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「見て覚えろ」でやってきたシェフが障害者をプロの給仕係に育てるまで

プレジデントオンライン / 2020年4月30日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ClarkandCompany

京都府舞鶴市のフランス料理店「ほのぼの屋」。体や精神などに障害を抱える人がプロのホールスタッフへと成長した背景には、彼らを指導したシェフの存在があった。障害との向き合い方について、放送作家の姫路まさのり氏が話を聞いた——。(第3回/全3回)

※本稿は、姫路まさのり『障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ。ソーシャルファームという希望』(新潮社)の一部を再編集したものです。なお緊急事態宣言を受け、記事公開日現在、店舗は5月7日まで休業の予定です。

■開店前準備に職員は立ち会わない

多様なスタッフが共に働くほのぼの屋では、一つの決まりがある。それが、開業時から今日まで続く「開店前の店内準備に、職員が立ち会わない」というものだ。

障害がある人たちだけが、予約状況などを見ながらその日の準備を取り行なう。それは、お客様を迎え入れるという準備を、ゆったりと自分の心の中に落とし込んでいく儀式のようにさえ思える。

六田(ろくた)宏(35)がリーダーとなって声をかけ作業が始まる。床を拭き、テーブルを拭き、何よりこの日は、職員総出で、エントランスと駐車場の雪かきに追われるはめになった。手と頬を真っ赤に染めながら室内に戻ると、休む間もなくテーブルセッティングに取りかかる。

予約人数に応じてテーブルを配置しクロスをピンと張っていく。一輪挿しを飾り、人数分のナイフ、スプーン、フォーク、食器を丁寧に並べる。色んな角度から確認し、数ミリ単位で置き換えて整頓。テーブルとチェアの位置感覚さえも、座りやすさの歯車がカチッと、音を立ててはまるまで調整していく。

■コミュニケーションが苦手なスタッフはどうしているか

セッティングや皿洗いを任されている下森君子さんは、鬱病と長年戦いながら働き続けている。軽やかにトトトと二階に登ると、下を望みながら、「最後は上から見て、キレイに感じるか感じないかで決まる」と、調整の“コツ”を教えてくれた。

その様子を一階から見上げていた六田はこう付言する。

「最後の仕上げは、下森さんじゃないとダメなんですよ。僕たちがアレコレやっても、どうもしっくりこないんです」

その言葉に今度は下森が、「でも、ロクちゃんがリーダーやからね」と、ほほ笑みながら声を弾ませた。みんなの気持ちを優しく解きほぐすような彼女の笑顔に、取材中、何度も和まされた。

ほのぼの屋では、コミュニケーションが苦手なスタッフに対し、わからない事を聞かれたら、「お待ち下さい」と答えて別の人に引き継ぐ、などの対応を徹底し、誰にも不快な気持ちにさせない為の工夫が凝らされている。それは、積み上げた経験の上に生まれた配慮であり、特別扱いという考え方は微塵(みじん)も存在しない。

「お二階、ランチのお客様がお目見えです!」

号令にも似た近久の声に、全員が「はい!」と目の色を変えた。

ここから先は、障害など関係なく、一人のスタッフとして、一人の働く人間として、お客さんを笑顔でもてなすという仕事が待っている。

■店を育てるのは、有名ホテルで修業を積んだ料理人

そんなスタッフに対し、厨房から仮借ない目線を光らせつつも、優しさに満ちた雰囲気で包みこむのが、シェフの糸井和夫さん(69)だ。

彼はほのぼの屋へやってきた理由を、「自分が求めてきた役目が回ってきた」と語る。その言葉通り、この場所へやってきたというより、運命の螺旋(らせん)に導かれてたどりついたと表現する方が適切かもしれない。

糸井は1947年、京都市北区に生まれた。料理の道を志し、三重県志摩市の志摩観光ホテルに入社した。立地を存分に生かし、伊勢海老、鮑、牡蠣などの海の幸を取り込んだフランス料理で知られる名高いホテルだ。若き修業時代を、糸井はこう回顧する。

「そりゃあ、ただただ厳しかったよ。教えるというより、見て覚えろ、が当たり前やからね。今やから言えるけど、包丁飛んできたりもあったよ」

その厳しささえも自分の為の修業と捉え、20年間そのホテルで腕を磨き、「自分の料理を試してみたい」と思い立って、1985年に自身の店を開いた。順調に常連客も増え続け、傍から見ても経営は順風満帆。気が付けば開業から20年が経過した折、ほのぼの屋のシェフに誘われたのだった。

■シェフ不在の中、「やります」と即決した理由

ほのぼの屋開業から3年ほどした2005年、当初のシェフが退職することになり、西澤らは次の料理人探しに奔走した。作る人間がいなければ、スタッフがどれだけ頑張っても、休業状態になってしまう。知人を通じて、藁(わら)にもすがる思いで糸井の店を訪ねた西澤の誘いに対し、糸井はその場で「僕がやります」と即決した。驚きの表情を浮かべる西澤らに対し、糸井は自ら念を押すように「7月の20周年記念までの3カ月待ってくれたら、必ず自分が行く」と約束した。自身の店を閉めるという事さえも、奥さんや子どもに相談せずその場で決めたという。

「出会いとタイミングですわ。家内も反対しなかったしね。ついていかなしゃあないでしょ? ってなもんでね。まぁ、ホテルで20年間シェフとして勤めて、誘いがあったのもちょうどね、自分の店を持ってから20年やったんです。僕の人生、不思議と20年周期で回っていて、あ、タイミングかな、運命かな、と思ったんです」

20年を人生の区切りだと捉える糸井だが、「運命」という言葉を持ち出してまで語ったのは、単なる年数の一致だけではない。糸井は、その理由をこう明かしてくれた。

「私の姉にはね、知的障害があるんです。小さい時から、姉を見ながら、そういう環境で育ってたから。親の苦労も知ってるし、周りの色んな人に助けられて、世話になりながらここまで来る事ができたのも、よく知ってました。だから、この話が来た時に、あぁ、これは僕に行けということやなぁと感じたんです」

■少しでもこれまでの恩返しができるかもしれない

続けて、天を仰いで独白した。

「姉は特別支援学級に行ってましてね。その都度、その都度、色んな先生にお世話になってます。うちは姉と兄がいて、ボクが末っ子の三人きょうだいなんです。生まれた当初は、知的障害とはわからないからね。姉が物心ついた頃に、まだ喋らへんなぁ、という感じでした。障害とわかった時、親はショックですわね。やっぱ、両親としては次の子ども産むって勇気いりますよね。

ぼくは末っ子やから、その想いを乗り越えて産んでくれたってことに感謝せなアカンのです。普通やったら姉で終わりにしようと思ったかもしれんし。親の決断も含めて感謝せなアカンし、大げさに言ったらそういう生き方せなアカンなと。ほのぼの屋で料理を振舞う事で、何か少しでもこれまでの恩返しができるかもしれない、そう考えたんです」

糸井58歳の春。自身の人生設計に頭を巡らせた場合に、20年続いた自身の店を、さらに大きくするという選択肢もあった。だが、姉の存在と、自分が存在することへの感謝の念が、彼にほのぼの屋で働くという道を歩ませたのだ。

「料理人一筋で生きるのもいい人生だと思ったけど、何か心残りがある、何かが足りないと感じていました。それがほのぼの屋で働く事で、埋まったんですわ。おこがましいけど、人の役に立つような事ができたらええなぁと。やっぱり、姉の存在があったからですよ。そうそう! 嬉(うれ)しかったのは、前の店の常連客に舞鶴まで料理を食べに通ってくれる方が結構おられる事かな」

■体調によっても変わる「障害」との向き合い方

2005年7月──。

糸井は20年間親しまれた自分の店を閉じ、一家で舞鶴に移り住む形でほのぼの屋・二代目シェフに就任した。「心残りが埋まった」と語る糸井だが、ほのぼの屋からすれば、糸井という強力なシェフが加わる事で、料理という一番大きなパズルのピースが、安心感で埋まった瞬間だった。

とは言え、今まで料理を作ってきた環境とは、店の形態が異なる。そんなほのぼの屋の在り方について、糸井はどう捉えているのか?

「画期的な試みやと思うね。障害がある方が働く食堂みたいな所はいっぱいありますよね。でも本格的なフレンチで行こうって気持ちが凄い。そのために、自分がシェフとして働けるのも、充実感はあった」

こと料理に関しては「変なプライドは捨てなアカンかった」とも振り返る。自身が作った料理を、厳しい言い方だが、素人同然の子に運ばせる。毎日、献立の内容を事細かに説明し、その時は「わかりました」と返事をしても、翌日も、同じ説明をするはめになる。最初こそ「カッカした」そうだが、いつしか「その毎日が進歩に繋がる」と切り替え、料理へのプライドを保ちつつ、彼らに歩みより始めた。

「姉の事もあるから、ある程度わかるんです。障害とひとくくりに言うけど複雑でね。その日によって体調が違うし、今日は調子ええなぁと思ったら、次の日にはガタンと来たりね。でも、千差万別で能力高い人もいるし、才能を感じる事もある。時間がかかるし教える方も根気が要りますよ」

■伸びた事実が大切であり、待つ事に意義がある

だが糸井は同時に、少し表情を引き締めこうも直言する。

「でもね、障害を持つ人への優しさばかりが前面に出るばっかりやったらダメやと思うんです。やっぱ、ある面、厳しさも植え付けて行かないと進歩がない。もうしんどいんやからやめとき、じゃなくて、よし、今日は頑張ってみぃ! と。愛情のある厳しさを持って接しないとね」

ほのぼの屋に限らず、障がい者の就労施設を見学していて時折感じる事がある。彼らの頭の中には、1を一気に100にしようという幻想は存在しないという事だ。段差を慎重に確認して足を運ぶように、横着せず実直に1を2にする事だけを考えている。どんな人間でも千回言えば絶対に伸びる。その伸びは1ミリかも知れないし、10センチかもしれないが、例え1ミリでも伸びた事実が大切であり、待つ事に意義がある。

そう、待つ事で人は確実に成長していくのだ。

糸井が時折浮かべる、愛と厳しさを両手に抱えたような、慈しむような目線。これが愛情のある厳しさなのだろうと感じた。また、ほのぼの屋の土台は、この両輪によって支えられているのだとも。

■「障がい者が働いています」とは前面に出さない

この日のランチは、糸井特製のオードブルにはじまり、スープをはさんで、メインは牛フィレ肉のステーキか、新鮮な海の幸の盛り合わせ。パティシエ手作りの特製デザート付きだ。ディナーは、勝手知ったる伊勢志摩から直送した伊勢海老を豪快にさばいた特製スープに、黒鮑など、特別な時を演出するひと皿が並ぶ。

運ばれてくる度に客が歓喜の声をあげ、口に運べばその美味しさにほほ笑む。

「ここはプロの働く場所、という意識でやってます。お金とってるんやし、お客さんに対して許されへん事があったら失礼です。だからこそ、うちは障がい者が働いてますよ、と前面には出してへん。お客さんが、いい目で見てくれてるかも知れんけど、それに甘えたらイカンと思うんです。開店から10年経って、みんな、日常業務は黙っててもやるようになりました。でも、これからはそれ以上の進歩を求めていかないと」

糸井の姉はもうすぐ80歳を迎える。今も、元気に作業所に通っているそうだ。同じ作業所で働く障害がある年下の男性にみそめられ、結婚も果たした。当初は心配もしたそうだが、もう何十年も家計をやりくりしながら、仲睦まじく暮らしているという。そして時折、職員みんなと共にほのぼの屋へやって来て、弟である糸井の料理を嬉しそうに食べるそうだ。その時の様子を、大好きな映画のワンシーンのように雄弁に語る糸井の表情こそが、今日一番嬉しそうに見えた。

■彼らを支える職員の安定も考えねばならない

障害のある姉と共に歩み、今度はほのぼの屋に来て、障害がある仲間と共に歩み続けて来た糸井は、障がい者が働く事について、このように感じているという。

姫路まさのり『障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ。ソーシャルファームという希望』(新潮社)
姫路まさのり『障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ。ソーシャルファームという希望』(新潮社)

「福祉、福祉言うけど、世の中はまだまだ100点満点で50点くらいちゃいますの? うちも表向きは就労支援。本当はここで訓練して、社会に出てほしいと思っています。でも、現実は違います。現に、表に出て行って帰って来る人もおるし。まだまだ受け入れ側が、そこまで態勢が追いついてない。色んな課題点、見えてきたね。支援してくれる人とか、一番しんどい思いしてる人に給料あげんとアカンわね。うちは恵まれている方ですよ」

障がい者もさることながら、健常スタッフである職員も、朝から深夜まで働く為には、情熱と献身性が無いと務まらない。利用者との触れ合いや共感、生きる力を間近に感じられる仕事は、この上ない喜びも生む。しかし、介護業界のように、やりがいを押し付け過ぎるあまり、労働条件がブラックになっていないだろうか? 働き続けるだけが精一杯という状況の中、糸井が述べるように、作業所運営の要である、職員自身の将来への不安も、考えねばならない課題である。

糸井はほのぼの屋の未来について、こう求めた。

「続けていってほしい、それだけ。続ける事に必ず意義がある。障がい者はどの場所でも、どの区域でも絶対におられるわけやから、働く場を提供するという意味では、売り上げとか色んな条件が必要やけど、やっぱり持続させていかんと。まだまだ、ここで働きたい人はいるやろし、いつの時代も、どこ行っても障害を持った人は一杯いるんやから、続けていってほしい」

糸井が何度も何度も「続けていってほしい」と、繰り返し発した言葉は、店内にこだまして反復され、1つの願いの矢として、世の中に放たれていくようだった。

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姫路 まさのり 放送作家・ライター
1980年、三重県生まれ。放送芸術学院専門学校を経て現職。「ちちんぷいぷい」「AbemaPrime」などを担当。ライターとして朝日新聞夕刊「味な人」などの連載を担当。HIV/AIDS、引きこもりなどの啓発キャンペーンに携わる。著者に『ダウン症って不幸ですか?』(宝島社)、『障がい者だからって、稼ぎがないと思うなよ。ソーシャルファームという希望』(新潮社)がある。

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(放送作家・ライター 姫路 まさのり)

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