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トイレでチャチャっと15分…渡部建の不倫に、なぜ日本人が激怒してしまったか

プレジデントオンライン / 2020年6月23日 11時15分

「2014年度ジョージア魂賞」の表彰式で司会をするタレントの渡部建さん(東京都港区のグランドプリンスホテル高輪)=2014年11月27日(写真=時事通信フォト)

■経済が永い停滞状態に入ると、大衆の関心は不道徳の糾弾に向かう

渡部建氏の不倫・乱痴気騒ぎ(?)というものがこれほどテレビを騒がせるという事は、ようやく大メディアもコロナ一色の雰囲気から解放され平時に戻りつつあるという事で、逆説的に大変歓迎するべき事態である。ようやく社会がその平常化の兆しを見せているという事だ。

して、同氏に関する騒動の発端になった週刊文春の当該号を、目を皿にして読んでも、私にはこれの何が悪いのか一向に分からなかった。これだけでは参考資料としては足らないので、同氏の刊行しているいわゆる「グルメ本」を2冊読んだ。若干鼻につく部分はあるものの、どれも毒にも薬にもならぬ内容で、特段指弾されるような内容ではない。

社会から経済成長が無くなり、永い停滞状態に入ると、大衆の関心は不道徳への糾弾に向かう。宗教改革が始まる以前の中世ヨーロッパがまさにこの停滞の世紀であった。小氷期で生産力が減退し、人口増加が止まる。この時期に西ヨーロッパ(現在のドイツ、フランス領域等)で苛烈を極めた魔女狩りは、キリスト教社会で不道徳と見做された女性に向かった、と思われがちだが実際には処刑の対象には男性も数多く含まれていたのは有名なお話である。

■渡部建へのバッシングと魔女狩り

そして実際の宗教裁判では、「魔女集会に参加していたのを見た」などのトンデモな告発を根拠として拷問がなされ、大体において苛烈な苦痛に耐えきれず「魔女です」と被疑者が自白することにより決定的な有罪(極刑)が宣告されていたのである。だがこの告発の実態は、当然魔女集会を見たものなど存在しないのだから、多くは村落共同体内部における同性等からの嫉妬や怨嗟が原因であったと推察されている(森島恒雄著『魔女狩り』岩波書店)。

日本では特に1997年以降、深刻なデフレーションが続き経済が停滞している。この間、名目GDPは全く増加しておらず、ひとり頭GDPはOECD下位グループに転落した。総人口は2008年をピークに減少に転じ、出生率は下げ止まっているがそれを自然減が大きく上回る状態が継続されている。停滞を続けた中世欧州と、平成中盤以降の日本は、この部分で大きく似通っている。

私は数年前『道徳自警団がニッポンを滅ぼす』(イーストプレス)を上梓した。この本の中で、なぜ大衆は不倫に敏感に反応し、微細な不道徳に目くじらを立てる(道徳自警団)ようになったか―という原因を上記のように社会全体のゼロ成長及び停滞が決定的要因である、として結論付けている。経済成長が続いている自由国家では、経済全体が拡大し続けるので、大衆は目先の功利や損得勘定に躍起となり、功利に直接関係のない不道徳の部分は軽視される。仮に不道徳が存在してもそれが実益に関係なければ社会の中で軽視されるのは当然のことだからである。

■なぜブラピを略奪した米国女優が国連親善大使に…

例えばアンジェリーナ・ジョリーはジェニファー・アニストンの夫であるブラッド・ピットを略奪した。これは立派な不貞であり不道徳だが、アンジーは国連親善大使になってハリウッドから追放される気配はない。おおよそ俳優が業界から除名同然になるのはヘイトスピーチ等を筆頭とする差別言動によるものであるなど、O・J・シンプソンのように元妻らを射殺したなどの歴とした刑事事件で起訴され、有罪が確定した場合である(O・Jの場合は刑事で無罪、民事で有罪)。

政治家の世界にあっては、イタリアのベルルスコーニ首相は未成年者も参加した乱交パーティー疑惑や様々な性的スキャンダルがあったが、首相辞任は無かったどころか、何度も宰相に返り咲いた。ビル・クリントンは世界を騒がせたホワイトハウス実習生、モニカ・ルインスキーとの不倫行為疑惑で精液のDNA鑑定までなされ、下院で弾劾発議されたが上院では否決された。それどころか90年代アメリカ繁栄の礎を築いた大統領として今でも評価が高い。

■日本で不貞をすると一発アウトの追放処分。中世のようだ

日本では、幸か不幸かこれらの行為は疑惑の段階で「一発アウト」としてあらゆる界隈からの追放処分が待ち構えている。なぜ日本と欧米ではここまで違うのかと言えば、とどのつまり前掲したように我が国は経済成長が止まり、社会の停滞が長く続き出口の見えない中世と同様の状況に置かれているからである。

功利主義の追求は、合理的発想とほぼイコールである。いかに企業の業績を上げるか、いかに生産性を上げるかは、合理的発想を基礎として行われる。合理的発想とは科学的発想と近似的であり、その中からは不道徳、という損得に直接関係が無く統計的に示されない不確かなものは除外される。

■トイレ不倫は、刑事事件はおろか民事訴訟にもならない

こういった合理的発想は成長がゼロになると希釈化する。事実、ほぼ90年代終末まで、芸能人や著名人の不道徳はワイドショーを騒がせたものの、それは賑やかしや演出の範疇の類で、それをもって業界から追放されるという極めて他罰的な発想は希薄だった。むしろそういったスキャンダルは著名人にとっては逆説的に売名になったし、不道徳・不倫が文学の一ジャンルとして社会現象にまでなった時代もある(渡辺淳一著『失楽園』1997年、連載は95-)。こういった現象は21世紀になるとパタと止まった。同じ不倫を描くにしても、最終的には不倫した双方が身体的にも社会的にも徹底的に破滅するような設定の中で描写される傾向が強くなった(『昼顔』2014年)。通常運転なのは(極論を申せば)弘兼憲史氏の『黄昏流星群』くらいのものである。それもこれも日本経済の成長停止と驚くほどリンクするのは偶然ではない。

さて話をくだんの渡部建氏に戻そう。渡部氏は女性を呼び出しては15分ほどでコトを終わらせたり、帰り際に「またね」と1万円を渡したりしていたというが、氏の乱痴気騒ぎはその後、女性側がどう解釈しても双方の同意を得た行為であって刑事事件ではない。また、不倫は民事訴訟の対象になりえるものの配偶者と家庭内で決着が付き、それを不問に処せば民事案件ですらない。

■渡部建の自衛戦略は凡人、素人

文春の記事を受けて、問題となった六本木ヒルズの多目的トイレでの「行為」は、森ビル側が被害届を出すこともできる、というトンチキな解説をしている者がいたが、被害届は刑事告訴とは違うものの刑事案件で、仮に森ビル側が被害者とすると森ビル側に「被害」の立証責任がある。立証の根拠が「週刊誌の記事に書いてあったから」では警察は受理しないだろう。施設全体のイメージ低下につながったと無理やり難癖をつけて民事訴訟をすることは可能だが、これも渡部氏側に裁判所が賠償命令を下すか否かは極めて微妙なところだ。

なぜ渡部氏は「これはあくまで夫婦間の問題であり、極めてプライベートな問題であって、世間様に謝罪する案件ではない。これは根拠のないリンチと同じである。むしろ過度な誹謗中傷や事実と違う報道には当方が訴訟を起こして名誉を回復する」と堂々会見しないのだろうか。答えは簡単で、世間様の苛烈なバッシングを恐れているからである。

つまり理不尽な魔女狩りに抗するだけの民主的自意識がないのである。まったく情けない。「河井克行や案理こそが、血税をないがしろにした罪科で世間様の前で平身低頭謝罪するべきではないか」と堂々と自説を展開すればよろしい。ではなぜ堂々と自説を開陳できないのかと言えば、平素から自説を開陳できるだけの理論武装をまったく怠り、毒にも薬にもならないグルメレポばかりやってメディアの寵児になり、いざというときの自衛手段への想像力を欠いていたからである。これをしないところに渡部氏の限界を感じざるを得ない。自衛戦略においては、所詮は凡人、素人であったという事に尽きる。

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古谷 経衡(ふるや・つねひら)
文筆家
1982年、札幌市生まれ。立命館大学文学部卒。保守派論客として各紙誌に寄稿するほか、テレビ・ラジオなどでもコメンテーターを務める。オタク文化にも精通する。著書に『「意識高い系」の研究』( 文春新書)、『日本型リア充の研究』(自由国民社)など。

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(文筆家 古谷 経衡)

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