クルーズ船の乗客が呆れた「人に伝える気がない官僚の文章力」
プレジデントオンライン / 2020年5月15日 9時15分
※本稿は、小柳剛『パンデミック客船 「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■船内でPCR検査を受けたが、いつもと違った
2月15日 6時半起床 8時半朝食。
11時半、突然なんの予告もなくドアがノックされ、開けると白い防護服の検疫官が2名立っていた。70歳以上の方とその同室者に、感染の有無を検査させてほしいという。
PCR検査だ。19日の下船に向けての準備かと質問すると、そうだとの答え。結果は陽性ならすぐ知らせる(2、3日後)、陰性なら告知はナシで指示にしたがって下船してくれ、陰性の告知は今の余裕のない状態ではできないという話らしい。私たち二人は素直に検査を受けた。口を開け喉の奥の粘液をとるだけ、検査はすぐに終わった。私たち夫婦ははじめ、素直に下船の日が近づいてきたことを喜んだのだが、変だと感じたのも事実だった。
この変だという具体的内容は、後ほど厚生労働省が報道関係者向けに出したプレスリリースによってよりはっきりした。その前に前日と同様、橋本副大臣の船内放送があったのだが、聞けばかえって精神的に悪いと思い、私は適当に聞き流していた。内容はおそらく、下船にあたっての基本的考え、および検査順番だったと思う。後ほど部屋のポストに投げ込まれていたプレスリリースが同じことを伝えていた。プレスリリースは日本語と英語で書かれていた。
■乗客が下船できる“条件”は
クルーズ船 ダイヤモンド・プリンセス号からの下船について
1 国立感染症研究所は、武漢からのチャーター便第1便から第3便までのPCR検査の結果(565人が陰性、陽性の1人についてもウイルス検出量は陰性に近いレベル)を踏まえ、14日間の健康観察期間中に発熱その他の呼吸器症状が無く、かつ、当該期間中に受けたPCR検査の結果が陰性であれば、14日間経過後に公共交通機関を用いて移動しても差し支えないとの見解を示しています。
2 クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号の乗客のうち、陽性者や陽性者と同室の方を除く70歳以上の高齢者については、PCR検査を実施済み又は実施中です。このPCR検査で陰性の方については、上記1の見解に基づき、14日間の健康観察期間が終了する2月19日から、この14日間の健康状態を改めて確認し、問題が無い方については更なるPCR検査を行わずに、順次下船していただくこととします。
3 さらに、陽性者や陽性者と同室の方を除く、70歳未満の方については、2月16日目途から順次PCR検査を実施し、その結果が陰性の方についても、上記2と同様の取扱いとします。
4 この間同室者が陽性であった方については、その方について感染拡大防止対策がとられた時点から、上記2に従って対応します。
以上
■検査日から19日までの4日間に陽性反応が出たら?
このような文章を官僚が書く文章というのだろうか。
隔離された部屋のなかで読んだときにはよく理解できなかった。書き写している今でも、なかなか理解しにくい文章であることは間違いないと思う。
内容は国立感染症研究所が保証した、14日間の健康観察期間中に健康に問題がないこと、またこの期間中PCR検査が陰性であるなら、公共交通機関で帰っていいこと。現在、70歳以上の人を対象にPCR検査を行っている、陰性であれば14日間が終わる19日に健康に問題なければ下船できる。また70歳以下の人たちも明日からPCR検査をはじめる、結果が陰性であれば下船できる。また同じ部屋の人が陽性であった人は隔離され、その日からまた14日間がカウントされる。
疑問は健康観察期間終了の19日以前のPCR検査は有効なのかという点だ。私たちは15日に検査をされた。すると残りの4日間で陽性反応は出ないのか、またその4日間で感染するおそれはないのかということだ。
■批判をかわすために乗客を早く降ろそうとしたのか
事実私たちはこの4日間、私たちにとって貴重な散歩もしたし、クルーとも食事を渡される際に接触をしていた。ひょっとすると、厚生労働省は19日下船ということを絶対命題とし、そこから逆算をしてPCR検査を行ったのではないか。その不確定な、ふたたび感染するかもしれない4日間を拭って検査をしたということだ。
なぜこのようなことをしなければならなかったのか。前にも書いたように、海外のメディアの批判がとくに際立っていたのだが、クルーズ船隔離方法の失敗という世の中の批判をかわすために、早く乗客を降ろそうと考えたのではないか。
この日あたりから、アメリカをはじめ各国がチャーター機を日本に飛ばし、自国民を連れ帰ることがはじまっている。この連れ帰るという各国の方針も、日本の隔離方法の失敗というところから出てきたのではなかったか。その際、各国は自国に連れ帰った乗客を改めて14日間隔離という方法をとると言っていた。この方法に厚生労働省も動かされた可能性はある。
■船内で隔離しようとしても無駄だった
私たちは20日の日に下船した。下船にあたり「検疫法第5条第一号に基づく上陸許可について」なる文書を受け取り、そこには「上陸後は、日常の生活に戻ることができます」と書かれてあるにもかかわらず、帰宅してからほぼ隔離と同じ、実質外出禁止のような生活を送らざるを得なかった。
地元保健所から毎日、日々の健康状態、体温の質問電話がかかってきて、いわゆる決まり言葉、不要不急の外出を控えるように言われていたからだ。帰宅してから、今度はちょうど14日目に(断っておくが14日以前ではない)保健所によるPCR検査が行われ、翌日陰性と報告され、はじめて本当に自由の身になった。
つまり厚生労働省がなかったことにしたあの4日間が後々まで影響したのではないか。
いやもっとさかのぼれば船でいくら隔離しても、クルーと接触する限り、隔離は無駄だったといえるのだと思う。船での隔離は常に感染の危険と隣り合わせだったからだ。
前に私は「このような矛盾があとになって大きく現れてしまった」と書いたが、それはこの船内隔離が中途半端で、とくにお年寄りにはあまりにも過酷であったこと、また船内でのPCR検査も中途半端だったことであり、いわば隔離方法の杜撰(ずさん)さ、また途中で隔離の方針がぐらついたことによって引き起こされたものだった。
それが、結局感染者696名(3月4日現在)という数字となって表れた。もっともこの感染者数の拡大は厚生労働省ばかりの責任とはいえない。それ以前にプリンセス・クルーズ社側の責任もあったのだ。
■別の客船が汽笛を何度も鳴らすので何事かと思うと…
2月17日 9時少し前、この日最初の船内放送。
〈昨夜アメリカ国籍の乗客そしてクルーの一部が下船した。カナダの人たちは8時までに(放送時すでに過ぎている時刻なのだが)、大使館を通じて個人あてに帰国スケジュールが連絡されるだろう〉との内容。放送が終わってすぐあと、本船の前を横浜大さん橋に向かってクルーズ船ぱしふぃっくびいなす号が、大きな汽笛を何回も鳴らしながら通過していった。ダイヤモンド・プリンセスより2回りくらい小振りな船だ。すぐさま本船もお返しに数回の汽笛。
そしてすぐ船内放送。
船長は、〈ぱしふぃっくびいなす号のこのような励ましはとてもありがたく、私たちクルー一同は感謝している〉と述べた。おそろしく訛りの入った英語、次に自然な日本語通訳が入る。この船の放送の定番パターンである。
私は「へぇ、こんな汽笛で感激するのか、そんなものか」と驚くばかり。最初は前を通る客船があまりにも何度も汽笛を鳴らすので、何か行く手に障害物があるのかなどと、勘違いしたくらいだ。何も知らない素人の浅はかさだ。
■センチメンタルでも、自分の言葉で語る能力に感心した
そういえば、2日前くらいからだっただろうか、アメリカ国籍保有者たちの帰国が現実になりだしたころから、乗客全員がこの困難であったクルーズの旅がいよいよ終盤に差しかかっている、そう感じだしていることに応えて、数度「私たちと皆さんは一つの仲間です。この仲間であることを誇りに思っています」といったような船長のメッセージが増えた。もともと隔離がはじまって数日後からだろうか「ここにいる人々は家族のように団結できると信じています。一緒にこの旅を成功に導きましょう」などと放送していた。
このような言葉を私は珍しく思い、メモをとっておいた。だからほぼ正確にここで書けるのだ。これだけではない、食事が提供されたときには、キャプテン自ら料理の説明をし、たしか「ボナぺティ(召し上がれ)」などとも言っていた。
最初これらの言葉を聞いたときには、「こんなことを言う前に乗客のひどい現状をなんとかしてくれよ!」とか「連絡窓口をもっとつくってくれ!」などと毒づいていたのだが、反面いかにもアメリカ人らしい言葉選びだな、まるでB級ハリウッド映画の台詞みたい、などとも感じていた。
実際は下船してから調べてみると、イタリア人のキャプテンということだった。
今思い出すのだが、隔離された私たちにとっては「船長はなっちゃあいないよ!」とか「ずいぶんセンチメンタルなことを言うねぇ」などと思いながらも、自分の言葉でしゃべるという彼のあの能力には感心していたのだ。
■なぜ、日本の権力者とはかくも違うのか
文化の違いなどといってしまえばそれまでだ。“自分の言葉でしゃべる”とは、むしろ率直にしゃべるというほうが当たっているのかもしれない。どんな自意識や恥ずかしさをも超えて、自分のいうことを他人にわかってほしい、そこに何かの関係性をつくりたい。率直さとはこのような意味であり、ここから自分の言葉が出てくるのだと思う。
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橋本副大臣などの、無表情で機械的な、それでいてどこか人を見下したような言葉使いとは次元が異なると思った。自分の言葉でしゃべる、自分を出すということは、自分のなかに積み重ねたものがなければできない技であるのかもしれない。そこにはあきらかに他人が存在しなければならないし、そこにはあきらかに私たちとは異なった文化や歴史が存在しているのだろう。これは私の隔離によって混濁した想像でしかないのかもしれないのだが。しかし副大臣には下を見るか、上を見るか、そのことしかないのではないか、ということだ。
上とは権力であり、権力だけを目指す視線は逆に下を見下す。ここに他人と何かの関係性をつくりたいなどという意識はみじんもない。そこにあるのは主体などというものではなく、欲望だけだ。だから何もない、空白な人間、そんなことをいつの間にかぼんやり考えていた。
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「ダイヤモンド・プリンセス号」乗船者
1947年2月18日生まれ。1970年武蔵大学経済学部卒業、1976年早稲田大学仏文科大学院修士課程中退。1976年東北新社入社。外国映画、海外テレビドラマの日本語版吹き替え・字幕制作、アニメーション音響制作、およびテレビCM制作に携わる。2011年3月に同社を退社し、現在は夫人とともに長野県在住。文学・思想誌「風の森」同人。世界中が注目した「ダイヤモンド・プリンセス号」に乗船し、隔離された船内の一部始終を目撃、同船内で73歳の誕生日を迎えた。
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(「ダイヤモンド・プリンセス号」乗船者 小柳 剛)
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