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集団感染のクルーズ船で夫妻が巻き込まれた「下船日の大混乱」

プレジデントオンライン / 2020年5月29日 11時15分

船長から届いたバースデーケーキ(撮影=小柳 剛)

新型コロナウイルスによる集団感染が発生した豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」は、2月中旬から乗客の下船を始めた。だが、妻と2人で乗船していた小柳剛さんは「当日まで下船日を知らされず、家まで自力で帰ることも聞いていなかった。これは何より驚きだった」と振り返る――。

※本稿は、小柳剛『パンデミック客船 「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■朝、船長からバースデーケーキが届く

2月18日
六時半起床、八時半朝食。

すでに食事は船内ではなく外部でつくられ、持ち込まれていた。いくつかの食料が薄いプラスチックのパックに入れられ、それらが紙袋に入れられ渡された。隔離当初は食事は皿に盛られ渡されていた。だから運搬に慣れないクルーは、いくつもの皿を運ぶことに相当苦労していた。

それは私たちが傍目に見てもすぐわかるほどだった。なにしろ全室へ食事を配るなど、はじめての経験だったからだ。この外部から持ち込むという方法は、たしか船長によれば、料理づくりのクルーを休ませるためだと記憶している。しかしこれも下船してから知ることとなるのだが、料理スタッフは一部がアメリカに帰国し、一部が感染していたのだ。

10時半、船長からバースデーケーキが届けられた。なんと今日は私の誕生日だったのだ、私も忘れていた。なんというバースデー。ケーキには船長からのバースデーカードも添えられていた。このようなプレゼントはクルーズ船ではよくあることのようだ。モニターに流れるビデオには、船内でだけ放送される「モーニングショー」なる番組がある。その日の船内イベント情報、寄港地情報、ときには買い物はどこでするのがお得かなど、いろいろ。この番組でも、その日のバースデーを迎える人の名前を読み上げていた。しかし隔離中は人数だけに変わっていたのだ。「だからケーキのプレゼントは決して珍しいことではない」、そう妻は教えてくれた。

■責任所在はクルーズ会社にあるのか、厚労省なのか

この期におよんでという気持ちは拭えないのだが、それでも気を取り直し、船長にお礼をと思いフロントに電話をかけた。しかしいつものことながら出ない。やがて緊急時には911をという留守電に切り替わり、切れた。このような状態は恒常化しているのだが疲れがどっと押し寄せる。

さかんにネット検索をしていた妻が、これこれと言いながらYouTubeを見せてくれた。アップされるや爆発的に有名になった神戸大学・岩田健太郎教授の船内状況告発ビデオだ。私たちにとって、このビデオの内容はこの船の状態を表すものとして不思議ではなかった。さもありなんと思ってしまう。私たちが、方針の定まらない隔離の現場を実地に体験しているのだから。妻が朝からときどき空咳をはじめていた。とてもイヤな気持ちで、普通の風邪の症状であることを祈る。考えないことにしよう。

A記者に「下船の見通しおよび支援体制について」の文書をメールで送信する。この送信した文書について、私は昨日から少し気になっていることがあった。14日、橋本副大臣がはじめて船内放送をして以降、厚生労働省は徐々に前面に出てきていた。それまでは、厚生労働省の意向はプリンセス・クルーズ社から放送あるいは文書で伝えられていたのだ。しかし、荷物の運搬に関するような、本来船側がやるべきことまで、厚生労働省が通達するようになっていた。裏側でなんらかの大きな変化があったのだろうか、そんな推測をさせ疑問をもたせるのである。そこまで厚生労働省とプリンセス・クルーズ社との関係や責任所在がわからなかった、ということだ。

■下船日を当日の朝に知らされ大混乱

繰り返すが、香港の下船者に陽性反応が出たこと、したがってこれから本船が日本政府の管理下に入り検疫を行うこと、そして14日間の隔離に入ること、また80歳以上の乗客からPCR検査をはじめること、これらの情報はすべて船側から知らされたものだ。

それまで厚生労働省は直接乗客には語りかけてこなかった。隔離・検疫が厚生労働省の責任で行われている以上、厚生労働省は乗客に自分たちの考え、方針を話すべきだった。それは橋本副大臣の放送まで一切なかった。それが突然、副大臣名で配られた「下船の見通し」の文書では、荷物の回収にまで触れるようになった。驚かないほうが不思議なのだ。

私たちは、前日知らされるはずの下船日を、下船当日の朝フロントより知らされ大混乱をした。厚生労働省の変化の不思議は、下船通知にまで影響したのではないかと、推測してしまう性質のものだった。ここにある問題は、何度も繰り返すが厚生労働省とプリンセス・クルーズ社のおたがいの責任範囲、責任所在の問題である。最終責任はどちらにあるのかということだ。新たな感染者、この日は88人。

■検温したら「37度」を指し、緊張が走る

2月19日
6時半起床、八時半朝食。

昨夜のように食事にあぶれないため、食事を配る音に耳を澄ませた。食事を受け取るとき、昨夜のことを何か言うのか、謝るのかと身構えたが、クルーは何ごともなかったかのように通り過ぎていった。おそらくミスがあったことの連絡はされていなかったのだ。船全体のオペレーションが軋みをあげだしたように感じた。隔離がはじまった当初、たしか2月7日に全室に体温計が配られた。毎朝、毎晩、検温し健康状態をチェックするためだ。

私たちは規則正しく、検温は欠かさなかった。だいたい私は36.5度前後を上下、妻のほうは35.5度、ときにはようやく36度に達するかの体温。しかし私のこの日の体温計は37度を指していた。一瞬緊張が走りふたたび検温、やはり同じ。朝からこのような体温ははじめての経験だった。しかしながら、どのような処置方法もなく無視するよりほかない。

私は今回の航海において、体温測定はウイルス感染の有無を調べる基本中の基本だと知った。沖縄・那覇に上陸のおり、また2月4日の検疫における体温測定はこの基本を実行していたにすぎなかった。このことからも、乗客にとって体温計がないことは致命的であると思った。しかし体温計が配られたのは、隔離後2日たってからだった。このような微細なことからも厚生労働省、プリンセス・クルーズ社の混乱ぶりが想像されるのだ。ふたたび11時に再度の検温、今度は36.2度。体温はかなり乱高下しているようだ。妻の空咳と同様これも気にしないことにしよう、気にしだすとかえって体に悪い。

■ようやく荷造りを開始

この日は、朝から船内放送はひっきりなしに続いた。これからの下船情報、新しくそろえたビデオ情報、これらが終わると下船がはじまり、下船案内。このあいだに相変わらず続く船内散歩案内が入った。途切れることはなく、しかも音のレベルは最大級、耳が痛かった。

今日は500人が下船予定らしい。しかしその内訳は、年齢の高さ順なのか、国籍か、体調を基準にするのかは、これまでいろいろ知らされていたが、では今日は実際どのようになるのか。それは想像するよりほかなかった。隣と前の部屋のオーストラリア人(たぶんそうだ)たちは、2日前に帰国が決まってか歓声をあげていた。隣の部屋からはすでに物音は消えていた。また反対側の隣部屋はたしか日本人夫婦で私たちより年上だったと思う。昨夜大きな物音がしていた。おそらく荷物を詰める音なのだろう。今日はすでに朝からどんな音も聞こえなかった。

私たちも何かにせかされるように、荷物のパッキングをはじめていた。二人おたがい相談することもなく、いつの間にかはじめていたのだった。動いていないと、取り残されるのではないかという不安につきまとわれていたからだ。明日は駄目でも、明後日の下船は決まっている。ならば今日できる荷づくりはやっておこう、正しいのだが私たちにとっては無理やりと感じられた理屈をつけて動いていた。

下船したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客を乗せたとみられるバス=2020年2月19日、横浜・大黒ふ頭
写真=時事通信フォト
下船したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」の乗客を乗せたとみられるバス=2020年2月19日、横浜・大黒ふ頭 - 写真=時事通信フォト

■駅で降ろされ、自力で帰るということを報道で知った

16日前、2月3日に一度詰めた荷物を再度詰め直す。すると、下船がみごとに裏切られたあのときの気持ちがよみがえり、本当に下船可能なのかと、なんともいえずいやな気持ちに襲われるのだった。私が荷づくりに追われているあいだ、行動が散漫になっていたに違いない妻はさかんにネットニュースを検索しだした。日本人の下船者たちがどのように帰るのか知りたかったからだ。報道では駅までバスで送り、あとは自分たちでの対応ということを知ったのだが、これは何よりも大きな驚きだった。

小柳剛『パンデミック客船 「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』(KADOKAWA)
小柳剛『パンデミック客船 「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』(KADOKAWA)

私たちは、てっきり自宅近辺まで車で送られるものと思っていたからだ。たしかに厚生労働省のプレスリリースには、国立感染症研究所のお墨付きで、検査が陰性で問題なければ公共交通機関を使用して問題なしと書かれてある。しかしその後、下船してからの行動というアンケート用紙が配られ、日本人の帰宅の場合は住所を書かされたのだ。

記入するその理由は、まとめて車送りのためと考えるのが自然ではないか。またいくらPCR検査をしたとしても、15日に検査を受けて以降、音沙汰のなかった空白の4日間での感染可能性、そして隔離状態とはいえ、たえずクルーに接することによる感染の可能性を私たちは充分知っていた。なんとも割り切れない気持ち、いやむしろ怒りに似た気持ちはその後も続くのだった。瞬く間に夜に。今日も下船通知はこないようだ。(続く)

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小柳 剛(こやなぎ・つよし)
「ダイヤモンド・プリンセス号」乗船者
1947年2月18日生まれ。1970年武蔵大学経済学部卒業、1976年早稲田大学仏文科大学院修士課程中退。1976年東北新社入社。外国映画、海外テレビドラマの日本語版吹き替え・字幕制作、アニメーション音響制作、およびテレビCM制作に携わる。2011年3月に同社を退社し、現在は夫人とともに長野県在住。文学・思想誌「風の森」同人。世界中が注目した「ダイヤモンド・プリンセス号」に乗船し、隔離された船内の一部始終を目撃、同船内で73歳の誕生日を迎えた。

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(「ダイヤモンド・プリンセス号」乗船者 小柳 剛)

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