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いつまでも目標を達成できない人が使いがちな2つの口グセ

プレジデントオンライン / 2020年8月5日 15時15分

元サッカー日本代表の中澤佑二氏 - 撮影=原貴彦

目標を達成できる人はどこが違うのか。元サッカー日本代表の中澤佑二氏は、「『とりあえずJリーグに出たいです』とか『まずはレギュラーですかね』という選手はたいてい伸び悩みます。自分で目標を掲げ、それに向かって自分で行動できなければいけません」という。イーオンの三宅義和社長が聞いた――。(3回目/全3回)

■日本で2年間サッカー浪人「母校の先生に頭を下げた」

【三宅義和(イーオン社長)】中澤さんはブラジルに1年間サッカー留学に行かれた後、日本で2年間サッカー浪人を経験されていますね?

【中澤佑二(元プロサッカー選手)】はい。ビザの関係で留学が中途半端に終わってしまい、仕方がなく、母校のチームに混じって練習をしていました。1年後、ヴェルディのユースチームと練習試合をしたのがきっかけで、練習生にしていただき、21歳のときにプロ契約を結びました。

【三宅】なかなか結果が出ない時期を、どのように乗り越えたのでしょう。

【中澤】自分の中で「プロサッカー選手になる」という目標を定めて動いていたわけですから、「やっぱりいいや」と投げ出すことは選択肢にありません。では何をしなければいけないかと考えたとき、サッカーはチームスポーツなので、どんな形でもチームに所属してサッカーを続けることが絶対条件だと思ったのです。

【三宅】試合勘などを鈍らせないためですか?

【中澤】はい。当時、僕のようなサッカー浪人はたくさんいて、話を聞くと公園で一人でボールを蹴っているような人が多かったのですが、個人練習だけでは限界があります。そこで恥を忍んで、母校の先生に頭を下げ、部員にお願いをして、特例で練習に混ぜてもらったのです。

【三宅】アルバイトなどはせず?

【中澤】サッカーだけです。母親から「22歳までにプロになれなかったら働きなさい。それまでは自由にやっていい」と言われていたので、実家でお世話になりながら、朝から晩までサッカーをしていました。

■チャンスが来るその日のための準備を毎日する

【三宅】高校生に交じって練習するというのは、どういう気分なのですか?

イーオン社長の三宅義和氏
撮影=原貴彦
イーオン社長の三宅義和氏 - 撮影=原貴彦

【中澤】多少周りの目が気になりましたが、サッカーができる環境があることを幸せに感じながらやっていました。

【三宅】前向きですね。そのとき中澤さんのなかでは「自分は一流選手になるんだ。まだ世の中で認められていないだけだ」といった自信はあったのですか?

【中澤】ないです。常に自分より上手な選手に囲まれながらサッカーをやってきましたし、その時点では大きな成功体験もなかったので、自信はありませんでした。この先どうなるかもまったく見えない状況です。

でも、とにかくサッカーを真剣にやっていれば、何かしらチャンスが来ると信じていました。チャンスが来たとき、それを生かせなかったらそれは自分のせい。だから、チャンスが来るその日のための準備を毎日する。そう自分に言い聞かせていました。

■コンディションが悪いなりにベストを尽くす

【三宅】その後、めでたくプロになられて、日本を代表するディフェンダーとして長年にわたって活躍をされるわけですが、経験を積むと、調子の波というものはある程度コントロールできるようになるものですか?

【中澤】コンディションに関しては、どうしても波があります。疲れてくると下がりますし、試合の間隔が少し開くとコンディションを整えやすい、ということはあります。ただし、プレーに関しては、若いときのほうが好不調の波が大きかったと思います。

【三宅】そういうものですか。

【中澤】若いころは「今日は体が重いな」とか思ってしまうことがあったのですが、経験を積むと、自分のコンディションが悪いなら悪いなりに、そのなかで最大限のパフォーマンスの引き出し方がわかってくるのです。結果的にベテランになった後のほうが、安定したパフォーマンスを出せるようになったと思います。

【三宅】なるほど、深いですね。

【中澤】結局は気持ちのもちようなのですが、「ネガティブな状態でも、プラスの結果を出そう」と自然と考えるようになりました。

■ディフェンダー開眼となった岡田監督の言葉

【三宅】ちなみにセンターバックというポジションは、試合全体を俯瞰できる立場かと思いますが、「今日の試合は勝てそうだな」といったことはわかるものなのですか?

【中澤】プロになりたてのころはわかっている気になっていました。しかし、マリノスに移籍して岡田武史監督と出会ってからは、そういったことは一切考えないようにしました。

岡田監督が口を酸っぱくしておっしゃっていたのが、「90分間どうなるかわからないという精神状態でいないと、ディフェンスはものの1秒で失点する。その1秒を虎視眈々と狙っているのが、相手のフォワードなんだ」と。実際、サッカーでは「ボールはまだあんな遠くにある」と油断していると、キラーパス1本であっさりゴールを決められたりします。

【三宅】では岡田監督の言葉で、ディフェンダーとして一皮向けたわけですね。

【中澤】間違いありません。「89分集中したけど、残りの1分でやられました」というのは、あってはいけない言い訳であり、ボールがどこにあっても気持ちを切らさないことがディフェンスとして最低限やらなければいけないことであると、監督から教わりました。

元サッカー日本代表の中澤佑二氏
撮影=原貴彦

■レフリングにイラつくのは僅差の試合をしているから

【三宅】岡田監督からは、ほかにどのようなアドバイスを受けましたか?

【中澤】本当にいろいろ学ばせていただきました。たとえば、レフリングに関して、若いときの僕は、試合結果をすぐに審判のせいにしていた。

しかし、岡田監督はそんな僕に対して「レフリーも人間だから、時にはミスもする。それに対してイライラするのは、エネルギーの無駄遣いだ。そもそもレフリングの判定で試合の勝敗を決めるような試合をすること自体がいけない。それ以前に勝負を決められるように努力をしろ」とおっしゃるのです。

【三宅】噂には聞いていますが、素晴らしい監督ですね。

【中澤】心の底から尊敬します。とはいいながら、岡田監督もレフリングでよくイライラされていましたが(笑)。

■オシムの言葉「日本だけではなく、常に世界を」

【三宅】現役を引退されるとき、ご自身のブログで、岡田監督を含め、それまでのサッカー人生でお世話になった方々に対する感謝の気持ちを綴られています。私も読ませていただきましたが、非常に感動しました。

【中澤】僕がサッカー選手を長年続けてこれたのは、ひとえに出会いに恵まれたからだと思っています。マリノスの公式ページに上げようかとも思ったのですが、マリノスとは直接関係のない方々への感謝もしっかり書きたかったので、公式ページとは別に書きました。

【三宅】小学校のときにスパルタ指導を受けた顧問の先生への感謝も綴られていますね。

【中澤】もちろんです。実はその先生がクラブチームを作られたので、もしその先生がいなかったら、僕はサッカーをしていません。サッカーと出会わせてくれた恩師です。

【三宅】ほかに印象的だった恩師なり、監督はいますか?

【中澤】日本代表でお世話になったイビチャ・オシム監督ですね。「日本だけではなく、常に世界を意識して練習や試合に臨め」ということをよく言われました。それをきっかけに世界をより意識するようになったので、オシム監督との出会いは世界を見るための出会いだったのかなと思っています。

■ベテランを腫物扱いしなかったモンバルエツ監督

【中澤】あとは2015年から3年間、マリノスでお世話になったフランス人のエリク・モンバエルツ監督も印象深かったですね。

実は当初、彼とは結構揉めたのです。なぜかというと、僕のプレーや練習に関して、あれこれ細かいことまで指示してきたからです。

【三宅】当時の中澤さんは大ベテランですよね。

【中澤】30代半ばです。だから最初のうちは「僕はもう若手じゃないんだよ」といった感じでつっぱっていたのですが、ちゃんと話をしてみると、僕の伸びしろを信じて、僕のために一生懸命アドバイスをくれていたことがわかったんです。

【三宅】逆に言えば、ベテランになると特別扱いされることが一般的ということですか?

【中澤】特別どころか、腫れ物扱いされることが多いです(笑)。でもモンバエルツ監督はそういう遠慮を一切せず、なんの裏表もなく、しっかり意見を述べてくれたのです。「マリノスというチームが一歩先に進むためにこういう戦略で戦っているから、君にはこういうプレーをしてほしい」「君からするとすごくチャレンジングなことはわかっているけど、俺はできると信じている」といったことです。

【三宅】ベテランになってからも指導をしてくれる存在は、ありがたいですね。

【中澤】ありがたいですし、あの歳になっても自分の成長を見てくれる監督に出会えたことが嬉しかったですね。実際、監督と出会って守備面はさらに伸びました。

■外国語は確実に世界を広げてくれる

【三宅】では最後に、英語学習、あるいは海外への挑戦を含めて、目標に向かって頑張っている人々へのメッセージをお願いいたします。

【中澤】語学に関して言えることは、世界が確実に広がるということですね。僕もポルトガル語を勉強したからこそ、サッカー王国のブラジルでサッカーができましたし、現地の選手たちともコミュニケーションをとれるようになりました。

それに遠征先などで「俺、ポルトガル語を話せるよ」と言うと、それだけで知らない人たちとの間にやり取りが生まれて、いろんな経験ができます。英語のような汎用的な言語を話せるようになれば、今までにない素晴らしい経験がたくさんできると思います。

■「とりあえず」「まずは」はNGワード

【中澤】あとは、とにかく目標設定が大事だと思います。なんのために英語を学ぶのか? その目標の期日はいつか? 期日から逆算したとき、いま自分は何をすべきなのか? そういうことを常に意識しながら「正しい努力」をしてもらえれば良いかなと思います。

【三宅】「正しい努力」ですか。

【中澤】以前こういった話を聞いたことがあります。「技術的なことに関しては、目的がないと意味がない」と。たしかにそうだよな、と思ったことがあります。「目的のない努力ほど無駄なことはない」ということです。

僕自身、昭和の生まれで、若い頃はどちらかというと「量」を重視するタイプでしたが、その言葉を聞いてからは「質」を重視するようになりました。

【三宅】いまのお話を仕事に置き換えると、組織の中で働く場合も、惰性で働くのではなく、個人としての具体的な目標や目的が大切だということですね。

【中澤】そうですね。実際に若い選手たちをみていても、目標をしっかり言語化できていて、その目標を達成するために自分で考え、行動に移せる選手は絶対に伸びます。「とりあえずJリーグに出たいです」とか「まずはレギュラーですかね」みたいに、「とりあえず」とか「まずは」といった言葉を使う選手はたいてい伸び悩みます。

あと「お前はこれをやれ」と言われないと練習しないような選手はなかなか伸びません。代表に選ばれたり、日本から世界に出て行ったりする選手は、自分で目標を掲げ、それに向かって自分で行動できます。ビジネスの世界でも同じだと思います。

【三宅】おっしゃるとおりです。

【中澤】ですから、英語の勉強をするにしても、なんとなく「英語を話せるようになりたい」という曖昧な目標ではなく、「私は○○をしたいから、いつまでにこのレベルになる」ときっちり目標設定をして、それに向けてコツコツと「正しい努力」をしていただければ、必ずその努力は報われるはずです。

【三宅】本日は、素敵なお話をありがとうございました。

元サッカー日本代表の中澤佑二氏(左)とイーオン社長の三宅義和氏(右)
撮影=原貴彦
元サッカー日本代表の中澤佑二氏(左)とイーオン社長の三宅義和氏(右) - 撮影=原貴彦

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三宅 義和(みやけ・よしかず)
イーオン社長
1951年、岡山県生まれ。大阪大学法学部卒業。1985年イーオン入社。人事、社員研修、企業研修などに携わる。その後、教育企画部長、総務部長、イーオン・イースト・ジャパン社長を経て、2014年イーオン社長就任。一般社団法人全国外国語教育振興協会元理事、NPO法人小学校英語指導者認定協議会理事。趣味は、読書、英語音読、ピアノ、合氣道。

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中澤 佑二(なかざわ・ゆうじ)
元プロサッカー選手
1978年、埼玉県吉川市出身。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。J1のフィールドプレーヤーでは歴代最長となる178試合連続先発フル出場記録をもつ。日本代表チームでも長年中心選手として活躍し、出場数は110試合。2010 FIFAワールドカップの開幕前までキャプテンを務める。2019年1月、現役引退を発表。

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(イーオン社長 三宅 義和、元プロサッカー選手 中澤 佑二 構成=郷 和貴)

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