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小池百合子に清き一票を投じてしまう「普通の人々」はどこにいるのか

プレジデントオンライン / 2020年7月5日 21時15分

新型コロナウイルスについての記者会見で、「夜の街」について注意を促すボードを掲げる東京都の小池百合子知事=7月2日午後、東京都新宿区 - 写真=時事通信

■あの『女帝』を一体だれが支持しているというのか

東京都知事選挙は現職の小池百合子が2度目の当選を確実にした。午後8時に投票が締め切られると、NHKをはじめ各メディアが一斉に当確を報じた。

今回の選挙では、小池に異例の注目が集まった。5月29日に発売されたノンフィクション『女帝 小池百合子』(石井妙子著、文藝春秋刊)は、20万部を超える記録的な売り上げとなっていた。この本を手に取った人たちは、こう問いたくなったはずだ。

小池百合子には「カイロ大学卒業」という学歴を詐称している疑惑があり(小池側は卒業証書を公開している)、その政党を転々してきた経歴からは、明確な主義主張やビジョンは読み取れない。当選すること、あるいは華々しいスポットライトの当たる場所を求めているだけの軽薄な政治家にすぎないのではないか。それなのに、一体なぜ圧勝したのか。だれが支持しているというのか――。

しかし、このように彼女を批判する人々は大切なことを見落としている。それは、私が『ルポ 百田尚樹現象:愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)において指摘した、この社会の「普通の人々」の存在だ。

小池に対する批判は、リベラル派が百田に向けた批判と構造としては同じだ。批判する側は、百田の右派的な歴史観はおよそ問題だらけであり、関連本も含めて100万部超の売り上げを記録した『日本国紀』(幻冬舎)にはファクトの上でも明確な誤りがあると主張した。

■批判者は、小池や百田を「支持する人たち」が見えていない

私は小池や百田に対する批判は正しいが、批判するだけでは問題の本質は見えてこないと考えている。小池や百田に問題があると批判する側からは、小池や百田を支持する人たちが見えていない。そこには「分断」がある。

日本経済新聞の世論調査(6月19~21日)によれば、新型コロナウイルスに対する都独自の取り組みには63%が「評価する」と回答した。さらに読売新聞の世論調査(6月25~27日)によれば、彼女は自民支持層と公明支持層のそれぞれ約7割の支持を獲得し、さらに立憲民主党の支持層、つまりリベラル派からも約4割の支持を得ている。これは衝撃的な数字だ。

つまり多くの人は、小池のコロナ対策、より正確に言えばメディアにコロナ対策を打ち出しているように「見せている」小池を支持しており、学歴やこれまでに何に言ってきたかにはさほど関心を持っていないのだ。

■「穢れなき普通の都民」を代弁し、「腐敗した敵」を設定

私は『ルポ 百田尚樹現象』の中で、オランダ出身の政治学者カス・ミュデらのポピュリズム論を参照している。彼らの定義はこうだ。

『ルポ 百田尚樹現象:愛国ポピュリズムの現在地』
石戸諭『ルポ 百田尚樹現象:愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)

「社会が究極的に『汚れなき人民』対『腐敗したエリート』という敵対する二つの同質的な陣営に分かれると考え、政治とは人民の一般意志の表現であるべきだと論じる、中心の薄弱なイデオロギー」(カス・ミュデら『ポピュリズム:デモクラシーの友と敵』白水社、2018年)

この定義が優れているのは、中心の薄弱さと二項対立的な構図にこそポピュリズムの本質があると指摘しているところにある。「都民ファースト」という言葉に象徴的に表れる小池の政治手法は、この定義にピタリとあてはまる。彼女は「穢れなき普通の都民」を代弁し、「腐敗した敵」を設定することで、支持を調達してきた。

小池のようなポピュリストにとって、確固たる信念に基づく体系的かつ論理的な一貫性はなくていい。良くいえば柔軟、悪く言えば体系がないからこそ、過去にとらわれず「今」このときの自分を打ち出すことに執着する。

彼女は一貫して、「夜の街」をターゲットにした発言を繰り返したが、これにより「夜の街に出入りする人々」を特殊な人々、「普通の都民」とは違う人々であると印象付けることに成功した。

■「腐敗した政治家」になることを恐れ、「対立」を避けた

さらに、今回の選挙戦で小池は徹底的に他の候補者と並ぶ機会を絞った。ここにポイントがある。新型コロナ対策で連日テレビに出ており、圧倒的な優勢は伝えられていた。下手に討論をして失言するくらいなら黙っておいたほうがいい、と判断したのだろう。

何度かあったウェブ討論でもよく聞けば疑問しか膨らまない抽象的な答えを返すか、積極的に沈黙を保つだけだった。ポピュリストであるがゆえに、小池は自身が「腐敗した政治家」になることを恐れ、「対立」を避けることで、他候補者のエネルギーを奪った。

前回の選挙戦で高らかに掲げたが、ほとんど達成できなかった「待機児童ゼロ」「残業ゼロ」「都道電柱ゼロ」「介護離職ゼロ」「満員電車ゼロ」「多摩格差ゼロ」「ペット殺処分ゼロ」――7つのゼロはいったいどこにいったのかと問うても、彼女にも、彼女に投票した人にも響かないだろう。そんなものは、すでに過去の話だからだ。

都知事として「職務を全うしている」という雰囲気を作り出す。7月に入って新規感染者が100人を超えると、おもむろに会見を開き、深刻な表情でフリップボードを掲げる。彼女はコロナと対峙する構図を作ることだけで今回の選挙を乗り切る道を選び、それに成功した。

■「過去はどうでもいい」と考える普通の人々

私は百田尚樹現象の中心は「空虚」だと書いた。本人をいくら批判したところで、そこには先がない。百田自身も、政治的に影響力を持ちたいとは思っていない。その情熱は「売れる小説を書くこと」と「言いたいことを言うこと」にのみ向けられている。だからこそ、むしろ、彼を取り巻く現象にこそ注目しなければいけない、と。

それは小池にも当てはまる。小池はどこまでも空虚であり、過去の言動をいくら仔細に分析しても、批判そのものが空転する。彼女にとって過去は過去でしかなく、絶対の行動原理は「当選すること」に向けられているからだ。着目すべきは、彼女を支えている人々、言い換えればポピュリズムを支えている人々だ。

果たされる見込みのない公約は、軽薄なキャッチフレーズで打ち出され、その言葉はメディアを通じて流され続け、過去はどうでもよくなってしまう。

昨日の話題がすぐに流れ、忘れてしまうようにSNSのように政治家の発言も流されていく。その結果、空虚な政治家が押し上げられていく。それは決して、変わった人々によってではない。どこにでもいる人々が、そうした政治家を支えている。

それはどのような理由によってか、なぜ忘却は進むのか。これ以上、空虚な政治を望まない人々が向き合うべきだったのは、小池本人の検証だけでなく、彼女を支える「普通の人々」の心情と向き合うことだったのではないか。私は自戒を込めてそう思うのだ。(文中敬称略)

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石戸 諭(いしど・さとる)
記者/ノンフィクションライター
1984年生まれ、東京都出身。2006年立命館大学卒業後、同年に毎日新聞入社。岡山支局、大阪社会部、デジタル報道センターなどで勤務。BuzzFeed Japanを経て独立。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)がある。

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(記者/ノンフィクションライター 石戸 諭)

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