シリアの警察を空手でボコボコにした酔っぱらい日本人の正体

プレジデントオンライン / 2020年7月3日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/narxx

アラブ地域での空手の競技人口は200万人にも上る。日本の武道が広まった背景には、シリアに派遣された空手家・岡本秀樹の存在があった。だが、当初集まった生徒は3人だけ。現地の生活に嫌気がさし、帰国を決めた岡本がとった行動とは——。

※本稿は、小倉孝保『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■教えたいのに生徒が集まらない

1970年5月。青年海外協力隊(JOCV)の隊員として岡本秀樹がシリアに派遣され半年近くが過ぎようとしていた。彼はこのとき28歳、空手を始めて12年になる。

時代錯誤の高下駄に「蒙古放浪歌」。しかも何を思ったか岡本は羽織袴(はかま)姿である。通りを行き交う地元住民が、怪訝(けげん)な顔でこの男の通り過ぎるのを見るのも無理はない。

一方、こうした芝居がかったことをしている岡本本人には時代錯誤の思いは微塵(みじん)もない。体中を突き抜けんばかりに沸き起こる怒りに自分が抑えられなくなっている。

岡本はこの国の若者に幻滅していた。シリアの警察学校で空手を教えていたが、この伝統武道の知名度は低く、生徒が集まらない。ブルース・リーの主演映画「ドラゴン危機一発」が香港で大ヒットするのは翌71年である。当時のシリアでは戦える技としてはボクシング、レスリングが主流であり、続いて自己防衛としての柔道があった。

そんな中、シリアが警察学校での教科に空手を選び、最初の指導員として岡本を受け入れた。彼はここを拠点に、いずれは全アラブ世界に空手を広めてやろうと思っていた。

■50人集まるはずが、生徒は3人だけ

ただ、現実は甘くない。ダマスカスに到着早々、道場を見てみると、倉庫のようなところにコンクリート敷きである。すでに柔道場には畳が入っていたが、空手のためには板張りさえなかった。稽古はコンクリの上ですることになる。

それでも屋根は付いている。指導できないことはない。コンクリ敷きの道場でまずは1週間、オリエンテーションをやってはみたが、生徒は来ない。オリエンテーション期間が終わり、本格指導に入っても、やって来た生徒は3人である。警察学校長のワリード・ハンマミエから、「50人程度は集まる」と聞いていたのとは随分状況が違う。岡本は校長を問い詰めた。

「どうなっているんだ。生徒が来ないじゃないか」
「オカモト、みんな遊びに行ったり、柔道を見に行ったりしている。空手なんかしたくないと言っている」
「したくないって、そんな話あるか」

怒っていても仕方ない。集まった3人を相手に指導しようとしたが、今度は生徒に絡まれる。

「オイ、早く、親父を呼んで来い」
「親父を呼んで来い、とはどういうことだ」
「お前、がきだろう」

岡本は童顔だった。体毛も濃くなく、ひげもはやしていない。アラブ世界では成人すると、鼻の下やあごにひげを蓄える習慣がある。ひげは男らしさをアピールする象徴でもある。ひげのない岡本を見て生徒たちは、「がき」と言ってからかうのである。

1週間ほどしても生徒は集まらず、たまにやって来る生徒も真剣に稽古しようとしない。

■日本外交官からの小言にも疲れ果てて

岡本は現地の日本人外交官とのやりとりでも疲れ果てていた。岡本の月給は170ドル。ボランティア・レベルでの派遣である。彼は隣国レバノンのベイルートでアラブ人や欧米人相手に空手を個人指導しアルバイト料を稼いでいた。ベイルートには当時、日本食材を売る店があった。毎週、ベイルートで空手を教えた小遣いで日本食材を買ってくるのが楽しみだった。

これに対し大使館から「派遣の条件に反する」と批判が出た。派遣中に他国に出るには大使館への届けが必要で、アルバイトは禁じられている。アラビア語を専門とするある外交官が岡本を目の敵にし、彼のやることなすことに、「岡本君、それはだめだぞ」と厳しく注意していた。

シリアの若者に対する幻滅、自国外交官からの小言、そして、思い描いたように進まない空手指導。岡本はついに帰国を決意した。

「去勢された連中に日本武道の精神を植え付けようと思った自分がばかだった」

岡本は警察学校宿舎で酒をあおっているうちに怒りが増幅されてきた。ビールにアラック(地元の蒸留酒)、ワイン、ウイスキー。ぐいぐいと飲むにつれ気持ちは大きくなる。

日本から持ってきた羽織袴を着ると下駄をはいて外に出た。もう日本に帰ろう。ただ、帰るにしても、自分を小馬鹿にしたあの外交官を許すわけにはいかない。最後にあの男を殴り倒さねばならん。それをせずに帰ったのでは、負け犬がきゃんきゃんと逃げ帰るのと同じだと岡本は思った。

「ふざけた野郎だ。外交官だと思ってお高くとまりやがって」

カランコロン。岡本は外交官が住む地域に向かって下駄の音を響かせた。

■外交官の車の窓ガラスを「蹴り」で粉々に

外交官居住区に着いてはみたが、目的の外交官がどこに住んでいるかがわからない。名前を叫び、「出てこい、こらっ」と叫んでみるが、呼ばれた相手が出てくるはずもない。日はすっかり落ち、のどかな残光がダマスカスの街並みを照らしている。岡本のこうした行動を目撃していたただ一人の日本人が貞森裕だった。彼は岡本と同時期に警視庁から柔道指導員として派遣されていた。岡本は外交官が出てこないことにいらだってくる。

「貞森君、あの男(外交官)の車は日産のブルーバードだったよな」
「確か、そうです」

年下の貞森が丁寧に答えるのを聞き、岡本は周囲を探した。ブルーバードが一台停まっていた。プレートを見ると外交官ナンバーである。

「あった、あった。これだ、これだ」

と言うや岡本は窓ガラスに向けて蹴りを入れた。「パーン」。ガラスが大きな音を立てて割れる。

「おっ、貞森君、俺の腕も捨てたもんじゃないな」

岡本は次々と回し蹴りをする。数秒の間にブルーバードの窓ガラスは全部、割れてしまった。

「よし、俺の腕はしっかりしている」

と岡本は高笑いする。これで気が晴れた。いよいよ帰国である。

■来るなら来い。やってやろうじゃないか

岡本が宿舎に引き上げようとすると騒ぎを知った警察官3人が駆け寄ってきた。

小倉孝保『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』(KADOKAWA)
小倉孝保『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』(KADOKAWA)

「シーニー(中国人)か」と警察官が聞く。

「何だと。俺はヤバーニ(日本人)だ」

誇れることなど何一つしていない岡本が、なぜか胸を張って主張する。酔っているこの男を警官が取り押さえようとしたそのときだった。岡本の回し蹴りがパン、パン、パンと音でも鳴らすように3人のあごに入った。3人はそのまま倒れた。

「うん、貞森君、俺も捨てたもんじゃない」
「岡本さん、これは来ますよ。機動隊が」

岡本はいまさら逃げる気はなかった。強制送還してもらった方がいいと思っている。

「機動隊でも何でも、来るなら来い。やってやろうじゃないか」

岡本はまた下駄を鳴らしながら歌う。「蒙古放浪歌」である。

人と生まれて
情はあれど
母を見捨てて
波こえてゆく

岡本の大きな声をかき消すようにサイレン音が近づいてきた。

「おう、来たな」

岡本がサイレンの鳴る方を見るとトラックだった。

「これは大分、大勢で来たな」

■銃を持った機動隊相手に素手で殴る、蹴る

岡本の横でトラックが止まる。荷台からぞろぞろ機動隊員が降りてきた。みんなカラシニコフ銃を抱えている。身体の大きな若者ばかりである。十数人はいるだろう。機動隊員が取り囲むようにして岡本を押さえにきた。

そのときだった。岡本の突き、蹴りが次々と隊員に入る。何人かは完全に倒れている。それでも向こうは多数である。岡本も殴られ、蹴られる。そして、このあたりから岡本の記憶は飛んでいる。気づいたら警察学校の将校宿舎で横になっていた。

翌朝、岡本は大使館からの連絡で目を覚ました。大使がかんかんになって怒っているという。

後からシリア国家警察幹部に聞かされた話では、岡本は機動隊十数人を相手に大立ち回りを演じ、隊員たちを次々と殴る、蹴る、そして、殴られ、捕まりそうになると道路端の木に登って、上から飛び蹴りを食らわした。押さえ込まれるとかみつき、急所に蹴りも入れたという。カラシニコフの銃口を向けられてもひるむことなく暴れ回った。機動隊側としても、単身素手で暴れる日本人相手に多勢の側から銃を使うわけにはいかないと判断している。

■日本大使館にとっては大問題

1時間近くの乱闘の末、岡本は身柄を拘束され、いったんは近くの警察署に連行され留置場に入れられそうになりながら、ことを穏便に済まそうと考えた警察学校長の指示で宿舎に戻されたらしい。

日本大使館にとっては失態、大問題である。派遣した指導員が大げんかをした末、現地の警官を負傷させた。警官3人のほか機動隊員数人も病院で手当てを受けたらしい。本来なら逮捕されても仕方なかった。

事情を知った大使は岡本を帰国させることを決めた。シリア政府への謝罪の意を示すためにも、岡本に責任を取らせる必要があった。任期途中の帰国になるが、岡本はもとより覚悟していたことである。ただ、くだんの外交官を殴れなかったことが心残りだった。

派遣契約は解除されることになった。書類に署名するために、岡本は大使館に行こうと思った。ただ、冷静になって考えてみると警官や機動隊員には悪いことをしたと反省する気持ちが湧いてきた。彼らは何も悪いことをしていないのに、殴られたり蹴られたりしている。とんだ災難だったなと岡本は反省し、まずは警察学校に寄って校長に謝ろうと思った。

岡本は同じ宿舎に暮らす貞森に言った。

「これから警察学校に行って、謝ってくる」
「岡本さん、その前に鏡を見た方がいいですよ」

貞森に言われて岡本が鏡をのぞき込むと、自分の顔とは思えないほど腫れている。こめかみのあたりにはべったりと血も付いている。

「こりゃ、大分やられたな」

貞森によると、岡本は最後にはぼこぼこにやられ、あばら骨の1本や2本、折れていても不思議でないほどだったらしい。

■帰国しようとしたら「ちょっと待ってくれ」

岡本は顔を洗って血を落とすと、50ccのバイクにまたがりすぐ近くの警察学校に向かった。学校に着いてハンマミエの部屋に入る。彼も岡本を待っていた。

部屋に入った岡本の顔を見て、校長もぎょっとしている。驚くハンマミエに岡本が言う。

「校長、帰国することになりました。すみません。ちょっと昨日はやり過ぎました」
「帰るのか」
「大使から帰れと言われ、これから帰国の手続きのため大使館に行きます」
「大分、飲んだようだな。何を飲んだんだい」
「ビール、ワイン、アラック、ウイスキー。よく覚えていないほど飲みました」
「はーん、そうか。それが悪いんだ。オカモト、お前が悪いんじゃない。酒が悪いんだ。酒はミックスしてはいけない。それが、悪かったんだ」
「いや、酒のせいと言っても、やっぱり飲んだ自分が悪かった」

大立ち回りに関係なく、岡本は帰国するつもりでいる。それよりもハンマミエがあまりに穏やかなことが岡本にとっては不思議だった。「では、そろそろ」と部屋を出ようとした岡本にハンマミエが言った。

「ちょっと待ってくれ」

校長は急にまじめな顔になると、机上にあった内線電話で話し始めた。

■「オカモト、君は帰国できない」

「オカモトが帰国すると言っています」

やりとりを聞いていると内務省の教育担当幹部と話しているようだった。

「はい、はい」

とハンマミエが緊張しながら応対している。岡本は様子がおかしいと思った。「帰国させるな」ということだろうか。責任を取らせろと言っているのかもしれない。器物損壊、傷害、公務執行妨害。このまま身柄を拘束されても不思議ではない。ちょっとやっかいだなと岡本は思った。ハンマミエが電話を切り、岡本に告げる。

「オカモト、君は帰国できない」

逮捕されて聴取でも受けるのかと思った彼に、ハンマミエは予想もしなかったことを口にした。

「昨日の件は内務省にも報告が上がっている。その結果、空手は実戦に使えると内務省は判断した。君は警察学校で空手を教えなければならない」

シリア側の反応に岡本はきょとんとするばかりだった。殴る蹴る、車のガラスは割ると大暴れしたにもかかわらず、この国の内務省はその責任を問うどころか、「実戦に使える」と判断している。岡本には理解できない反応だった。

■シリア政府が日本側に提案した条件

「内務省の判断はありがたいですが、大使から帰国を命じられています」
「帰国命令なんて人が作ったものだ。何とでもなるだろう。昨日の暴力については内務大臣が特別に許すということだ」
「でも、私は日本政府から派遣されています。大使から帰国を命じられたのに残るわけにはいきません」

これを聞いたハンマミエは再度、内務省に電話し担当部局とやりとりした。ハンマミエは姿勢を正し、緊張しながら応対している。電話を切った校長が岡本に言った。

「日本大使がOKなら、いいのだね。今からムハンマド・ラバハ・アルタウィル大臣が大使の了解を取り付ける。君はシリアに残って空手を教えなければならない」

こんなことのために内務大臣がわざわざ大使に電話までするのか。席を立つわけにもいかずハンマミエと雑談していると、内務省から連絡が入った。大使は岡本の残留を了解したという。

岡本を残すためにシリア政府は日本側にこう提案している。今後、岡本がシリア国内で暴れても、日本政府の責任とは考えない。加えて、岡本がシリアでの任期を終えて帰国するときはシリア側が旅費を持つ。そして岡本には、「今後、日本大使館には迷惑をかけない」と書面で約束させる。この条件を提示され、日本側も納得せざるを得なかった。

■3人だった道場の生徒が100人に

3日ほどすると顔の腫れもひいた。岡本が警察学校の道場に入ると、その光景は以前と全く違うものになっていた。生徒は約100人に増えていた。国家警察の将校や特殊部隊員も加わっている。聞けば、内務省から岡本の指導を受けるよう指示があったという。

小倉孝保『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』(KADOKAWA)
小倉孝保『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』(KADOKAWA)

道場の雰囲気も一変している。岡本が姿を現すと校長のハンマミエが、「モダリブに礼」と言い、生徒たちがぎこちないながらも頭を下げた。つい先日まで、「頭を下げるのはアラーに対してだけだ」と言っていたのがうそのようだ。

ピーンと張り詰めた道場で指導をしながら、岡本は発想の転換が必要だと思った。日本人相手にやっていた方法でここの人たちを指導することはできない。この地域に合った指導法を作り上げる必要がある。日本ならば暴力的だ、規則に反していると厳しく指弾されるであろうあの乱闘、大立ち回りが、この国では「空手は強い。実戦的だ」という評価になる。

ルールや規則よりも実際の力を重視する。それがアラブなのだ。

■一方、窓ガラスを割られた車の持ち主は…

この乱闘以降、「空手は(実戦で)使える」との評判がアラブ各地に広まった。しばらくすると岡本の下にパレスチナ・ゲリラやエジプト大統領の息子たちから指導を求める連絡が入り始める。岡本は空手の指導をシリア、レバノンから中東・アフリカ全域に広げ、結果的に約40年間で200万人以上の空手人口を持つ地域を作り上げる。警察・機動隊を相手にした彼の大立ち回りは、アラブでの空手普及の幕開けになった。

一方、岡本が窓ガラスを割ったブルーバードは日本人外交官の車ではなく、ブラジル大使館員のものだった。ブラジル大使館から抗議を受けた岡本は以降、毎月数百ドルずつ返済していく。

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小倉 孝保(おぐら・たかやす)
毎日新聞論説委員
1964年滋賀県長浜市生まれ88年、毎日新聞社入社。カイロ、ニューヨーク両支局長、欧州総局(ロンドン)長、外信部長を経て編集編成局次長。2014年、日本人として初めて英外国特派員協会賞受賞。『柔の恩人』で第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞最優秀賞をダブル受賞。近著に『ロレンスになれなかった男 空手でアラブを制した岡本秀樹の生涯』(KADOKAWA)がある。

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(毎日新聞論説委員 小倉 孝保)

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