コロナ禍の過ごし方ですごく参考になる「江戸っ子の茶目っ気」
プレジデントオンライン / 2020年6月22日 9時15分
■「新しい生活様式」は江戸の昔から始まっていた?
相変わらず落語や講演など、ライブ系の仕事は飛んだままです。
一方で、出版の依頼は相次いでいて、8月にも『安政5年、江戸パンデミック』(仮題)という本を急遽、出版することになりました。急ピッチで原稿を仕上げたところですが、その過程でちょっと面白いことを思いつきました。
それは、「江戸末期の安政年間(1854~1860)とは、安倍政権の略ではないか」ということです。
もちろん、安倍さんを批判しようとか、「昔のほうがよかった」などとノスタルジーに浸りたいわけではありません。ここで言いたいのは、政府が提唱する「新しい生活様式」などというものは、すでに「江戸の昔から始まっていたことではないか?」という仮説です。
まずは安倍政権下で起きたことと、安政期に起きたことを、かんたんに比較してみましょう。
①疫病がはやった
安政5年(1858)の6月に日米修好通商条約が締結されて、鎖国は終わります。その1カ月前の5月21日、上海から長崎港に入港したアメリカ船ミシシッピ号の船員がコレラに感染し、そこからパンデミックが始まります。コレラは長崎、中国地方、関西、そして東海道を通じて江戸にまで広がり、未曽有の死者数に火葬が追い付かず、数万人の死者が出ました。
②地震が多発した
安政期だけでも、安政伊賀地震、安政東海地震、安政南海地震などが発生し、やはり数万人が犠牲になりました。
③政情の不安
「安政の大獄」「桜田門外の変」など、日本史にも残る大事件が発生しました。
■パラダイムシフトを過剰に恐れるな
いささか牽強付会(けんきょうふかい)ではありますが、いまより人口の少なかったあの頃に、コレラや地震などで莫大な死者数を記録したことを考えると、当時のほうが人々の不安要素ははるかに大きかったのではないかと想像できます。
そこで、まさに次の本のテーマでもある「過去の先人たちの立ち居振る舞い」をベースに考えてみると、ウィズコロナ、アフターコロナによるパラダイムシフトを、過剰に恐れる必要はないということです。
今回のように「新しい生活様式」を求められる事態は、現代特有の現象ではなく、われわれのご先祖様たちが何度も経験してきたこと。そう考えることで、ストレスを幾分、緩和させることができるのではないでしょうか。
その昔、日本人は罹患(りかん)するとあまりにもあっけなくコロリと亡くなってしまうことから、コレラを「コロリ」と呼んで恐れました。漢字で書くと「虎狼痢」または「虎狼狸」とし、虎と狼と狸の妖怪が疫病をもたらしていると考えられていたのです。
これは西洋医学が発達していなかった頃の名残ですが、見えない病原菌を可視化して、共通の敵として認識させたことは、江戸っ子の茶目っ気溢れる対処法ではないかと買いかぶりたくなります。それに、なんとなく似ていますよね、コロリとコロナって。
■19世紀に確立していたソーシャルディスタンス
そんな江戸っ子たちを安政期に啓蒙したのが、オランダ海軍の軍医ポンぺでした。
ポンぺは来日当初から、清国で流行しているコレラがやがて日本にも侵入してくることを悟り、医学生たちにコレラ防疫法を伝授します。コレラ……いや、これらポンペの活動をきっかけに、疫病対策のための「隔離」という概念が生まれ、さらにはコレラ菌の発見、治療法の確立につながりました。
こうしたポンペの取り組みによって、何度かの流行を迎えながら、日本人はコレラをほぼ鎮圧できるようになっていったのです。
いかがでしょう。過去の経緯を知るだけで、コロナとの向き合い方を学べそうな気がしませんか。
人間、「自分だけが何でこんなにつらい目に遭うんだ」と思うことこそが不幸の始まりではないでしょうか。これは直面する過酷さを1人で背負い込んでしまっている状態です。
そんな時こそ、われわれのご先祖様たちに一瞬想いを馳せてみましょう。
つまり、「昔の人たちも現代人以上の厳しさを乗り越えてきたんだよなあ」と受け止めてみるのです。すると、なんだか気分が楽になってくるはず。それが歴史に寄り添う一番のメリットなのだと私は確信しています。
いや、グッと分かりやすくいうならば「心のお墓参り」でしょうか。ご先祖様たちの偉業に手を合わせてみるのです。
そもそも外出自粛という概念は、フランスの細菌学者パスツールが19世紀に提唱した、疫病に対する効果的な対症療法でした。人類はさらに経験値から隔離という手法を会得したわけで、一定の距離を保つ「ソーシャルディスタンス」という考え方の根本がそこにあります。
私が安政年間とは安倍政権の略ではないかと夢想したのも、あながち的外れではないのかもしれません。
■コレラ船を季語にした江戸っ子の茶目っ気
ところで、コレラ船という言葉をご存じでしょうか。ウィキペディアによると、「コレラ患者が出た場合、検疫のために40日間沖に留め置かれる。この船を俗に『コレラ船』と呼び、これは当時の俳句や川柳で夏の季語にもなるほどだった」とあります。
実際、高浜虚子の句に「コレラ船いつまで沖に繋(かか)り居る」というのがあります。つまり「コレラにかかると船で隔離される」という医学的措置が季語になるほど、コレラ船は風物詩化していたのです。
言い換えればこれは、怖いはずの疫病を日常の風景に落とし込むことで、その恐怖感を分かち合って分散しようとしたと言えるのではないでしょうか。いわば恐怖感のシェアであり、怖さの頭割り。その根底にやはり江戸っ子の茶目っ気が見え隠れします。
コレラ船を季語にして“ありきたりの景色”にしてしまえば、誰がコレラにかかってもおかしくないし、罹患した人を揶揄(やゆ)したり、またその関係者も含めて差別したりするような雰囲気はなくなるはず。そう考えると、あらためてコレラ船を季語にした先人たちの英知に感心させられます。
さらに調べてみますと、天災や人災の宝庫だった安政期には、江戸の寄席の数が170軒以上にも達したそうです。これはつらい時代だからこそ笑いたいという、庶民の欲求の高まりを示す、何よりの証左のように感じます。
■「免疫力」をもっと信じてみる
以上を踏まえてみると、コロナに対して特効薬やワクチンのない現在、一番大切なスタンスは「何事においても寛容さをもって接することではないか」という仮説が浮かび上がって来ます。
社会全体がそもそも持ち合わせているはずの広い意味での「免疫力」をもっと信じてみるべきなのです。人類は、いや、江戸っ子たちはみんな乗り越えてきたのですもの。
「目くじらを立てるのではなく、ああ、そういう考え方もあるのかと許容してみる」
これは結果として自分自身を許容することにもつながるはずです。
こうして振り返ってみますと、困ったり悩んだりした時には、まず歴史を探り、昔の人の考えや行動思いを馳せてみることの大切さをあらためて実感させられます。もっと詳しく知りたくなりましたら、8月発売の私の新刊を買いましょう。そこんとこ、よろしくお願いします。
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立川流真打・落語家
1965年、長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。ワコール勤務を経て、91年立川談志に入門。2000年二つ目昇進。05年真打昇進。著書に『大事なことはすべて立川談志に教わった』など。
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(立川流真打・落語家 立川 談慶)
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