「年収450万円が一番幸せだ」と年収8000万が語る理由

プレジデントオンライン / 2020年6月16日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/LFO62

■幸せの基準は年収や他人からの評価なのか

幸せの“基準”は、年収や他人からの評価ではなく、本来「自分の中」にあります。幼い頃は、自分の心が赴くままに走りまわり「楽しい!」と感じ笑い転げていましたが、いつから私たちは、ヒトの目を気にし、ヒトのモノサシで生きるようになってしまっていました……。

現代社会は、ずいぶんと価値観が多様化し、一人ひとりが持つ、それぞれの自由な価値観の中で生きることが許されるようになってきています。まだまだ、難しい側面があるのも事実ですが、それでも、“マイノリティーな自分の側面”を隠さずに生きることができる世の中で、私たちは生きています。とはいえ、「幸せと年収」を切り口とした議論は永遠のテーマであり、今までも、たくさん議論されてきています。今回は、あらためて、「幸せ」とは、誰かの目から評価されるようなものではなく、自分が心の中で「ひっそりと味う」、そんな“シアワセ観”もあることをお伝えいたします。

■価値観の多様化で生きやすい時代に

世の中には、自分とは想像も付かない価値観で生きている人がたくさんいて、その集合体で社会は動いています。多様な人がいるからこそ、成り立っているのです。

「男性であれば、40代には年収800万あればすごい」「3人の子供を有名大学まで行かせて、所帯を持って立派だ」「女性は27歳までに結婚するべきだ」こういった、男性、女性のあるべき幸せ象なども1つの価値観ですが、これらが全ての価値観ではないでしょう。世の中の“メインの価値観”から外れた生き方をしていることで勇気を失うなど、自分を隠して生きようとしている人が、この記事にたどり着いているならば、決して、自分の持っている感覚や価値観を、恥ずべきものではないと強く信じてほしいです。

今回の1つのテーマである「幸せと年収」について。「幸せ」の基準を「お金」で測るのも1つの価値観かもしれません。では、年収を段階的にUPし、全ての過程を通過してきた人には、年収を上昇させる過程で、どのような世界を見てきたのでしょうか。今は幸せなのでしょうか。

■なぜ年収1000万円は幸せが鈍化するのか

年収8000万円を超える人(40代・不動産)に「お金とストレス」についてお話を伺いました。1つ目のストレスは年収1000万円を超えたタイミングで訪れるという。年収450万円の頃と比較すると、年収は倍以上にもなったにもかかわらず、手取り額の比率は少なくなると感じる段階に入るようです。「年収450万円から1000万円まで駆け上がっていく過程では、思い切り仕事をし、達成感・評価などの幸福度合いは鋭角で高まったものの、1000万円を超え始めると、税金で取られる額が多いと感じ始め、幸せが鈍化するようになる」と述べます。

年収5000万円を超える人(50代・金融)によれば、「年収1000万円までは一つひとつ山登りをしているようで楽しかったが、年収1000万円から3000万円にかけての感覚は、幸福度合い関しては“プラトーに達する”」といいます。1000万円まで駆け上がる過程に比べて、1000万円から3000万円に上がっていく過程では、幸福度合いが緩慢になるようです。

■年収が上がれば上がるほど、不幸の中へと進んでいく

なぜか? その方は目新しいものや刺激が少なくなる一方で、むしろ生活水準が下がる恐ろしさに怯えながら、負われるように仕事をし続けるようになっていると話します。周りから見れば、成功を納め、自由に生きているかのように見える人たちも、「むしろ、制限が増え、負うものが大きくなり、不幸の中にいる」と口にする人の多さから。人間とはなんと難しい生き物だと考えさせられます。

ここで、紹介した年収の高い人たちの意見も1つの考え方として捉えていただければと思います。年収や他人からの評価以外に、人間は興奮を伴う新しい発見や好奇心の追求、さらには、自分の存在義を感じながら、バランスを保ちつつ生きること。そのようなことなくしては、幸せを感じることができない生き物なのでしょう。

■友達と一体、何なのか

「小中高の友達が君に何してくれる?」これは、「今でしょ!」で有名な林修先生の言葉です。「1年に1、2回しか会わない友人よりも、今仕事で接している人との関係に重きを置くし、一緒にいて楽しいし、勉強にもなる。小中高の友達とは一体何なのか考えてしまう」(同・50代・金融)と話す。

中学・高校と学生時代を共にした友人は大切でありずっと“友達”だが、何も気にせずに遊んでいた学生時代とは違い、年月とともに、出世のレベルや幸せな家庭、独立して成功するなどの「差」が開いていくのは事実。これは経験がある人も多いはずです。

社会に出ることで、成功する人もいれば、芽が出ない人もいる。ただ、日本という社会の性質上、学生時代に時間を共にした友人に対しては、人並みの人生を歩んでいることや人並みの成功については話ができても、成功しすぎると自分の話はできなくなる傾向があるようです。取材を通じて、皆、「共に遊べる友達が少なくなっていく」と物悲しく話す。

■年収450万円が一番楽しかった

元々、年収が今よりずっと低い時期にも不自由なく生活していた。それなのに、一度、生活水準を上げると、食べ物、住むところ、洋服、全ての水準が上がっていくのです。周りが思っているよりも、自分の為に使うお金は意外と増えず、貯金もさほど貯まらない。にもかかわらず、頑張り続けないといけない、スパイラルが一生続く感じがあるようです。

「同級生のみんなは3万円なのに、自分だけは友人の結婚式でも3万円では済まず10万円になってしまう。付き合いの一つひとつの値段が高くなる」(30代・不動産)と話す。こういったスパイラルに入らないためには、「年収が上がっても、生活水準を上げることを抑えることができる人は、いいかもしれないですけどね」(同・50代・金融)と話す。

年収が高くでも、周りが想像しているような満足のいく人生を送っているわけではない人も多いです。むしろ、皆、450万円くらいから1000万円まで駆け上がる“あの時期”を味わえるなら、もう一度味わいたいと漏らす。今回、話を伺った方々は、皆、それなりに人生やお金について、満足していることは大前提として、あえて「現状でお金について感じるストレス」を挙げてもらった。

■年収450万円から進んでいく「山登り」

年収450万円であろうが、1000万円を超えようが、取材を通じて感じるのは、年収によって「幸せ」を定義することはやはり、できないのでしょう。むしろ、年収450万円から山を登っていく、まさにその過程自体を幸せと捉えている人が多いと感じます。

何が幸せなのかの「基準」はやはり、自分の中にあればいいのです。現代社会の良さは、価値観が多様化し、その人、その人の基準と価値で生きることができる点だと思います。人と比べて、自分の「幸せ」など決められるはずなどないのです。大切なのは、自分がどういった世界観で幸せを感じることができるか「自分を知ること」で、どこに向かって歩んでいけば良いかを分かっていることが幸せなのかもしれません。自分が心の中でひっそりと味う幸せを持っている人が、落ち着いた幸福感の中でゆったりと生きていたりするのでしょう。

最後に、ここで述べた事例や、価値観の一つひとつも、それぞれの個人の価値観にすぎず、誰にでも当てはまるものではないでしょう。納得できない価値観もあったかもしれません。「大いに、他人に評価されることこそが自分の幸せの基準だ」「幸せの基準は自分の中にある? 絵空事はいい、年収こそ自分の幸せを測る基準だ」「ここに書いていない価値観での幸せもある」などの、いろいろな思いがあるでしょう。まさに、あなたの、その感覚こそが、そのままでいいのです。自分の思うように、感じ、発言し、生きてゆけばいいのです。

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馬渕 磨理子(まぶち・まりこ)
テクニカルアナリスト
京都大学公共政策大学院を卒業後、法人の資産運用を自らトレーダーとして行う。その後、フィスコで、上場企業の社長インタビュー、財務分析を行う。

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(テクニカルアナリスト 馬渕 磨理子)

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