コロナ後は「日本の製造業」こそが時代の勝者になる
プレジデントオンライン / 2020年6月23日 11時15分
■「日本の製造業」には高い潜在能力が秘められている
新型コロナウイルス感染症のパンデミックは、日本経済に大きな打撃を与えただけでなく、「新しい常態(ニュー・ノーマル)」と言われるように、世界の様相を一変させるものとなっている。しかし、世界が直面している真の問題は、パンデミックそれ自体というよりはむしろ、この先何が起こるのか予測が困難であるという「不確実性」にあると考えるべきである。
というのも、パンデミックが発生する以前から、米中貿易戦争、ブレグジット、地政学リスクの高まり、気候変動、自然災害、ポピュリズムによる政治の不安定化など、世界は「不確実性」に事欠かなかったのである。IMF(国際通貨基金)のクリスタリナ・ゲオルギエバ専務理事は、いみじくも「不確実性が、ニュー・ノーマルとなりつつある」(※1)と述べている。
※1:Finding Solid Footing for the Global Economy
そうだとすると、これは、製造業にとっては致命的な問題である。なぜなら、製造業は設備投資や研究開発投資を必要とするが、投資とは、将来をある程度予測した上で行われるものだからである。不確実性が常態化した世界では、将来予測は極めて困難になり、大規模な設備投資や研究開発投資を行うことが難しくなる。それでは、製造業は成り立たない。
しかし、悲観することはない。というのも、わが国の製造業は、不確実性がニュー・ノーマルとなった世界においてこそ、競争優位を発揮できる高い潜在能力を秘めているのである。これこそが、2020年版「ものづくり白書」(※2)が言わんとしたことであった。
※2:2020年版「ものづくり白書」
■強みを生かす経営戦略のあり方
「ものづくり白書」が注目したのは、「ダイナミック・ケイパビリティ(企業変革力)」というコンセプトである。「環境や状況の激変に応じて、企業内外の資源を再構成して、自己を変革する能力」である。それは、不確実性を乗り越えるための能力なのである。「ダイナミック・ケイパビリティ」は、カリフォルニア大学バークレー校のデイヴィッド・J・ティース教授が提唱し、近年、注目を浴びている戦略経営論上の考え方である。
ティース教授によれば、企業の能力は「ダイナミック・ケイパビリティ」のほか、「オーディナリー・ケイパビリティ(通常能力)」がある。これは「与えられた経営資源をより効率的に利用して、利益を最大化しようとする能力」を意味する。労働生産性や在庫回転率のように、特定の作業要件に関して測定でき、ベスト・プラクティスとしてベンチマーク化されうるものである。
なぜ、「オーディナリー・ケイパビリティ」だけでは不十分なのか。「ダイナミック・ケイパビリティ」が重要になるのか。これについては、コダックと富士フイルムを例にすると分かりやすい。
■倒産したコダック、変革を遂げた富士フイルム
両社とも、もともと、写真フイルムの生産販売で利益を得てきた企業であった。しかし、1990年代以降、デジタルカメラが驚異的なスピードで普及すると、写真フイルム市場は急激に縮小した。この想定を超える環境の激変に対して、両社はどう対応したか。
コダックは、株主価値や利益の最大化を目指すオーディナリー・ケイパビリティ重視の戦略に固執した。その結果、デジタルカメラの普及という環境変化に対応できず、倒産の憂き目をみた。
これに対して、富士フイルムは、写真フイルムで培った技術を再構成して、ディスプレー材料、バイオ医薬品事業、医療IT、再生医療等の新事業開拓の投資を行った。ダイナミック・ケイパビリティを発揮することで、危機を乗り切ったのだ。ちなみに、コロナ禍で注目された新薬「アビガン」は、富士フイルム傘下の企業が開発したものである。富士フイルムのダイナミック・ケイパビリティ恐るべしである。
こうしてみると、不確実性がニュー・ノーマルとなった世界で、製造業がとるべき戦略は、「ダイナミック・ケイパビリティ」を強化することであるのは、明らかであろう。
■「危機の連続」平成を支え続けた日本の製造業
さて、この「ダイナミック・ケイパビリティ」という観点から、わが国の製造業はどのように評価できるのであろうか。わが国の製造業は、久しくその競争力の低下が指摘されてきた。にもかかわらず、平成の時代を通じて、GDP(国内総生産)構成比のおよそ2割を占め続けてきたことは注目に値する。
平成の30年間とは、バブル崩壊、アジア金融危機、リーマン・ショック、欧州債務危機、東日本大震災など、さまざまな不測の事態や環境変化が起きた時代であった。しかし、その中でも、製造業は日本経済を支え続けてきた。このことは、わが国の製造業が、環境や状況の変化に対応できる高いダイナミック・ケイパビリティを有している可能性を示唆している。
ダイナミック・ケイパビリティを研究する菊澤研宗・慶應義塾大学商学部教授も、わが国の企業組織は、ダイナミック・ケイパビリティに優位にあると論じている。
■日本の企業組織はダイナミック・ケイパビリティが高い
菊澤教授は、企業組織を、職務権限の在り方によって「堅固な組織」と「柔軟な組織」に区分した上で、わが国の企業組織は、後者の「柔軟な組織」にあたると指摘している。
「堅固な組織」では、各職務権限が各メンバーに明確に帰属され、各メンバーが生み出す成果も各メンバーに明確に帰属している。このため、各メンバーは高い成果を出そうと行動するようになる。それゆえ、「堅固な組織」は、効率性を追求するオーディナリー・ケイパビリティが高くなる傾向にある。
その代わり、「堅固な組織」では、新しい生産システムや新しい生産技術を導入しようとすると、全ての職務体系と権限体系を大幅に変化させ、それを各メンバーに再び明確に帰属させなければならない。このため、「堅固な組織」は、大きな変革を避けようとするであろう。つまり、オーディナリー・ケイパビリティに秀でた「堅固な組織」は、ダイナミック・ケイパビリティにおいては劣るのである。
■日本企業の弱点は、先が見えない世界では長所となり得る
これに対して、「柔軟な組織」では、各職務権限が各メンバーに明確に帰属されておらず、各メンバーが生み出す成果も各メンバーに明確に帰属しない。このため、能力の低いメンバーが温存されやすくなる。結果として、「柔軟な組織」のオーディナリー・ケイパビリティは、低くなりがちである。
しかし、職務権限が初めからあいまいであるということは、職務体系や権限体系の大幅な変更が容易であり、新しい生産システムや生産技術を導入しやすいというメリットがある。「柔軟な組織」の方が、ダイナミック・ケイパビリティが高くなるのである(※3)。
※3:菊澤研宗『成功する日本企業には「共通の本質」がある-ダイナミック・ケイパビリティの経営学』(2019年、朝日新聞出版)、第五章
さて、わが国の企業は、従来、職務権限があいまいであるがゆえに、能力の低いメンバーが温存されがちだという批判がされてきた。確かに、わが国の企業は、オーディナリー・ケイパビリティ(効率性)の点では、職務権限が明確な欧米の企業に劣るのかもしれない。しかし、ダイナミック・ケイパビリティの観点からは、職務権限があいまいな「柔軟な組織」の方が、逆に有利なのである。
言い換えれば、これまでわが国の企業の弱点と見られてきた組織構造が、不確実性がニュー・ノーマルとなった世界においては、むしろ長所に転ずる可能性があるということである。
■ダイナミック・ケイパビリティを高める具体的方策
では、ダイナミック・ケイパビリティを高めるため、日本の製造業はどうすれば良いのだろうか。「ものづくり白書」では、製造業の設計力を強化することが重要性を強調している。
具体的には、設計・製造・営業・品質の部門、さらにはサプライヤーや顧客までも含めて、全員参加で製品の設計・開発を一体的に行うのである。そうすれば、製品開発のスピードは、飛躍的に速くなる。製品設計が迅速に行われれば、不測の事態や環境の激変が起きても素早く対応できる。こうして、ダイナミック・ケイパビリティが著しく高まるというわけである。
実は、このような部門を超えた協業による設計開発手法は、「ワイガヤ」とも「サイマルテニアス・エンジニアリング」とも呼ばれたりするが、わが国の製造業において育まれてきた手法であった。そして、こうした設計開発の手法がわが国の製造業において発達してきたことは、おそらく、職務権限があいまいな「柔軟な組織」であることとも関係していよう。
これに関連して、近年、ソフトウエア開発において、「スクラム」というアジャイル開発の手法が、不確実性の高い問題を解決するのに有効であるとして注目されている。実は、この「スクラム」の源流も、わが国の製造業にあるのだ。
■エンジニアリングのデジタル化は急務
さらに、近年では、こうした部門を超えた協業による設計開発の手法は、CAD/CAM(Computer Aided Manufacturing)やCAE(Computer Aided Engineering)といったデジタル技術によって「バーチャル・エンジニアリング」へと進化を遂げている。これにより、部門を超えた協業がより容易になり、設計開発のさらなる高速化が可能になっている。
しかし、残念なことに、わが国の製造業では、このバーチャル・エンジニアリングがいまだ進んでいないことが、「ものづくり白書」の調査で浮き彫りとなった。
それによると、わが国製造業のうち、3Dデータのみで設計を行っているのはわずか17.0%である(図1)。さらに、協力企業への設計指示の半数以上がいまだに図面で行われ、3Dデータによる指示は15.7%にすぎないことも明らかとなったのである(図2)。
しかし、部門を超えた協業によるエンジニアリングは、元はと言えば、わが国の製造業のお家芸であった。そうであるなら、エンジニアリングのデジタル化は、わが国の製造業が本来もっていたダイナミック・ケイパビリティを復活させ、さらには増幅させるはずである。
■日本のものづくり「コロナ危機すらも克服できる」
まとめよう。
不確実性の高い世界においては、企業の競争優位を決めるのはダイナミック・ケイパビリティである。エンジニアリングのデジタル化などによって、ダイナミック・ケイパビリティを高めた企業こそが、ニュー・ノーマルの勝者となるであろう。そのダイナミック・ケイパビリティのポテンシャルを、わが国の製造業は秘めている。
このダイナミック・ケイパビリティとは、敗戦、石油危機、円高不況、バブル崩壊、リーマン・ショック、東日本大震災等、数々の不確実性を乗り越える中で鍛え上げてきた底力である。その底力をデジタル技術によって解き放てば、この戦後最悪と言われるコロナ危機すらも克服できるはずだ。
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経済産業省参事官
1971年、神奈川県生まれ。96年、東京大学教養学部(国際関係論)卒業後、通商産業省(現・経済産業省)に入省し、現在、製造産業局参事官(デジタルトランスフォーメーション・イノベーション担当)・ものづくり政策審議室長。2000年よりエディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。01年に同大学院にて優等修士号、05年に博士号を取得。論文論文“Theorising Economic Nationalism”(Nations and Nationalism)でNations and Nationalism Prizeを受賞。著書は『日本思想史新論』(ちくま新書、山本七平賞奨励賞受賞)など多数。
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(経済産業省参事官 中野 剛志)
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