「不祥事芸能人の出演シーン」をカットしなかったフジテレビはえらい

プレジデントオンライン / 2020年7月7日 15時15分

TBSドラマ「夢で逢いましょう」制作発表会見=2005年4月4日、東京・目黒区のウエスティンホテル - 写真=時事通信フォト

不祥事を起こした芸能人はテレビから消し去るべきなのか。元テレビ朝日プロデューサーの鎮目博道氏は「7月6日にフジテレビで放送された『やまとなでしこ 20周年特別編』では、2年6カ月の実刑判決を受けた押尾学さんの出演シーンに注目が集まった。出演シーンは数秒間だったが、カットしなかった判断は尊重されるべきだ」という――。

■「やまとなでしこ」再放送で注目された押尾学の処遇

7月6日午後9時からフジテレビ系で放送された「やまとなでしこ 20周年特別編」。再放送の話題とともに、かつて麻薬取締法違反罪や保護責任者遺棄罪で有罪判決を受けた元俳優・押尾学さんの出演シーンが放送されるのかに注目が集まった。

フジテレビは押尾さんの出演シーンは「適切に編集」とメディアの取材に答えていた。6日に放送された特別編は全11話のおよそ半分を約2時間に圧縮。EPG(電子番組表)の出演者の欄には押尾さんの名前がなかったため、私は「ひょっとして出演シーンはカットされたのでは」と思っていた。しかし、いい意味でフジテレビに裏切られた。

フジテレビビルを持つお台場島のアクアシティショッピングセンター
写真=iStock.com/kuremo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuremo

結局、押尾さんは私が確認できた限りでは、冒頭に近い「合コン」のシーンで1度登場した(セリフらしいセリフはなかった)。また、今回新たに作成されたと思われるエンドロールのテロップにも、しっかりと名前がクレジットされていた。今回フジテレビは「押尾学さんを消さずに、許した」と考えて良いだろう。

そもそも、なぜ不祥事を起こした芸能人をテレビから「消す」必要があるのだろうか? 消す基準や、許される基準はあるのだろうか。筆者は約30年、この業界でテレビ制作に携わってきたが、実はこの「答え」はハッキリしない。それが今のテレビ業界の現実だ。

■ドラマとバラエティで異なる「消される基準」「許される基準」

テレビ制作の現場では、「不祥事を起こした芸能人」を編集で「消す」作業に悩まされた人は少なくない。私自身であってもここには書けないが、そうした経験をしたことはある。

収録済みの映像素材から不祥事を起こした特定の人物を消す編集作業は、実は、バラエティ番組の方がドラマより簡単だ。そしてこの違いは、バラエティとドラマの「消される基準」と「許される基準」の違いを生む理由にもなっていると思う。

バラエティ番組は、収録は数台のカメラを回しながら行われる事が多い。通常は5台くらいのカメラを同時に回して(パラ回しという)いるので、あとで「消したい人物が写っていないカメラの映像」だけを選択して編集する事で、その人物がいた痕跡すらものの見事に消し去ることができる。

収録は放送時間の倍以上かけているので、その人物が話していないパートだけを使ってもなんとなく番組が成立してしまうことも多い(MCだったりするとそう簡単にはいかない場合ももちろんあるが)。

■ドラマで「消し去る」ことは困難を極める

ドラマではなかなかそうはいかない。まず、そんなに多数のカメラをパラ回ししているケースは少ない。原則は1台のカメラで、撮影直後にOKかどうかを確認しながら収録していく「映画スタイル」に近いので、何かあったときに差し替えられる映像は少ない。

しかも、台本に基づいて必要なシーンだけを撮影するため、ある人物が登場するシーンやセリフをカットすると、そもそも話の辻褄が合わなくなる。バラエティに比べて「取り返しがつかない」のだ。つまり、ドラマでは「消しにくいから消さずに放送する」というケースがバラエティより多くならざるを得ない。

例えば、今年4月18日から3週連続で週末に再放送されたTBS「JIN-仁-」の特別編では、俳優の小出恵介さんの姿が久々に地上波に流れ話題となった。

小出さんは17歳の女子高校生と飲酒および不適切な関係を持ったことが報道され、芸能活動を休止したが、不起訴になっており刑事責任は問われてはいない。近々ニューヨークの舞台で芸能活動を再開する予定だという。

■ドラマは「許される基準」が厳しい

とはいえ、小出さんは多分テレビ業界から全面的に許されたわけではないと思うのだ。今回「JIN-仁-」から「消されなかった」のはドラマだからだ。「小出さんが出ているからと言って再放送を見合わせるほどではない」、「ストーリー展開に無理が生じてまで出演シーンを全カットするほどでもない」という程度に許されただけなのだと思う。

もしこれがバラエティ番組の再放送だったら、多分カットされ、消されていたのではないか。それでも十分番組として成り立つからだ。

このように、不祥事芸能人が「消される基準」はバラエティの方が厳しい。逆に「許される基準」はドラマの方が厳しいのだ。もし、小出恵介さんが芸能活動を再開したとして、「あの人は今」的なバラエティに出演できる可能性はあり得るが、新撮のドラマにキャスティングされるのは難しいと思う。

テレビと使用リモート コント ローラーを見ている女性
写真=iStock.com/0meer
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/0meer

順調に行ったとしてもバラエティ番組に徐々に出演を積み重ね、その先にようやくドラマ復帰となるのではないか。ドラマはいったん企画を走らせると修正しにくい。「なぜあの人を出すのか。もう許すのは早すぎるのではないか」と世論の反発を受けた場合に、ドラマの方がバラエティより対応しにくいので慎重にならざるを得ないのだ。

■「罪の重さ」は関係ない

さて、説明しやすいのでずっと小出恵介さんを例に挙げさせてもらって恐縮だが、もう少し小出さんを例に、テレビが不祥事を起こした芸能人を消す基準とは何かを、別の側面から考えてみよう。それは、「果たして消される基準と罪の重さは関係するか」という問題だ。

小出さんは刑事では不起訴になっている。しかも、不祥事が発覚したのは2017年6月と、3年前のことだ。それでも芸能活動再開に批判の声があるという記事も目にする。

それに比べて、ピエール瀧さんのケースはどうだろう。昨年3月にコカインを使用したとして麻薬取締法違反で逮捕され、昨年6月には執行猶予付きの有罪判決を受けた。現時点でテレビへの復帰こそないものの、逮捕1年弱で映画の撮影に参加。所属する電気グルーヴの作品回収に反対する署名活動が広がり、多くの賛同を得るなど世間はとても同情的だ。

この差はいったい何なのか?

世間は芸能人の「薬物」と「賭博」には比較的寛容だ。これは「薬物と賭博には被害者がいない」からではないかと思う(実際には薬物を使用したり、賭博をすれば反社会的勢力に資金が提供されるわけだし、厳密な意味で被害者がいないわけではないのだが)。

■犯罪よりも重く見られる倫理的な不祥事

つまり、私が思うに「罪の重さ」とテレビから「消す・消さない」は関係ない。もっと言えば「犯罪をしたかどうか」すら「消す・消さない」とは関係ないのだ。

基準となるのは、「誰かに迷惑をかけたか」とか「多くの視聴者が不快に思ったかどうか」という点だ。「犯罪や刑罰とは別の基準」を基に不祥事を起こした芸能人はテレビから消されているのではないだろうか。

許される基準も、「服役を終えた」「示談をした」「不起訴になった」といったものではなく、別の「もっと気分的な何か」が決めているように思える。だからこそ、実際に刑事事件を犯して罰されたものよりも、不倫や闇営業で反社会的勢力から報酬をもらったという、倫理的な問題にとどまる不祥事の方が、長期間にわたって消され続け、復帰が許されないという事態が起こるのではないかと思う。

言ってみれば、「視聴者が見たくない人物はテレビの画面から消す」という単純な話になってしまうわけである。テレビはマスメディアだから、視聴者が見たくない人物がテレビに出演できないのはある意味当然だ。しかし、ここがこの業界の闇深いところでもある。

■世間の空気が決める「消す基準」「許される基準」

私が「闇が深い」と考えるのには理由はある。それは、「視聴者の見たくない人物」を誰がどのように決めているのか不明確だからだ。乱暴に言ってしまえば、「メディアに関わるオジサンたちがみんなで忖度」して、「視聴者が見たくない人物」が誰なのかをなんとなく決めてしまっているという状況にあるということだ。

だから私は、むしろはっきりと「テレビから消す基準」と「許す基準」をはじめから明文で決めた方がいいと思う。この文章の最初の方に書いた「誰にも基準が分からない」ということが一番の問題なのだ。

スポンサーサイドの偉いオジサンと、テレビ局の偉いオジサンと、芸能事務所の偉いオジサンが額を寄せ合って、世間の空気を忖度し、「まあこのくらいまでなら許容範囲で、このあたりからアウトでしょう」と曖昧にケースバイケースで決めてしまう。だから若い人の考え方や、世間一般の人たちの気持ちとは温度感がしばしばズレてしまい、「テレビの対応がおかしい」という非難の声が起こるのだという気がしてならない。

視聴者の多くは、不祥事を起こした人物にしばらくテレビの仕事をさせないことは当然のことと受け入れていると思う。しかし、「不祥事を起こした人物が過去にした仕事」をすべて抹消することまでは望んでいないのではなかろうか。

再放送が望まれる過去の名作ドラマや名作バラエティに、不祥事を起こした芸能人が出演しているからといって再放送をしないとか、その人物をカットして編集し直すとかいうのは、明らかにやりすぎなのではないかと思う。

■作品をお蔵入りさせても正義は実現できない

過去を振り返れば、昭和の大物俳優には不祥事を起こす人が今よりも多かったと思うが、その名優たちが出演した作品まで封印することはしてこなかった。そういう意味では、年々テレビから不祥事芸能人を「消す」基準はどんどん厳しくなってきている。

昔よりコンプライアンスという考え方が広がり、テレビ局も上場企業になったところも多く、「おおらか」な対応ができなくなっていることもあるだろう。しかし、曖昧な基準で「世の中の空気に忖度」してテレビから葬り去れば、コンプライアンスを遵守したことになるわけではない。

不祥事を起こした芸能人が過去に出演した作品に罪はない。ましてや何の落ち度もない共演者や制作スタッフが煽りを喰らって、心血を注いで作った作品が「2度と日の目を見ない」ようになることが、正義の実現とは思えない。

テレビ局側は、まず明確な基準を設けて作品を公開し、非公開や再編集をするなら、その理由を明らかにするべきだ。

不祥事芸能人をはじめから居なかったものにするのではなく、テレビから消し去る以外の方法も検討するべきだと思う。例えば、カットせず不祥事を起こした人物には報酬を辞退してもらって、慈善事業に寄付してもらうのも選択肢の一つだ。そうした明解な対応をすることで、テレビに対する根強い不信感も少しは減るのではないかと、私は思う。

■一度の過ちでテレビの画面から葬り去るべきではない

本稿では最後に、視聴者のみなさんにも「不当に文化を葬り去らない」ためにいくつかのお願いしたい。まずは、「罪を憎んで人を憎まず」というが、芸能人のみならず過ちを犯してしまった人に立ち直りのチャンスを与えてあげてほしい、ということだ。1アウトを取られただけにもかかわらず、もう2度と打席に立てない。そんな社会でいったい誰が幸せになれるのだろうか。

そして、ぜひテレビ局をはじめ、様々なメディア企業に対して「出演者の不祥事で作品を葬り去ったり、改変したりしないでほしい」という要望の声を事あるごとにあげてほしい。

僕がテレビ局に入社したての90年代初頭には、テレビ局にかかってきた抗議の電話に対して、「嫌なら見ないでください」と答えている上司がいた。メディア職員の対応としてはこの対応は誤りだと言わざるを得ないが、そこには一抹の真理もあると思う。

自分が嫌な番組は、見なければいい。「この人は過ちを犯したから不快だ」と思うなら、見ないというのも一つの意思表明だ。見ない人が多ければ、その出演者はいずれ淘汰される。

しかし、豊かな社会と文化は、様々な人間の多様性を認めた上に成り立つものだ。「この人は過ちを犯したけれども、私はこの人が出演するテレビを見たい」という人が多ければ、その出演者に再びチャンスが巡ってくる。

そんな社会こそ、成熟した豊かな社会といえるのではないだろうか。

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鎮目 博道(しずめ・ひろみち)
テレビプロデューサー・ライター
92年テレビ朝日入社。社会部記者として阪神大震災やオウム真理教関連の取材を手がけた後、スーパーJチャンネル、スーパーモーニング、報道ステーションなどのディレクターを経てプロデューサーに。中国・朝鮮半島取材やアメリカ同時多発テロなどを始め海外取材を多く手がける。また、ABEMAのサービス立ち上げに参画。「AbemaPrime」、「Wの悲喜劇」などの番組を企画・プロデュース。2019年8月に独立し、放送番組のみならず、多メディアで活動。上智大学文学部新聞学科非常勤講師。公共コミュニケーション学会会員として地域メディアについて学び、顔ハメパネルをライフワークとして研究、記事を執筆している。 Officialwebsite:https://shizume.themedia.jp/ Twitter:@shizumehiro

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(テレビプロデューサー・ライター 鎮目 博道)

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