D・アトキンソン「最低賃金引き上げで、日本は必ず復活する」
プレジデントオンライン / 2020年7月19日 11時15分
■最低賃金を引き上げて経営者の尻を叩け
先進国の中で最低水準にある日本の生産性。これを高める方法は、はっきりしています。同じく低水準にある最低賃金を引き上げる。それだけでこの国は劇的に良くなります。
最低賃金が低いと、経営者は安く人を使えます。それで利益が出るから、経営者は頭を使わなくなるし、機械化やIT化のための投資もしなくなってしまう。最低賃金の低さが経営者を甘やかして、もっと高められるはずの生産性にブレーキをかけているのです。
実際、日本の最低賃金は先進国の中で最低クラスです。購買力調整済みの絶対水準で6.50ドル。先進国最低であるスペインの6.30ドルに次ぐ低さです。また、1人当たりGDPに対する最低賃金の割合は、ヨーロッパ諸国が50%前後であるのに対して、日本は34.9%と低水準です。
さらに言うと、日本の最低賃金は不当に低く抑えられています。2016年のWorld Economic Forumのランキングで、日本の人材評価は世界4位です(図①)。ほかにトップテンに入っているのは、人口の少ない国ばかり。人口が少ない国は異常値が出やすいからですが、そのような傾向がある中でトップテン入りしている事実は誇っていいでしょう。ちなみに日本の次に評価されている大国はドイツで、11位。日本の人材評価は、人口の多い先進国で最高レベルです。にもかかわらず、最低賃金は先進国で最低水準ですから、不当と言って差し支えない(図②)。
では、どうすれば最低賃金を人材評価に相応しい金額にできるのか。前提として、経営者が自ら進んで最低賃金の引き上げに賛同することを期待してはダメです。経営者は人手不足に陥らないかぎり、できるだけ安く人を雇おうとする生き物です。市場原理に任せると、基本的に人件費は下がるものだと考えたほうがいい。賃金を上げるには、嫌がる経営者を無視して国が強制的に引き上げるしかない。それが最低賃金制度の本来の主旨でもあります。
これは人権上の問題だけでなく、日本の生産性の低さを温存する一因にもなっている。放っておくと、一部の経営者はこうやってズルをして、少しでも人を安く使おうとする。そうならないように、国は最低賃金を引き上げたうえでしっかり目を光らせておくべきです。
■真の狙いは中堅企業を増やすこと
では、最低賃金をヨーロッパ並みに引き上げるとどうなるのか。最低賃金で働いている人たちだけでなく、その上の層、そしてさらにその上の層にも賃上げ効果が及びます。
考えてみてください。最低賃金より少し多くもらっていた人は、最低賃金の引き上げによって給料が最低賃金と変わらない水準になります。それは嫌だと思う人は、より賃金の高い職場を求めて転職しようとする。企業はそれを引き留めるために、その上の層の賃金を上げざるをえなくなる。このような玉つきで、全体の賃金が上がるのです。
ほかにもメリットはあります。最低賃金で働く人たちは消費性向が高いことが知られています。高賃金の人の給料を上げても貯蓄や資産運用に回るだけですが、低賃金の人の給料を増やせばモノやサービスがよく売れて、経済への直接的なプラス効果が期待できます。
そして、最低賃金の引き上げには、忘れてはならない効果がもう1つあります。最初にお話しした生産性の向上です。連載第1回でも指摘しましたが、日本の生産性の低さは目を覆いたくなるレベルです。日本は人口減少が進むため、生産性を引き上げないとGDPを維持できません。GDPが減れば社会保障費を捻出できず、国は崩壊するしかない。それを防ぐには、労働生産性を高めて一人一人の所得を増やす必要があります。そのための有効な手段が最低賃金の引き上げなのです。
各国のデータを分析すると、最低賃金と生産性の間には、相関係数0.84という強い相関が見られます(図③)。
じつは両者の関係には「卵が先か鶏が先か」の議論があって、最低賃金が高いから生産性が高いのか、あるいはその逆なのかという因果関係は、いまだに結論が出ていません。ただ、相関関係が強いので、多くの国はまず最低賃金を上げることで生産性を高めようとしています。成果も確認されつつあります。決定的な結論が出てからでは手遅れになるおそれがある。日本は素直にこの流れに乗るべきです。
前回、日本の生産性が低いのは、日本の企業数のうち中小企業が占める割合が高いからだという話をしました。企業規模が小さいと、生産性を高めるためにICTを導入することも女性が産休・育休を取りながら働き続けることもできません。器を大きくしないことには、生産性向上は夢のまた夢です。
最低賃金の引き上げが素晴らしいのは、低生産性の元凶である中小企業をターゲットにできる点にあります。最低賃金の引き上げは日本にあるすべての企業に波及効果を及ぼしますが、真っ先に影響を受けるのは中小企業です。中小企業がいまより高い賃金を労働者に払うためには、会社の規模を大きくして生産性を高めるしかない。最低賃金の引き上げによって中小企業が中堅企業に成長することを促して、それが日本全体を豊かにすることにつながるのです。
最低賃金の引き上げは、日本の生産性を高める特効薬──。
その持論を展開したところ、ある大学の先生に噛みつかれて喧嘩になったことがあります。日本も最低賃金は引き上げられているが、生産性は上がっていない。アトキンソンの言うことはインチキだというわけです。
正直、耳を疑いました。たしかに表層的にはそうですよ。しかし、最低賃金を引き上げるのは、まず中小企業の企業規模を大きくさせるためです。規模を変えないままでは、生産性向上やさらなる賃上げも難しい。その先生はそうした前提が抜けていて、私の主張を「最低賃金さえ上げれば、中小企業の生産性は勝手に上がる」と曲解していました。日本は最低賃金の上昇幅が不十分で、中小企業の淘汰・再編が進んでいないから、生産性が上がらないのは当然です。
もちろん最低賃金を引き上げても、会社を成長させられず、単に利益を減らすだけの企業が出てくるでしょう。しかし、それで経営難に陥るような会社に無理して続けてもらう必要はありません。退場してもらったほうが日本のためです。中小企業の数が多すぎることが日本経済の足を引っ張っているのだから、減るのは日本経済にとって素晴らしいこと。それこそが最低賃金を引き上げる狙いといっていい。
■毎年5%ずつ上げても雇用は増える
最低賃金を引き上げれば中小企業が倒産したり社員を解雇して、失業者が増えると反論する人もいます。筋が通った主張に聞こえるかもしれませんが、現実と乖離した思い込みと言わざるをえません。実際に起きているのは逆の現象なのですから。
日本の最低賃金は低水準ですが、毎年引き上げられています。反対派の主張通りなら、失業者が増えるはず。しかし安倍政権になってから、就業者数は逆に469万人増加しています。
じつはこの間、生産年齢人口は521万人減っています。人口が減っているのに就業者が増えているということは、労働参加率がかなり高まった、つまりこれまで働いていなかった人が仕事をするようになったことを意味します。具体的に就業者が増えているのは18~24歳と60歳以上。そしてそのうちの約4分の3は女性です(図④)。
若者、高齢者、女性に共通するのは賃金が比較的低いことです。それゆえこの層は従来、「時給1000円以下は交通費を考えると割に合わない」と考えて家にいた人も少なくなかった。しかし最低賃金が上がってきたことで、「1000円を超えるなら働いてもいいか」と考え始めたわけです。
受け皿となる企業側はどうか。最低賃金が上がれば、まず中小企業は高い賃金を払うために規模を大きくしなくてはならず、雇用を増やします。それができない中小企業は統廃合されて、それまで雇用されていた人は、より大きな中堅企業や大企業が受け皿になってくれます。中小企業の数が減っても、雇用がなくなるわけではないのです。
事実安倍政権になってから、企業の数は減っているにもかかわらず、雇用は371万人も増えています。少し古い中小企業庁のデータになりますが、12年から16年にかけて企業数が27.5万社減っているのに、就業者数は185万人も増加しています。
まだ信じられませんか。
では、海外の事例を紹介しましょう。イギリスには最低賃金制度がない時期がありました。復活したのは1999年で、25歳以上の最低賃金は3.6ポンドでした。それから19年経った18年、最低賃金は7.83ポンドまで引き上げられました。復活時と比べて約2.2倍まで上がっています。
一方、失業率はどうなったか。18年6月の失業率は、4.0%でした。日本に比べると高く見えますが、イギリスの1971~2018年の失業率の平均は7.04%。それを大きく下回る水準で、75年以降ではもっとも低かった。最低賃金の引き上げで、失業率は悪化するどころか改善しているのです。
ただし、最低賃金の引き上げ方によっては雇用に悪影響を与えるおそれもあります。最低賃金引き上げ反対派がよく挙げるのは、韓国のケースです。韓国は18年1月に最低賃金を一気に16.4%引き上げました。その結果、失業者が増えてしまった。
もともと韓国は最低賃金が極端に低いわけではありませんでした。そこからさらに一気に16.4%アップというのは、さすがに極端すぎました。アメリカ経済を分析した論文では、最低賃金の引き上げ率は15%がベストで、それ以上になると悪影響が出始めるという分析が示されました。もともとの水準が各国で異なるため数字をそのまま適用できませんが、上げすぎると弊害があるのは本当のようです。
日本は現在、年率3%程度の引き上げ率です。この水準で雇用に悪影響が出ることはありません。現実に最低賃金は上昇しながら就業者数は増えていて、むしろ雇用を増やす効果が認められます。生産性を高めるためには、もっと高くてもいい。私は年率5%で引き上げてもまったく問題がないと見ています。
■中小企業の半数は消えていい
繰り返しますが、最低賃金が上がることによって、淘汰される小規模企業が出てくるでしょう。しかし、それは日本の生産性を高めるために避けて通れないプロセスです。
日本の企業数は現在、約360万社です。人口に対してこの企業数は明らかに多すぎます。企業規模と生産性は強い相関があるので、日本は1社当たりの従業員数がもっと多くなるように、企業の数を減らさなくてはいけません。
具体的には、いまの半分以下でいい。2060年、日本の人口は9000万人を割り込んでいます。将来もいまと同じ水準の社会保障を維持する前提に立てば、60年時点に必要なGDPと生産性が算出できます。さらにそこから回帰分析によって必要な企業規模を導き、生産人口をそれで割ると、160万~180万社という数字になる。それが将来の日本の適正な企業数です。
もっとも、人口が減れば企業の数は勝手に減っていきます。理由は簡単です。かつてはごく一部のエリートしか入れなかった一流企業も、いまは比較的入社しやすくなっています。そうすると準一流企業の席が空いて、いままでなら二流企業に勤めていた人がそこに座れるようになります。こうやって上から席が埋まるので、下位に位置する中小企業は人がいなくなって、自然消滅します。
問題は、消えゆく運命にある中小企業を延命させようと抗うのか、うまく退場できるように導くのかです。最低賃金の引き上げは、まさしく後者の施策です。きちんと対応できる中小企業は規模を拡大して生産性を高め、そうでない企業は統廃合されて消えていく。その流れを加速させるために、最低賃金はいま以上に大きく引き上げるべきなのです。
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小西美術工藝社社長
1965年イギリス生まれ。日本在住31年。オックスフォード大学「日本学」専攻。裏千家茶名「宗真」拝受。92年ゴールドマン・サックス入社。金融調査室長として日本の不良債権の実態を暴くレポートを発表し、注目を集める。2011年より現職。著書に『日本企業の勝算』『新・所得倍増論』など多数。
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(小西美術工藝社社長 デービッド・アトキンソン 構成=村上 敬、篠原克周 撮影=相澤 正、加々美義人 図版作成=大橋昭一)
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