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日本一有名なネットニュース編集者が「もう疲れた」と引退を決めた理由

プレジデントオンライン / 2020年5月11日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Fedor Kozyr

「ネットニュース編集者」で検索すると、中川淳一郎さんの名前が真っ先に出てくる。そんな中川さんは「2020年8月31日をもって、ネットニュース編集の一線から退き、半ば隠居する」と宣言している。14年以上もネットニュースの第一線に立ち続けてきた中川さんが、いま考えていることとは──。

■老人はリモートワークに対応できるのか

47歳、社会人24年目。そろそろ「撤退戦」を考えるようになった。

何が「生涯現役」だ。何が「75歳定年が当たり前の社会になる」だ。何が「勤労意欲のある人が100歳まで安心して働ける仕組みをつくる」だ。勘弁してほしい。

ここに、某企業に勤める74歳の山田さん(仮名)がいたとしよう。新型コロナの影響でいきなりリモートワークが導入され、「当面、会議はすべてZoomを用いたオンライン形式で実施すべし」と会社から指定されてしまった。会議の準備を取り仕切る若手社員からのメールには「参加案内のメールを会議開始10分前に送りますので、山田さんもミーティングルームに入ってください。できればマイク付きイヤホンを使うほうがいいですね。資料は各自、画面共有機能でメンバーに公開してもらうので、事前の作成をお願いします」などと、簡単な説明が書いてあるのみ。

いや、ちょっと待ってほしい。これまでまったく触れたことがないITツールを唐突に押し付けられても、山田さんは言うとおりに使いこなせるかっつーの! スマホは必要最低限の機能しか使わない、パソコンもサイト閲覧と特定のアプリで定形書類を作成する程度しかできない、なんて老人はごまんと存在するのだ。山田さんは半泣き状態で「ワシ、やり方わからんのですよ。設定したいから家に来てもらえませんかのぉ~?」なんて、若手社員に請うしかない。仕方なくその要望に応えてレクチャーに出向いたところ、まさかの感染……なんて事態に陥ったら、それこそ本末転倒である。

■「老い」と「衰え」はセット。だから「引き際」が存在する

手仕事系の職人や農作業といった家業の手伝いなどはさておき、大半の人にとって「生涯現役」「75歳まで働く」は正直、キツくないだろうか? 人間の社会には本来、ある程度の年齢になったら労働の現場から退き、経済活動の土俵から下りるという「引退」「撤退」「引き際」という節目が存在していた。「年寄りの冷や水」「老害」「若づくり」といった言葉が昔からあるように、もともと「老い」というものは「衰え」とセットであることを、先人も理解していたのである。

これは別に老人差別というわけではない。誰もが老人になるし、一線級のプレイヤーとして活躍できなくなる。それが道理なのだ。私はただ、「無理して頑張るな」と言いたいだけである。

■いったい何歳まで働かせるつもりなのだろう

厚労省の資料によると、男性の平均寿命は81.25歳、女性は87.31歳(どちらも2018年の値)である。ということは、75歳まで働いたら、男性の場合、人生の残りは平均で6年間程度しかないのだ。しかも、健康寿命(日常生活に制限のない期間の平均。2016年の値)は男性72.14歳、女性74.79歳なので、最後の数年は身体のどこかに悪いところを抱えて働かなきゃならない可能性がある。

そもそも、いくら平均寿命、健康寿命が延びたとはいえ、人は誰しも60歳を過ぎたら体力、認知力、集中力など、仕事に取り組む際に求められるさまざまな能力が衰えていく。現在40代後半の私ですら、20代、30代までの自分と比べてかなり劣化したと感じている。昔は初対面で名刺交換をしたら、後日、その名刺を見返すだけで相手の風貌や声、会った際の状況や交わした会話を瞬時に思い出せたのだが、最近は誰が誰だかわからないことが増えた。ひどいときなど、名前すら覚えていないまま次回の会議に臨み、テキトーに話を合わせてお茶を濁すこともある。加齢による衰えは、驚くほど急激に進んでいく。

一方、政府は「公的年金の受給開始年齢を75歳まで遅らせる選択をした者は、受け取れる年金の年額が84%増になる」という法改正を目指しているという。……って、おいおい、それまで節約しながら働いてきた後期高齢者が、いったい何にカネを使うんだよ! クルーズ船で世界一周でもするのか? まぁ、感染症にはくれぐれもお気を付けいただきたい。

というか、人生において明らかにカネがかかるのは、遊びまくりたい20~30代、および子どもの養育や教育で出費がかさむ40~50代だろう。そうした時期を経て、いよいよ迎えた60代くらいは自分のためにちょっぴり贅沢をしたいところだろうに、「年金の受給開始を遅らせると、得だよ」「まだまだ働いてくださいね」と我慢を求められる。75歳を過ぎたら体力も気力も衰えてしまい、そこまでアクティブに遊べないだろうから、年金を84%増やされても大した使い道などないはずだ。もはや異性にモテても仕方がないし、サークル活動を活発に行うのも億劫だし、冒険家になるのも現実的ではないし、芥川賞が突然取れるわけでもないし、漫画家としての才能が花開くわけでもない。

■2020年8月31日をもってセミリタイア生活に

それはさておき、新型コロナの影響で働き方が変化したことにより「もう組織には頼れない」「本当に大事なものがわかった」という思いを強くした方も多いのではなかろうか。私はそうである。

私は以前から「2020年8月31日、セミリタイア」を宣言していた。コロナ禍の影響で今後の見通しが若干立たなくなった部分もないわけではないが、30代のうちから「できるだけ早い段階でのセミリタイア」を見越して準備をしてきたので、問題はない。今年8月31日でネットニュース編集やPRプランニングといった業務の一線からは退き、コラム連載といった一部の仕事を除いて、半ば隠居するという決意は変わらない。

47歳でのセミリタイアなど、諸先輩から「甘~い!」「人生をナメておるのか!」と怒られそうだが、「潮時」ってヤツを私は感じたのだ。そのひとつの兆候は「仕事相手の90%が自分よりも年下」という状況になったことである。

各地にある商工会議所の青年部では、加入条件として「45歳以下」「50歳以下」なんて規定を掲げているところも多く、商工会議所に所属するような地場企業の経営者、後継者といった人々のなかでは、私なんてまだまだナウなヤング的扱いかもしれない。だが、私が従事するメディア系、IT系のビジネスでは、率直なところ47歳はもはや「長老」の域なのである。実際、ここ数年で、自ら音頭を取ってプロジェクト全体を取りまとめ、ガシガシと推進するような役割よりも、企画について意見を求められたり、困ったときにアドバイスしたり、といった“相談役”的な役割を依頼されることが増えてきたと感じている。

■ウェブメディアは修羅の世界。もう疲れた

ネットニュースの編集業務に就いたのは、32歳のときだ。この段階で、すでに一緒に仕事をする人の80%は年下だった。そんな環境で14年以上仕事をしてきたが、数年前、インターネットが名実ともにメディアの覇権を握りつつあることが明らかになってきたころ、「あっ、オレはもう“終わった”」と強烈に感じるようになった。そして2019年、インターネットの年間広告費が初めてテレビのそれを超えた。

ウェブメディアは動きが速い業界である。それまで「成功法則」と持てはやされてきた手法が急に通用しなくなることもあれば、グーグルが検索アルゴリズムを変更した途端、サイトの広告収益が激減し、窮地に追い込まれるようなこともある。

こうした修羅の世界でなんとか14年間やってきたが、正直、最前線でウェブメディアの運営・編集に従事するのが、いいかげんキツくなってきたのだ。依頼された原稿を書く程度であれば、まだまだ対応できる。ただ、これからますます競争が激化するであろうウェブメディアの、ヒリつくような編集現場で中心に立ち、強力なライバルと対峙する熱意をどこまで持ち続けられるか。私は自信を持って「できる」と言えなくなってしまった。

■才能あふれる若手に感心し、「負け」を認める瞬間

競争は厳しいが、可能性も無限にある。そんなビジネス環境こそ、野心を抱く若者が全力で取り組むほうがいい。私自身も、32歳のころは「チクショー! 新聞と雑誌の野郎! オレらネットニュースを下に見やがって! いつかギャフンと言わせてやる!」という反骨心が仕事の原動力だった部分がある。

こうした下剋上的な意識が充満した時期を経て、ネットがメディアの王者となった今。もうネットメディアは自分の居場所ではなくなったように感じている。私はネットニュース編集と並行して、ウェブ上で展開される広告施策、PR施策の企画・制作にも関与してきたが、近ごろは大手広告代理店の若手が動画や新聞広告などを連動させた秀逸なウェブ企画を次々と生み出し、話題を呼ぶようになった。

最近の例でいうと、ポカリスエットの「高校生がZoom風画面で歌うCM」や、グリコの「史上最小のプッチンプリン」といった企画がネット上で評判になっている。こうした企画が登場した際、以前の私であれば「ケッ、ワシのほうがもっといい企画を考えられるぞ。クソ! 一泡吹かせてやる!!」と息巻いたものだが、いまでは「いい企画だな~」と素直に感心してしまうようになった。もはや、完全に「撤退」の時期である。それは同時に「後進に負けた」ということを認めるときなのだ。

■仕事相手に余計な気づかいをさせたくない

素直に「こんな才能あふれる人々が活躍する場所に、自分の居場所はない」と思うようになったことに加えて、もうひとつ、撤退を決意した材料がある。それは、仕事を発注してくれる関係者たちに、余計な気づかいをさせてしまっているのではないか、ということだ。

これまでの実績や付き合いもあるから引くに引かれず、温情や忖度で関係者が私に声をかけてくれる状態というのは、あまり健康的とはいえない。おそらく先方も若干困っているのではないかと思う。「自分が担当の間はいいけど、次の担当になったとき、果たして中川さんに頼めるかなぁ」「この案件はスケジュールにまったく余裕がないのだけど、中川さんに依頼しても大丈夫だろうか」「本当は他の若い人に依頼したい気持ちもあるが、上司が『中川さんに相談してみろ』と言うし、声をかけなきゃ悪いよな……」といった葛藤を抱えているのではないか。

■老兵は去り、後進に道を譲る

考えすぎかもしれないが、“自分が制作スタッフのなかで最年長”という案件ばかりになると、ふとした瞬間に「俺がいつまでも現場に居座っていたら、若手はやりづらいんじゃないかな」などと思ってしまうのである。

仕事を受注する立場の者は、発注相手に余計な気づかいをさせてはいけない。これも、2020年8月31日でセミリタイアすることを決めた、大きな要因のひとつだ。あとのことは、私よりも若い弊社唯一の従業員・Y嬢に委ねるので、彼女が思うとおりにやってもらえばいい。老兵は去るのみである。

それではセミリタイア後、人間関係はどうなるだろうか。幸いなことにネットがあるので、直接、顔を合わさなくても一定の関係は維持できるだろう。公私ともに、これまでお世話になった方々とは、相手が困ったときに遠慮なく相談してもらえるくらいの関係性を続けていきたい。もちろんイザというとき、私でお役にたてることがあるなら、全力でお手伝いをするつもりだ。

■コロナ騒動で再確認するパートナーとの幸せ

今回の新型コロナ禍はまったく想定していなかった緊急事態だが、それでも私が計画どおり、セミリタイアを実行しようと決意できているのは、妻の存在も大きい。というのも、こういった緊急事態を経験し、改めて「結婚って、案外いいものだな」と感じ入ったのである。

私は妻と2人暮らしだが、どちらもライターなので、もともとお互い在宅ワークだった。そのため、最近各所で取り沙汰されている「パートナーといつも一緒の空間にいるようになり、口論が絶えなくなった」「家庭内がギスギスしている」「コロナ離婚の危機」といった状況には陥っていない。

夫婦は子どもが巣立ったら2人きりの生活になるもの。子どものいない夫婦でも、お互いリタイアしたら2人だけで過ごす時間が増えるだろう。折からのコロナ在宅は、その予行演習だったのだ。これで家庭内が冷え切ってしまったり、離婚したりするのであれば、そこまでの関係だったということ。今回の騒動で、家庭内に潜んでいた課題や問題点があぶり出されたと前向きに捉えて、パートナーとの関係をいま一度、見直してみることをおすすめしたい。

■家に2人きりで籠もる生活で得た“確信”

一方、パートナーがいない人は、外出もせず、家に1人きりで過ごすなかで、もしかしたら「危機的状況のとき、一緒にいてくれる人」の重要性を強く意識するようになったかもしれない。もしあなたが「パートナーと常に一緒なんて面倒くさそう」「いちおう相手はいるけど、他にもっといい人がいるかも……」などとこれまで考えてきたのであれば、この機会にさっさといい人を見つけたり、パートナーと暮らし始めたりしてもよいのではなかろうか。

私は新型コロナ禍が発生するまで、月に20回は外で飲み歩くような生活をしていたが、いまではそれが一切なくなった。確かに淋しく感じることはあるし、1日でも早く従来どおりの暮らしが戻ることを望んでいるが、夫婦2人だけで自宅に籠る生活も、思いのほか心地よく過ごせている。毎日、仕事が一段落したらキッチンでつまみをつくりつつ2人で酒を飲み、その流れでのんびりと夕食に突入する暮らしはなかなか楽しいものだ。

「大半の仕事を手じまいする」という覚悟ができたのは、「夫婦2人だけで生きても、なんとかなる」と確信できたからかもしれない。

■セミリタイアをおすすめできないケースとは

とはいえ、勘違いしていただきたくないのだが、私は諸手を挙げてセミリタイアを推奨したいわけではない。「まだ、いまの立場でやりたいことがある」「現在の仕事から離れるのは未練がある」「すべてをやりきった、とは思えない」といった感情がわずかでもあるなら、「手じまい」や「撤退」はやめたほうがいい。

少し脱線するかもしれないが、ここで私の会社の奇妙な方針について触れておこう。「取引先の担当者と相性が合わなくても、こちらからはできるだけ『降りる』と言わない。ギリギリまで様子を見る」というものだ。

我が社は、私も含めて総員2名という零細ながら、その企業規模からは想像できないほど多くの企業とお取引している。長らくお付き合いが続いている取引先も少なくない。

取引が長くなると、先方で相対する担当者が変わる場面に何度も遭遇する。先方の幹部や案件の責任者とは、それまでの付き合いを通じて強固な信頼関係を築けているものの、これが現場レベルの担当者となると、一概にそうとも言えない。担当者が交代した途端、急にコミュニケーションが滞ったり、不信感が強まったりすることもある。日々の業務でやり取りする担当者との相性は、仕事のモチベーションにも大きく影響するものだ。要は「あの新しい担当者、やりづらい」というヤツだ。

■ギリギリまで、自分から「降板」は口にしない

そんな新担当者Aさんがやってきてから数カ月後、弊社唯一の社員であるY嬢と私の間では、以下のような会話が交わされることになる。

Y嬢:あのさ、中川君、言いたいことがあるんだけど。
私:たぶんオレも同じこと考えていると思う。
Y嬢:なら私から言う。Aさんってどう?
私:ガハハハ、やっぱ同じこと思っていたか。あの人、ちょっとやりづらいよね。
Y嬢:そう! お得意先だから、あまり悪く言いたくないけど……。
(中略。「この前も、こういうことがあった」「あの言い方はないと思う」といった具体的な出来事について共有が行われる)
私:とはいえ、オレらに仕事をくれている人だから、キチンと対応しようよ。
Y嬢:そうだよね……。まぁ、そのうち異動するかもしれないし、会社を辞めるかもしれないから、そこまではちゃんとやろうよ。

こんなやり取りをして、しばらく様子を見るのがお決まりのパターンだ。

■相手が音をあげるのを待つチキンレース

その案件に対しては我々も非常に愛着があるし、Aさん以外の関係者に悪い感情はない。だが、Aさんは本当に不快な存在だ。こうした際に何が起こるかといえば、Aさんと我々の間で「『どちらが先にキレてしまうか』を競うチキンレース」が始まるのである。

Aさんの態度からは、私とY嬢に対する不信感や憎たらしさが明らかに滲んでいる。私とY嬢も、Aさんを憎いとまでは言わぬまでも、バカだとは思っている。こうした状況にはこれまで何度か遭遇してきたのだが、私とY嬢はそのたびに「そろそろ相手が音をあげるころだろうな」というのをかなりの精度で予測できていた。おそらく、現場担当者のAさんよりも、職位が上の人々の考えていることをこちらは適切に理解している、という実情があるからだろう。

まさに「相手が撤退する、手じまいするのを待つチキンレース」なのだが、我々はこれまでに2回、この勝負に勝っている。担当者はいつしかメーリングリストから名前が消えて、次の担当者がやってくる。この新しい担当者と良好な関係を築くことができれば、また仕事は平和裏に続いていく。

■大切なのは納得感。だから、自分本位でいい

ちょっと趣味が悪いかもしれないが、我々2人は「今回も『○○さん辞めろ~!』の呪いが通じちゃったね」と苦笑しあい、「呪い」を弊社の定款に加えようと相談したことさえあった。「呪い」という言葉が不気味に感じるなら、「言わぬが花」と言い換えてもいいかもしれない。「担当者、変わってくれないかなぁ」などと呪いにも似た感情を抱くことはあっても、こちらから積極的に状況を変えるべく動くことは、ギリギリまでしないということである。我慢すれば、相手のほうから撤退してくれることもあるのだから、限界まで待ち続けるというアプローチがあってもいいはずだ。

「やりきった」「何の未練も後悔もない」「もう自分は通用しない。降参だ」と考えたのであれば、「撤退」という選択はアリだ。だが「まだ続けたい」という気持ちがほんの少しでもあるなら、その仕事を安易に手放さないほうがいいだろう。業務に関わる相手が気に食わないのであれば、その人物が撤退するのを待つ、というのも重要な戦略のひとつである。

どのような選択をするにせよ、自分が本心から納得できているかどうかが、もっとも肝要になる。誰のものでもない自分の人生なのだから、究極的には、どんなに自分本位な選択をしても構わないのだ。そのほうが、選択をした結果が吉と出ても凶と出ても自分のなかで折り合いがつけられるし、他人を責めながら毎日を過ごすような、惨めな思いをしないで済む。

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【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・「生涯現役」という価値観を持つのは、本当に幸せなのだろうか。「できるだけ早い段階で仕事を手じまいする」という美学もあるはずだ。
・ネットニュース編集、PRプランニングの仕事は、もう十分やった。もはや何の後悔も未練もないので、セミリタイアする。
・新型コロナ禍で得たのは、パートナーと2人で暮らす喜びである。
・少しでも迷いがあるなら、仕事は続けるほうがいい。

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中川 淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
ネットニュース編集者/PRプランナー
1973年東京都生まれ。ネットニュース編集者/PRプランナー。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライター、「TVブロス」編集者などを経て現在に至る。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットのバカ』『ウェブでメシを食うということ』『バカざんまい』など多数。

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(ネットニュース編集者/PRプランナー 中川 淳一郎)

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