両親の同時介護でキャリアを諦めかけたとき、踏みとどまらせた上司の一言

プレジデントオンライン / 2020年6月24日 17時15分

鹿島建設 建築設計本部品質監理統括グループ(建築グループ)長塚直美子さん(鹿島建設提供写真)

第一線で活躍中の女性管理職のみなさんにお話を聞く、人気連載「女性管理職の七転び八起き」第15回。今回取材したのは、鹿島建設 建築設計本部品質監理統括グループ(建築グループ)の長塚直美子さん。長塚さんに突如訪れた試練は親の介護と仕事の両立。身近に相談できる人もいない中、長塚さんはどのように人生一の困難を乗り越えたのでしょうか。また、その経験をふまえた上で、今後介護と仕事の両立に悩む女性へ長塚さんが伝えたいアドバイスとは――。

■学生時代からの夢を追い「建設業界」へ

建築業界で働くことは学生時代からの夢だった。当時は女性が少ない業界だけに「閉鎖的かもしれない」と案じる女性教師の忠告もあったが、大学では設計を学んで、ゼネコンを志望する。

鹿島建設に入社したのは1992年。オフィス、ホテル、ショッピングセンターなどの商業施設からなる「東京イースト21」が完成し、「鹿島」の総力を結集した開発事業が注目された年だった。

「就職活動のころはバブル景気がはじけた時ではあったけれど、社内には活気があって、女性も多く採用された時期でした」

■「まずは挑戦する」ことを決めた30代はじめ

建築設計本部へ配属された長塚さんは、工場などの生産施設を設計するグループへ。一般職として採用されたが、職場では総合職の男性社員と同じ仕事を任されるようになった。

建築設計においては工事着工までのスケジュール管理が大変で、どうしても変更があったり、仕様がなかなか決まらなかったりする状況で締め切りに向けて業務が増えていく。着工後も現場へ度々足を運び、工程が厳しい仕事では残業続きの日々だった。

入社6年目にはマンションを主に設計するハウジンググループへ異動。企画から携わることも多くなり、仕事は充実していたが、年次を経るにつれてやはり気がかりなことがあったという。

「総合職と昇進速度が違うことは理解していましたが、職務や業務量には差がなかったので、同期や後輩男性が先に昇進していくことは少し気になっていました。一方、建築設計本部でも総合職で採用される後輩女性が増えてくるなかで、立場の違いを感じることも……。ただ仕事はまったく変わらないので、自分の業務をきちんと進めていくことを心がけていました」

最初の転機が訪れたのは30代はじめのころ。一般職で入社した女性も総合職への登用試験を受けられることになったのだ。

しかし、その時は「正直なところ、自分も受けるかどうか悩みました」と振り返る。なぜなら総合職と変わらぬ業務をこなすことに自負はあったが、家族の将来なども考えると、仕事と両立していけるか不安を感じた。総合職になれば責任も増すだろうと悩み、上司に相談したところ、「せっかくのチャンスなのだから、自分のライフスタイルを先々まで考えても仕方ないと。『まずは挑戦しなさい!』と背中を押してもらえたので」と長塚さん。

2003年に総合職への登用試験に合格。携わる業務は変わらなかったが、自分の中ではモチベーションがさらに高まったという。

■母が認知症に。父が余命一年と宣告を受ける

秋葉原のランドマークとなった「東京タイムズタワー」をはじめ、都心の超高層タワーマンションを手がけ、その後は八王子や伊勢崎のショッピングモールなど商業施設の設計を担当するようになった。

設計から建物竣工まで、大規模な事業では2、3年以上のスパンで取り組むことになる。体力勝負のハードな現場を数々乗り越えてきたが、やがて思いがけない困難が待ち受けていた。親の介護に直面し、一時は異動も覚悟したという。

母親が認知症とわかったのは2008年、総合職に転じて5年ほど経ったころ。認知症になると記憶障害があらわれて、新しいことが覚えにくくなる。料理などの家事や日常のことが少しずつできなくなっていき、本人もとまどいや不安を抱えこんでしまう。母にもそうした症状が徐々に出てくるなか、千葉の実家で父親が付ききりで看ていた。東京都内で一人暮らしをしていた長塚さんも週末には必ず帰るようにしていたが、ついに実家へ戻らざるをえなくなったのだ。

認知症の母を看ていた父が末期がんを患い、「余命一年」と宣告される。それを機に実家に戻り、両親の介護を尽くそうと決めた。

「実家からは通勤に片道一時間半ほどかかるので、どんなに遅くても夕方6時半には退社しなければいけません。そのため上司に相談し、現場を持たないフェーズの仕事を担当させてもらうことに。さらに、なるべく残業が少ない業務になるような配慮もしてもらえました。ただ、自分も周りに負い目があって、途中でいろいろ考えた末に他の部署への異動を打診しました。ですが、その時の上司に『一度異動してしまうと、介護が終わったときに同じ席に戻りたいと言っても、うまく戻れるかどうかわからない。このまま続けた方がいいのではないか』とアドバイスをいただいて、同じ部署に残らせてもらうことになりました」

母親が要介護になってからは地域のケアマネジャーに相談し、いろいろな介護保険サービスの利用を検討した。だが、気丈な母は他人の世話になることを受けつけず、訪問介護を受けるのも嫌がってしまう。持病があってインシュリン注射などの医療的ケアも欠かせなかったので、日中は父に任せ、同居する弟と協力しながら、家族だけで母を看ていた。

■介護と仕事をどのように両立していくか? 試行錯誤の日々

しかし、末期がんを告知された父の容態は刻々と悪くなっていき、翌年には帰らぬ人となった。その悲しみも癒えぬまま、弟と二人で母の介護に追われていく。さすがに付ききりではいられないため、昼間はデイサービスの施設へ通ってもらい、朝晩はホームヘルパーさんも頼み、なんとか在宅介護を続けた。それは精神的にもいちばん辛い時期だった、と長塚さんは洩らす。

「周りで同年代の人たちはご両親もお元気なので、あまり相談できないし、ひとり手探りでやっていたのが辛かったですね。仕事の段取りをしても、母の具合が悪くなったり、突発的な出来事が起きてしまったりするので、自分のスケジュール通りには決して進まない。介護の場合はどう変化していくのか先も見えないので、気持ちが後ろ向きになりがちで……」

会社でも介護休暇制度はあったが、母の介護がいつまで続くか予想もつかず、使うタイミングを計りかねていた。そんな状況のなかでいかに仕事と両立していくか。長塚さんは弟と相談して、一週間ごとにお互いのスケジュールを確認し、「○曜日は30分残業できる」などと調整していく。仕事だけでなく、それぞれ自由に過ごせる休日をつくり、息抜きできる場を持つよう心がけた。時間の使い方もより考えるようになったという。

「職場で、今までは自分が任されたことをがむしゃらにやっていれば良かったけれど、介護を始めてからは周りの協力がないと続けられなかったと思います。限られた時間の中で効率よく進めていくには、どうしてもお願いしなければいけないことが生まれる。だから、一人で抱え込まず上司に相談し、周りにもオープンに話していました」

■昇給試験が転機に。仕事を続けてきた今、思うこと

仕事で次なる転機が訪れたのは2014年末、会社から昇級試験の知らせを受けたのだ。在宅介護を続けてほぼ2年、自分にとっては働き方を変えざるを得ない辛い時期でもあっただけに、「このチャンスを逃したくない」と試験に臨んだ。

母を看ながら勉強を続け、論文を書く時だけは一人暮らしの自宅へ戻って集中する。翌2015年1月に試験を受け、その春にはチーフに昇進。入社24年目に管理職となった。

「それまで自分が積み重ねてきたことが評価され、一歩先へ進めたのは嬉しかったですね」と長塚さんは微笑む。

実はその頃、母親の症状はさらに進み、家で看るのもいよいよ限界になっていた。半年ほどの入院の末、この年の夏に母は他界した。それでも最後まで弟と二人で母を看てきたことで、できる限りのことは尽くしたという思いがあったと顧みる。

2年半にわたる介護の日々を終えて、長塚さんはまた現場を持つフェーズの仕事に復帰。大規模な物件を担当するなかで、チーフとして後輩を指導していく立場になった。

かつて介護の渦中、一度は他の部署への異動も思い悩んだが、もしあのまま離れてしまっていたらどうなっていただろう。

「介護ばかりに専念していたらもっと煮詰まっていたでしょうし、仕事をしているからこそ気持ちも前向きに切り替えられた気がします。なにより自分がせっかく積み上げてきたものが途切れてしまうのは辛いこと。同じ仕事を続けてこられたことが今に生きているので、悩みながらもつづけて本当に良かったなと思います」

打ち合わせ
鹿島建設提供写真

■今度は自分が力になりたい

今年4月に部署を異動。自分が設計担当した仕事をもって、次は着工後に工事を監理する業務を任される。本部内でも新しい試みで、設計を熟知する人材が工事監理に携わることで「その架け橋になってほしい」と期待されての異動だと上司から知らされた。

それは新たなチャレンジだけに、緊張と希望が入り混じる。入社以来、「建築設計」の仕事に誇りをもってきた長塚さんにとって、その醍醐味はどこにあるのだろう。

「私たちの仕事は、オフィスビルや商業施設など建築物ができていく過程に最初から最後まで立ち合える。それが完成した時の充実感、そして多くの人たちと協働できる喜びがあるんです」

その喜びがあるから厳しい仕事にも耐えられるし、親の介護で辛かった時期も乗り越えられた。もし周りに同じ悩みを抱える人がいたら、今度は自分が少しでも力になりたいと長塚さんは願っている。

(歌代 幸子 文=歌代 幸子)

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