なぜ日本の美術館だけが「押すな押すな」の「3密空間」になるのか
プレジデントオンライン / 2020年6月10日 11時15分
※本稿は、古賀太『美術展の不都合な真実』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■新聞社やテレビ局が展覧会を企画するのは日本独自
戦後の美術展で伝説的に有名なのは、172万人を集めた1964年の「ミロのビーナス特別公開」(国立西洋美術館、京都市美術館)と295万人の「ツタンカーメン展」(1965年、東京国立博物館、京都市美術館、福岡県文化会館)や151万人の「モナ・リザ展」(1974年、東京国立博物館)あたりだろうか。
注目すべきは「ミロのビーナス特別公開」も「ツタンカーメン展」も朝日新聞社主催で、「モナ・リザ展」は「協力」に朝日新聞社とNHKが入っているという事実である。
なぜ美術展に新聞社が絡むのか。その理由としては、当時から新聞社は海外に支局を持ち国際的なネットワークを持っていたこと、外貨持ち出しが自由であったことなどが挙げられている。
新聞社やテレビ局が展覧会を企画するのは、日本独自の方式である。海外で新聞社が展覧会の企画をしていると言うと、まず驚かれる。ルーヴルやオルセー美術館(パリ)など日本に何度も貸し出したことのある美術館は日本式を熟知しているからいいが、フランスの地方の美術館で新聞社の社員が作品を借りたいと言えばまずわかってもらえない。それはメセナ、つまり文化事業の資金的援助かと聞かれる。
「いや違います、新聞社が貴館から作品を借りて展覧会を企画、展示してくれる日本の美術館を探します」というと怪訝な顔をされる。そして「新聞社が展覧会を企画したら、まともな美術記事は書けないでしょう」と来る。「新聞社が宣伝をして、作品を売り飛ばすのでは」と心配されたことさえある。
■日本の展覧会は長く「イベント」としての性格が強かった
日本では読売、朝日、毎日、日経、産経の全国紙のみならず、東京・中日新聞、西日本新聞、北海道新聞、中国新聞、河北新報などのブロック紙や県紙に至るまで「文化事業部」があり、当たり前のように展覧会を「主催」したり「後援」したりしている。
新聞社の展覧会を含む文化催事の歴史は長い。一説には、新聞社の最初の催事は朝日新聞が1879年に大阪に生まれて、翌年に企画した中之島の花火大会だと言われている。
別に展覧会に限らず、例えば「春の甲子園」は日本高等学校野球連盟と共に毎日新聞社が、「夏の甲子園」は朝日新聞社が「主催」に名を連ねている。「箱根駅伝」は関東学生陸上競技連盟と読売新聞社だ。従来から企画部や文化事業部と呼ばれるセクションでは、展覧会を中心としてスポーツなどあらゆる催事を扱っている。
また日本では長い間、美術館自体の数が少なかったために百貨店の展覧会が中心となってきたこと、美術館が増えた後も新聞社が企画の中心になったことで、日本の展覧会は長く「イベント」としての性格が強かったことを強調しておきたい。
■広告と見分けがつかない「自社もの」の展覧会記事
19世紀後半に日本で新聞が生まれて、150年近くたった今も、新聞各紙は展覧会を続けている。かつては「利益還元」「社会活動」「文化貢献」と言ってきたが、バブル崩壊以降は各紙で広告収入が激減し、読者も減り続けていることから、本業を補填する「収益事業」として位置づけられている。
当然ながら、「自社もの」と呼ばれる自社主催のイベントでは、広告、記事、販売促進用印刷物など、あらゆる手段を使って宣伝する。
先述した「フェルメール展」の会期前日、主催の産経新聞は一面をフェルメール《牛乳を注ぐ女》の作品写真と「あす開幕」の展覧会告知のみにした。ここまでやるかと言いたくなる宣伝ぶりだが、同社記者たちはどう思ったことだろうか。
![筆者も驚愕した産経新聞の一面記事](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/2/250/img_621db08123b6a6436ed3b37ee973fef0255312.jpg)
ここまででなくとも、新聞の学芸部や文化部の美術担当記者は、「自社もの」の展覧会のために何度も記事を書かざるを得ない。さすがに展覧会を仕立てている事業部の部員が自分で記事を書くのは憚られるからだ(事業部員が書く「本社事業の紹介」ページは別途ある)。
一番多いのが「特集」と呼ばれる一頁の記事で、美術記者はそのために展覧会の経費で海外取材をし、長めの文章を書かされる。大きな写真数枚がつくその頁は、通常の読者には広告と見分けがつかない。普段は海外取材の予算は少ないから、美術記者はいい機会とばかりに喜んで行く。ルーヴルなどの有名美術館の館長にインタビューができ、そこの一流の担当学芸員の解説付きでじっくりと作品を見る絶好のチャンスだから。
■1つの展覧会の記事が総計で20回や30回は載る
さらに展覧会が始まると「開幕した」と社会面に記事が載り、10万人超えるごとに社会面で報告される。例えば朝日新聞を取っていたら、「コートールド美術館展 魅惑の印象派」(2019~20年)の記事がたぶん総計で20回や30回は載る。そのうえ、読者対策で招待券を配ったり、休館日に抽選で読者招待日を設けたりする。
日本の新聞は海外に比べると圧倒的に部数が多い。米国のニューヨーク・タイムズ紙は50万部、フランスのル・モンド紙は30万部前後だが、日本は一番多い読売の850万部強、次の朝日の600万部弱を始めとして、毎日280万部、日経250万部、産経は150万部。海外の著名な新聞は内容もハイレベルの「高級紙」=クオリティ・ペーパーと呼ばれるが、何百万部の日本の新聞はそうはいかない。
いずれにしてもこれだけの部数があれば、一紙だけで宣伝しても何度もやれば相当の物量になる。普通はまともな「美術批評」や美術展の紹介記事を書いているベテラン美術記者も、遮二無二これに参加させられる。
■「押すな押すな」の状況で落ち着いて見られるのか
平成になって美術展に参加し始めた民放テレビ局はもともとそうだが、新聞社も今では個々の展覧会が細り行く本業以外で収益を上げるために、人件費も含めて黒字になることを目指している。そうなると、これまで以上に宣伝に力を入れる。
![古賀太『美術展の不都合な真実』(新潮新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/3/f/200/img_3f0aa814e4971fa58b50fc2210e4bbec439460.jpg)
日本の美術展で1日の入場者が平均6千人を超す人数になって世界トップレベルの「押すな押すな」になるのは、それだけ宣伝をして「押し込む」からだ。それにしても、なぜそこまでやるのか。
企画展の出品作品をすべて海外から借りてきたら、輸送、保険、借用料、展示費用、宣伝、会場運営など総経費は5億円を超すことが多い。単純計算してみよう。
3か月で休館日を除く開催日が80日だと、前売りと当日券と割引や招待を合わせた平均単価1500円計算で1日5千人来たらようやく6億円になる。総来場者は40万人。そんな「大成功」でも、人件費を生み出すためには、これにカタログやグッズの収入を足す必要がある。さらに収益も出さなくてはならない。収益が出れば主催者で出資比率に応じて分配となる。
「文化事業」とは名ばかりで、新聞やテレビの大手マスコミが自社メディア宣伝を駆使して、世界的にもトップ10にはいるほどの混雑の中で作品を見せられているのが、日本の展覧会の悲しい現状だ。有名作品の前で「立ち止まらずに歩きながら見てください」と叫ぶ係員の声を聞きながら見る展覧会のどこが「文化」だろうか。
まともに落ち着いて作品を見ることができない状況を作り出しているのが今の新聞・テレビ主催の「話題の展覧会」であり、それは世界的に見ても珍しい状況なのだ。
先述の「フェルメール展」は日時指定だったが、実際に行ってみたところ1時間に千人は押し込んでいた。これは入口で長時間待つことがないだけで、場内は大混雑だ。ゆっくり見られるはずの日時指定のメリットはあまりない。
史上最多数のフェルメール作品を見られる機会ではあったが、あれだけ高額のチケットに見合う価値は、本当にあっただろうか。「押すな押すな」のなか8点か9点を一瞬ずつ見たと喜ぶのはどこか馬鹿げていないか。
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日本大学芸術学部教授
1961年、福岡県生まれ。九州大学文学部卒業。国際交流基金で日本美術の海外展開、朝日新聞社で展覧会企画に携わる。2009年より日本大学芸術学部教授。専門は映画史、映像/アート・ビジネス。訳書に『魔術師メリエス』(フィルムアート社)、共著に『戦時下の映画』(吉川弘文館)等がある。
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(日本大学芸術学部教授 古賀 太)
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