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「私なんて大したことない」鳥取の大学病院にいる"受付のプロ"

プレジデントオンライン / 2020年5月18日 9時15分

(写真右)鳥取大学医学部附属病院で外来クラークを担当する鷲見万里子さん - 撮影=中村 治

病院で働いているのは医師や看護師だけではない。ほとんどの患者が最初に病院の人間と顔を合わせるのが受付にいる「外来クラーク」である。鳥取大学医学部附属病院で外来クラークを務める鷲見万里子さんは「医療と無縁の世界で生きてきた私にとって、大学病院での仕事は戸惑うことばかりだった」という――。

※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 4杯目』の一部を再編集したものです。

■仕事選びの基準は「人と話すことが好き」というだけ

誰と出会うか、どんな環境にいるか、そこで何を感じるか――。巡り合わせで人生は大きく変わるものだ。

鷲見万里子もそんな一人である。

鷲見は1986年6月に島根県松江市で生まれた。高校卒業後、飲食店、美容関係などで働いた。腰が据わらなかったのは、どれも自分にはしっくりこなかったからだという。

「特にやりたいことがなかったんです。人と話すことが好き、というだけで仕事を選んでいましたね」

夢なく生きてきたって感じですか、とはにかんだ。

そんな彼女が焦りだしたのは、高校卒業から10年近くが経ち、20代の後半に差し掛かってきた時期だった。

「年齢を考えたら、このままじゃいけない。いろんな人に話を聞いたり、ハローワークで職業相談したり。これまでの経験を生かすにはどうしたらいいと考えたときに、外来クラークという仕事がありますよって、ハローワークで教えられたんです」

クラークは英語で事務員を意味する。外来クラークは、主に受付業務に担当する職員のことだ。

「職業訓練校で8カ月間、医療事務について学びました。医事会計の点数、病院事務に必要な知識、電子カルテの操作法とかですね。その後、病院で実習させてもらった後、ここの面接を受けたんです」

鷲見はそういって下を指差して笑った。

■カルテの内容さえ分からないままにスタート

2014年12月から、とりだい病院で働き始めている。最初は戸惑うことばかりだったという。

「今まで(医師の)先生と話をする機会がありませんでした。そして医療の知識もない。先生とのコミュニケーションが大変でした」

鷲見万里子(すみ・まりこ)/鳥取大学医学部附属病院 看護部 外来クラーク。職業訓練校にてメディカルクラークの資格を取得後、2014年に鳥取大学医学部附属病院に有期契約職員として入職し看護部外来クラーク業務で眼科、整形外科に配属される。2019年、特定業務支援職員試験を受け合格。現在は、麻酔科・ペインクリニック外科、泌尿器科、総合診療外来、消化器・腎臓内科を担当。(撮影=中村 治)
鷲見万里子(すみ・まりこ)/鳥取大学医学部附属病院 看護部 外来クラーク。職業訓練校にてメディカルクラークの資格を取得後、2014年に鳥取大学医学部附属病院に有期契約職員として入職し看護部外来クラーク業務で眼科、整形外科に配属される。2019年、特定業務支援職員試験を受け合格。現在は、麻酔科・ペインクリニック外科、泌尿器科、総合診療外来、消化器・腎臓内科を担当。(撮影=中村 治)

医師は、大学生時代から医療という専門分野に没入して生きてきた人間たちである。医療に限らず、専門性が高い分野では内部での意思疎通に使用される共通言語が存在する。そして長期間、その中で生活していると、それらが外部に理解されにくいことを忘れがちである。

「カルテなどに検査の指示が略語で書かれているんです。簡単なところならば、レントゲンは“XP”。心電図ならば“ECG”。病名も横文字で書かれているんです。受付業務自体のマニュアルはあるんです。でも、(医療に関わる)略語などの説明はないです。職業訓練校でも学ばなかった。全く指示も病名も分からなかったんです」

先生、これは何ですか、と聞いてみると、そんなことも分からないのかと返されたり、明らかに不機嫌な顔をされることもあった。不思議だったのは、控えめだと思っていた自分が、そのとき怯まなかったことだ。

「先生からしてみれば、忙しいのに何を基本的なことを聞くんだって感じだったんでしょう。でもめげずに聞きましたね。そのほか、看護師さんに聞いたり、家に帰ってインターネットで調べたり。最初は本当に大変でした」

■患者さんから声を掛けられず、多くの資格を取得

とりだい病院の外来クラークは、担当する各診療科が日によって変わる。脳外科、麻酔科、内科、外科など、当然のことだが病名、処置は全く違う。

「初診の患者さんだとどの科でも紹介状をお持ちです。看護師さんにそのままお任せすればいいんです。再診の場合、こちらで理解しなければならないことがあります。今でもぱっと見て分からない病名はたくさんあります」

外来クラークは、病院の玄関口である。ほとんどの場合、患者が最初に顔を合わせるのは受付にいる外来クラークだ。長く通院している患者は、まず顔見知りの外来クラーク、あるいは看護婦を探す。働きはじめたばかりの頃を鷲見はこう振り返る。

「私には全然、声を掛けられなかった」

患者から頼られるようになりたいと思った鷲見は、多くの資格を取得した。メディカルクラーク、メンタルケアカウンセラー、ホームヘルパー2級、調剤報酬請求事務技能検定2級、ピンクリボンアドバイザー――など、である。

やがて、患者たちは鷲見の顔を見つけると表情が緩むようになった。医師や看護師たちから「(仕事が)分かってきたね」と言われたことも嬉しかった。ようやく自分の存在価値を認められ、居場所ができたような気がした。

同時に漠然とではあるが、未来に対する不安も頭をもたげていた。外来クラークの契約期間は5年間。延長するには半年間を空けて、再度、採用試験を受ける必要があった。同僚たちと、将来の話になることもあった。期限のない他の病院に転職した人間も少なくないと教えられた。自分もやがてここから離れるのかと寂しく思った。

■多くの国立大学附属病院が人材不足という悩み

よかれ、と思った政策が逆の結果を招くことがしばしば起こる。

2013年4月に労働契約法の改正が行われている。18条(有期労働契約の期間の定めのない労働契約への転換)では“有期労働契約が繰り返し更新されて通算5年を超えたときは、労働者の申し込みにより、期間の定めのない労働契約(無期労働契約)に転換できる”と規定。

1年程度の契約更新を繰り返している、立場の弱い非正規労働者を「正規雇用」へと転換させるという意図だった。ところが、経営基盤の弱い雇用主は、5年未満で契約を打ち切るようになったのだ。

近年、医療機関の経営の脆弱(ぜいじゃく)さが問題となっている。特に大規模病院では最新医療器具の導入が不可欠である。莫大な設備投資費によって、ちょっとした躓(つまず)きが経営の傾きにつながる可能性がある。

とりだい病院のように公益性の高い医療機関は、質の高い医療を継続して提供することが何より大切である。そのため、医師、看護師の人材確保を最優先として、それ以外の人材は1年更新の非正規雇用でまかなってきた。その手法がこの労働契約法改正で不可能となったのだ。

とりだい病院で総務を担当する前副看護部長の藤井春美は、多くの国立大学附属病院が人材不足という悩みを抱えていると言う。

「特に看護助手と外来クラークが足りない。仕事を覚えて5年が経つとやめて、他に行ってしまう。最大5年間というのが分かっているので、募集してもなかなか能力のある人が来ない」

■正社員登用の新制度に応募、全試験官一致で合格点をもらう

労働契約法改正から5年後の2018年4月、とりだい病院は、一部のパートタイム職員について、無期労働契約への転換を始めている。2013年に契約を結んだ非正規職員たちの契約期間が終了する時期となったからだ。

このパートタイムは1日上限6時間で最長5年間。5年後、希望者は登用試験に合格すれば任期が消える。しかし、雇用形態はパートタイムのまま。子育てなどで短期間の労働時間を望む人間以外には不十分な雇用形態だった。

国立大学附属病院が人事面での自由度が低いのは、大学の管轄下に置かれているからだ。人事面で大学職員全般の基準が適用される。どうしても医療の現場にはそぐわない例も出てくる。

そこでとりだい病院は鳥取大学に特例を申請、2019年から「特定業務支援職員」制度を始めた。この採用試験に合格すれば任期3年の常勤職員となる。そして3年後の登用試験に合格すれば、無期労働契約に転換できる。その分野には、医療事務、診察補助。そこには外来クラークが含まれていた。

昨年、初めて特定業務支援職員制度の試験が行われた。前副看護部長の藤井は採用担当でもあった。

「初めてできた制度なので、本当に能力のある人、やる気のある人を選ばなくてはならないと思っていました」

外来クラーク部門の応募者は20人近く。合格者は2人だった。一人が鷲見である。

「どんどん知識を吸収したいという意欲が伝わってきた。そして応募書類、面接で、患者さんの気持ちに寄り添いたいという言葉が出てきた。合格すれば、定年までいる正職員になる可能性が高い。そういう思い、気持ちを持っていることを一番大事にしました」

鷲見には全試験官が一致して合格点をつけたという。

■外来クラークを引っぱる存在になるために

特定業務支援職員試験に合格したとき、とりだい病院で働き続けることができるのだと、嬉しくてたまらなかった。そして自分が外来クラークを引っ張っていかなければならないという意識を強く持つようになった。今、鷲見は新たな資格を取得するため勉強中である。

鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 4杯目』
鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 4杯目』

「診療情報管理士っていう資格なんです。先生が書いたカルテの分類、整理などを学んでいます。先生や看護師さんたちが記録したカルテを見ても、今、私は半分ぐらいハテナなんです。だから、もっとカルテを読み取れるように、理解できるようになりたい」

現在、鷲見は週2日は麻酔科、残りの日は他の診療科の受付を担当している。麻酔科は他の診療科と性質が違う。根本的な治療ではなく、さまざまな症状を持つ患者の痛みを抑えることを目的としている。

「まずは(患者の)顔色を見て、表情を見ます。軽く世間話ができるような状態なのか、それでさえしんどいのか。それによって対応を変えます。歩くスピード、所作も見ますね。私の物差で気がついたことがあれば、看護師さんや先生にメモ帳に書いて渡しています」

とりだい病院は増築を重ね、複雑な造りとなっている。検査などで移動の必要があるとき、無機質で変化の少ない廊下は迷いやすい。そこで鷲見は患者に渡す地図に、一緒に線を引く、あるいは分かりやすく絵を付け足したりしている。

カニジルWEB
WEBサイトもオープン

彼女は「大したことないですよ、当たり前のことです」とうつむき気味に言った。

一般的に山陰の人間は押し出しが強くない。どちらかというと、自分なんて、と後ずさりするような種類の人間が多い。

――私、自分のことを話すのが苦手なんです、上手く説明できなくてごめんなさい。

取材中、鷲見は何度もそう言って申し訳なさそうな顔で頭を下げた。

声高に自分の功績を語る人間が目立ちがちである。しかし、社会や組織を本当に支えているのは、鷲見のように控えめで、勤勉な人たちなのだ。

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田崎 健太(たざき・けんた)
ノンフィクション作家
1968年3月13日、京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。スポーツを中心に人物ノンフィクションを手掛け、各メディアで幅広く活躍する。著書に『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2015』(集英社インターナショナル)『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)など。

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(ノンフィクション作家 田崎 健太)

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