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写真家ヨシダナギ「人に興味のない私が、なぜドラァグ・クイーンに惚れたか」

プレジデントオンライン / 2020年6月10日 15時15分

提供=ライツ社

世界中の少数民族を追いかけてきたフォトグラファーのヨシダナギさん。だが今年5月に発表した写真集のモチーフは「ドラァグ・クイーン」だった。一般的に女装する男性をさす言葉だが、なぜ彼女たちを選んだのか。ヨシダナギさんは「言葉にできない美しさと強烈な存在感は、民族を見た時に感じたのとある種同質だった」という――。

※本稿は、ヨシダナギ『DRAG QUEEN No Light, No Queen』(ライツ社)の「あとがき」を再編集したものです。

■そもそも私が少数民族を追いかけてきた理由

世界中の少数民族ばかりを撮影し続けてきた私が、なぜ今回ドラァグ・クイーンというモデルを選んだのか疑問に思う人がいることだろう。

自分と違う人ほど美しく、カッコイイ。そして面白い。

これは幼少期から今も変わらず私の中にある思いであり、少数民族を追いかけ続けてきた理由であるとともに、今回ドラァグ・クイーンをモデルに選んだ動機でもある。

世の中では、造形が整っている人=美しいとされることが多い。しかし、少数民族を撮影しているうちにその定義とは異なる、“真の美しさ”というものを見つけた気がするのだ。人を惹きつける美しさとは、その人間の生き様とドラマを映した“立ち姿”にこそ表れるものだと。

“堂々と美しく立つ”ということは、簡単なようでとても難しい。人間の持つ生き様が瞬時に露出するからこそ、立ち姿は偽ることができない。この誤魔化しのきかない立ち姿に美しさを持つがゆえ、私は少数民族に強く惹かれ、彼らばかりを追いかけてきたのではないかと思う。

ドラァグ・クイーン
提供=ライツ社

■大人になりきれない自分に嫌気がさしていた

写真家という肩書きを偶然手に入れてから今年で5年目を迎えたのだが、数年前から「そろそろ少数民族以外の作品を見てみたい」と言われることが増えた。

そして、そのような撮影依頼が舞い込んでくるたびに実は気が滅入っていた。この職業を続けていくうえで、「新しい作品が見たい」と言われるのは幸せなことだと頭では理解していたのだが、私はただ少数民族が好きなだけであって、決してカメラや撮影自体が好きなわけではない。

だから、どうしても少数民族以外の撮影を「仕事」として割り切って受けることができず、大人になりきれない自分にも嫌気がさしていた。

そもそも、私は人があまり好きではないのだ。好きではないというよりは「人に興味がもてない」という方が適切かもしれない。(人に限らず、世の中のことにもあまり関心が持てないのだが……。)

少し前までは、それも己のパーソナリティの1つくらいにしか思っておらず、特に気にも留めていなかった。しかし、「視野の狭い自分のせいで仕事の幅を広げられずにいる」という現実が、サポートしてくれている人たちに迷惑をかけ、今まで支えてくれていた人たちの期待にも応えられていないのではないかと思うようになっていた。

そして、その思いは次第に罪悪感へと変わりはじめていた。

ドラァグ・クイーン
提供=ライツ社

■心が強く揺さぶられた経験を思い出した

けれども、被写体への愛と尊敬を持ち合わせない撮り手に良い作品は絶対に撮れるわけがないと思っている私が好きになれないものを撮影するのは、自分のポリシーから大きく逸脱してしまう。

この2年くらいは、そんな焦りと罪悪感、ポリシーの狭間で苦しんでいた。(この時期は「人に興味を抱く方法」などというワードをGoogle検索するほど追い詰められていた。)

しかし、その時は突然訪れた。

2018年の夏の終わり頃に“ドラァグ・クイーン”が、ふと脳裏を横切ったのだ。

6~7年前に観た、映画「プリシラ(The Adventures of Priscilla, Queen of the Desert)」に登場する彼女たちの華やかな衣装と、それに負けない美しい生き様に心が強く揺さぶられたことを鮮明に思い出したのだ。(その瞬間、脳内で見知らぬドラァグ・クイーンにウィンクされたような気がした。)

ドラァグ・クイーンに会ってみたい。
ドラァグ・クイーンを撮影してみたい。

少数民族以外に興味を抱くなんて何年ぶりだろうか。自分が興味を持てる人が現れたことに私は嬉々とした。

正直に言うと、彼女たちに会うまでは「ドラァグ・クイーンは、男性として生まれてきた人が女装をしている」程度の認識しかなかった。だから、ドラァグ・クイーンとはゲイなのかトランスジェンダーなのかなど、わからないことだらけだった。

ドラァグ・クイーン
提供=ライツ社

■ドラァグ・クイーンとは「自分がなりたいモノになること」

実際に、ニューヨークとパリで協力してくれた彼女たちは想像以上に美しく妖艶で、自由な人たちだった。この取材を通して、ドラァグ・クイーンにも、さまざまなジャンルとジェンダーがあることを知ったのだが、彼女たちの話を聞いているうちにカテゴリーなどはともかく、“自分がなりたいモノになることがドラァグ・クイーン”だということも、わかった。

つまり、男性や女性、ゲイやストレート、そんな狭い枠におさまる人たちでは到底なかったのだ。ドラァグ・クイーンとは、とてつもなく幅広く、定型を持たない自由な存在で、彼女たちの生き方そのものがアートであり“自由の象徴”だったのだ。

壮絶な過去を背負う人、大きな壁を乗り越えてきた人、美への飽くなき探求心を持つ人、それぞれが皆ドラマを持っていた。そこから垣間見える不器用な生き様と精一杯の人間らしさに惹かれると同時に、少数民族に感じた“真の美しさ”が、彼女たちにも溢れているのを感じた。

ドラァグ・クイーン
提供=ライツ社

■ドラマティックでたくましい生き方を感じてほしい

“完璧なモノばかりが美しいのではない。すべてにそれぞれの美しさがある”

自分の写真(立ち姿)を見るたびに悲しくなるほどコンプレックスだらけの私には、美しく堂々と立つ人間とその生き様に強い憧れがあった。おそらく私は少数民族を写すことで、そんな弱い自分自身を癒してもらってきたのだ。

ヨシダナギ『DRAG QUEEN No Light, No Queen』(ライツ社)
ヨシダナギ『DRAG QUEEN No Light, No Queen』(ライツ社)

今回、クイーンたちは「人間ってもっと自由でいいのよ」と私に投げかけてくれた。そして、人に対して無関心な私に“人間は美しくって、面白い”そう思わせてくれたのだ。

本作では、彼女たちのドラマティックでたくましい生き方を感じてほしいと思い、インタビュームービーを特典として付けさせてもらった。彼女たちの人生のドラマこそが、その美しさの源泉であり、アートであることを共有してもらえたら嬉しい。

誰もがもっと自由に生きやすい世界になっていくことを心から願いながら、美しきドラァグ・クイーンたちへ、大きな尊敬とともにこの作品集を捧げる。

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ヨシダ ナギ フォトグラファー
1986年生まれ。2009年より単身アフリカへ。以来、独学で写真を学び、アフリカをはじめとする世界中の少数民族を撮影、発表。唯一無二の色彩と直感的な生き方が評価され、2017年には日経ビジネス誌で「次代を創る100人」、雑誌PEN「Penクリエイター・アワード 2017」へ選出、「講談社出版文化賞」写真賞を受賞。2020年には世界中のドラァグ・クイーンを被写体とした作品集「DRAGQUEEN No Light, No Queen」を発表。国内外での撮影やディレクションなどを多く手がける。http://nagi-yoshida.com/

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(フォトグラファー ヨシダ ナギ)

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