D・アトキンソン「"いいものを安く"買って喜んではいけません」
プレジデントオンライン / 2020年7月26日 11時15分
■なぜ日本はデフレから抜け出せないのか
バブル崩壊以降、日本は長らくデフレに苦しんできました。安倍内閣はデフレ脱却を掲げて大胆な金融緩和政策を続けてきましたが、第2次内閣発足から7年半が経過した現在でも2%のインフレ目標を達成できていません。消費者物価指数を見ると、アベノミクスで物価はやや上がっているものの、長期的にはいまだ「失われたウン十年」の霧の中にいます(図①)。
では、今後はどうなるのか。新型コロナウイルスの影響で、世界的に需給バランスの混乱がしばらく続くでしょう。日本も短期的には難しいですが、長期的には予測がつきます。いまの政策を続けているかぎり、日本はデフレから抜け出せない可能性が高い。数十年先まで予測がつく人口動向を見ると、日本はデフレ圧力が非常に強い国であることがわかるからです。
日本はこれから需要サイドで2つの厳しい現実と向き合うことになります。
まず、人口減少です。じつは人口の増減はインフレ率に関係があります。人口が増えれば総需要が増大しても供給は遅れて増えるので、インフレ要因となり、減れば総需要が減ってデフレ要因になります。2060年までにアメリカは人口が25.2%増えて、日本を除くG7は14.9%増えます。それに対して日本は32.1%の減少です。先進国の多くが人口増のボーナスをもらう中で、日本は人口減による強いデフレ圧力にさらされることになります。
この違いは深刻です。17年にムーディーズ・アナリティクスが発表した論文「人口増加とインフレ」では、人口動向は不動産価格を通じてインフレ率に影響を与えることが指摘されました。興味深いのは、人口増によるインフレ圧力より、人口減によるデフレ圧力が倍くらい大きいこと。人口増のときは不動産が不足して価格が上がりますが、しばらくすると不動産が増えてインフレ圧力が弱まります。一方、人口減のときは不動産が余って価格が下がり、空き家になった不動産がそのまま残ってデフレ圧力をかけ続けます。すでに空き家問題が表面化している日本では、無視できない指摘です。
高齢化も、需要側のデフレ要因の1つです。IMF(国際通貨基金)では65歳以上、国際決済銀行では74歳以上の人口増加はデフレ要因になると分析されています。高齢者はすでにモノを持っているので、若い世代に比べて需要は少ない。また資産はあっても収入はないためデフレを好み、この層が増えると政策的にもデフレに引っ張られやすい。高齢化が進んでいる日本は、この点でもデフレ圧力が強いのです。
■中小企業の多さがデフレ圧力になっている
では、供給サイドはどうでしょうか。当連載ですでに指摘しているように、日本は中小企業数がとても多い国です。需要に合わせて企業も減ればいいのですが、不動産と同じように、人口減少と綺麗に比例して、企業がいきなり消えるわけではありません。企業は市場が縮む中でも必死に生き残ろうと努力をします。生き残りのためのもっとも安易な手段は安売りです。大企業は付加価値を高めて単価を上げる戦略を取れますが、イノベーションを起こしづらい小規模事業者は価格競争せざるをえない。日本の中小企業の多さは、まさしくデフレ要因です。
日本の市場に対して供給過剰なら、余ったものを海外に持っていって売ればいいという意見もあるでしょう。じつは私もそれが理想だと思います。
ただ、輸出するにも企業の規模が関係してきます。先進各国の生産性とGDPに対する輸出比率を分析したところ、0.845という強い相関がありました。輸出をするから生産性が高まるのか、それとも生産性が高いから輸出が増えるのか。海外の研究を調べると答えは後者であり、生産性が高いから輸出が可能という因果関係になっています。日本は生産性が低いから、輸出比率も低いのです(図②)。
この連載で再三指摘しているように、日本の生産性が低いのは、規模の小さな企業が多いからです。このことはデータではっきりしています。中小企業が幅を利かせているかぎり日本の生産性は高まらず、よって輸出も伸びず、国内は供給過剰のままになる。この点からも、中小企業の多さがデフレ圧力になっていることがおわかりいただけるでしょう。
■「いいものを安く」は時代錯誤の妄想だ
このままだと日本がデフレから脱却するのは困難です。私がこう分析すると、「物価が安くてもいいじゃないか。日本はいいものを安くつくって成長してきた国なのだから」と反論されることがあります。しかし、本当にそれでいいのでしょうか。
日本では、なぜか高品質・低価格が美徳とされる風潮があります。たしかに人口が増えている時代ならば、価格を下げることによって新しい需要が喚起されて、単価が下がる以上に数量が伸びて、企業の売り上げも増えました。しかし、人口が減っている時代にこの公式は通用しません。価格を下げればそのまま経済が縮小するだけで、何もいいことはありません。「いいものを安く」がうまくいく時代は、もうとっくに終わっています。
そもそも「いいものを安く売っている」というのも日本人の妄想ではないかと思うことがあります。たとえば観光業界では、「アパホテルは顧客満足度が高くて、いいホテルだ」と言われます。でも、それは「あの値段にしては満足度が高い」というだけで、ホテルオークラやリッツ・カールトンより高品質なわけではない。町のフレンチレストランも同じです。数千円でおいしいものを食べさせてくれる店は多いのですが、あくまでも「値段のわりに頑張っている」だけで、トップクラスの争いで勝てるかどうかは疑問です。
本当に「いいものを安くしている」のならば、価格を上げてもやっていけるはずです。なかにはそのような商品があることも承知していますが、それはエピソードベースの話で、ごく一部にとどまります。ほとんどの商品は、値段相応、あるいは値段よりちょっといいというレベルです。
日本は、高品質のものを低価格で提供しているすごい国だ──。その妄想から抜け出して現実を見つめないかぎり、日本は高付加価値のものを生み出せないでしょう。高付加価値のものを生み出せなければ企業の生産性は低いままだし、人口減の時代に成長することも不可能なのです。
では、本当に高品質なものをつくって、それにふさわしい価格で売るにはどうすればいいのでしょうか。
注目したいのは、経営者の能力です。思い切り敵をつくる発言をしますが、日本には能力の低い経営者が多すぎます。本来、経営者としてふさわしいレベルに達していない人が経営をするから、人件費を削って価格を下げるという安直なやり方を選んでしまうのです。
そんなレベルの人が経営者になれるのも、中小企業の数が多すぎるからです。日本の企業数は約360万社。つまり日本には360万人分の社長のイスがある。明らかに多すぎで、その気になれば誰でも座れます。
問題は、上から数えて1000番目の経営者と360万番目の経営者では、能力が圧倒的に違うことでしょう。企業の数が増えるほど、経営者の質は低下します。高い付加価値を生み出したいなら、お金や人といった経営資源は、上位の優秀な経営者のもとに集めて活用させるべきです。観光業界なら、星野リゾートの星野佳路さんのような優れた経営者に資源を集めたほうが、高品質・高価格のホテルをつくれる。下位の経営者に資源を使わせるのはムダ遣いであり、日本経済の足を引っ張るだけです。
■中小企業庁は「企業育成庁」に変われ
とはいえ、私は下位の中小企業経営者個人を攻撃するつもりはありません。悪いのは、本来なら能力が達していない人でも経営ができてしまう環境をつくった政府です。
日本は中小企業基本法を制定した1963年以来、長らく中小企業優遇政策を取ってきました。それによって中小企業数が爆発的に増えて、1社あたりの従業員数も減りました。繰り返しになりますが、人口が増える時代ならそれでもよかったでしょう。しかし、人口減というパラダイムシフトがあったのに、中小企業庁はいまだに税制や補助金などの手厚い優遇策を続けています。税制優遇や補助金を増やすほど、本来は経営者にふさわしくない人も経営を続けます。アルコール依存症の患者にお金を渡せば、止めてもお酒を買いに行くのと同じ。中小企業庁は、間違った政策で“優しさ依存症”の経営者を増やそうとしているのです。
日本政府が取るべき政策は、雇用を減らさずに、中小企業、特に小規模企業を中心に再編や退場を進めて経営資源を優秀な経営者に集中させること。そして中堅企業を増やすことです。それでこそ日本の生産性は高まり、人口減・高齢化という強いデフレ圧力のもとでも脱デフレの道筋が見えてきます。
この連載では中小企業を手厳しく批判してきました。しかし、諸悪の根源は従来の中小企業庁の政策です。もう企業数の増加・維持を目標にすることをやめたほうがいい。中小企業が規模を拡大したくなるように成長を促して、それができないところは補助しない。場合によっては退場してもらう。要するに、「中小企業庁」ではなく、「企業育成庁」に変えるべきです。そうした政策に切り替えないかぎり、日本の未来はないと思います。
■「日本だけ賃金減少」は本当か?
日本経済の低迷を裏づける話として、実質賃金の低下がよく話題にのぼります。本当にそうなのか、さっそくデータで確認してみましょう。
全国労働組合総連合がまとめたグラフでは、日本だけ賃金が減っているように見えます(図③)。しかし、このデータを鵜呑みにするのは危険です。この間、労働参加率が上がっているからです。第2次安倍内閣が発足してから、生産年齢人口が減っているのに、就業者は469万人増加しています。
就業者が増えた年齢層を具体的に挙げると、18~24歳と60歳以上です。そしてそのうちの約4分の3は女性です。
若者、高齢者、女性。これらの属性に共通しているのは、賃金が比較的低いこと。つまり、賃金の低い人たちが新たに就業者に加わったことが、全体の実質賃金を引き下げているのです。
本来であれば、同じ属性の賃金を追わなければなりません。たとえば、同じ規模の企業に勤める同じ世代の労働者の賃金を時系列で比べるべきでしょう。しかし、そうした統計は見当たりませんでした。比較するなら、労働者全体を含む選出のデータを使うほかありませんが、少し割り引いて見たほうがいいと思います。
ただし、同規模企業に勤める同世代の実質賃金をうまく抽出し、比較しても、日本は先進各国に比べて上がっていないと推測しています。いつかデータがきちんと整備されて、正しく比較されることを期待します。
■日本にはそもそもデータがない!
世界各国の統計や国際的な論文を調べる中で苦労した点があります。それは日本の統計が十分でないこと。データの基準が省庁によって違っていたり、時期がずれていたりします。必要な統計調査がされていなかったり、遅かったり、データがあっても実態に即していなかったりするものばかりで分析するのがたいへんなのです。
たとえば日本では大企業と中小企業の生産性に関するデータも不十分です。中小企業白書のデータを見ると、企業数の最新データは16年ですが、業種別・規模別の付加価値データは15年のもので、ずれています。
ならば自分で分析するしかありませんが、企業規模ごとに労働者1人あたりの生産性を分析しようにも、そもそも日本では働いている人の総数がデータソースによって大きく異なります。
総務省・経済産業省の16年の「経済センサス-活動調査」によると、従業者数は5687万人となっています。一方、総務省「労働力調査(基本集計)2016年平均結果」によると、就業者数は6440万人で、経済センサスの数字とは753万人の開きがあります。これでは、どの統計を使うかによって分析結果が異なってしまう。まことに厄介です。
有給休暇取得率の分析をするときも困りました。厚労省が出している統計をよく見たら、従業員数30人未満の企業は対象外になっていました。
財務省のデータによると、従業員数30人未満の企業で働いている人は全体の約3割です。
小規模企業は、大企業に比べて有休取得率が低いのですから、厚労省発表の数字はかなりの下駄を履かされていると考えたほうがいい。日本の有休取得率は年々上がっていますが、それをそのまま受け止めるのは危ないです。日本のデータ収集の仕方は先進国と比べて明らかにビッグデータを十分に活用していない、従来の調査法が多すぎると感じます。
議論は個別のエピソードではなく、エビデンスにもとづいてなされるべきです。しかし、エビデンスとなる統計も、100%信用できるわけではない。とくに日本は不十分なところが目立つので、改善を望みたいですね。
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小西美術工藝社社長
1965年イギリス生まれ。日本在住31年。オックスフォード大学「日本学」専攻。裏千家茶名「宗真」拝受。92年ゴールドマン・サックス入社。金融調査室長として日本の不良債権の実態を暴くレポートを発表し、注目を集める。2011年より現職。著書に『日本企業の勝算』『新・所得倍増論』など多数。
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(小西美術工藝社社長 デービッド・アトキンソン 構成=村上 敬 撮影=相澤 正)
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