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国民に殴られ続けたパチンコ店幹部は言った、「クラスターはない。これが事実」

プレジデントオンライン / 2020年6月8日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Mlenny

■クラスターどころか感染経路にもない

「私たちパチンコ業界は日本全体で9割以上も休業しました。そしてクラスターはなかった。そもそも自粛要請以前からクラスターどころか感染経路にパチンコ店という発表は無かった。これはすべて事実です」

電話口の声は関東近郊のパチンコ店幹部である。私の高校時代の友人(お互い高校は別)だが、何度か取材に協力してもらっている人だ。彼は勝ち誇るでなく、昔から冷静で、クレバーな彼の言葉は重い。決して浮つくことはない。

私は団塊ジュニアのリアルをテーマに昨年末から今日まで歩き続けた。そのさなかに起きた新型コロナウイルス騒動、私にとってのテーマはコロナ禍の団塊ジュニアに変わった。思えばバブル崩壊と就職氷河期、山一ショック、ITバブル崩壊、リーマン・ショック、東日本大震災と、団塊ジュニアはよく生き延びて来れたものだ。私の同世代の同僚、友人の中には途中でこの世を去った者も少なくない。生き延びても不遇であったり、取り返しのつかない過ちを犯したりした者もいる。この団塊ジュニアの受難のタイミングは。京アニを燃やした男の挫折の繰り返しとシンクロし、そして私自身と男の「逆だったかもしれない」ともシンクロする。彼とも一連のコロナ取材を通して再会した。

■コロナ禍の魔女狩りに不合理さはないのか

かの“トイレットペーパーが足りない騒動”も今は昔だろうか、店頭から一斉に消え、買い求める人で朝から行列ができた。トイレットペーパーはほとんど国内生産であるにもかかわらず、それがSNSの書き込みひとつで日本中がパニックとなった。のちに書き込んだ者は個人情報を特定されて吊るし上げられた。私はトイレットペーパーのデマより、この吊し上げのほうが気になった。確かに悪いことだが非難の目的からは大きく逸脱し、社会的に晒してやろう、仕事や将来を奪ってやろうという闇を感じた。アルベール・カミュの『ペスト』に書かれた疫病下の社会、ディストピアそのものだったからだ。ネットは常に荒れるものだが、それとは違う魔女狩り的な不合理を感じた。

当初、コロナ禍の叩きの対象はクラスターを起こしたライブハウスであった。そしてイベントや営業の途絶えたことを訴える芸能人たちに移り、居酒屋となり、パチンコ店となった。パチンコ叩きが本格化するそれ以前、3月6日の衆院内閣委員会でパチンコ店に対する休業の働きかけを立憲民主党の早稲田夕季氏が提案している。自民党の武田良太国家公安委員長は民間企業への営業介入は難しいと回答した。

■憲法を無視する自粛警察たち

日本の憲法上、個々人の経済的自由権を犯すことは不可能である。私は事の端緒はこの辺りと考えるが、これを快く思わないネットを中心とした自粛警察たちが行動を激化させる。じつはパチンコ店に対する国の強い休業要請は緊急事態宣言が全国に出てから一週間以上も経った4月23日のことである。また都内に限れば、それより前の4月4日から5日にかけて、大手を中心に3分の1の店が自主的に臨時休業を決断している。この時点でセーフティーネット保証(5号)からパチンコ店が外されたこともあり(のちに見直し)、残りの3分の2の中小を中心に営業を続行した。

「商売ですし、不要不急のエンタメですから、興味のない人や嫌いな人が来ないことはもちろん、文句を言うのも当然です。でもこちらからすれば支持者だけを向いてればいい話です。お客さんが来る限り営業を続ける、求められるのだから当たり前の話で、来ないならやりません。すべてお客さんのためだし、娯楽はそれでいいんです。だから休業要請にも従った」

■人間は自分と関係のないことにはひどく道徳的に

これは先のパチンコ店幹部がニュアンスを変えながらも、これまで繰り返してきた持論である。今に至るまで、この彼の論が揺るぐことはなかった。もちろんそこには自分たちを支持してくれる、イコールお金を落としてくれるお客のために開けるという算段もあるだろう。かつてオタクカルチャーを商売にしてきた私にもわかる。「砂漠のインド人は魚を食わぬことを誓う」ゲーテの言葉だが、これをきっかけに忘れられた古典に注目が集まるのは喜ばしい。人間は自分と関係のないことにはひどく道徳的になる生き物だ。そして休業に応じない店舗は容赦なく晒された。私はその間、そういった店舗を取材したが、どこも淡々と営業していた。私の故郷、千葉の店舗は全国から集結した“パチンカー”でいっぱいだった。客たちは言う「こんな田舎だとコロナって言われてもピンと来ないんだよね」。不届者だ、情弱だと笑うだろうが、大半の市井の人々の素朴な本音だろう。声なき声はいつの時代も大勢だ。

「コロナで死ぬより経済で死ぬほうが怖い。ね、そのとおりだったでしょ?」

■パチンコ店にとってのブルーインパルス

GWが明けるとパチンコ店は営業を再開し始めた。5月25日に全国で緊急事態宣言が解除されるとパチンコ店だけでなく、多くの商業施設が随時営業を再開した。みな自分の人生に、生活に戻りはじめたはずだった。あれだけ騒いだクルーズ船も、トイレットペーパーも、ライブハウスも、自粛警察の跋扈(ばっこ)も、パチンコ店に対する一斉攻撃すら、みな話題にしなくなった。

「私たちも叩かれましたし反省する部分はあるでしょう。でもクラスターはありませんでした。最終的には98%のパチンコ店が営業を自粛した。夜のお店は現在進行系でやり玉に挙がっていますが、私たちは身銭を切って我慢したんです。みなさんと一緒です。ブルーインパルスだって誇らしく仰ぎましたよ。自粛や予防は徹底しました。台だってハンドルから何から、スタッフやヘルプがいつもの倍の時間磨きました。誰も称賛しなくったっていい、乗り切った私にとってのブルーインパルスです」

5月29日のブルーインパルスは医療従事者に対するものだが、あれは最悪期を乗り切った日本人それぞれにとってのブルーインパルスでもあったのかもしれない。

■パチンコ叩きとは何だった

いま思えば、あのパチンコ叩きとは何だったのか。当初コロナとは無関係だったはずが、なぜかパチンコそのものの善悪の話となった。パチンコ産業はしたたかで強かったが、いわれなき善悪に追い詰められるのがひとりの人間だったらどうなるかを、私たちはひとりの女の子の死で知ったはずだ。社会不安と鬱憤(うっぷん)は、最終的に人間そのものにぶつけられる。アメリカはまさに現在進行系でその憎悪と分断の地獄に落ちようとしている。

私たちはこの「コロナ後」において、あの日本社会を、ネット全体を覆った空気は何だったのか、止められなかったのかをいま一度思い返し、おのおのが考え直さなければならない。なぜなら「コロナ後」と書いたが、これに「第1次」と付くかもしれないのだ。第2波が訪れた時、このままではまた同じ轍を踏むこととなるだろう。

コロナウイルスは誰しも罹(かか)る可能性があり、自覚がなくともすでに罹っているかもしれないという未知のウイルスだ。パチンコ店幹部の彼の「クラスターはなかった」はもちろん過去形であり、これから起こるかもしれないのは当然だ。気をつけていても、万全を尽くしてもそれは起こるかもしれない。サッカー選手しかり、野球選手しかり、局アナしかり。それでも理由をつけて叩く、コロナより人間が怖いなんて! そんな社会では未知の疫病と戦えなどしないし、私たちがそのような姿勢では、最前線の医療従事者や矢面に立たざるを得ない、罹ってしまうかもしれないエッセンシャルワーカーの方々からの信頼も得られない。私たちは彼らに信頼していただかなくてはいけない立場だ。

■もう叩く対象は次に移っている

全国の緊急事態宣言が解除された日はコロナに殺された人間だけでなく、数日前に人間の言葉に殺された女の子に対する鎮魂の日ともなった。コロナに命を奪われた志村けんさんの死から、人間に命を奪われた女の子の死へ。疫禍は人心を荒廃させ、人間の本性を露(あら)わにした。何をわめこうと、これが私たちの現実である。

パチンコ店にクラスターはなかった。そしてコロナ以上に怖いのは人間だった。パチンコがメインターゲットからは外れた今、懲りずに次の獲物を捕捉したやからが、またぞろSNSに蠢(うごめ)いている。特定業種が叩かれているうちはマシだったのかもしれない。もう叩く対象は人間に移っている。これもまた、私たち日本人の悲しい現実である。

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日野 百草(ひの・ひゃくそう)
ノンフィクション作家/ルポライター
本名:上崎洋一。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。ゲーム誌やアニメ誌のライター、編集人を経てフリーランス。2018年、評論「『砲車』は戦争を賛美したか 長谷川素逝と戦争俳句」で日本詩歌句随筆評論協会賞奨励賞を受賞。2019年『ドキュメント しくじり世代』(第三書館)でノンフィクション作家としてデビュー。近刊『ルポ 京アニを燃やした男』(第三書館)。

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(ノンフィクション作家/ルポライター 日野 百草)

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