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花見と旅行を楽しむ昭恵夫人は、安倍首相を見捨てるのか

プレジデントオンライン / 2020年4月28日 17時15分

「桜を見る会」で招待客と記念撮影する安倍晋三首相(中央)=2019年4月13日、東京・新宿御苑 - 写真=時事通信フォト

■都内で「花見の会」の次は、大分へ約50人の大旅行

「安倍晋三首相と妻の昭恵が“コロナ離婚”へ」

こんな大見出しが週刊誌の一面を飾っても、私は驚かない。多くの日本人も、「とうとう」「ようやく」「やれやれ」程度の反応ではないか。

最近の昭恵の、夫を蔑ろにする自分勝手な行動を見ていて、そんなことを思った。

週刊ポスト(3/30号)は、昭恵が3月23日の夜、10人以上の親しい人間やタレントたちを招いて、都内の会員制秘密レストランで「花見の会」を催していたと報じた。

小池百合子東京都知事がコロナ感染について会見(25日)する2日前だったが、すでに都内では感染者が急増していた。

夫の安倍首相が国会でこのことを問われ、花見会場が「公園」ではなく「レストランの敷地内」だったと反論したことで、馬鹿をいうなと世論が反発した。自分のカミさんさえ「制御」できないのに、新型コロナウイルスを制御できるわけはない。

さらに週刊文春(4/23号)が、3月15日にも昭恵が大分県の宇佐神宮を約50人の大集団と訪れていたと報じた。

■理由は「コロナで予定がなくなったから」

「参拝に同行したのは、医師の松久正氏が主催するツアーの一行。〈神ドクター降臨 in Oita〉と銘打たれたツアーを主催する松久氏は、慶応大学医学部出身で『ドクタードルフィン』『変態ドクター』などと自称し、鎌倉市内で診療所を経営しながら、講演やYouTubeでも活動している人物だ。

松久氏の『診療方針』について、公式サイトではこう説明している。

〈ドクタードルフィンの超高次元医学(診療)では、薬や手術というものを一切使いません。患者自身で問題(人生も身体も)を修復する能力を最大限に発揮させます〉
新型コロナウイルスについても、フェイスブックでこう述べている。〈不安と恐怖が、ウィルスに対する愛と感謝に変わった途端、ウィルスは、目の前で、ブラックホールから、突然、喜んで、消え去ります〉」(文春)

この前日には、安倍首相が記者会見して、「現状は依然として警戒を緩めることはできません」「感染拡大の防止が最優先」「全国津々浦々、心を一つに、正にワンチームで現在の苦境を乗り越えていきたい」と国民にコロナウイルス対策の重要性を訴えていたのである。

フライデー(5/8・15号)にも、その時の写真が掲載されている。参加者たちと写っているが、ノーマスクである。

国民が自粛を余儀なくされているのに、首相夫人が東奔西走、遊び狂っていては、示しがつくまい。

それも、文春によれば、大分へ行った理由は、「コロナで予定が全部なくなったから」というのである。

■これまでとは違う彼女の強い“意思”を感じる

週刊ポスト(4/24号)の「ビートたけしの21世紀毒談」でビートたけしがこういっている。

安倍昭恵の「桜を見る会」で、安倍首相が自粛する前だった、あれはレストランの敷地内だったなど、わけの分からない釈明をしたことに、

「なんでこの期に及んでカミさんを擁護しちまうんだろ。こんなもん、『バカな家内ですみません。二度とこんなことがないように強く叱っておく』で終わりだよ。一体何に気を遣ってるんだろうね」

私もそう思う。

「カミさんにも強く言えないような人が、ニッポン社会全体に自粛を呼びかけてるんだから笑っちゃう。安倍さんは、『緊急事態宣言』の前に、まず『家庭内緊急事態宣言』を出すべきだったね。(中略)何条にもわたって『禁止事項』を提示してさ。それでも言うこと聞かないんなら、昭恵さんには監視員をつけるしかないだろうね」

たけしは、年下のカミさんをもらってから、尻の下に敷かれっぱなしだといわれている。自分の境遇と安倍夫婦のことを比べて、「同じだな」とため息をついているのかもしれない。

だが私は、今回の一連の昭恵の行動の中に、これまでとは違う、彼女の強い“意思”を感じるのだ。

■「政治家の妻としてではなく、自分の人生を生きたい」

「仮面夫婦」「家庭内別居」という噂(うわさ)は何度か週刊誌で報じられている。

以前から、安倍の父親・晋太郎の妻である洋子との嫁姑戦争があり、洋子は息子の安倍に、「彼女とは別れなさい」といったという話も漏れ聞こえてきている。

持病の潰瘍大腸炎の悪化もあり、首相の椅子を放り投げた第1次安倍内閣の頃は、慣れないファーストレディとして、かいがいしく夫の面倒を見ていたようだ。

だが、その後、民主党の野田佳彦首相(当時)が、まさかの解散を打ち、自民党へ政権が戻ってきた。そして安倍は再び首相の座に返り咲いたため、昭恵のこれからの人生に狂いが生じる。

彼女は、安倍の辞任後にこう考えていたと、ノンフィクション作家の石井妙子に『安倍昭恵「家庭内野党」の真実』の中で話している。

「首相夫人を短いながら経験し、『どん底』も知って、これからは政治家の妻としてではなく、私らしく自分の人生を生きたいと強く思った」

その象徴的なのが、東京・神田の路地裏に作った居酒屋「UZU」だった。店名は、スピリチュアル好きな昭恵らしく、アメノウズメノミコトからとっている。

スピリチュアルは、この夫婦をつなぎとめている唯一の共通の“趣味”かもしれない。

安倍は、寝る前に祝詞を唱えているといわれる。安倍家はもともと、スピリチュアルマスターを自称していた江本勝(2014年死去)と関係が深く、父親の晋太郎は江本に「波動」を見てもらっていたという。その江本と昭恵も親しくなり、大きな影響を与えられたと、自分でも語っている。

■自身のブログに「もしも私が放射能だったら……」

昭恵の生き方は、第2次安倍政権後、さらに動きが激しくなってくる。

その前から「家庭内野党」を標榜していたが、東日本大震災後には反原発をいい出し、東北地方の防潮堤建設に対して、見直すべきだと主張した。

被災地にも何度か足を運び、防潮堤建設を考え直す運動にも関わった。山口県知事選に出馬した、「脱原発」を掲げる無党派の飯田哲也と親しくなり、反原発の象徴になった山口県の祝島のお祭りに、飯田に誘われて行っている。それもこれも、自分で考えたことではなく、他人からいわれたことをオウム返しにいっているだけだが。

それが証拠に、自身のブログに、こう書いてしまうのだ。

「もしも私が放射能だったら……人間のために一生懸命働いてきたのに、いきなり寄ってたかって悪者扱い……悲しいだろうなあと思ってしまいます。嫌われ者はいじけて大暴れするかも……。
原発を肯定しているわけではなく、自然エネルギーに移行していくべきだという考えです。しかし、放射能自体が悪いわけではない。悪いのは人間です。私は放射能に感謝の気持ちを送ります。ありがとう……」(2012年1月7日)

ここには、安倍夫婦に共通する、弱者への眼差しというものが見られない。福島第一原発の事故後、故郷を捨てざるを得なくなって、避難している福島県の人たちが、これを読んだら、どのような気持ちになるのかを考えることができないのだ。安倍や昭恵には、人間として大事なものが抜け落ちているといわざるを得ない。

■沖縄の基地建設反対運動を“物見遊山”に訪れた

その後も、辺野古新基地(沖縄県名護市)の反対運動を支援している三宅洋平と知り合い、三宅にすすめられて、いきなり新ヘリパッド建設に反対している高江のテントを訪れるのである。

昭恵は、「反対運動の現場で何が起きているのか知りたかった」というが、現地の平和運動センター事務局長・大城悟は、次のように語ったという。

「総理が高江でやっていることには反発をもっている。その夫人に、現場としては強く抗議したいと思っている。本当は連れてきてほしくなかったと現場は思っています。そういう思いがあることはわかってもらいたい」(IWJ 2016.8.7より)

さらに、沖縄で平和運動に取り組んでいるKEN子氏も、戸惑いを隠せずにこう述べたそうだ。

「この出来事を少し遠くから見ていた友だちは、抗議行動で頚椎捻挫したり、海保にやられたり……そういう思いをしてきた。よく殴らずに非暴力で繋げてきたと思う。被害にあった友だちらが昭恵夫人を引き止め、『おい!』と迫ることもできた。
でも、もしここで暴走して昭恵夫人に手でも出せば、運動は終わり。被害を受けた友だちが小声で『なんで誰も何も言わねぇの?』って言っていたのを聞いて、『ごめんなさい』と思った」(同)

わずか10~15分しかいなかったという。反対運動をやっている人たちが、「何しに来たのか」と憤るのは当然である。

命の危険を顧みず体を張って反対運動をしているのに、彼らの天敵である安倍の妻が“物見遊山”に来た。新ヘリパッド建設や辺野古の埋め立てには私も反対だ、一緒に座り込むというのではない。

■憲政史上最長の政権をいちばん謳歌しているのは彼女だ

その後も、安倍の行く前に、ハワイの真珠湾に見物に行っている。これも、ハワイで海洋環境フォーラムが開かれる「ついでに」寄っただけである。

週刊誌の対談で、「日本古来の神とつながる精神性を得るためには日本製の麻を使う必要がある。日本を取り戻すことは大麻を取り戻すことだ」と、突然いってしまう。

こうした脈絡のないその場限りの発言は、自分は選ばれた人間だから、何をしても許されるという思い上がった考えがベースにあるに違いない。

それは、安倍と結婚する以前、彼女の育ってきた環境に負うところが多いと思う。

森永製菓の創業者のひ孫として生まれ、聖心女子大学付属からところてん式に持ち上がり、自身でも語っている通り、学生時代は遊んでいて、勉強などしなかった。

おそらくコネ入社で電通に入り、見合いのような形で当時神戸製鋼に勤めていた安倍晋三と知り合い、彼に乞われて結婚した。

世間も苦労も知らずに生きてきたお嬢ちゃんである。これまでの唯一の挫折は、夫・安倍の首相辞任だったのであろう。憲政史上最長といわれる長期政権をいちばん謳歌していたのは昭恵である。

だがいくら能天気な女性でも、考え込まざるを得ない事態に直面する。そのきっかけは、森友学園の籠池泰典理事長(当時)と出会ったことである。

その幼稚園で行われている戦後回帰教育に感銘を受け、新たに開校される日本初の神道系小学校の名誉校長に就任することも承諾する。夫にも籠池を引き合わせ、「いいね」といわせる。ここから、近畿財務局の“忖度(そんたく)”による森友学園への国有地激安払い下げ事件へとつながっていくのである。

■総理発言の後、森友学園の痕跡を消す作業が始まった

昭恵の、この事件への関与は疑いようがない。籠池は『国策不捜査』(文藝春秋)でこのように書いている。

2014年12月6日、衆院選の最中に昭恵が、塚本幼稚園の保護者に向けて「ファーストレディとして思うこと」という講演をしているのである。その中で、

「(公示になってしまったのですべてのスケジュールをキャンセルした=筆者注)唯一ひとつだけ、ここだけは、主人に、『申し訳ないけど前からお約束をしていたので、行かせていただきたい』と、『ちょっとだけ選挙区を抜けさせてください』と、お願いをして、恩を売っているわけではなくてですね、本当にみなさんにお目に掛かりたいと思って今日は来させていただきました」

と話しているのである。

この払い下げ問題が国会で追及されると、安倍首相は苦し紛れに、「もし自分や妻が関わっているとしたら総理大臣も国会議員も辞める」といってしまう。

これは妻のことを庇ったのではない。妻のしでかした不始末で、首相の座を追われることなど、安倍には耐えられない。自分の保身のために口から出まかせをいっただけのことであった。

後は、官邸の人間たちが何とかしてくれる。そう計算し、事実、この発言の直後から、森友学園事件から昭恵の痕跡を消す作業が始まったのである。

昭恵のような女性でも、夫は私を庇っているのではない、自己保身からだという意図ぐらいは分かる。そこから、幽閉のような生活が始まる。外遊に連れて行くのは、妻と話し合うためではない。昭恵が語っているように、外遊中は忙しくて、一日が終われば疲れ果てて眠るだけである。

■きっかけは「森友問題で自殺した職員の遺書」

そんな昭恵の心胆を寒からしめたのが、財務省職員による森友学園の文書改竄(かいざん)で自殺者が出たことだったのではないか。

この後、昭恵の派手な行動はやや影をひそめる。自殺した職員が遺した遺書に何が書いてあったのか、怯えていたのではないか。その怯えが、彼女を変えたのではないか、そう私は考えている。

週刊文春(3/26号)で、森友学園問題を追及してきた相澤冬樹元NHK記者が、自殺した財務省近畿財務局職員・赤木俊夫の「遺書」全文をスクープするのである。そこには、

「森友問題 佐川理財局長(パワハラ官僚)の強硬な国会対応がこれほど社会問題を招き、それにNOを誰れもいわない これが財務官僚王国 最後は下部がしっぽを切られる。なんて世の中だ、手がふるえる、恐い 命 大切な命 終止符」

と書かれ、「手がふるえる」という箇所に下線が引いてあるそうだ。

さらに「佐川理財局長の指示を受けた、財務本省理財局幹部、杉田補佐が過剰に修正箇所を決め、杉田氏の修正した文書を近畿局で差し替えました」。「3月7日頃にも修正作業の指示が複数回あり現場として私はこれに相当抵抗しました」が、本省から来た出向組の小西次長は、「元の調書が書き過ぎているんだよ」と調書の修正を悪いこととは思わず、あっけらかんと修正作業を行ったというのである。

赤木は「大阪地検特捜部はこの事実関係を全て知っています」と書いている。

自分にすべての罪が着せられる。怯えが赤木の心身を蝕み、自殺してしまったのである。

■自分の人生を取り戻すと決断したのではないか

昭恵が、この遺書を週刊誌で読み、赤木の無念に思い至った時、自分の犯した罪の深さを考えずにはいられなかったのではないだろうか。

仮面夫婦であっても、夫が最高権力者でいるうちは、周りもちやほやしてくれる。だが、ひとたび首相の座を降りれば、彼女への媚びへつらいが、一瞬にして、誹謗中傷に代わることは、火を見るより明らかである。

そして、こう決断したのではないか。安倍の妻でいることよりも、自分の人生を取り戻すことを。

安倍首相は、相も変わらず新型コロナウイルス感染対策でも、弱者に寄り添うことのない身勝手で場当たり的なやり方で、国民の怨嗟の声が日に日に高まっている。東京五輪は1年近く延期したが、それもコロナの感染が終息しなければ中止に追い込まれる。

祖父の悲願だった憲法改正も夢のまた夢になり、アベノミクスも、消費税増税にコロナ不況が拍車をかけ、失敗に終わることは間違いない。

悲惨だった第1次政権よりもさらに悲惨になるであろう第2次政権の終末を、昭恵はどこで見届けるつもりなのだろう。(文中敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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