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なぜ高校野球では「暴力をふるう監督」が生き残っているのか

プレジデントオンライン / 2020年5月12日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Marco Garcia

野球の強豪校では、たびたび部内での暴力事件が報じられている。なぜなのか。スポーツライターの元永知宏氏が、元球児への取材から、その実態を追う——。(第1回/全2回)

※本稿は、元永知宏『野球と暴力 殴らないで強豪校になるために』(イースト・プレス)の一部を再編集したものです。

■「暴力的な指導もやむをえない」は本当か

「横浜高校の監督と部長を、部員への暴力で解任!」(2019年9月28日発表)

この衝撃的なニュースを野球ファンはどう受け止めたのだろうか? おそらく、反応は3つに分かれるはずだ。

・高校野球の強豪校でそんなことが起こるはずがない
・いまだに暴力的な指導をしているのか
・どうして表面化する前に抑えられなかったのか

高校野球の歴史に詳しい人ほど、冷静に受け止めたことだろう。高校野球で暴力的な指導が長く行われていたことは周知の事実。かつて名監督と呼ばれた多くの指導者が、厳しい指導で選手たちを鍛え上げ、全国の頂点を目指した。気骨と根性のある選手が好まれ、体力の限界を超える猛練習に耐えてこそ、勝利はつかめるのだと考えられてきた。強いチームほど、厳しい指導は当たり前。ときと場合によっては、暴力的な指導もやむをえないと。

■たしかに暴力の効能は存在した

横浜高校の暴力事件の報道を知って、私は「やっぱりそうか」と思う人間だ。なぜならば、大学時代に体育会野球部に所属し、さまざまな形の暴力を体験したからだ。

元永知宏『野球と暴力 殴らないで強豪校になるために』(イースト・プレス)
元永知宏『野球と暴力 殴らないで強豪校になるために』(イースト・プレス)

1986年4月に私が入部した立教大学野球部は、1966年以来、長くリーグ優勝から遠ざかっていた。推薦入学制度もなく、甲子園経験者は数えるほどしかいなかった。甲子園で活躍したスターが集まる明治大学、法政大学はもちろん、早稲田大学、慶應大学の後塵を拝していた。さらにいえば、一度も優勝したことのない東京大学に敗れることも、最下位に沈むこともあった。

80名以上の部員は全員、埼玉県新座市にある智徳寮で暮らしていた。狭い6畳の部屋に布団を並べて寝ていた。朝7時起床、消灯は23時。些細(ささい)なことで罵声を浴び、誰かのミスで鉄拳が飛んだ。その4年間はいつも暴力という緊張感のなかにあった。

だから、暴力が野球選手にとってどういうものかは身に染みてわかっている。うまく手なずけることができればものすごい効果を生み、使い方を間違えればとんでもない惨劇が起きる。だが、一時的であったとしても、暴力の効能は確かにある。私自身、それを見たことがある。

■いまだに暴力を手放さない指導者たちがいる

しかし、それはもう30年以上も前のことだ。

高校野球の暴力事件の記事を読んで、「やっぱりそうか」と思うと同時に、「いつまでそんなことを……」と考えた。

暴力的な指導によって、選手たちは鍛えられ、根性がつく。だから、「暴力は許されない」と理解していながら、懐に暴力を忍ばせて指導を行う監督やコーチがいる。令和になったいまも、どこかに隠れている。いや、野球のすぐ近くでユニフォームを着て立っているかもしれない。

悲しいことに、高校野球だけでなく、少年野球からプロ野球まで、暴力を根絶することができていない。

上司が仕事場で部下に暴力をふるった時点で大問題になる。厳重注意で済むとは考えにくい。それが一般常識だろう。だが、野球界では「愛のムチ」という言葉がまだ生きている。愛情があれば、多少の暴力は許される。

少年たちの野球離れが急速に進んでいる。中学の軟式野球部員は7年間で12万人減り、中学硬式野球の「リトル・シニア」も、名門・老舗の廃部や休部が相次いでいる。高校球児の数は毎年約1万人ずつ減少しているという。その原因のひとつが、野球界に依然として残る暴力的指導、暴言であることは間違いない。なぜ、暴力を根絶できないのか——。

■やめないように子どもたちを指導する

立教高校(埼玉、現・立教新座)から立教大学に進み、2度のリーグ優勝を経験した菅原勇一郎は、「おべんとうの玉子屋」を経営する実業家だ。そのかたわら、硬式少年野球チームの「大田リトル・シニア」の運営にも関わっている。自身も同チームOBである。1969年生まれで、私の立教大学野球部の2学年下の後輩に当たる。

「リトルリーグ、その上の年代のシニアリーグは、昔から関東や東北で盛んでした。ほかに、ボーイズリーグ、ポニーリーグがあるのですが、そのふたつは主に関西で発展していきました。『大田リトル・シニア』は伝統があって、甲子園に出場したOBもたくさんいるんですが、『いい高校に進学できますよ』という誘い方はしていません。野球の強豪校に推薦で入っても、ケガをすることもあるし、指導者と合わないこともあるから。ほかのチームに選手が流れることもあって、いまは成績はあまりよくありません。僕らのときには5軍まであったけど、人が少ないから、やめないように子どもたちを指導するようになっていますね」

■厳しく当たってもやめないだろうという人間を選んでいた

菅原が大田リトルの選手だったときには関東大会で優勝しており、そのまま甲子園にも出られるような選手が揃っていた。

「でも、監督の指導に合わなかったり、高校に入って上級生にいじめられたりで、野球を続けたのは、高校までで4人、大学まではふたりくらいでしたよ」

菅原の高校時代、どこの野球部でも当たり前のように暴力があった。

「確かに、僕は生意気だったし、態度も悪かったかもしれません。卒業してから先輩と会う機会があり、『よく、先輩にはやられましたよ』と話してみると、厳しく当たっても部をやめないだろうという人間を選んでいたことがわかる。どれだけやっても大丈夫だと思うから、どんどん激しくなっていったんでしょうね」

1年生の夏の埼玉大会で菅原がベンチ入りメンバーになって以降、さらに風当たりが強くなった。

■甲子園球児はみんな「暴力に耐えた人間だ」という刷り込み

「入学したときに65キロあった体重が、55キロまで落ちました。学校のなかで先輩と顔を合わせるのが怖い。だから、教室からはほとんど出ませんでした。甲子園の埼玉予選のころは、ストレスで胃液が出て、ずっとご飯を食べられない状態でした。3年生は早く引退してくれないかなと、そんな気持ちが強くて。練習でも学校でも、とにかくミスしないように、チョンボしないようにとだけ考えていました。特に厳しくされたのは、プレイに一生懸命さが足りないときかな。ベンチ外の1年生は生活態度で。僕はダブルで食らいましたね(笑)」

なぜ、そんな生活に耐えることができたのか。

「野球の名門や強豪校はもっとひどいことを知っていました。殴る蹴るが当たり前で、耐えられない人はレギュラーになれないし、甲子園で活躍していた人たちは、暴力を我慢して乗り越えた人たちなんだという刷り込みがあった。だから、やれただけです。いま思えば、全然意味がない」

■リトルリーグに入れた息子からのショックな一言

菅原は厳しさに耐えたことで、レギュラーになり、大学では神宮球場でもプレイできた。彼もまたサバイバーのひとりだ。

「大学まで野球を続けて、よく耐えたと言われることが多いんですが、途中でやめた人のほうが正常だった気がします。人間的というか。最後まで続けたのは、意地があったからというだけです。だから、ドロップアウトした人間が負け犬のような扱われ方をするのはちょっと違う気がします。確かにあの数年間以上につらい経験は、その後30年近く生きてきたなかでなかったけど、生き生きと個性を伸ばしたほうがよかったんじゃないかとも思いますね」

野球界で当たり前のことが、世間では普通ではないと教えてくれたのは、自分の息子だった。

「最初は当然のように、息子を大田リトルに入れました。5年生までやりましたが、あるとき『試合で負けたあとに、おまえのエラーで負けたんだから謝れと言われるのはおかしい。野球はチームスポーツで、誰かを責めるものじゃないでしょ』と言われました。もう野球は嫌だからと、アメリカンフットボールのほうに行きました。『やめるな』とは言えませんでしたよ」

苦しいことの先に勝利がある。だから、どんな仕打ちを受けても耐えろ。そんな指導はもう若い世代には通用しない。

「野球を楽しめるように指導するべきだと思うけど、それができているチームがどれだけあるのか。リトルに入る子も親も、本気で甲子園を目指している。そうなれば、楽しみながらというのは難しいですよね」

■手が出てしまうのは教える側の勉強不足が原因

指導者には、指導者の思いもあり、事情もある。

「本当に選手のためを思って、暴力に訴える指導者もいるでしょう。確かに選手の態度や姿勢などに非がある場合もあるんだけど、手が出てしまうのは教える側の勉強不足が原因です。コミュニケーションスキルが低いケースが多い。朝から晩までずっと練習で、同じメンバーとだけ過ごすのも問題でしょうね。指導者はもちろん、仕事ではなくボランティアでやっていて、週末の休みを潰して、ずっと野球のことばかり考えている。『このチームのためにやっている』という思いが強いぶん、暴力が顔を出すことになるじゃないですか。そういう人を排除したら、指導する人がいなくなるかもしれない」

その労に報いるために、保護者は弁当を用意し、お茶を出す。下へ置かない扱いをされるうちに、勘違いする監督やコーチも出てくる。そこに、暴力を生み、許容する土壌ができる。

菅原が経営する玉子屋は、現在1日6万食以上の昼食弁当を都心の企業に届けている。年商は90億円。2008年にはサービス産業生産性協議会が主催する「ハイ・サービス日本300選」第2回受賞企業に選出され、さらに2015年から現在まで、「世界経済フォーラム(通称「ダボス会議」)」のフォーラムメンバーとして、会議に参加している。

そんな経営者として、菅原は野球人の未来を憂いている。

■「監督の指示は絶対」だから自分で考えない

「学生時代に経験した暴力的なことがよかったか悪かったかといえば、よかったとは思わない。指導者に服従しなければチャンスをもらえない、反抗すれば出番を奪われるという野球界の体質が、その後に悪い影響を与えているような気がします。

うちの会社は弁当屋ですけど、ほかの国にオフィス向けの仕出し弁当というスタイルはないから、その分野ではうちが世界一とも言えます。この10年、経営者としてさまざまな業種の国内外のリーダーに会う機会がありましたが、ラグビー、アメフトの出身者が多くて、野球出身の人はあまりいない」

野球を巡る環境のせいではないかと菅原は言う。

「ラグビーやアメフトの人は、練習以外にもいろいろなことを経験していて、バイタリティがある。野球は練習時間が長くて、閉鎖的。どうしても視野が狭くなりがちです。監督の指示は絶対という世界にいるから、自分で考えることが少ない。だから、いまだに暴力が残っている。

いまの時代、誰かに従うだけではダメで、自分から何かを生み出さないと通用しない。僕は、野球出身の経営者がたくさん出ることを楽しみにしているし、社会で活躍する野球人がもっと増えてほしいと思っているんですけど……」

野球というスポーツの閉鎖性、風通しの悪さが、暴力を生む温床になっているのだろうか。

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元永 知宏(もとなが・ともひろ)
スポーツライター
1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年秋に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。著書に、『プロ野球を選ばなかった怪物たち』(イースト・プレス)、『レギュラーになれないきみへ』(岩波ジュニア新書)、『殴られて野球はうまくなる!?』(講談社+α文庫)、『補欠の力』(ぴあ)、『野球を裏切らない』(インプレス)などがある。

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(スポーツライター 元永 知宏)

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