産業医が分析、コロナ禍の中、4月の日本の自殺率はなぜ2割も減ったのか
プレジデントオンライン / 2020年6月2日 11時15分
■自殺率が下がった理由
「自殺者数が減った」という今回のニュースを聞いて、産業医としてはちょっと意外に思いました。というのは、リモートワークによって、孤独感を強く感じる人が増えて、自殺が増えるのではないかと心配していたからです。これは、うれしい誤算といえます。
そもそも自殺に至る条件というのは次の3つがあります。
②負担感の自覚
③自殺する能力がある
①「所属感の減弱」とは、どこにも所属していない孤独や孤立といった気持ちが強いとうつ状態に陥り、自殺を誘発します。先にお伝えしたように、今回の新型コロナウイルス問題でリモートワークが増えると、この感覚が強くなる人が増えるだろうと予想されましたが、蓋をあけてみると、孤独感よりもむしろ気持ちが安定する人が多かった。これは想定外でした。
➁「負担感の自覚」というのは、自分が周りに迷惑をかけている、負担を強いているという気持ちが強いほど、自殺に至りやすいということです。しかし、今回こういう状況下で、自分だけでなく周りも仕事ができなくなったり、迷惑をかけたりしている。みんな同じだよねという感覚が生まれて、ふだん自己否定の強い人も、そう感じなくなったということが考えられます。
➂「自殺する能力がある」。これは文字通り、自殺を実行できる力があるということです。若者が自殺すると「若いのにどうして」と周りは嘆きますが、若いと高いところに登れるし、自分を刺す力も持っているし、自殺というのは若いからこそできるわけです。寝たきりの人は動けないので自殺できません。しかし、新型コロナウイルス問題で外出制限がかけられたため、高いところに登ったり、ナイフを買いに行ったりすることが難しくなってしまった。この能力が奪われてしまったことが、自殺に歯止めをかけたのではないでしょうか。
そう考えると、今回の新型コロナウイルス災禍で自殺が減ったのは、主に②と➂の力が落ちたことが要因になったといえるでしょうね。
■苦手な人からのフィジカルディスタンシングが可能に
そして①について、「リモートワークで気持ちが安定する人が多かった」とお伝えしましたが、これは特に、職場に“苦手な人”がいる人にあてはまることでしょう。リモートワークによって、苦手な人=心理的に距離をとりたい人と、物理的にも距離をとることができているからです。
![金髪アフロの精神科医・井上智介先生](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/8/6/300/img_86d4fc68adefb774e7af4517d3870d48125499.jpg)
物理的な距離と心理的な距離、僕たちはこの二つの距離がちぐはぐになると、気持ちがつらくなります。たとえば満員電車で、全く知らない人と密着すると不快に感じるのは、心の距離が近くない人と物理的に距離が近くなるからです。
そういった距離感が今回のリモートワークで、だいぶ一致した。苦手な人と働いている人にとっては、かなり安心につながったと思います。
■オンライン会議だと威圧的な人も存在感減退
リモートワークでオンライン会議が格段に増えましたが、苦手な人と働く人にとっては、このオンライン会議もポジティブに働きました。
画面を通して話し合うオンライン会議は、お互いに声をかぶせることは、マナー違反になります。一呼吸、二呼吸おいて、相手の発言を待つ必要があるため、これまで会議で発言力の強かった人が、うまく発言できなくなりました。威圧的な人が、うまく圧を出せなくなったわけです。
ですから、その場の空気に支配されませんし、同調圧力も生みにくくなりました。会議そのものに平等感が出るようになったのです。
そもそも威圧的な人というのは、年齢も高く、システムそのものを使いこなせなかったり、音声のタイムラグに慣れずうまくしゃべれなかったり、正直なところ、若者に劣るわけです。そういったことが露呈されてしまうことも、威圧を弱めるきっかけになっているのでしょうね。
■サボっているかも疑惑は、みんなで共有して対処
そんなふうにリモートワークは苦手な人と距離をとれるといったプラス面もある一方、マイナス面もあります。それは不安の強い人は、仕事をしていることが証明できない分、「サボっていると思われるのでは」という心配が常につきまとうことです。
いつ電話がかかってくるかわからないという不安感から、トイレに行くときも電話を手放せない人もいます。
これは多かれ少なかれ誰もが疑われること。誰でも容疑者になり得る問題ですので、社内やチームでひとつの問題点として共有して、対処してほしいと思います。
■2カ月離れていた苦手な人と会わなければいけない負担
現在は、この新型コロナウイルス騒動が落ち着き、以前の状況に戻りつつあります。これから、2カ月離れていた苦手な人と、いきなり毎日顔を合わせることになると、また心理的距離と物理的距離がちぐはぐになって、気持ち悪くなる人も増える恐れがあります。
いきなり0から100ではなく、メールやオンライン会議で意思の疎通をはかりながら、少しずつ距離を調整していく。ある程度、心の準備をしておくことが必要でしょうね。
ただ、今回の新型コロナウイルス問題を機に、リモートワークを適宜続けるとか、時差出勤をするとか、働き方の選択肢は増えていくでしょう。その意味では以前よりも職場の人との適切な距離を保ちやすくなるはずです。パワハラなど職場に長時間いて、ほかに逃げ場がないために深刻になりやすかった問題が、こうした柔軟な働き方によって改善されることも期待できると思います。
■わざわざ出社する価値のある職場か
リモートとリアルを組み合わせることで、“雑談”などリモートワークで不足しがちなコミュニケーションを補うことが可能です。
オンラインだと雑談する人はほとんどいないですし、それが許されない空気感さえありますよね。しかし「あのテレビを見た」とか、「こんなものを食べた」とか、他愛もない雑談で他人と何かしら共有することは、人間関係を円滑にしたり、自分の精神を安定させたりする重要な要素です。
ですから今後、何かしら“つながり”はつくってほしいと思います。つながりがなくなると、自分の存在価値まで疑い始めてしまい、かなり危険だからです。
出社したら誰かがいて、自分はここにいるという感覚が取り戻せる、あるいはここに所属して、自分には存在価値があると感じられる、こうしたつながりのあるチームづくりがより重要になってくるでしょうね。今後、オフィスの在り方も見直されていくと思いますが、マネジャーは自分の職場がそのようなつながりを感じられる職場になっているか、わざわざ出社する価値のある場になっているか、見つめ直す必要があります。
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産業医・精神科医
島根大学医学部を卒業後、様々な病院で内科・外科・救急科・皮膚科など、多岐の分野にわたるプライマリケアを学び、2年間の臨床研修を修了。その後は、産業医・精神科医・健診医の3つの役割を中心に活動している。産業医として毎月約30社を訪問。精神科医・健診医としての経験も活かし、健康障害や労災を未然に防ぐべく活動している。また、精神科医として大阪府内のクリニックにも勤務
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(産業医・精神科医 井上 智介 構成=池田純子 写真=iStock.com)
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