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「コロナの死者数はもっと多い」東大法医学者がそう断言する死因究明の現実

プレジデントオンライン / 2020年5月27日 9時15分

法医学者の槇野陽介氏。槇野東京大学大学院医学系研究科法医学准教授/千葉大学大学院法医学教育研究センター法医画像診断学特任教授。 - 写真提供=槇野陽介氏

新型コロナウイルスによる死者数は正確なのか。法医学者の槇野陽介氏(東京大学・法医学教室)は「PCR検査は生きている人が優先された。死因不明遺体は外表検査や死後CTで診断しなければならないが、新型コロナウイルス肺炎と特定することは不可能だ。日本の死因究明はいい加減な状況が続いている」という。ジャーナリストの柳原三佳氏が取材した——。

■正確な死者数は分からない「死因究明のいい加減さ」

——新型コロナウイルスの感染が拡大する中、毎日、各都道府県の死者数が発表されています。しかし、実際の死者数はもっと多いのではないかという声も聞かれます。槇野先生はこうした指摘について、どう思われますか。

【槇野】日本における死因究明のいい加減さ、およびPCR検査件数の少なさを考えれば、その指摘はおそらく正しいのではないかと思います。

——たとえば、自宅や街中で突然亡くなる人もたくさんいると思いますが、その人たちが皆、亡くなる前に病院に通っていたわけではないですよね。

【槇野】はい。死亡するような病気を持っている人が、生前に受診しているかというと、必ずしもそうではありません。心臓が急に止まるような病気なら、病院に行く間もなく死亡するのは理解しやすいと思います。

しかし世の中には、鼠径ヘルニアが嵌頓(かんとん)(※)して、腸が壊死しているのが体の外から自分で見てわかるような状態でも、意地でも病院に行かない人がいます。さぞかし痛く、苦しかったろうに、救急車も呼ばず(もしかしたら呼び方を知らず?)死亡してしまいます。そんなケースを今まで何例も見てきました。

※筆者註:内臓が組織の間隙からとび出し、そのまま腫はれてもとに戻らなくなった状態。

そんな我慢の強い方、病院に行かない方が、新型コロナウイルス肺炎で指摘されているような苦しい呼吸困難状態になっても我慢して、酸素が不足したり、まれに合併すると言われる髄膜炎になったりして意識を失ってしまえば、医療にアクセスできないまま人知れず死んでしまうことは十分にあり得ます。

■死後CTだけではコロナ肺炎の診断はできない

——亡くなってしまえば本人から事情を聴くこともできません。医療にもかかっていないとなれば、どのように死因を見つけていくのでしょうか。特に、今恐れられている新型コロナウイルスの感染の有無などは……。

【槇野】新型コロナウイルス肺炎による死亡についていえば、医療にかからず死亡した方全員に対してPCR検査と解剖を行うのが、もっとも見逃しが少ないわけですが、現実的ではありません。

報道の中には、「日本は死後CT(コンピュータ断層撮影)を撮っているので、死因が新型コロナウイルス肺炎であることを見逃してはいない」ととられかねない内容が見受けられた時期もありました。しかし、そもそも全死亡例に死後CTを実施している自治体は、私の知る限りありません。

また、死後CTだけで、新型コロナウイルス肺炎を診断するのはそもそも不可能です。生きている患者さんでも、CT所見はさまざまなウイルス性肺炎で共通するもので、CTだけでの新型コロナウイルス肺炎診断はできません。死後CTではそれに加えて、新型コロナウイルス肺炎に類似した所見が、普通の死後変化として認められたりします。

■「目の前の遺体すら感染しているかもしれない」

——人が亡くなった後の診断というのは、難しいものなのですね。

【槇野】はい。新型コロナウイルス肺炎の死後CTの報告は最近になって、段々と報告されてきています。自施設ではまだ新型コロナウイルス肺炎の死後CTは診ていませんが、留学していたアメリカ合衆国のニューメキシコ州法医学施設では、既に何例も死後CTを経験し、それを頼んで見させていただきました。

これらを見ても、肺炎の所見は別の疾患の死後CTで認められるものと同じであったり、死後変化と区別できなかったりと、予想通りの結果でした。死後CTで新型コロナウイルス肺炎を診断するのは難しいのです。

——新型コロナウイルスは、死後も他者に感染させるリスクがあることは、志村けんさんや岡江久美子さんが亡くなったときの対応を見て多くの方が知ったと思います。感染の有無が分からないまま亡くなった場合、遺体から感染する心配がありますね。

【槇野】おっしゃる通りです。われわれのように死因不明遺体を扱う職種は、警察や葬儀業者も含め、常に感染リスクにさらされています。少し前に、某警察署の刑事課の警察官が感染したというニュースがありましたが、もしかしたら死体からかもしれません。

——他にも、交通事故で亡くなった方が、実は新型コロナウイルスに感染していたというニュースもありましたね。

【槇野】感染が拡大してきて、目の前の死体が新型コロナウイルスに感染しているのかどうか、それが全くわからない状況になってきました。ただ、全ての遺体にPCR検査をするのは、なかなか難しいのが現状ですね。

■PCR検査も、感染防護も生きている人が優先

——なぜ、難しいのですか?

【槇野】今は、あくまでも生きている人が優先なので、疑いが強くなければまず保健所に断られます。このような状況での最善の策は、『生前情報で怪しい点がある+死後CTでも怪しい』というケースで、PCR検査をお願いするという流れになるでしょう。

ただ、これで本当につかみ切れるかどうかはわかりません。事前情報は得られないことが多く、また先ほど申し上げたように、死後CTでの診断は難しいからです。

——でも、最悪のことを考えれば、その遺体が生前、もっと恐ろしい別の感染症にかかっていた可能性もあるわけですよね?

【槇野】たしかに、可能性がないとは言えません。しかし、だからといって全ての遺体に対して「新型コロナウイルス肺炎やエボラ出血熱の可能性もあり」として扱えばいいかというと、それも現状では不可能です。

今は、防護するものも生きている人優先で、われわれのように遺体を扱うところにはマスクや防護服がまわってきません。事前情報や死後CTで安全そうな事例は、緩い防護で対応せざるを得ないのです。

■日本の解剖室は感染症のリスクに対応できていない

——死因究明という重要なお仕事の現場に、十分なマスクや防護服がなく、感染の危険にさらされているんですね。槇野先生は、米ニューメキシコ州の法医学施設へ留学されたそうですが、あちらの解剖室の設備や防護服などは、日本と比べていかがでしたか。

【槇野】ニューメキシコ州は、州最大の都市アルバカーキに全州を掌握するOMI(Office of the Medical Investigator)といわれる法医学施設があり、私はそこに留学していました。

OMIでは解剖室は全体が「バイオセーフティレベル3」といって、結核など空気感染する病原体や、新型コロナウイルスなどで懸念されるエアロゾル感染(※)などにも対応しています。施設の密閉度が高く、全体に十分な換気ができているのが最大の特徴です。

※筆者註:水蒸気などにウイルスが付着し、飛沫よりも長く遠くへ感染すること

保護具を着用した医療従事者が、COVID-19試験を実施する前に手袋を調整する=2020年4月28日、マサチューセッツ州サマービルの病院の駐車場にある試験場
写真=AP/アフロ
保護具を着用した医療従事者が、COVID-19試験を実施する前に手袋を調整する=2020年4月28日、マサチューセッツ州サマービルの病院の駐車場にある試験場 - 写真=AP/アフロ

——日本の法医学教室にもこうした解剖室が設置されているのでしょうか?

【槇野】いえ、このような法医解剖室は日本では例がなく、海外でもあまり聞いたことがありません。アルバカーキの法医学施設には15の解剖台があり、そのうち4台がさらに小部屋に隔離されていて、特に感染症が疑われる事例で利用します。個人防護具(PPE)の着用は解剖時必須です。また、N95マスクは必須です。

■政府主導のアメリカ、自助努力にゆだねる日本

——エボラ出血熱などの報道では、ときどき宇宙服のようなものを装着して遺体に向き合っている様子もみられますね。

【槇野】フードタイプの「電動ファン付呼吸用防護具(PAPR)」というものです。原理的にはあれをかぶっていれば、解剖時もN95マスクは必要ありません。

N95マスクは入職時などに、フィットテストといって、個人個人の顔の形にあったマスクを選択できるテストを行っていて、空気の漏れがないものを選択します。アメリカの方は立派な髭を蓄えていらっしゃる方が多いのですが、こういう方は、例の宇宙服のようなPAPRを装着するように指導されます。

ただ、日本の法医学では、フィットテストの必修化やPAPRはまだ実施されていないと思います。実はこれが一番重要かもしれませんが、OMIにはたくさんの解剖技官や清掃に従事するスタッフが働いていて、感染対策が行いやすいのも日本との大きな違いです。

——今後、わが国はオリンピックの予定もありますが、万一、バイオテロなどが起こったらどうするのでしょう。また、もし今、地震や津波などの災害に見舞われたら、大変なことになってしまいます。国は、有事の際の備えをしているのでしょうか。

【槇野】少なくとも法医学教室に向けて、バイオテロに備えるための予算が配備されたという話は聞きません。今回の新型コロナウイルス騒動で、法医学教室が解剖を受けなかったことがニュースになっていました。

しかし、この問題の本質は、「法医学教室の準備が悪い」という点にあるのではありません。法医解剖における感染症対策が、法医学教室の自助努力に任せられていることこそが問題なのです。

■感染リスクがある遺体の解剖は断らざるを得ない実情

一般には公開されてないのですが、今回、国立感染症研究所が、新型コロナウイルスにおける解剖の指針を出しました。そこには、解剖台や換気回数の具体的な記載がありました。アメリカのCDCのガイドラインなどにも同様の指針があります。

ところが、日本の多くの法医学教室がこの指針を満たしておらず、その結果、感染の危険がある遺体の解剖は断らざるをえないのだと思います。

槇野氏が利用していた東大の解剖室。ダウンフローはなく、解剖切開でエアロゾルが発生すると執刀者の顔に飛んきた。
写真提供=槇野陽介氏
2019年8月末まで使われた東大の旧解剖室。ダウンフロー型の解剖台ではなく、解剖切開でエアロゾルが発生すると執刀者の顔に飛ぶ。東大では、耐震改修に合わせ、2020年4月からようやく国立感染症研究所の基準を満たした新しい解剖室になった。 - 写真提供=槇野陽介氏

——国立感染症研究所の指針に沿うような法医解剖施設に作り変えるには、どのくらいの予算が必要なのでしょうか。

【槇野】そうですね、指針に沿うような施設に作り変えるには、各教室に最低でも数千万円規模のお金が必要です。これを全国一律に自助努力で賄わせるのは、現状ではまず不可能です。

新型コロナウイルスに関連した司法解剖を断られたことを法医学側の責任というのであれば、また、バイオテロの対策をしっかりとしたいのであれば、国には、こうした予算が組めるような政策を立ててもらう必要があります。

4月から施行された「死因究明等推進基本法」に基づく、死因究明推進計画の中でも優先的に議論していただきたいと思います。

■死因究明を通じて感染の実態把握を目指したい

——不安が募るばかりですが、このまま新型コロナウイルスの感染者数が減って、収束に向かうことを祈るばかりです。

【槇野】われわれの職場からも、感染爆発が起きないことをただ祈るしかないのが現状です。現在、少しずつですが、限られた資源で、いかに安全に死後CT検査や解剖を行えるか、スタッフと協議しながら、日々マニュアルを更新しています。

また、教室ではPCR検査を行える環境を整えつつあり、保健所の負担を増やさないかたちで全ての遺体に検査を行い、感染拡大防止に役立てるとともに、死者における感染実態を把握することを目指しています。

これらに関して、東京大学医学部附属病院感染制御部とも連携をとって進めています。また、今後は、抗体検査による既感染者の調査も必要ではないかとも考えています。

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柳原 三佳(やなぎはら・みか)
ジャーナリスト・ノンフィクション作家
1963年、京都市生まれ。ジャーナリスト・ノンフィクション作家。交通事故、死因究明、司法問題等をテーマに執筆。主な作品に、『私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群』(講談社)、『自動車保険の落とし穴』(朝日新書)、『開成をつくった男 佐野鼎』(講談社)、『家族のもとへ、あなたを帰す 東日本大震災犠牲者約1万9000名 歯科医師たちの身元究明』(WAVE出版)、また、児童向けノンフィクション作品に、『泥だらけのカルテ』『柴犬マイちゃんへの手紙』(いずれも講談社)などがある。■公式WEBサイト

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(ジャーナリスト・ノンフィクション作家 柳原 三佳)

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