「コロナ疲れ」でまたもや迷走が始まった英国のEU離脱
プレジデントオンライン / 2020年6月24日 15時15分
■WTOに則った貿易が英国とEUに与える問題点
新型コロナウイルスの感染拡大が徐々に収束するにつれ、コロナ以前からのトピックが色々と息を吹き返している。米中摩擦や北朝鮮情勢、中東の地政学といった諸問題がそれにあたるが、そのうちの1つに英国と欧州連合(EU)の通商交渉がある。今年1月末でEUから離脱した英国は、新たにEUとの間で通商協定を締結する必要がある。
英国は今年いっぱい、EU離脱に伴う通商環境の激変緩和措置として、EUの関税同盟にとどまることが許されている。いわゆる「移行期間」であるが、この期間を過ぎると英国はEUの関税同盟から離脱し、世界貿易機関(WTO)が定めたルールに則った貿易取引をEUとの間で行う必要に迫られる。それでは、一体それの何が問題なのだろうか。
ラフに言えば、WTOルールに則った貿易を行う場合、英国とEUの間で関税が復活することになる。そして関税が復活することで、輸入品の価格は上昇する。加えて、税関審査のプロセスが必要となるため、流通や行政のコストが増えることになる。要するに輸入するモノの価格が上昇し、購買力が低下するという問題が発生するわけだ。
この問題に伴う経済への悪影響は、英国の方がEUよりもはるかに深刻だ。英国の貿易は輸出と輸入の両面で、大半がEU向けとなっている。当然、EU向けの貿易は輸出よりも輸入が多く、英国の経済活動はEUからの輸入によって成り立っている。そのコストが増える事態を回避すべく、英国はEUとの間で新たな通商協定を結ぶ必要があるわけだ。
■失態続きのジョンソン政権に有権者が不満
通商協定は本来、交渉の開始から発効までどんなに順調でも2~3年の期間を要する。2月からスタートした英国とEUの通商交渉だが、わずか1年足らずの間で発効を目指そうという英国の方針は、誰がどう考えても野心的過ぎる。そのため移行期間を延長するか、諦めてWTOルールに則った貿易を行うかの2つのシナリオに、注目が集まった。
さらにこのコロナ禍で、英国とEUはビデオ会議での交渉を余儀なくされた。ただでさえデリケートな交渉を対面で行えない状況で、交渉に進展などあるわけなかった。にもかかわらず、6月12日に英国はEUに対して移行期間を年内で打ち切ると通告、通商交渉が合意に達しない限り年明けからWTOルールによる貿易取引を行う方針を示した。
英国が強気のスタンスに出た背景には、何よりもジョンソン政権の支持率がコロナ禍で低下したことがある。世論調査会社ユーガブによると、ジョンソン政権の支持率は3月頭には51%まで上昇していたが、直近6月頭の調査では39%まで低下した。新型コロナ対策での対応の不備が有権者の不満につながったかたちだ。
特に、ジョンソン首相の私的アドバイザーであるカミングス首席顧問が、都市封鎖(ロックダウン)が敷かれたにもかかわらずプライベートな理由で遠出していたことは、有権者の政権に対する不信を生んだようだ。ほかにも、当初の集団免疫路線の失敗、担当閣僚の責任転嫁発言など、ジョンソン政権はこのところ失態続きだった。
■「離脱疲れ」から「コロナ疲れ」へ
ジョンソン政権の岩盤支持者層の多くは、EU懐疑論者でEU離脱を指示した保守党の古参支持者だ。彼らにとって、移行期間の延長を申請することは、英国がEUの軍門に下ったことを意味する。支持率が低下したジョンソン政権は岩盤支持者層向けのアピールに努めなければならず、その意味で移行期間の打ち切りは当然の選択だった。
しかしながらユーガブが6月10日に発表した世論調査によると、保守党支持者の54%が、移行期間の終了と同時にEUとの間で新協定が結ばれることを望んでいることが明らかとなった。一方で、WTOルールの受入を支持する声は29%にとどまったことから、保守党支持者の大半が新協定の締結を願っていると理解していいだろう。
つまり古参の岩盤支持者層だけを優先すると、より穏健な志向の保守党支持者の民意を取りこぼすことにつながるというジレンマに、ジョンソン政権は直面しているのである。ジョンソン首相の強権的な姿勢は、有権者が「離脱疲れ」を起こしていたときには上手く機能した。とはいえ今回、有権者は深刻な「コロナ疲れ」の状態にある。
英国の失業率は政府の支援策もあって足元では上昇しておらず、雇用は安定している。しかし今後は、企業がリストラを進めていく過程で雇用は悪化が進むと予想される。すでに有権者のコロナ疲れは深刻だが、先行きそれがますます強まる恐れがある。そこにWTOルールの適用というショックを与えることなど、果たしてできるだろうか。
■マーケットの動揺で円高が進む可能性
もちろん、急転直下、英国とEUが通商協定で妥協する可能性もなくはない。7月は毎週、英欧は交渉を行う予定だ。とはいえ両者の認識の隔たりは大きく、妥協が直ぐ成立する見込みは立たない。それに協定で合意できたとしても、それを年明けから発効できるかどうかは別問題であるし、実現できたとしても天文学的な確率だろう。
確かに英国はEUに対して移行期間の年内打ち切りを表明したが、一方でEUは延期の門戸を開き続けている。ジョンソン政権としては、国内の岩盤支持者層に対するアピールの観点から、EUに対して強硬な姿勢を堅持するとみられる。しかし同時に、その裏で、移行期間の延長に関する協議を重ねる可能性が高い。
英国の一連の離脱関連法には、移行期間を延長しない旨が明記されている。とはいえこれは、改正すれば幾らでも破棄できる性格でもある。そのため、延長のハードルはそれほど高くはない。そうであるからこそ、伝家の宝刀は最後まで抜かず、年末のぎりぎりまで通商協議を続けたいという思惑を、ジョンソン政権は持っているのだと考えられる。
移行期間の年内打ち切りというメッセージは、本来ならマーケットの動揺を誘っても良いものであった。しかし実際は、マーケットは特に反応せず、ポンド安や株安が進んだわけでもなかった。投資家の多くが、ジョンソン政権が移行期間の年内打ち切りを表明することを十分に想定していたということなのだろう。
むしろ残り半年の間、情勢が二転三転する可能性を投資家は見越していると考えられる。もちろん、通商協議が破談となりWTOルールを受け入れる可能性が意識されれば、マーケットは動揺しポンド安が進むだろう。当然、グローバルなリスクオフの起点となり、円高が進む要因になり得る問題である。引き続き動向をウォッチしたい。
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三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 研究員
1981年生まれ。2005年一橋大学経済学部、06年同大学院経済学研究科修了。浜銀総合研究所を経て、12年三菱UFJリサーチ&コンサルティング入社。現在、調査部にて欧州経済の分析を担当。
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(三菱UFJリサーチ&コンサルティング 調査部 研究員 土田 陽介)
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