未曾有の経済危機をむしろチャンスに変えてしまった社長の発想
プレジデントオンライン / 2020年5月18日 9時15分
※本稿は、清水 唯雄『のっこむ! 「ものづくり日本」を人で支えた半世紀』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■「ビールも焼酎も味が同じ」ストレスで味覚障害に
日総工産の設立後は、自動車や電気・電子、半導体などの各産業の隆盛とともに、製造業の“合理化”で生じた新しいニーズを受け止める形で成長軌道を進んでいくことができました。90年代初頭のバブル崩壊も請負業界にはさほど深刻な影響を及ぼさず、2000年代に入ると約2万5000人の従業員を雇用するまでに成長を遂げていきました。
しかし、2008(平成20)年のリーマンショックは、今までの経済危機とはまったく次元の異なるダメージをもたらしました。需要の急落で各メーカーとも減産体制をとるようになり、この年の終わりには作業所に配置した人員は8000人にまで減少してしまいました。
結果としてそれまではほぼ無借金だったのが、多額の借金を抱えることとなりました。その後も売上は減少し、返済の原資もどんどん減っていき、ついに銀行の管理下に置かれることとなったのです。
何とかしなければ、と思いながらもいい手立てが思い浮かばず、夜は2~3時間しか眠れません。こんな状況が1年ほど続き、過度のストレスから味覚障害になってしまいました。
味覚障害になると文字どおり何を食べても飲んでも味がわからなくなります。すべてを忘れたく悪い酒の飲み方もしてみたのですが、ビールを飲んでも、日本酒を飲んでも、焼酎を飲んでも区別がつかないのです。こんな症状に見舞われるとは思ってもいませんでした。幸いお茶の水にある専門病院に通いはじめると、半年ほどで症状は消えていきました。
■リーマンショック2年後には復活の兆し
最初の上場準備がご破算になったことも、精神的にダメージとなっていたのでしょう。実は、この年──2009(平成21)年2月に株式公開を予定していて、準備を進めていました。それがリーマンショックで白紙になってしまった。綿密な計画を立てて進めてきただけに、落胆も大きかったのです。
しかし、少しタイミングがずれて、例えば半年前に上場を果たしていたとしたらどうでしょう。かえってリーマンショック後の再起は叶わなかったかもしれません。まだ運があったということだと今では思っています。
オイルショックのときは、再建に向けて孤軍奮闘せざるを得ませんでしたが、リーマンショックでは、残った従業員たちが精いっぱい頑張ってくれたおかげで、2年ほど経過する頃には何とか復活の兆しが見えてきました。
2010年代に入ると当初100億円規模だった負債も40~50億円程度まで減り、その時点で銀行側はもう危機は脱したと判断したようで、銀行の管理下から脱することができました。
そして、念願の株式公開は、2018(平成30)年3月16日に実現しました。東京証券取引所市場第1部に上場を果たすことができたのです。初めての株式公開でしたので、東証2部からのスタートになると思っていたのですが、いきなり第1部での上場となりました。東証側にそれだけ評価してもらえたということで、喜びに堪えませんでした。
■派遣・請負業界の健全化につながった
リーマンショックは私たち派遣・請負業界にも深い爪痕を残し、多くの会社を廃業へと追い込みましたが、半面、業界の健全化・浄化に一定の役割を果たしたのも事実です。
リーマンショックの前までは、発注者(メーカー)の立場からすると、今まで自社の正社員が担当していた業務を下請けへ発注することで、大幅なコストダウンにつながりましたが、請負事業主としては、労働者の賃金と会社の最低限の利益を除くと何も残らないという、ぎりぎりの状況で事業を営まざるを得ない状況も発生していました。
ところが、リーマンショックにより100万人規模といわれていた労働者の6割がこの業界を離れました。その数年前から偽装請負が社会問題化していましたから、本人だけでなく親などに反対され、もう請負業界には戻らないと決めた人たちが、その後景気が回復し再び業務請負へのニーズが高まった際にも戻ってこなかったためだといわれています。これに少子化や労働人口の減少などが追い打ちをかけ、他の業界と同様、請負業界も慢性的な人手不足に陥ったのです。
そのため請負企業は各分野で高い技能を持つ従業員を確保するために、労務原価(給与・教育・福利厚生等)を高めに設定し、雇用環境を整備せざるを得なくなりました。そうなると需給のバランスが崩れ、発注者であるメーカーに対して取引単価の値上げを交渉し、その金額はだんだんと上昇していきます。すると値段が上がってくることで、発注者も金額に見合った高いクオリティと改善力を求めるように変わっていったのです。
■人材育成にお金をかけられるようになった
その結果、製造業の現場では、一定の技能教育を受けた人材が請負企業の適切な管理の下、自己のキャリアアップを形成しながらラインの作業に当たるという、製造請負の人づくりのパターンが標準化され、定着していくこととなりました。
さらに派遣労働者の無期雇用転換ルールや同一労働同一賃金、そして働き方改革など、労働行政側が雇用環境の改善に本腰を入れはじめたことも請負業界の健全化にプラスに作用しているものと思われます。
こうしてリーマンショックを境に製造業の請負・派遣のあり方が変わり、教育・育成の大切さが認識されるようになりました。日総工産としてみても、メーカー側の意識が変わってきたことで、人材教育や管理に一定のコストをかけられるレベルまで利益率も向上してきました。
派遣・請負業界には人材育成が不可欠だと考えてきた日総工産にとっては、ずっと待ち望んできた時代が到来したといえそうです。
■日本の「ものづくり」を守る役割がある
さて、戦前から産業の近代化を支え、戦後の復興、経済発展を牽引してきたのが、日本が長年にわたり培ってきた「ものづくり」の力です。
ところが、国内の製造現場は近年、生産拠点の海外移転による空洞化や、リーマンショック以降の生産部門の縮小といった逆風に晒されつづけています。半世紀にわたって製造現場とともに歩んできた私から見ても、現在は心配がなくても長期的には現場の技術水準の維持や技能の伝承に影響が出てくるのは間違いないと思います。
では、このまま日本の「ものづくり」は活力を失っていくのか──。
いや、ご心配には及びません。この流れにストップをかけ、製造現場の技術水準を維持する役割こそ、私たち請負・派遣事業者が担うべき責務であり、将来に向けその役割を十分に果たすことができると私は考えているのです。
私はかなり以前から、メーカー側には製品開発や技術開発に集中して取り組んでもらい、生産工程の大部分は請負事業者が引き受けますと申し上げてきました。これは従来、メーカー社員のみが有していた高度な技能を私たち請負事業者もしっかりと身につけ、「ものづくり」のレベルを下げることなく引き継いでいくという決意表明でもありました。
もちろんメーカーが生産に関わる業務をすべて外部に委ねるというのは到底無理であると思われてきましたし、私自身もすぐにこの構想が実現するとは考えていませんでしたが、リーマンショック以降、この考え方はいよいよ現実味を増してきたように感じています。
■会社の垣根を超えて、技能を引き継ぐ
現在、大手企業では新卒の大量採用を続けてきた結果として、生産現場でも高年齢層の社員を多く抱えています。現場の規模を圧縮するにしても簡単に人員整理はできませんし、国がシニアの雇用継続を推進する中、ベテラン社員の処遇に悩む企業が増えています。
しかし、製造部門でキャリアを重ねてきた社員の多くは高い技能を持っています。私たちから見れば、こうした人たちの技能を生かす場はまだまだあるように思えます。現在は活躍の場がなくても、技能工の不足に悩む企業などでは歓迎される可能性も高いのです。
このことから、技能工を多く抱える企業と共同でベテラン人材を生かす場を設け、一定の年齢に達したベテラン社員をそこに移籍し、彼らが活躍できる場を外に求めるという新しい事業の可能性を探ることとなりました。
企業にとっては、高年齢の社員の処遇や雇用継続の問題を解決できますし、技能社員自身も自らのスキルを生かす場を確保することで生きがいを持って仕事に打ち込めるはずです。そして同時に、若い世代に技能を引き継ぐという教育の面でも成果が期待できます。
会社の垣根を越えて、高い技能を有するベテラン社員たちを、技能工不足に悩む企業にマッチングさせ、再び活躍できる場を確保しつつ技能を次世代に伝えていく──。製造業の分野で人材事業に長年携わってきた私たちの経験を生かして、日本ならではの「ものづくり」力の維持・強化に向け、この事業をぜひとも成功に導きたいと考えています。
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日総工産 取締役(名誉会長)
1936(昭和11)年8月21日、神奈川県横浜市に生まれる。日本鋼管(現・JFEスチール)勤務を経て、1971(昭和46)年2月、日総工営株式会社(現・日総工産株式会社)を設立、代表取締役社長に就任。日総工産代表取締役社長・会長を経て、2019(平成31)年4月、取締役(名誉会長)に就任。社会福祉法人近代老人福祉協会 理事長。一般社団法人日本生産技能労務協会 名誉相談役(元会長)。
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(日総工産 取締役(名誉会長) 清水 唯雄)
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