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日本人が知らない真っ赤な過去…岡田晴恵に近すぎる元感染研・田代眞人という男

プレジデントオンライン / 2020年5月29日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/4X-image

■岡田晴恵を育てた男、謎に包まれた田代眞人

昨今の“コロナ特需”でテレビに出ずっぱりの白鴎大学の岡田晴恵教授。感染免疫学、公衆衛生学を専門とし、詳細な解説や時に大胆な発言ですっかりお茶の間の顔となる。日に日にあか抜けるビジュアル変化は熟女好き男性のハートをガッチリつかみ、「モーニングショー」(テレビ朝日)がオンエアされるたびに、ネット掲示板の5ちゃんねるでは「晴恵実況スレ」が立つほどだ。

“コロナ特需”に乗っかったマスコミ各誌が岡田晴恵を取り上げるなかで、『週刊文春』(2020年3月26日号)では、国立感染症研究所の研究員時代に執筆した岡田の論文に不正疑惑があったことを報じた。さらに当時の上司にあたる田代眞人との不倫疑惑も取りざたされた。

同誌によれば岡田は、1990年代後半に感染研・ウイルス第一部の実験補助員に採用された。そのとき部長だったのが、当時のインフルエンザ研究の権威であった田代眞人。彼が第三部の部長に異動した際に、岡田は研究員として正式採用されたそうだ。

岡田は田代のもとで実績を積み、共同研究者として数々の論文を発表する。岡田がこれまで出版した書籍を見ると、『鳥インフルエンザの脅威』(河出書房新社)をはじめ田代が監修したものが多く、『感染症とたたかう インフルエンザとSARS』(岩波書店)など共著も多い。

田代は“コロナの女王・岡田晴恵”を手塩にかけてつくり上げた。岡田の研究姿勢には、田代イズムが脈々と受け継がれているに違いない。

■田代眞人の告発「中国は国家ぐるみで嘘をついている!」

岡田晴恵の師匠、田代眞人はどのような人物なのだろうか。東北大学医学部卒業後、自治医科大学助教授などを経て、感染研に入所。同インフルエンザウイルス研究センター長、WHOインフルエンザ協力センター長、WHOパンデミック緊急会議委員、国際インフルエンザ学会理事などを歴任し、昨年秋には瑞宝小綬章を受章している。

日本にとどまらず世界で感染症の権威として活躍した田代。彼は過去に興味深い“告発”をしていたことが明らかになった。

今から15年前の2005年、当時猛威を振るっていた鳥インフルエンザ感染者数について「中国は国家ぐるみで世界を欺いている」とドイツで告発をしたのだ。その様子は、現地の有力紙・フランクフルター・アルゲマイネでも取り上げられている。

東南アジアを中心に流行していた高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)。告発当時、報告されていた中国での感染者はたったの3人だった。しかし、田代はこれに対して異議を唱えた。

田代氏はWHOインフルエンザ協力センター長。東京の感染研にある彼の研究室は、アジア地域の鳥インフルエンザ調査を行う、国連のアジア窓口の一つとされていた。

同紙によれば、アジアで鳥インフルエンザが流行するなか、田代が中国・湖南省を訪れた際、非公式ながら驚くべき情報を得た。現地の共同研究者から、「中国国内ではすでに数百の人が死んでいる。さらに数千人が隔離施設に押し込められている」というのだ。

中国が公式に報告している数字と桁がまるで違う。この証言をしたとされる関係者はすでに中国当局に逮捕された、という恐ろしい話だったという。もし本当ならば、現地研究者の決死の告発ともいえる。

同年11月19日、この情報を持ち帰り、田代が中国の虚偽を告発したのはドイツにあるマールブルク大学。ウイルス学の権威・ハンス・ディーター・クレンク博士の引退講演によせてこのスピーチを行い、他の専門家たちの度肝を抜いたのだった。

■中国はデマだと否定、WHOも根拠なしとバッサリ

告発から6日後、中国当局は声明を出す。中国保健相スポークスマン・毛群安は「私たちが虚偽の報告をしているとの話は、まったくのデマだ」と話したことを中国・人民日報は報じている。

記事によれば「保健省とWHOが検証したところ、湖南省で鳥インフルエンザの調査をしたWHO専門家の中に、日本人はいなかった。何百もの中国人が鳥インフルエンザで死んだという報告は真実ではない」「田代眞人がWHOの専門家として中国を訪問したことはない」と名指しで否定した。

さらに英科学誌『ニュー・サイエンティスト』はこの騒動に触れ、WHOスポークスマンのディック・トンプソンのコメントを掲載。「中国が虚偽を働いている噂(うわさ)に根拠はない」というものだった。

結果的に、デマを拡散したという形になってしまった田代。この件でWHOの職を解かれたということはないようだ。真相は闇のままである。

■SARS流行時も「中国の隠蔽」を指摘

田代はかねて、中国に対する強い疑念を持っていたようだ。

2004年に出版した岡田との共著『感染症とたたかう インフルエンザとSARS』のなかで、SARS(重症急性呼吸器症候群)流行に関して、2002年11月から中国広東省を中心に流行していた原因不明の新型肺炎について、当初中国は流行の事実を隠蔽(いんぺい)したと指摘。

WHO専門家チームによる調査・支援の受け入れを中国は拒否し、この初動対応の遅れが世界的な感染拡大を招いたと述べている。

田代と中国の因縁の関係。これは岡田にも受け継がれているのだろうか。

■一方、岡田晴恵のドイツでの論文は見当たらない

田代が中国の虚偽を告発したドイツ・マールブルク大学は、グリム兄弟が学び、哲学者ハイデガーが教鞭を執るなど、500年の伝統を持つ名門校だ。医学関連の研究も盛んで、免疫血清療法と破傷風血清療法を発見したベーリングも研究活動を行った。彼は1901年に第1回ノーベル生理学・医学賞を受賞している。

岡田は、同大学のウイルス学研究所に、アレクサンダー・フォン・フンボルト財団の奨学研究員として留学していた。時期は2000年前後と推定される。

アレクサンダー・フォン・フンボルト財団はドイツのノーベル財団といわれるほど権威ある団体である。関連する「日本フンボルト協会」ホームページによれば、この財団を通して世界中から毎年2000名以上の研究者がドイツでの在外研究に携わり、うち48名のノーベル賞受賞者を輩出しているという。

奨学研究員になれば、若手研究者であれば奨学金として月額2650ユーロ(6カ月から24カ月)、中堅研究者であれば月額3150ユーロ(6カ月から18カ月)が給付されるとある。その奨学生に選ばれるのは決して簡単なことではないだろう。ちなみに、田代も同じ奨学研究員として1984年にギーセン大学に留学している。ギーセンはマールブルクの隣町だ。

奨学研究員として選ばれた岡田は、ドイツで一体何の研究を行っていたのか。残念ながら、留学時に発表した論文は見つけることができなかった。彼女の留学時代を知る人物は「正義感あふれる人」と評している。自分の損得は顧みずに、正しい行いを追求する信念の強さがあったという。

(文中敬称略)

(プレジデント編集部)

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