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『100万回生きたねこ』の作者が胸の中にしまってきたこと

プレジデントオンライン / 2020年5月15日 11時15分

※写真はイメージです - 撮影=プレジデント編集部

■名作エッセー『私の猫たち許してほしい』を読む

佐野洋子さんのエッセー集、『私の猫たち許してほしい』(ちくま文庫)を久しぶりに読んだ。表紙のイラストは抱き合う猫たち。1982年初版で、佐野さんの最初の結婚が破綻して離婚した2年後に出された、初のエッセー集だ。佐野洋子さんといえば絵本『100万回生きたねこ』でご存じの方がほとんどだろう。絵本という媒体になじむ、繰り返される言葉のリズム感と、拓けて展開していく物語、大人もしんみり胸を衝かれるラストシーンが猫のイラストの個性と相まって、大きな印象を残す。

本書の佐野さんは、一見、絵本とは趣が異なるかもしれない。自分というものをよくよく見つめてしまった佐野さんの、ぶっきらぼうなほど正直な言葉にひと筋の哀愁が貫いているような文章。初めてのエッセー集というのは、誰でも胸の中にずっとしまってきたものをごろんと取り出してしまうものではないかと思う。散歩の途中、林の中で「ああ、お母さん幸せだわ!」と母親が叫んだという昔の記憶。普通なら聞き流したかもしれないセリフを、普段から母親の顔色を窺って生きてきた、ちいさな佐野さんは、正面から受け取ってしまう。

そして、言葉とは裏腹な母親の日頃の満たされなさを感じ取り、自分が全運命を預けている気まぐれな大人に不安を抱く。そんな、人を見抜いてしまう子どもならではの悲しみもあれば、子どもができて自由を奪われたくないと泣いた佐野さんが、赤ん坊を産んでからは母性の化け物のようになった自分を見つめるシーンもある。ひたすら周囲を観察し、人に憧れたり美しいものに心を寄せたりする。自分の中にあるさみしさ、いやらしさに対してとことん正直で、自分に残酷。それなのに、なおかつ頑な人ではないと思う。

■感動の裏にある闇を見つめるばか正直さ

言葉や行動を何も考えずに繰り出せる人もいれば、佐野さんのように唇をかんで失敗を忘れられない人もいる。何かをほしい気持ちがどん欲だからこそ手に入らずに憧れるつらさ。精一杯、人生を駆け抜けて、振り返って残ったものを手繰り寄せながら書いているような感触が、本書には感じられる。

佐野洋子『私の猫たち許してほしい』(ちくま文庫)
佐野洋子『私の猫たち許してほしい』(ちくま文庫)

『100万回生きたねこ』のファンが勢い込んでページを繰ってみると、最初はがっかりする部分があるかもしれない。佐野さんははじめ猫が好きではなかったという。何もかもわかっているような顔をした猫を、薄気味悪く思ったのか。あるいは、ちいさい頃に兄と片目の猫を屋根に放り投げて、くるっと着地できるか実験した残酷な自分を怖がっていたのかもしれない。しかし、自己愛に完全に耽溺できないからこそ、自分の心の黒さにも気づいてしまうからこそ、あの名作を書けたのではないか。

感動の裏にはきれいなものだけでなく、闇と、それを見つめるばか正直さが必要なのだ。自粛のおこもり生活の間に、こんなエッセーとともに子どもの絵本を手にとってみてはいかがだろうか。

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三浦 瑠麗(みうら・るり)
国際政治学者
1980年、神奈川県生まれ。神奈川県立湘南高校、東京大学農学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。著書に『21世紀の戦争と平和』(新潮社)、『日本の分断』(文春新書)など。

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(国際政治学者 三浦 瑠麗)

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