西澤は何よりも喜んだ。

「この言葉は大きかったですね。やっぱり、本人たちもそうやって考えているんだと、自分と同じ疑問を彼らも抱えていたんですね」

体にべっとりとまとわりついていた違和感は、この瞬間に決意へと姿を変え、大きな活力となっていく。

■やってみたい仕事は「たこ焼き屋」「寿司屋」「本屋」

時は1997年。作業所に通う人は30名以上も増え、合計80名を越える大所帯になっていた。バブル景気が崩壊して、作業所で力を付けて企業に就職していった人たちが、相次いでリストラ、解雇、または倒産という憂き目に合い、戻って来ていたのだ。

彼らを放ってはおけないが、抱えるほどの仕事量はない。西澤は、これからどんな仕事ができるのか、どんな場所にしていきたいのか、当事者たちに二つのアンケートを行った。

「新たな仕事を始めようと思います。どんな仕事をしてみたいですか?」

というアンケートに対して、80%近い圧倒的多数の答えが「お店屋さん」だった。たこ焼き屋、スーパー、本屋、寿司屋にラーメン屋……彼らに取って一番身近な働く場所、それは街中で見かけるお店屋さんだったのだ。

もう一つは「どれくらいの給料があれば暮らしていけますか?」という問いだった。こちらは回答がバラついた。「3000円ほどで充分です」、から「100万円ほしい!」という夢の回答まで。そんな中、世話人の支援を受けながら障がい者数人で暮らす「グループホーム」から作業所へと通う人の意見が合致していた事に着目した。

■月10万円あれば、将来を考えられる

「月に4~5万円は欲しい」

答えた当人に尋ねると、一も二もなくこんな言葉が返ってきた。

「今は作業所の給料と、障がい者年金を合わせて月8万円ほどで生活しています。でも、グループホームの家賃、食費、お弁当代を払ったら消えてしまうんです……支給前になると缶コーヒー1本買うお金も残りません。もしも、給料が4、5万円あれば月10万円を超えます。10万円あれば、もっと将来の事とか考えられるのに」

何より西澤の胸を打ったのは、彼らから聞こえた「将来」という言葉だった。同時に、今の状況では、将来や人生設計に思いを巡らせたりという余裕さえない、そんな窮する現実が暗々裏に存在していたのだった。

目標は定まった。

「みんなの夢のお店屋さんを実現させよう!」
「月5万円の給料を実現させよう!」

■「一人前の仕事ができなければ職員がフォローします」

入所者によるオリジナル木工製品の販売を手掛けるなどしていた西澤は、1998年に店舗付き住宅を借り、古本屋「第2まいづる共同作業所」を開設し、施設長に就任。地域作業所の連絡会で役員も務める中、廃品回収や不用品のバザーなどにより在庫が過剰になっていた古本を事業の基盤に据えたのだった。

だが、古本の売り上げのみで全員に5万円の給料を払えない事は、想像できていた。そこで古本屋をベースに、企業を訪問して仕事を探す事にしたのだ。

「何か、自分たちにできるお仕事はございませんでしょうか?」

片っ端から地元企業に電話をかけるが、一方的に断られる事ばかり。わずかでも興味を持ってくれた企業があれば、すぐさま出向いて直接交渉するが、話がまとまらず、肩を落として帰ってきては、また電話をかける……いつ切れるかわからないような細い糸を、丁寧に丁寧に手繰り寄せる、そんな毎日の繰り返しだった。

西澤をはじめスタッフは、企業の担当者を前にこう懇願した。

「障害のある人を雇用してくれとは言いません。他の人たちと同じように最低賃金を下さい。もしも、一人前の仕事ができない事があれば、一緒に行く職員がフォローして、一人前の仕事は確実にさせて頂きます」

それは、知的・精神・肉体と、障害も違えば程度も違う、彼らの就職活動において導き出した基準であり約束だった。

■メンバーの間に不思議な事が起こり始めた

幾ばくかの仕事を得ると、メンバーの希望に基づいて仕事量をコーディネート。例えば、月曜日はリサイクルプラザで不燃ごみの選別作業。火曜日は午前から古本屋の店番、午後から新聞配達。水曜日は工務店の工場。木曜日はまた別の会社へ働きに──。

利用者の能力毎に仕事を提供したところ、スタートから半年で、目標である5万円の給料を実現したのだ!

5万円を手に、生まれて初めてジーパンを買う者。通帳を発行して貯金を始めた者……汗水たらして働いて得た「大金」に、それぞれが、今までと少し違う「給料」に、喜びを重ねた。

すると、メンバーの間に不思議な事が起こり始めたというのだ。

「なんだと思います?」

満面に喜悦の色を浮かべ、西澤が聞き返した。

「働くみんなの生活がね、変わってきたんです」

■「お金を貰っている」という責任が芽生えた

初めてジーパンを買えば、やがて少しずつおしゃれに目覚め、身だしなみや清潔感にも気を付けるようになる。ファッションが整えば、そこから今度は外に飲みに出かけるなど、様々な行動が派生し、スゴロクをスイスイ進むように、生活圏や人生観さえも変化していったのだ。中には「4年間貯金して車を買う!」と宣言する者も出るなど、生活の幅が明らかに広がっていった。

給料5万円が一つの節目となり、次に8万円を越え出すと、一般就労へのチャレンジ、結婚、一人暮らしなど、将来への夢や人生の展望を口々に語りだした。そして大台10万円を超えると、働く態度が大きく変わった。「お金を貰っている」という責任が芽生え、自分はお客様の為に働くのだという悟性が芽生えだしたのだった。

奇しくも、ヤマト福祉財団を立ち上げた小倉昌男氏も、障がい者の月給を1万円から10万円と10倍に増やす事を目標としたセミナーや勉強会を行っている。

「『目標十万円』と言い出した時、福祉関係者からは『夢のような話』、『世界が違う』と否定的な声ばかりがあがった」(『経営はロマンだ!』より)と、嘲笑する者さえいた提案だったが、実際、小倉氏が立ちあげたスワンベーカリーでは、月10万円という給与を実現している。

■5万円で「生活が変わる」、10万円なら「働き方が変わる」

「初めてジーパンを買った彼はね、共同作業所からの付き合いでした。だから僕は、彼の給料が変わっていくのをずっと見ています。最初は1万円だったのが、作業所で5万円になってね。今も10万円はもらってくれてるかなぁ。働く誰もが、狭かった世界が広がり豊かになりました。今思えば、自分の意思で使えるお金を確保することが、彼らには必要だったんだと感じます」

実の息子が褒められたように話す西澤だが、ほのぼの屋では、働く誰しもが、企業理念のように何度も反芻する言葉がある。

2万円で仕事ぶりが変わる。
5万円で生活が変わる。
8万円で未来が変わる。
10万円で働き方が変わる。

それは、障がい者の給料が少ないことに対する、長年消えなかった違和感の正体を、仲間たちと共に追い求め続けた結果、手にした答えだった。

■もう一つの夢を実現するために

障がい者の中には、貰って帰ったお給料をそのまま親に渡しておしまい、という人も少なくない。また、必要な物を全て買い与えられ、「自分のお金」を使う機会がない事も多々ある。しかし、給料を使って生活や心が豊かになる事を学ばなければ、「お金の価値」を理解する事は難しい。

「労働」「給料」「生活」、この三つの連携と見通しが成り立っていなければ、それは働いているのではなく、ただ単に作業しているだけとも捉えられかねない。

スタッフの誰もが、働く喜びを感じ始めた中、西澤たちは次のステージに向けて歩みだした。事業を始める前に行った二つのアンケートのうち、給料5万円という夢は達成できた。

しかし、もう一つ、自分たちのお店を持ちたいという夢は、この状態で実現できたと言えるのだろうか?

当座の仕事は短期的な契約ばかりで、並行して仕事を集めないと事業が終わるという不安が付いて回る。半面、働きたいと集まる人間は増えていくばかりで、日によっては働きたくても働けない人が出始めていた。仕事のあるなしだけにとどまらず、「仕事を断ち切る事」=「願いを断ち切る事」にも繋がってしまう……西澤は、もう一度スタッフを集め、意見を聞いた。

「もし、お店をするとなれば、どんなお店をやってみたいですか?」

■「お涙頂戴で来て下さい」ではない、一流のレストラン

矢継ぎ早に答えが聞こえてくる中、最も議論が白熱したのが飲食店だった。

「あそこの店は美味しい!」「こんな料理出したい!」「私も作ってみたい!」

専門的な知識など持ち合わせていなくても、食べる事に対しては誰もが平等に意見が言えたのだ。

希望とは裏腹に、現実問題、どんな飲食店なら、みんなでやっていけるのか? 西澤らは、その手がかりを探し、毎日のようにジャンルを問わず様々な飲食店に出かけた。料理の精度や、献身的に働くスタッフの姿に耳目を属する度「みんなも同じように働けるのだろうか?」と、痛心に堪えなかった。

頭の中で不安と期待がグルグルと入り混じった中、あえて期待だけを放り込み、不安を強引にかき消すようにこう決意した。

「一流のレストランを作ろう! 障がい者が頑張って働いてますから、お涙頂戴で来て下さいではアカン。一般市民が利用できる障がい者施設を……いや、障がい者施設を作るのではなく、レストランを作るんだ!」

実は、出向いた飲食店の中で最も魅了されたのが、あるフレンチ料理店だった。ひと皿、ひと皿、料理の味と喜びが計算され尽くしたコースに、常にあたたかく丁寧に接するスタッフ、食器や椅子にまで高級感を演出する空間……その全てに酔いしれた帰り際、全員がこう確信したのだった。

「フレンチしかない」

■一番素敵と感じた場所をみんなで求めてみたい

どうせなら、自分たちが一番素敵と感じた場所を、みんなで一緒に求めてみたい。夢に向かって突き進みたい。それが全員の結論だった。振り返れば、飲食店を数多見学し続けた時間は、自分たちの中に知らず知らずのうちに生まれていた「無理じゃないか……」という諦めの感情を打ち消すための時間でもあった。

何よりも後押しとなったのは、幸運にも、そのフレンチレストランのシェフが働きに来てくれると決まった事だった。

「夢のフレンチレストラン」への道は、現実的に動き出す。場所を決め、料理内容を決め、コンセプトを決め、建設計画を立てたところ、肝心の建設費用は2億4000万円を計上してしまう。これまでの積立金では足りず、国・京都府・舞鶴市からの補助金に加えて、借入金で賄うしかなかった。準備に大わらわな職員と並行し、働くスタッフも、接待やお皿の扱いなどの指導を受け、それぞれができる範囲で準備を重ねた。

■「障害がある人が働くのは怖い」と住民が反対

だが……。オープンまで半年を切った矢先に突然、建設予定地の住民から反対運動を受けたのだ。「障害がある人が働くのは怖い」「どんな事があるかわからん」。西澤らが幾ら誠心誠意、説明を尽くしても、剣突を食らい心無い言葉ばかりが耳朶を打った。

障がい者に関係する施設建設への反対運動は、全国津々浦々で同時発生している。誰もが、障がい者施設の建設には反対ではなく、社会的意義も理解できるという。だが、決まって「それが、どうしてうちの地域なんですか?」と反対する。意義ある施設だが、自分達の地域にできる事は許せないのだ。

念入りに立てた計画は頓挫し、新しい候補地を探すしかなかった。敷地面積、駐車場設備、近隣の店舗状況、アクセスの良しあし……。巡り巡ってやってきたのが、現在のほのぼの屋を構える場所だった。正直、駅や国道からは離れ、決して立地的に恵まれているとは言い難いのだが──。

■ほのぼの屋はなぜ人気店になったのか

「まぁ、結果的に全然ここの方が良かったんですけどね」

姫路まさのり『障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ。ソーシャルファームという希望』(新潮社)
姫路まさのり『障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ。ソーシャルファームという希望』(新潮社)

と、バタバタ劇を笑い話に付して、あっけらかんと西澤が答える通り、高台から日本海と街を見渡すこの景観は、今やほのぼの屋の大きな魅力の一つとなっている。

同じ轍を踏まないようにと、地域にある二つの自治会に対し、丹念に説明会を行うと同時に、住民を食事会に招くなど地域との折衝に時間を費やした。結果、反対の声こそあれど、幸いにも今度は多くの賛同を得る事ができた。

「あら美味しいやん」
「頑張って働いてや」

現在、ほのぼの屋を熱心に応援してくれる人の多くは、当初、猛烈な反対者だったのだと教えてくれた。声高に反対するという事は、それだけ町の事を熱心に案じている証拠でもある。だからこそ、しっかりと働く姿を見てもらい、内情を伝えれば、いつしか支援者にも変わりえる。そして、他の住人に美点を伝えてくれるスピーカーにもなってくれるのだ。

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姫路 まさのり 放送作家・ライター
1980年、三重県生まれ。放送芸術学院専門学校を経て現職。「ちちんぷいぷい」「AbemaPrime」などを担当。ライターとして朝日新聞夕刊「味な人」などの連載を担当。HIV/AIDS、引きこもりなどの啓発キャンペーンに携わる。著者に『ダウン症って不幸ですか?』(宝島社)、『障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ。ソーシャルファームという希望』(新潮社)がある。

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(放送作家・ライター 姫路 まさのり)

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