「メガ・クラスター」クルーズ船乗客を激怒させた橋本副大臣のアナウンス
プレジデントオンライン / 2020年5月2日 9時15分
※本稿は、小柳剛『パンデミック客船 「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■タオルがワンセット届くことが、このうえない驚き
2月13日 6時半起床 8時半朝食。
しかしコーヒーは朝食がとっくにすんだ四十分遅れで到着。このようなこともあるだろうと考え、インスタントですませていた。しかし配られたコーヒーのほうが断然美味しい。
10時、隔離されてはじめてタオルがワンセット届く。通常なら普通のことが、こんなことがあるのかと、このうえない驚きだった。次に妻は、漢方薬を処方してくれている品川の病院に電話をする。自分のおかれている事情を話し、先生に薬を処方してもらうことが可能かどうか、可能なら息子に取りに行かせるがそれも可能かを尋ねた。
すぐさま病院の方はOKを出してくれた。この情報を得ることは、今日薬が手に入らなかったときの予防手段として、押さえておきたかったことだ。
13時30分、船内放送。
〈厚生労働省から連絡があり、80歳以上の窓のない部屋にいる方を対象に検査(PCR検査)を行った〉
この内容の船内新聞が後ほど届いた。そこに書かれていることを記そう。英語、日本語、中国語、スペイン語で書かれたものだ。
■英、日、中、スペイン語の「船内新聞」が伝えたこと
〈厚生労働省からプリンセス・クルーズに以下のように通知があったことを皆様にお知らせいたします。 ・バルコニーのないお部屋に滞在中の80歳以上のお客様、または慢性持病をもつ80歳以上のお客様からすでに検体を採取しました。
・陽性反応の出たお客様を陸上の医務機関へ搬送し、検疫期間を続けます。陽性反応の出たお客様と近い接触のあったお客様に関しましては、現時点では下船できません。
・陰性反応の出たお客様には次のどちらかの選択肢がございます。船内客室に残られること、もしくは下船をし、かつ日本政府管理の施設にて感染症の潜伏期間が過ぎるまでお過ごしいただくこと。
・ダイヤモンド・プリンセスにおける検疫期間は続き、厚生労働省から必要と判断されたお客様より検体を回収します。検査結果は後ほどお知らせいたします。私共は、日本政府と連絡を取り続け、日本政府からできるだけ多くの情報を頂き皆様に共有いたします。また、厚生労働省より最近の検査で44人のお客様から陽性反応が出たと通知されました。毎度のように、詳細が分かり次第皆様にお知らせいたします。皆様のご理解とご協力に心より御礼申し上げます。〉
厚生労働省とプリンセス・クルーズ社の関係はいったいどのようになっているのだろう。このような文書は厚生労働省が直接出すべきものと思うのだが、出したのはプリンセス・クルーズ社である。
■はじめから下船させ、外の施設で隔離をするべきだった
要点は八十歳以上で窓のない部屋にいる乗客、あるいは慢性の持病がある乗客を重点的に検査し、下船させていこうということだ。陽性者はいうまでもないことだが、ご老人、体調不良者などの弱者は早く下船させるべきだったのだ。
いつのころからだろうか、厚生労働省の隔離方法は失敗しているという世の中の論調が多くなってきた。とくに海外のメディアの批判が多くなったように思う。私もいくつかの批判をネットで目にした。
これだけの感染者が出てしまったことは失敗といわれても仕方がない。たしかこの日までに感染者は218人にのぼっていたと記憶している。このような論調、とくに海外の批判を意識してかどうかはわからないが、十四日間という健康観察期限を表面上維持しながら、弱者から下船させようという動きが出てきたように思う。
まず手はじめが陰性者に船にとどまるか、外の施設に移るかの選択をさせたことにそれは現れていた。何をもって今ごろこんなことをはじめるのか、船が危険だとわかったからか、それならはじめから下船させ、外の施設で隔離をするべきだった。このような不思議なことが現れだしたのがこの時期だ。
考えられることは、隔離するにあたり、その基本方針が厚生労働省には最初からなかったのではないかということだ。現政府の弱点は、世論の動向、つまり支持率と海外、とくにアメリカの動向と顔色だけで成り立っていることだ。どこの政党も支持率には重点をおかなければならないが、とくに現政権はその傾向が強い。それは厚生労働省のこのクルーズ船における隔離政策にもよく現れていた。
■乗客よりクルーのほうがもっと過酷な状態にある
なんとか世論の批判をかわすため、当初の十四日間という観察期限を一般にわからないように縮め(それは十四日後の検査ではなく、十四日以前に検査することだ)、弱者から下船させようとしだした。このような矛盾が後になって大きく現れてしまったと思う。
私はこの日にG記者に次のようなメールを送っていた。
「今のところ、香港下船の中国人が感染ルーツと考えられているのですが、これを私は疑っています。それだけか? 可能性として、船内を動きまわるクルーたちもルーツではないのか。もしクルーが原因であるなら、船内での感染拡大は防げずループのような際限のない地獄に陥っていることになるでしょう。隔離された者にとってこのような疑問が次々に湧いてきます。
クルーの方からも、とくにインド人から相当の不満が出ているようです。これは当たり前だと思うのです。乗客もクルーも同じ立場におかれているので。いや乗客よりクルーのほうがもっと過酷な状態にあるでしょう。よく反乱が起きないものだと、少なくともサービス拒否の動きが出ないものだと、不思議に思っています。
私は、だからこのループ地獄状態はバラバラにすべきと思っています。でも厚生労働省は世論を気にして、十四日間を錦の御旗に理解不能な隔離を続けるでしょう。もっというなら、厚生労働省とプリンセス・クルーズ社はゴールをどのように相談したのか、詳細な状況を理解したうえでゴールを設定したのか、わからないことだらけなのです」
厚生労働省の間違いの根本は、このようなことにあると当時私は考えていた。この日は天気がよく、バルコニーで古いタオルを敷き、二人でストレッチ体操を何時間もやった。体をほぐすというより、体操をすることで気持ちを落ちつかせる、むしろこのような目的のためにか、何も考えずに同じ体操を何回も何回も行っていた。当然届くはずであった妻の漢方薬は届かなかった。なんの連絡もなかった。
■厚労省の橋本岳副大臣が船内アナウンスで話したこと
2月14日 六時半起床 八時半朝食。
九時半、船内放送。突然、信じられないことが起こった。
厚生労働省の橋本岳副大臣が直接話をはじめたのだ。
何か新しいことを言うのかと期待したが、まったくそのような内容ではなく、今までの実績を述べだした。
薬の配布が十一日で終わった、体調悪化の人に対し緊急の電話窓口を設置した、80歳以上の人に対して検査をはじめた等々。
私も妻もこれにはあきれてしまった。
「なぜ今ごろになってご登場?」
「なんですんだことをわざわざ言うのか。これから何をするのか、どんな方針を立てているのか、その説明をなぜしないんだ!」
乗客もクルーも知りたいのはこれからのことだ。
■顔を現した途端、今までの実績を自慢しはじめた
しかも橋本副大臣の口調には自慢げなものすら感じられた。まだはっきり確定できない先のことを話して、嘘をついた、裏切ったなど、うかつな言質をとられないように予防線を張ったのかもしれない。けれど、閉じこめられ、不安のなかにいる人々の気持ちがまるでわかっていない。ほんとうに腹立たしかった。
何千人という人間を隔離するには、余程の“繊細な手つき”というべきものが必要なのだ。隔離するにあたり、病人はどうするのか、体の弱い老人たちはどうするのか、隔離した乗客をだれが、どのように面倒をみるのか、クルーは感染していないのだろうか、それらを検討したのだろうか。
もし検討したならば、何十人もの感染者を出してしまった、その結果に対する反省はどこにあるのか。
そのような気配は橋本副大臣の口調からは一切感じられなかった、このことは絶対に忘れないだろう。極端をいうなら、乗客、クルーともども潜在的感染者として座敷牢に閉じこめなければならない、そんな無意識が働いているのではないかとさえ感じられた。このような乱暴さは、国内で感染が拡大したときの安倍首相の「明後日から一斉休校」といった、あの乱暴さに酷似していたと思える。そこには弱者に対する目配りである“繊細な手つき”というものはまったくなかったからだ。
厚生労働省の顔がそれまでまったく見えず、いろいろな改善が厚生労働省によるものか、それとも船側によるものかがわからなかった。わずかにS記者の情報により、薬の配布は厚生労働省だと知っただけだった。
それも公式な船内放送で知ったわけではない。
今日、突然、厚生労働省が顔を現した途端、今までの実績の自慢げな放送をはじめるとは、これを驚かない乗客はいなかったはずだ。たしかこの日はバレンタインデーだった。私たち夫婦は、この日を“バレンタインデーの悪夢”と呼んだ。(続く)
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「ダイヤモンド・プリンセス号」乗船者
1947年2月18日生まれ。1970年武蔵大学経済学部卒業、1976年早稲田大学仏文科大学院修士課程中退。1976年東北新社入社。外国映画、海外テレビドラマの日本語版吹き替え・字幕制作、アニメーション音響制作、およびテレビCM制作に携わる。2011年3月に同社を退社し、現在は夫人とともに長野県在住。文学・思想誌「風の森」同人。世界中が注目した「ダイヤモンド・プリンセス号」に乗船し、隔離された船内の一部始終を目撃、同船内で73歳の誕生日を迎えた。
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(「ダイヤモンド・プリンセス号」乗船者 小柳 剛)
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