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アートとしては大したことがないバンクシーが世界でウケる3つの理由

プレジデントオンライン / 2020年6月8日 15時15分

フランス・パリのエスパス・ラファイエット・ドゥルーで開催されたバンクシーの展覧会「The World Of Banksy」より(2019年6月18日) - 写真=ACA PRESS/時事通信フォト

イギリスを拠点に活動する匿名の芸術家バンクシーは、なぜ世界から注目されるのか。東京大学文学部の三浦俊彦教授は、「彼の絵は美術作品としては大したものではない。だが、ほかのアーチストに比べて、著しい『売り込み能力』がある」という——。

■ストリートアートを一般的な芸術活動に押し上げた

街のあちこちに無断で落書きをする「ストリートアート」「グラフィティ」は、何十年も前から行われていたアートの一形態です。ジャン=ミシェル・バスキア(1960‐88)のような、その生涯が映画化された有名なストリートアーチストもいました。

しかし、ストリートアーチストの活動が世界的なニュースとなり、ゲリラ行為を超えた一般的な芸術活動として報じられるようになったのは、バンクシー以降だと言えるでしょう。

ヘロイン依存症で夭逝したバスキアの、アンダーグラウンドなイメージとは異なり、バンクシーは、ストリートアートを日の当たるところに引っ張り出しました。「新型コロナウイルスで最前線に立つ医療従事者を称えた絵」を病院に寄贈し、その収益がイギリスの国民保健サービスに充てられる道筋を作るなど、バンクシーは国際社会の道徳にすっかり適応し、なじみ、愛される存在になっています。

落書きというれっきとした犯罪であるがゆえに、これまで非公式に評価されていたグラフィティという芸術ジャンルを、一挙にジャーナリズムとアカデミズムのメジャーな話題にまで押し上げたバンクシーは、アート業界の新たな活性化を実現した興味深いエージェントです。これからの芸術の在り方、変わり方をほのめかす存在から、予告する存在になったバンクシーという現象を、その三つの特徴から捉えなおしてみましょう。

■「正体不明さ」は作者個人への興味を掻き立てる

第一に、「顔のない記号」ということ、つまり匿名性の魅力です。もともとバンクシーが世間の興味を惹(ひ)きつけたのは、どこの誰だかわからない、一人か多人数かもわからないその正体不明さでした。

匿名性という属性は、アートの未来を先取りしています。19世紀のアートの世界の主流イデオロギーは、作品が持つ性質よりも、創作者の人格や、生き方、創作のプロセスなど、生身の人間的な側面を重要視する「ロマン主義」でした。そして、20世紀のアートと文学の世界では、そんなロマン主義への批判、つまり「作者の意図や人格や伝記的背景を作品の解釈に持ち込んではならない。作品の意味と作者の現実を関連付けるのは間違いだ」という考えが支持を得ました。

しかし、そういった「反ロマン主義」に対する反動で、1960年代からは“作品の純粋な特徴にこだわらないだけでなく、作者の身元や個性にもこだわらない”というアンチ反ロマン主義の流れが盛んになってきたのです。

現代アートは、このロマン主義←→反ロマン主義(モダニズム)←→アンチ反ロマン主義(ポストモダニズム)というさまざまな立場がぐちゃぐちゃに交じり合った複雑な状況をみせているわけです。

バンクシーが意識的に打ち出している「匿名性」は、作者の身元を隠す装置ですから、とりあえず「反ロマン主義的」な戦略のように見えますね。しかし、匿名であるがゆえに、「いったいどんな人なんだ」「こういう社会風刺はどんな意識から生まれてきたのだろう」というふうに、隠された作者個人への興味をかき立てていることも事実でしょう。

■SNS上の写真やイラスト、エッセイも「アート」になる日が来るか

しかも、そこで興味の対象となる作者性は、虚構的なものでかまいません。バンクシーが一人の個人だという保証はないし、無数のなりすましを許容するわけですから。それが匿名性の宿命です。古いロマン主義的な興味を満たしたい一般人の思い入れを刺激しながら、知識人が憧れるアンチ反ロマン主義的な囚われのなさをも、バンクシーの立ち位置は煽(あお)り立てているように思われます。

匿名といえば、いま、世界中で発信されているアート的な制作物のほとんどが、ウェブサイトの中の写真やイラスト、エッセイなどでしょう。SNSや動画サイト、ブログなどに投稿される視聴覚作品、言語作品は、匿名性が高く、「盗用アート」「偶然性アート」もしばしば見られますね。

そういったウェブ上の垂れ流し的な制作物がアートとして認知される度合いは、まだ極めて低いと言わざるをえませんが、いずれは正式な文化財として市民権を得る可能性があります。バンクシーはウェブ上の匿名アーチストたちの先駆となるでしょう。

■違法性を利用したことで「独特の違和感」が生まれた

第二に、バンクシーの「違法性」に改めて注目しましょう。落書きアートは立派な反社会的行為です。アートというものは、とくに近代以降、道徳規範や政治権力に抵抗するパワーを発揮してきました。反社会性はアートの本分みたいなものなので、権力批判的な政治的内容が特色とされるバンクシーの作品も、その点では、特に目立った存在とは言えません。しかし現代都市空間において最もわかりやすい、おしゃれな絵を違法行為の形でアピールしたからこそ、独特の違和感が生まれ、アート特有のいかがわしさを程よくよみがえらせる効果を醸し出しました。

もちろん、落書きというのはせいぜい器物損壊罪のような軽犯罪にすぎません。バンクシーがアートの違法性という属性に堂々たる市民権をあたえたのをきっかけに、これからは、落書きよりもはるかにシリアスな物議を醸す種類の法律破りがアートにおいて敢行されるのではないでしょうか。

といっても、あまりに直接に人を傷つける暴行や殺人のような犯罪行為がアートで用いられたとしても、それが世に価値あるアートとして認められるとは思えません。一部の人の嫌悪感をかき立てながら「被害者のいない犯罪」と呼ばれるような違法行為がアートで使われるのではないでしょうか。

■バンクシーは優れた「企画者」である

そういった「法律を破ることによる社会批判」に説得力を持たせるには、優れたプロモーター能力が必要でしょうね。そう、バンクシーの活動にみられる三番目の著しい特徴は、「売り込み能力」です。「企画力」と言ってもいいでしょう。

バンクシーの作品は本当にわかりやすいですよね。絵というよりイラストと呼ぶべき、ノスタルジーを感じさせる作品が主です。造形的には、とりわけ独創的な手法が用いられているとは思えないし、風刺精神にあふれた軽妙なユーモアはあっても、精神的な深みが感じられるわけでもない。結局、美術作品としては、大した作品とは思えません。

それでも「何かある」と感じさせるところがバンクシーの面白さです。美術作品という形を取りながら、バンクシーは、美術以外の別のことをやっているのです。それは「企画のプロモーション」です。いわば「プロジェクト・アート」ですね。

街のゲリラ的活動のほかに、「世界一眺めの悪いホテル」への出資とか、オークションで自作が売れた直後に破壊するハプニングとか、いろいろ工夫を凝らして「こんな形でじわじわと社会に名を売る!」「我が政治的メッセージを浸透させる!」という決意を見せつけているわけです。企画者としての力量が表われていますね。

■アートはビジネスであり投機だ

現代アートの世界では、作品の意味内容の深さであるとか、技術のクオリティであるとか、霊感であるとか、そういうものが芸術的価値を決めることはほとんどありません。アートの才能とは、創造性というより、政治力、企画力、実行力なのです。アートはビジネスであり、投機なのです。

資本主義システムに波乗りするようなポップな身振りで成功したアンディ・ウォーホルあたりから、アーチストの政治的野望はポジティブに評価されるようになりました。バンクシーはまさに、そういったウォーホル的な現代アートの傾向を念押しする存在です。しかもアンディのように「新しい芸術潮流を作る」という大義名分すら押し立てることなしに、まったりと確信犯的に演じているのです。

これからのアートにとって重要な以上の三つの属性——「匿名性」「違法性」「企画力」——は、互いに絡み合っています。「匿名性」は「違法性」を維持するためには必要ですし、同時に「企画力」に意外性を与えます。そして「企画力」は「違法性」をコントロールするうえで最も求められる力です。美術作品としては平凡な物体を、世界的に有名なプロジェクト作品群に仕立て上げたのは、匿名の違法的企画力であったと言えるでしょう。

■バンクシーはアート業界のこれからを予告する

アートという名目があれば猥褻(わいせつ)も差別も残虐性も涜神(とくしん)も名誉棄損(きそん)も許される——という「アート無罪」なる標語があります。そんな特権意識でアートを営むことがどれほど許されるか、試すこと自体を目的とするアート。ブランド力が違法性・非倫理性を免罪するアート。そんな一群の作品が、世の中にそれなりの活気をもたらしうることはうなずけます。

三浦 俊彦『東大の先生! 超わかりやすくビジネスに効くアートを教えてください!』(かんき出版)
三浦 俊彦『東大の先生! 超わかりやすくビジネスに効くアートを教えてください!』(かんき出版)

法律を破るアートなんてとんでもない、と感ずる人もいるかもしれません。しかし逆に言えば、「法律をうまく破る」ことは、日常生活にとって必要なことなのです。法律の専門家に聞いた話ですが、道路交通法一つとっても、すべての条文を守って運転することは現実問題として不可能なのだとか(笑)。……ビジネス、政治活動、そしてアートにとってはなおさらでしょう。

犯罪は(重犯罪も含めて)社会にとって必要不可欠の要素である、とハッキリ断定したのは、『自殺論』で知られる社会学者エミール・デュルケームでした。社会の縮図であるアートにとって「犯罪」が正式の手法となる日は、そう遠くないでしょう。法や道徳に対する個人の責任が、匿名のブランドの企画力に肩代わりされてゆく。そんなアート業界の姿が、バンクシーによってマイルドに、しかし確実に予告されているのです。

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三浦 俊彦(みうら・としひこ)
東京大学文学部 教授
1959年生まれ。東京大学文学部美学芸術学専修課程卒業。専門は美学・形而上学。大学で教えながら小説と哲学書を出版し、匿名でさまざまな芸術活動を行う。美術、音楽、文学の純粋芸術から映画、アニメ、格闘技、パラフィリアに至るまで、「アート」に関係するすべてを愛し、哲学的な視点で考察してきた「アートの哲人」。著書に『虚構世界の存在論』(勁草書房)『シンクロナイズド・』(岩波書店)、『論理パラドクス──論証力を磨く99問』(二見書房)、『論理学入門』(NHK出版)、『下半身の論理学』(青土社)、『エンドレスエイトの驚愕──ハルヒ@人間原理を考える』(春秋社)など。

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(東京大学文学部 教授 三浦 俊彦)

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