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ツイッターでよく見かける「謝ったら死んでしまう病」という本末転倒

プレジデントオンライン / 2020年7月22日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/itakayuki

議論の生産性を高めるうえで「プライド」はムダになることが多い。慶應MCCシニアコンサルタントの桑畑幸博氏は「ツイッターでは論点をすりかえる『揚げ足取り』の議論が目立つ。そうした場面では、さっさと謝罪し、本来の論点に戻ったほうがいい」という——。

※本稿は、桑畑幸博『屁理屈に負けない! 悪意ある言葉から身を守る方法』(扶桑社)の一部を再編集したものです。

■Twitterで見かけた編集者の「くだらない議論」

自称「議論研究家」の私にとって、なかなか興味深いネタを提供してくれるTwitter。そこで先日も「くだらない議論」を見つけました。(なお、それぞれの発言は論旨が変わらない程度に私が編集しています)

発端は、ある男性編集者(Aさんとします)が「献本へのお礼を直接でなくSNSに流すのは、自分にはコネがあるということを言いたいだけとしか思えない。書物が社交の道具に貶められている」とツイートしたことでした。

その意見に反応したのが同業の女性編集者(Bさん)。「その解釈は狭量だ。本の情報がSNSで拡散されることに意味がある」と意見します。

するとAさんは、「情報を拡散して本の宣伝ができればいいという考えには同意しない。書くことは断念することであり、編集は捨てることであり、出版は閉じ込めることだからだ」と反論します。

ここまでは良かったのです。

メリットとデメリット、リスクとリターン。モノゴトには多様な側面がありますから、献本に対しても異なる意見が出てくるのは当たり前で、両者の意見にはそれぞれちゃんとロジック(理屈)がある生産的な議論です。

■「出版やめて、クッキーでも焼いてフリマで売ってろ」

しかし、「出版とは閉じ込めること」に続けたAさんの次のような発言で、残念ながら「まともな議論」が一気に「くだらない議論」に突入します。

「そんなこともわからないんだったら、出版やめて、クッキーでも焼いてフリマで売ってろ」

このAさんの発言をスクリーンショットで引用し、Bさんが噛みつきます。

「こういう閉鎖的で性差別の発言が感情的な口調で出てくるところが、ザ・日本の出版界ですね」

ここから先は……。はい、皆さんご想像の通りです。当初の論点である「献本お礼ツイートの是非」は置き去りにされ、以下のような外野からの発言が相次ぎ、炎上することとなりました。

「女性編集者とわかってのこの発言は明らかな性差別」
「性差別からくる発言だと俺は思わなくて、単純な職業差別だと思う」
「クリエイティブな行動すべてを蔑んでると感じた」
「クッキー馬鹿にしてるんですか? 謝罪してください」

もちろん中には「女性差別というより、商業ベースにのらない素人商売という意味合いだと思いますけどね」という冷静な意見もありましたが、概ねAさんへの感情的な批判が続きました。

■するべきは相互理解を深める質問

私の個人的な解釈としては、Aさんは賞味期限の短い本を粗製乱造することのメタファーとして「フリマでクッキーを売る」と言ったのではないかと考えていますが、もしそうだとしても、うかつな発言であったことは確かです。

しかしながら、まともなやり取りを「くだらない議論」にしてしまったのはAさんだけの責任ではありません。

私に言わせれば、「どっちもどっち」です。

まず、Aさんの問題は何か。

「クッキーでも焼いてフリマで売ってろ」という、なかなかパンチの効いた一節に皆さん注目していますが、それ以上に問題なのが、その前の「そんなこともわからないんだったら」です。

これはつまり、「自分は正しい。お前は間違っている」ということの表明であり、他の議論でもありがちな「マウンティング目的の発言」に他なりません。これでは、相手が見下されたと感じてヒートアップするのも当然です。

Aさんは、炎上した後で「これは文学と社会学の対立」と言い直しましたが、そうであればBさんとはそもそもの立脚点や視点が違うわけですから、そこを議論の中で「自分はこういう視点で」ときちんと説明すべきでした。(個人的には、文学と社会学というより文化と経済の対立だと思っています)

どちらにせよ、結局面倒くさくなってBさんをブロックしたわけですから、最初から面倒くさいことにならないよう、余計なひと言を加えずに、冷静に議論をすれば良かったのです。(あるいは最初からスルーするか)

次にBさんの問題。

これはもう「論点ずらし」であることは明白です。当初の「献本お礼ツイートの是非」という論点から、「性差別」へと論点をずらし、そこから「個人攻撃」と「業界批判」に持って行ったわけですね。

BさんがAさんの発言を性差別と解釈したとしても、そこはさらっと触れる程度にして、たとえば「編集は捨てること、というのが献本お礼ツイートとどう関係するのですか?」といったような相互理解を深める質問をすべきでした。

もしBさんが相互理解を目指しているわけではないのであれば、最初のAさんのツイートへの反論も「議論する気などなく、単に噛みつきたかった」ということになります。

■日常生活に蔓延する「屁理屈」

さて、これはほんの一例です。

ご存じの通り、インターネットの世界には屁理屈をこねくり回したヘイトスピーチやデマ(フェイクニュース)、そして個人に対する誹謗(ひぼう)中傷が蔓延しおり、それが日常的な炎上の要因となっています。

今回のコロナショックに関わるインターネットやテレビでの発言も、参考にすべきものも多くありますが、中には勘違いや無知からくるトンデモ意見、そして悪質なデマや恐怖心を煽るだけのものまで、玉石混交の「言葉の洪水」に私たちは翻弄されています。

そして仕事の現場では、パワハラにセクハラ、家庭ではモラハラといった、自分勝手な屁理屈によるハラスメントも、まだまだのさばっています。

ですから、私たちは「乱暴な主張で他者を否定し、押さえつけようとする言葉の暴力=屁理屈」の構造やテクニックを知ることで、そこから身を守る術を学んでいかなくてはなりません。

その代表例が、前述のくだらない議論の発端となった「論点のすり替え」です。

■揚げ足取りは「人格攻撃」につながる

この「論点のすり替え」を、皆さんは日常的に目にし、耳にしているはずです。たとえば会議で意見がぶつかった時、「そんな言い方をするからあなたの意見は信用できないんですよ。だいたいあなたはいつも……」というように反論するのも論点のすり替えです。

確かに言い方に問題はあったかもしれませんが、そこから「意見そのものの是非」ではなく「人格攻撃」に論点をずらしてしまうのは、悪意に満ちた屁理屈以外の何物でもありません。

では、なぜ人はこのような論点のすり替えを行うのか。それは当然「議論で優位に立つ」ためです。それも多くの場合、本来の論点では勝ち目が見つからないから、とりあえず論点をずらし、そのことで相手より優位に立とうとするのです。

そして、こうした論点のすり替えは、「揚げ足取り」と呼ばれるものです。前述したBさんも、また例に出した会議での批判も、本来の論点とそれに関する意見の中身ではなく、「表現の仕方」のようなプロセスを問題視し、そこに噛みついているのがおわかりでしょう。

ですから、揚げ足取りのような論点のすり替えは、往々にして「人格攻撃」になるケースが多くなります。

■誰もが「印象操作」で優位に立とうとする

特に会議やSNSなど第三者の目がある場合、本来の論点から人格攻撃に論点をずらすことで、会議の参加者やSNSの閲覧者に「こんな人物の意見が正しいはずがない」と印象づけ、相手より優位に立つことを狙います。

なんと姑息な屁理屈だと思いませんか?

しかし実は、子供から大人まで、私たちは意識、無意識に関わらず、こうした「印象操作」を行ってしまう。それをまず自覚すべきです。

野党代表の国籍問題や与党閣僚の過去の発言を取り上げて「こんな政治家の言うことなど聞くに値しない」と結論づけるのも、子供が「○○ちゃんはいつも……」と人格批判をして自分の意見を通そうとするのも、根っこは同じ「印象操作で優位に立とうとする行為」です。

正直に言えば、私自身こうした論点のすり替えを行った経験があります。いや、こうした論点のすり替えをやったことがない、という人などいないのではないでしょうか。

それほど社会に溢れる「揚げ足取り」という論点のすり替え。では、どうしたら論点のすり替えを行わず、また攻撃される対象となったときに身を守れるのでしょう。

■「謝ったら死んでしまう病」にかかったら本末転倒

まず、自分が人格攻撃をされている当事者であれば、「謝ってしまう」のが一番です。「ああ、確かに言い方がまずかったですね。それは申し訳ありません」と、きちんと過ちを認め、謝罪してしまう。

その上で「ですが、本来の論点は……」と議論を本筋に戻すのです。これにより、相手は一時的には優位に立てるものの、それ以降は本来の論点で議論するほかなくなります。

うまくいけば「ちゃんと謝った」ことで、会議の他の参加者やSNSの閲覧者からきちんとした人という好印象を獲得し、揚げ足取りを逆手に取れるかもしれません。

しかし、こうした理屈がわかっていないのか、それともわかっていてもやらないのか、政治家にしろSNSの発言者にしろ(前述のAさんもそうです)、なぜか自分の非を認めて謝ることができない人が多すぎます。まるで「謝ったら死んでしまう病」にかかっているかのようです。

その根底にあるのは、たぶん「ちっぽけなプライド」なのでしょう。自分の経験やスキルに自信があり、自分は正しいことを言っていると思っている。また、「その道のプロ」や「○○という肩書き」といった地位を守りたい。

だから、自分の非を認めることなどできないし、する必要もない。よって、揚げ足取りをされたとしても、謝る必要などないし、揚げ足取りをやってきた方が悪い。

せっかく生産的な議論を重ねて社会的な地位を得たとしても、そういった考えを続けているうちに「謝ったら死んでしまう病」にかかってしまうのだとしたら本末転倒です。

■さっさと謝罪し、本来の論点で議論を進める

桑畑幸博『屁理屈に負けない! 悪意ある言葉から身を守る方法』(扶桑社)
桑畑幸博『屁理屈に負けない! 悪意ある言葉から身を守る方法』(扶桑社)

何かを発信しようと身構えるとき、小さなプライドから私も含む誰もが「病」に侵されてしまう。このリスクは意識すべきです。議論の生産性にプライドは必要ありません。むしろ、無用なプライドなど捨てて、「揚げ足取り」をされたらさっさと謝罪し、本来の論点で議論を進める習慣をつけていきたいものです。

生産性の向上やネットリテラシーが求められる昨今、「屁理屈に振り回されたくない、相手をだまし、押さえつけようとする悪意ある言葉に負けたくない」というのは、今の時代に持つべき真っ当な危機感です。

ぜひ声の大きな攻撃的な人々が駆使する卑怯な屁理屈のテクニックを知ることで、それに負けない力を身につけて欲しいと思います。

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桑畑 幸博(くわはた・ゆきひろ)
「慶應丸の内シティキャンパス」シニアコンサルタント
01年の立ち上げから参画し、マーケティング・思考力・コミュニケーションスキルの講義で人気を博す。これまで資生堂、カゴメ、ブリヂストンなど100社以上の一流企業、および多数の自治体で研修を手掛ける。新著に『屁理屈に負けない!――悪意ある言葉から身を守る方法』がある。

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(「慶應丸の内シティキャンパス」シニアコンサルタント 桑畑 幸博)

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