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クルーズ船に残る謎「なぜあの日、東京の乗客を横浜駅で降ろしたのか」

プレジデントオンライン / 2020年6月5日 11時15分

クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」から下船した乗客を運ぶバス。日本と中国の国旗が掲げられていた=2020年2月21日、横浜・大黒ふ頭 - 写真=時事通信フォト

新型コロナウイルスによる集団感染が発生した豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」。乗客の小柳剛さんは2月20日に下船したが、厚生労働省の対応に疑問を感じたという。「『公共交通機関は使わないでください』と言いながら遠い場所で降ろされ、帰宅時は鉄道を使わざるをえなかった」――。

※本稿は、小柳剛『パンデミック客船 「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■下船日を当日に知らされる混乱ぶり

2月20日

6時半起床。起きて早々、気になっていたのだろう、妻がポストを念のため確認する。下船案内と上陸許可証が入っていた。下船案内、正確には「下船に関する情報」という文書一枚。書かれていることは、下船の前夜、2020年2月20日に準備するもの。下船の当日、2020年2月20日に行うことが記載されている。前夜と当日が同じ日付になっている、どっちが正しいのだ。

筆者がひと月近く過ごした客室
筆者がひと月近く過ごした客室

すぐさまフロントに電話。下船の前夜の日付は2020年2月19日の間違いだと言う。では下船日は正しいのかと聞くと本日20日との答え。7時半までに荷物にタグをつけ廊下に出せと言う。荷造りはこれからなのに無理に決まっているじゃないか、どうして通知書を昨日ちゃんと届けてくれないのか、ほぼ怒鳴り声で言う。フロントの男性は慣れたもので、声色を変えずに、ではできるだけ早くにと言いかえる。荷物につけるタグの枚数が足りないので、持ってきてほしいというところで電話は終了。

まず落ちつこう。歯を磨き、顔を洗うことでルーティンの行動にもどろう。偶然なのだろうか、今日は朝食が早くに来た。しかし先に、前日荷造りの終わっていた荷物にタグをつけ廊下に出す準備。タグには一枚一枚、住所、電話番号を記入しなければならない。マットを入れて4個分廊下に並べる。

■税関申告書、健康証明書…必要なものは7種類にも

それからおもむろに食事。ほとんど食欲なしなのだが、ジュース、ヨーグルト、コーヒーだけは定番として食べ、飲んだ。妻も口に入れたのは私と同じもの、パン類をほとんど残した。食べ終わるとすぐ荷造りに取りかかる。廊下にすべての荷物を運び出せたのは、10時近かっただろうか。前日、一部の荷造りをしておいたため、時間を短縮できたのだった。私たちの出発時間は10時45分と書かれてあった。下船口の場所は4番デッキ、私たちの部屋から一番近いエレベーターで4階に降りればいいのだ。時間になれば船内放送で呼び出される、それまでの待機。

前日深夜届けられた書類(フロントは深夜届けたと言っていた)は、税関申告書、健康証明書、上陸許可証、健康カード、それに荷物につけるタグだった。健康証明書は提出書類として必要事項を書き込まなければならない、税関申告書も同様。これらに加えて携帯しているIDカード、パスポートをすぐ出せるようにしておかなければならない。ここで上陸許可証、健康カードについて少し詳しく記しておきたい。上陸許可証の正式名称はこうである。

■「陰性」を証明し、日常生活を保証する

「検疫法第5条第1号に基づく上陸許可について」
令和2年2月20日
氏名 TSUYOSHI KOYANAGI/
ウイルス検査結果判明日 2020/2/16 検査結果 陰性/negative
上記の者は、2月3日に横浜港に寄港したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」において、新型コロナウイルスの感染者が確認された令和2年2月5日午前7時より自室で14日間の健康観察期間を経過し、ウイルス検査で陰性が確認されました。また、下船時にも発熱等の症状がなかったことから、新型コロナウイルスに感染しているおそれがないことが明らかである旨の検疫所長の確認を受け、検疫法第5条第1号に基づき本邦に上陸を許可された者であることを証明します。なお、上陸後は、日常の生活に戻ることができます。
横浜検疫所長 北澤潤

この書類は各人に配布される。前にも書いたが新型コロナウイルスが陰性であることと日常生活を保証されたものだ。しかしこの許可証には健康カードなる書類が付いている。

■「上陸が許可されました。しかし……」

「ウイルス検査で陰性が確認され下船される皆様へ」
・あなたは、船内の自室で待機をお願いした健康観察期間が終了し、新型コロナウイルスに感染しているおそれはないと判断されたため、検疫所長より上陸が許可されました。
・しかしながら、念のため、下船した後も、以下のような行動をしていただきますよう、よろしくお願いいたします。
*一般的な衛生対策を徹底してください。(一部略)*健康状態は毎日チェックしてください。
・毎日、体温測定を行い、発熱(37.5℃)の有無を確認してください。
・咳や呼吸が苦しくなるなどの症状の有無を確認してください。
・厚生労働省(又は保健所等)より、定期的に電話・メールであなたの健康状態を確認させていただきますので、確実に連絡のとれる連絡先をご記入し、下船時に検疫官に提出してください。
*咳や発熱などの症状が出た場合
・そのような場合には、学校や会社を休み、不要不急の外出を控えてください。やむを得ず外出する場合は、必ず、公共交通機関の使用は控えてください。
・マスクを着用し、あらかじめクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に乗船していたことを電話連絡し、すみやかに医療機関を受診してください。
・受診した場合は、厚生労働省健康フォローアップセンターにご報告ください。
電話:03―5253―××××(内線4757、2430)
夜間:03―3595―××××
メール:××-up@mhlw.go.jp

■1カ月過ごした部屋とバルコニーともお別れ

本来「健康カード」なるものは「上陸許可について」の注意・付属文書であるだろう。しかし実態はこちらのほうがメインになっていき、「上陸許可について」の「日常の生活に戻ることができます」の文言はなかったことになっていったのだ。それは帰宅して、ふたたび14日間の蟄居生活をし、再度PCR検査を受けなければならなかったことでわかる。また目を疑うのは「やむを得ず外出をする場合は、必ず、公共交通機関の使用は控えてください」という文言だった。

もし厚生労働省がこのような処置は「咳や発熱などの症状が出た場合」の念のためのものだというなら、「感染しているおそれがないことがあきらかである」とか「日常生活に戻ることができます」などの文言は書くべきではないし、万が一のときを考えれば横浜駅で解散などは許されないことなのだ。

船での隔離がいかに中途半端で危険なものであったか、この2つの文書がよく示している。

10時45分、私たちのグループNAVY(荷物につけたタグの色)は予定どおり呼び出され、下船口四番デッキに行く。部屋を出る前、ちょうど1か月過ごし続けた部屋とバルコニーの写真を撮った。すると、いうにいわれぬ複雑な感慨に襲われ、思わずこみ上げるものがあり、あわてて感情を押さえつけなければならなかった。

■まるで難民のようだ

ひと月近く過ごした部屋とバルコニー
ひと月近く過ごした部屋とバルコニー

検疫の受付で必要書類を提出、健康に異常なしと報告し、サーモグラフィーによるスクリーニング、検温をすませる。最後にIDカードでたしかに下船したことをチェックされ、地上に降り立った。リュックを背負い、両手に2つの紙袋、まるで難民のようだ。ターミナルのなかで、6個の大型荷物を受け取り税関に進み申告書を提出、これでようやく脱出ができたのだった。ありがたいことに、白の防護服を着た職員が2個のスーツケースを引いてくれて、宅配便の受付窓口を教えてくれる。宅配便コーナーはやっぱりあったのだ。防護服の職員にお礼を言い、宅配便の発送手続きをすます。係に金額を聞くと、タダです、不要ですとの答え。そうか、これも船側の支払いだったのかと気づく。

■自宅にいること自体が不思議だった

危惧したとおり、バスは横浜駅行だけで、東京行は運行していない。バスの運転席は急ごしらえのビニールシートで客席側と仕切られ、客席側の空気は入らないようになっている。まるで下船者たちは危険人物の群れのような扱い。それで横浜駅で解散? あとは勝手に帰れ、これほどの矛盾はないではないか。怒りがこみあげてくるのは当たり前なのだ。

小柳剛『パンデミック客船 「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』(KADOKAWA)
小柳剛『パンデミック客船 「ダイヤモンド・プリンセス号」からの生還』(KADOKAWA)

横浜駅で、新幹線の切符を買い東京駅まで向かう。駅前の空いているレストランを探しあて、片隅でビールで乾杯、そして昼食。夕食の駅弁を駅地下で購入し、北陸新幹線に乗り、夜七時ごろ帰宅した。まさに激動の一日。私たち二人は、会話をすることもなく、いつものように風呂を入れ、お湯を沸かし昼に買った弁当を食べた。時々会話はするのだが、それよりもこうして自宅にいること自体が不思議で、うまく言葉にならなかったというのが正直なところだった。

寝る前、まだ連絡を取っていなかった友人に電話連絡をした。隔離中、私の姿をテレビで発見しながらも、私の携帯電話の番号もメルアドを知らず心配メールをPCに何度も送ってくれていた人だった。彼に無事に帰宅したこと、詳しくは明日メール報告をすることを約束した。今度こそ何も考えずベッドに倒れ込む。長かった一日を終えたのだった。

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小柳 剛(こやなぎ・つよし)
「ダイヤモンド・プリンセス号」乗船者
1947年2月18日生まれ。1970年武蔵大学経済学部卒業、1976年早稲田大学仏文科大学院修士課程中退。1976年東北新社入社。外国映画、海外テレビドラマの日本語版吹き替え・字幕制作、アニメーション音響制作、およびテレビCM制作に携わる。2011年3月に同社を退社し、現在は夫人とともに長野県在住。文学・思想誌「風の森」同人。世界中が注目した「ダイヤモンド・プリンセス号」に乗船し、隔離された船内の一部始終を目撃、同船内で73歳の誕生日を迎えた。

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(「ダイヤモンド・プリンセス号」乗船者 小柳 剛)

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