「女の子なのになぜできない」発達障害の女性を襲う"二重の苦しみ"

プレジデントオンライン / 2020年7月2日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hakase_

発達障害を抱える女性は、男性よりも生きづらさを感じるケースが多いという。なぜなのか。精神科医の岩波明氏は「女性として求められる役割が多い上、空気を読めないことで『女の子なのに』と責められてしまう。これはとてもつらいことだ」と指摘する——。

※本稿は、岩波明『医者も親も気づかない 女子の発達障害』(青春出版社)の一部を再編集したものです。

■女子の症状は男子ほど目立たない

最初にお断りしておきたいのですが、人数の上で、男性よりも女性に発達障害が多い、という事実はありません。

明らかにASD(自閉症スペクトラム障害)は男性優位です。さまざまなデータがありますが、ASDについては7~8割以上が男性、あるいは9割が男性という報告もあります。ADHD(注意欠如多動性障害)は、以前は男性に多いとされていましたが、今ではそれほど男女差がないことがわかっています。数は多いとは言えませんが、「女性の発達障害」には独特の悩みがあります。

そのひとつは、「見逃されやすい」ことです。そのため発見が遅れがちです。ASDはそもそも女性は少ないため、これは特にADHDが中心の話になります。

ADHDの特徴である多動・衝動性は、幼少期や児童期の男子によく見られるものです。その特徴として、授業中にじっとしていられない、よくケンカをする、感情が爆発する、といったことがあげられます。このような症状によって、発達障害を抱えていることを周囲も気がつきやすいのです。

それでは、女性においてはどうでしょうか。もちろん、ADHDの女子に多動・衝動性がないわけではありません。基本的な症状は男性と同じです。しかしその程度は軽く、一般的に男子ほどは多動・衝動性が目立ちません。また筋力も男子ほどではないため、もし暴力的な行為があっても大きなトラブルに発展することはまれです。学校の先生も、きつく叱ることはないでしょう。

■社会に出て初めて「生きづらさ」を感じる

またASDにおいても、同様のことが見られます。ASDの女子は比較的症状が軽度で男子のように目立つ問題を起こすことは少ないため、単に「おとなしい女の子」として扱われていることが珍しくありません。

このような理由から、どうしても女性の発達障害は見逃されやすく、実際よりも女性において頻度が少ない、と判断される傾向があるのです。そうして発達障害の発見が遅れることになると、対応が後手に回りがちです。

本来なら、早くから自分の特性を理解して、「こうすれば楽に生きられる」という対応策を身につけていくのが理想です。あるいは自分の特性を逆手にとって、ポジティブに利用していくことも可能となります。

けれども、発達障害の女性は、自らの特性によって、人とのコミュニケーションにおいて深刻なトラブルを招きやすいことや、苦手なことがあるということを理解しないまま思春期を迎え、やがて社会に出ていきます。多くの場合、この時点で初めて、「生きづらさ」を強く感じるようになるのです。

さらに、結婚して妻、嫁、母など求められる役割が増えるにつれて、その生きづらさも増していきます。仕事や家事、育児に難しさを覚えてから、ようやく自らの発達障害を自覚するケースは珍しくありません。

■「女の子なのに」と責められてしまう

女性の発達障害ゆえの悩みの、もうひとつ大きな問題としてあげられるのは、周囲から「責められやすい」ことです。

発達障害が原因で社会生活に問題が生じると、周囲から「だらしないからだ」、「努力不足だ」と責められることがしばしばあります。

それがもとで自己否定的になりがちで、自己評価が低くなり、うつ病や不安障害など、精神的な不安定さを二次的にきたすことも珍しくありません。このような二次的な障害については、それだけを見れば、女性も男性も同様に見られます。しかし、女性のほうが「女の子なのに」と強く責められる傾向にあることが大きな問題です。

日本社会においては、男女のジェンダー・ロール(性役割)が非常に固定的です。明るくて、にこやかで、気配り上手で、常に男性を立てる。そんな女性像に縛られています。いわゆる「やまとなでしこ」が、いまだに日本女性の理想像なのです。日本の男性は、若い世代においても、このようなイメージを女性に求めていることが珍しくありません。

「家事は女性がやるべし」という風潮も、男女雇用機会均等法が施行されて30年以上が経つにもかかわらず根強く残り、男性側もそれが当然だと思っています。夫婦共働きの家庭においても、多くの場合、家事と育児は妻が担当しているのです。夫が家事や育児に協力しているといっても、ほんのわずかな部分しか担っていないケースがしばしば見られます。

ところが、発達障害の女性の特性は、そうした「男性が求める女性の役割」とは正反対であることが多いのです。それが「女性なのに」と責められる原因です。結婚して妻や嫁、母など求められる役割が増えると、それが顕著になります。

■段取り下手、遅刻癖、協調できない…

幼少期には見逃されやすい女子の発達障害。彼女たちの問題が顕在化してくるのは、多くが思春期に差しかかってからです。

通常の知的能力の持ち主なら、発達障害の症状があっても、本人の努力で対応できる範囲も少なくありません。多くの場合、小中学校あたりまでは、そこそこ乗り切れることが多いようです。

例えば、ADHDの特性により試験でケアレスミスを連発しても、問題を解くスピードが速ければ、そのぶん見直しに時間をかけることで修正がききます。しかし思春期以降は、しだいに勉強が難しくなり、対応が追いつかなくなります。その頃にはクラス内の人間関係も複雑になっています。しぐさや表情から相手の気持ちを読み取れないASDの人は、周囲から「変わった人」と扱われることも増えてきます。

ADHDの人も、衝動的で自己中心的な振る舞いが原因で孤立することがあります。また思いつきの発言が多く、人間関係を悪化させるきっかけになりやすいのです。

こうして社会の荒波にさらされるようになると、いよいよ発達障害の特性がはっきりしてきます。段取り下手でスケジュールが守れない、予定が狂うとパニックを起こす、遅刻を繰り返す、などです。あるいは、周囲と協調することができない、上司の指示に従えないなどの問題も見られるようになります。

発達障害の人の多くは、標準以上の知能を持っています。そのため、ある程度の業務はこなせるのですが、得手不得手は明らかです。社会人1~2年目で不適応を自覚して、精神科を受診するというパターンが目立っています。

■「女性」の「日本人」は二重の苦しみ

発達障害というと、「空気が読めない」「相手の表情、しぐさを読み取れない。言葉のニュアンスがわからない」といった症状をイメージする方が多いようです。特にASDにはその傾向があります。

もともと日本人の会話は、物事をハッキリ言わずに雰囲気やニュアンスで伝えようとする傾向があります。アイコンタクトで暗黙の了解を求める、なんとなく「わかってるよね」で済ませる、会議やミーティングでは特定の人が口火を切るのを待ってから話す、などが典型です。上司が詳しい事情を説明せず、ただ「うまくやって」としか言わないことも珍しくありません。

ところが、ASDの人はこうしたニュアンスを察知できません。そのため「どうしてみんな黙ってるの?」、「はっきり説明をしてください」などと、ひとりで問い詰めることがあります。

表情や言葉のトーンから相手の気持ちを読み取るノンバーバル(非言語的)なコミュニケーションを苦手としています。そのため、人の言葉を額面通りに受け止めてしまいます。同じ「イエス」でも本気のイエスか、ノーを含むイエスか、いろいろなパターンがあるのが日本人の会話ですが、ASDの人にとっては、「イエス」と言われたらイエスなのです。そのため、お世辞や社交辞令も真に受けてしまいます。

■「同調圧力」を読み取れず生きづらい

ちなみに、ADHDの人も同じように「空気を読めない」人に見られることが少なくありませんが、ASDとは、その原因が異なっています。

ADHDでは「相手の都合など考えず、思いついたことを言わずにいられない」傾向があります。ASDの人が「空気を読めない」のは他人への無関心によるものですが、ADHDの人が「空気を読めない」のは、その衝動性から「空気を読もうとしない」ことによるものです。

また彼らは相手の話をきちんと聞こうとしないで一方的に主張することが多いため、ASDと同様に「空気が読めない」とみなされることもしばしばです。表面的には、ASDとADHDは似たような行動パターンを取るため、周囲からはなかなか区別がつかない場合が多いようです。

日本人は、「みんな一緒」が前提です。肌の色も住んでいる家も、見ているテレビ番組も似たようなもの。こうした同質性が高い社会では、ちょっとした違いが大いに目立つのです。そのちょっとした違いに敏感であることが、「日本人らしい繊細さ」という美徳につながるのかもしれませんが、それが苦手な発達障害の人は、「変な人」扱いをされてしまいます。これはつらいことです。

地域や職場などの集団において、何かの意思決定を行う場合に、少数意見を有する者に対して、暗黙のうちに多数意見に従わせようと作用する強制力を「同調圧力」と呼んでいます。海外と比較して、日本社会ではこの同調圧力が強いことが指摘されていますが、それを読み取れない発達障害を持つ人には、生きづらい社会であることは明らかです。

■多くの人が発達障害的な特性を持っている

周囲の無理解の背後には、精神疾患全般に対するタブー視もありそうです。ある女性は、夫に発達障害を打ち明けたとき、「気持ちわりい」と言われたそうです。精神疾患を何か「汚らわしいもの」とさえ感じ、全否定してかかる人は確かに存在しています。それは、「発達障害はまれなもの、自分とは無縁のもの」という大きな誤解のせいかもしれません。

岩波明『医者も親も気づかない 女子の発達障害』(青春出版社)
岩波明『医者も親も気づかない 女子の発達障害』(青春出版社)

事実は正反対です。むしろ、発達障害はまったく珍しくない疾患であり、また誰しも発達障害になる遺伝子を持っているとさえ言えます。

前述したように、ADHDの特性を持っている人は、人口の5%ほどだと言われていますし、日本だけでも少なくとも500万人以上いると推定されます。さらに、ADHDという診断に至らないだけで、ADHD的な特性によって日常生活に支障をきたしている「境界域(いわゆるグレーゾーン)」の人を含めれば、もっと多いはずです。濃淡はあっても、かなり多くの人が発達障害的な特性を持っているのです。

両親が健常でも、ADHDやASDの子が生まれてくることも見られます。このように発達障害は、レアな存在ではありません。むしろ、ありふれたものです。全否定する姿勢は完全な誤りです。

■知的障害のない人がほとんど

かつては「発達障害=知的に障害がある」という認識がありました。実際、知的障害を伴うケースも見られます。特にASDの重症例である自閉症は、知的障害を伴う率が高く、長期の療育を必要とし、彼らのための施設もあります。

しかし、最近問題になっている発達障害は、知的障害のない人がほとんどです。私の経験でも、発達障害の専門外来にやってくる人の95%は知的に正常か、それ以上の知能の持ち主で、学歴もほとんどが大卒です。有名大学を卒業している人も数多くいますし、医師や弁護士などの専門職についている人も珍しくありません。

また、ADHDの「不注意」の特性によって学校の勉強に集中できず、成績が悪い人であっても、実はIQ(知能指数)を検査すると標準以上だったりします。

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岩波 明(いわなみ・あきら)
精神科医
1959年、神奈川県生まれ。医学博士。東京大学医学部卒業後、都立松沢病院などで臨床経験を積む。東京大学医学部精神医学教室助教授、埼玉医科大学准教授などを経て、2012年より昭和大学医学部精神医学講座主任教授。2015年より昭和大学附属烏山病院長を兼任、ADHD専門外来を担当。精神疾患の認知機能障害、発達障害の臨床研究などを主な研究分野としている。著書に『天才と発達障害』(文春新書)、『精神鑑定はなぜ間違えるのか?』(光文社新書)等がある。

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(精神科医 岩波 明)

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