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朝日は恥を知れ!なぜ、新聞社はこれからも「賭け麻雀」を続けるのか

プレジデントオンライン / 2020年5月25日 11時15分

「監獄ホテル」として生まれ変わる旧奈良監獄(奈良市)で開催された、改修工事の本格化に向けた着工記念式典で、山下貴司法務大臣の式辞を代読する黒川弘務法務事務次官=2018年11月23日 - 写真=時事通信フォト

週刊文春が「黒川弘務検事長は接待賭けマージャン常習犯」という特ダネを放った。黒川氏は1月末、東京高検検事長としての定年延長が閣議決定され、検事総長に昇格するとの観測が浮上していた。さらに検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案をめぐって、黒川氏の定年延長を「後付け」で正当化するものだと野党から批判が噴出していた。ツイッター上では「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグ付きの投稿が14万件を超え、検察OBや全国の全国の弁護士会が反対を表明し、まもなく政府・与党が今国会での改正案の成立を断念した。

週刊文春の記事を受け、まもなく各メディアは黒川氏が辞意を表明したと報じた。いくらなんでも検事長が賭けマージャンを、しかも新聞記者としていたなんて、辞める以外に黒川氏に残された道などなかったであろう。

しかし、社員が黒川氏と賭けマージャンをしていたという産経新聞と朝日新聞はいかがなものだろうか。権力とここまで癒着しているなんて、読者への裏切り行為ではないか。そんな中、全国紙社会部の男性記者は匿名を条件に新聞社と権力の癒着の構造を語ってくれた。男性記者は「また賭けマージャンする記者は絶対現れる」と断言するーー。

■さすが週刊文春、アッパレだ!

さすが週刊文春である。権力とマスコミの癒着ここまで生々しく活写したスクープをぶっ放すとは。アッパレとしか言いようがない。私は全国紙の社会部で記者をしているが、もはや日本の権力のスクープのほとんどを週刊文春が報じている。週刊文春にはどんなメディアも太刀打ちできないだろう。

黒川氏と賭けマージャンに勤しんだ産経新聞、朝日新聞、そして大手メディアはこんな特ダネは書けないはずだ。なぜなら彼らは今後も権力者と賭けマージャンすることをやめないからだ。いくら新聞社が自らを「社会の公器だ」と高尚なことを語ったところで、必ず新聞社はまた権力者と賭けマージャンをする。

その理由を簡単に説明すると、そもそも新聞記者は権力者と賭けマージャンするように教えこまれているのである。まずは新人記者がどうやってジャーナリズムを捨てていくのかを教えよう。

新聞社に入社すると、たいていは地方支局に飛ばされる。そこで取材のイロハを仕込まれる。つまり権力との癒着の基本も叩きこまれる。

地方に飛ばされた温室育ちの新人記者たちは、たいていは警察担当を任される。その県で起こる事件を日々ロボットのように書き続ける。しかし事件や事故を単純に報じているだけでは、まだまだ半人前。新人記者にとって最初の難関を乗り越えなければならない。それは当局(警察など)から「ネタ」をとってくることだ。

■新人記者の最初の関門、それが権力との癒着だ

新人記者が、“発生モノ”を書いているだけだと、そのうちデスク(30代後半~40代くらいの上司)からこう言われるだろう。「君は新人だからいいけど、東京にあがりたいのであれば、ネタをとってこないとダメだ」と。

昔は、どんなにダメな記者でもいつかは東京や大阪の本社にあがれていたようだが、最近は実力主義が強まり、地方でくすぶり続ける記者も目立つようになってきた。新人記者が「東京のどこの部署も欲しがらないような残念な記者にはなりたくない」と思うのも無理はない。

では、どうやったら東京にあがれるのか。もちろん社内での政治力を磨く記者もいるが、正規のコースは地方で特ダネを打って目立つことだ。

そこで、新人記者は悩む。「どうやったらスクープを打てるのか……」と。しかし、実は新人が新人なりに独自記事を各方法などとっくに確立されている。それが賭けマージャンであり「権力との癒着」だ。

■あえて雨の日、警察官の家にいく理由

まず、初めに新人記者がやらされるのは夜討ち朝駆けだ。警察官の出勤前と帰宅時に家まで行って、"非公式"な話を聞きにいく。警察官にとっては迷惑な話なのだが、そこは体育会系の集まりだけあって、案外これが効く。雨の日にブルブルと震えながら家の前で待っている健気な新人記者を見たら、義理人情に篤い警察官は「何が知りたいんや、言ってみぃ」とついつい心を開いてしまうのである。

本当は直前まであったかいタクシーの中で待機し、目当ての警察官が遠くに見えた瞬間に家の前までダッシュしていたのかもしれないのに。あえて傘をささずに濡れている感を出すというバリエーションもある。とある記者は警察官が見えた瞬間に用意しておいたペットボトルの水を頭からかぶるそうだ。

そうやって、警察官と仲良くなる。そして頑張る新人はさらにその上を目指す。その警察官の家にあがり、奥さんにご飯をご馳走してもらい、風呂も使わせてもらう。そこまで新人記者が警察官と関係を深められたなら大したもんだ。○○支局にすごい新人がいると社内で必ず噂(うわさ)がたつ。

とある女性記者の手帳にズラリと警察官の名前が書きこまれていた。誕生日を忘れないようにメモっていたのだ。そして彼女はバレンタインデーになったら警察官にチョコレートを配っていた。もちろん良いネタをくれる警察官には自宅まで“本命”を渡しにいく。

■癒着の領収書、いくらでも切れる

ある程度関係をつくってしまえばこっちのもんだ。堂々とメールやラインで捜査情報をくれる人もいるが、警察署のタバコ部屋でわざとらしく「ちょっとトイレいってくるわ」と捜査資料だけおいて出てくような人もいる。そうやって警察官をネタモトにし、新人記者は権力と癒着できる“新聞記者”と成長していくのだ。

東京新聞のエース記者である望月衣塑子氏も今でこそ、政府を激しく批判し続けているが、もともと東京地検担当。入社4年目にして日歯連の汚職事件を当局からすっぱ抜いた。そもそも東京地検担当なんて地方支局でしのぎを削ってきた各社のエースが集まってくる。そこで他社を圧倒するスクープを打ったのだから、それは、それは、大変な「努力」をしたのであろう。

大阪府警のとある警察官は、懇意にしている新聞社と月に一度はごはんに行く。担当記者は「新聞社のことを財布だと思って、焼肉やらキャバクラやら、好きなところ連れてかれますよ。それでもネタを定期的にくれるので、領収書は取材経費としておちるんですよね」と説明する。警察官の愛人がやっているスナックも定番コースに入っていて、ママからは毎回法外な金額を請求されるそうだが、それももちろん領収書を切れる。記者と権力の癒着が完成すれば、あとはいくらでも金銭サポートを会社がするわけだ。

■癒着ができない記者はダメな記者

今回の賭けマージャンはそんな記者と当局との癒着関係を最高レベルまでズブズブにした行為と言えよう。なぜなら、当局側の違法行為を目撃しているからだ。飯をおごるとかそういうレベルではない。それほど重大な弱みを握っているのだから、どんなネタも当局から引っ張ってこれる。それでも、そのネタモト本人を糾弾するような記事は書けない。それは、新聞社にはネタモトを絶対に守るという鉄の掟(おきて)があるからだ。そうして今回、週刊文春に見事癒着関係を書かれてしまったわけだ。

しかし、権力と癒着できない記者も多い。そういった記者は“ダメな記者”認定されてしまうのだ。

地方支局では、どんなに、読んでいて楽しくなるような記事や、地方で健気に頑張る人の記事を書いても、テスクから言われるのは「で、君は当局からなんかネタはとってきたの?」だ。とくに日本の新聞社は当局からの情報を重んじる傾向が強い。当局は嘘を言うわけがない、という批判意識ゼロのねじれた性善説のもと、社内で意見が割れていても、当局がそう言っているだからそう書こう、と判断を下した現場を何度も見てきた。

■記者クラブは癒着の温床

だからこそ、当局から降ってくる情報を各社公平に受け取るために記者クラブが存在する。日本の新聞社が談合せず、それぞれが独自取材をしていたら、記者クラブなどという癒着組織はそもそも不要だ。マスコミ各社が公平に権力と癒着するためにあるのが記者クラブだ。

そんな権力との癒着の成れの果てが、今回の産経新聞と朝日新聞だ。おそらく、検事長と賭けマージャンができるのだから、その記者たちの社内評価はベラボウに高かったのであろう。文春に怒られたので慌てて謝罪文を考えたのが見え見えだ。

朝日新聞なんぞ、元日産自動車CEOのカルロス・ゴーン氏の逮捕を当局の捜査関係者からスッパ抜いた。どんな手で情報を入手したのかはしれないが、ゴーン氏の乗った飛行機に捜査員が突入する瞬間を撮影しており、当局の協力なしではこんないろんな意味で呆れるようなスクープは打てなかっただろう。

■朝日新聞よ、恥を知れ!

その後、ゴーン氏の逮捕をめぐっては、外国の報道機関から、日本の司法が不当に身柄を拘束する「人質司法」をおこなっているとさんざん批判された。だが当局とベッタリの日本の新聞記者にはそんな感覚はそもそもない。なぜなら、「当局は絶対」だからだ。当局が間違っているわけがない、という性善説を、本来であれば当局を監視する立場の新聞社は持っている。そんな朝日新聞はゴーン逮捕の特ダネを就活生向けのイベントで自慢し、ちゃっかり新聞協会賞にも申請していたという。全くの恥知らずだ。

朝日だけではない、これは新聞社全般にいえる問題だ。新聞各社は2014年のマウントゴックス社のビットコイン流出事件をめぐり、同社CEOのマルク・カルプレス氏の逮捕を大々的に報じてきたが、結局彼は無罪となった。あれはなんだったのか。

さて、私は烈火のごとく新聞社の癒着態勢を批判してきたが、本音としては、それが巨悪を倒すためであれば、癒着でもなんでもすればいいと思っている。正直、週刊文春がどういう手段でネタを引っ張ってきているかなんて知らない。もしかしたらモラルに反する方法なのかもしれない。癒着もしているのかもしれない。それでもこれだけの特ダネを打つのだから、それは許されるべきだと思う。結果が重要だ。しかし今の新聞社は、権力と癒着したところで大きなスクープが打てない。世のためにもならないスクープのために、つまらぬ便宜を供与している新聞社に未来はあるのか。無いに決まってる。

(プレジデント編集部)

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