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東大クイズ王「恩師に『人とは違うと思っているのか』と怒られたから今がある」

プレジデントオンライン / 2020年7月22日 9時15分

伊沢 拓司/TBS系列の人気クイズ番組「東大王」でおなじみのクイズプレーヤー、起業家、タレント - 撮影=市来朋久

クイズ番組で「東大最強の知識王」として知れられる伊沢拓司さん。その原点は6年間通った暁星小学校(東京都千代田区)にあります。伊沢さんは「決しておごらない、やるべきことをやる、正しい行いをする、恐れずに挑戦する。こうした行動指針はすべて小学校で身に付けたものです」と話します——。

※本稿は、プレジデントFamily編集部『日本一わかりやすい小学校受験大百科 2021完全保存版』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

■「クイズ王・伊沢拓司」は小学校時代につくられた

開成高校時代の「全国高等学校クイズ選手権」2連覇、東京大学大学院時代の「東大王」出演を経て、いま僕はクイズを題材としたウェブメディアを運営する「QuizKnock」の代表を務めています。大学院を中退し、自ら起業することは僕にとって大きな挑戦でした。その挑戦する力を養った場所は、6年間通った暁星小学校(東京都千代田区)です。

両親ともに朝早くから夜遅くまで仕事をしていたため、僕はずっと保育園に通っていました。6歳のとき、習い事感覚で近所にあった幼児教室に通い始めましたが、親は何が何でも私立小学校を受験させたいとまでは思っていなかったように思います。数校を受験することになったものの本命校はなく、わが家には「小学校受験絶対合格!」という空気はあまりありませんでした。

大の巨人ファンだった父は、「長嶋茂雄が立教大出身だから」という理由で系列の立教小学校を薦めていました。僕も巨人ファンだったのでその気になっていましたが、残念ながら落ちてしまいました。

暁星小学校の受験前日、僕は暁星があるのは自宅から便利に通える「板橋」だと思っていたのですが、実際は「飯田橋」だということがわかりました。「そんな知らない場所へは行きたくない!」と言って、親と言い合いになったことを覚えています。さらに当日は母が道に迷い、試験開始時間ギリギリの到着でした。

そんなドタバタの受験でしたが、無事に合格することができました。試験のことで覚えているのは運動と面接だけです。運動が得意だったので8の字ドリブルがうまくできたことが、面接では当時から話すのが好きなタイプだったので試験官の先生と人見知りせずにハキハキとしゃべれたことがよかったのだと思います。

■クラス全員ひらがなが書けて、書けなかったのは僕だけ

入学して早々、ショックを受けたのは、クラスメートはほぼ全員ひらがなが書けて、書けなかったのは僕だけだったことです。「小学校受験では、読み・書きはないから」と、両親が教えていなかったのです。

クラスメートがきれいな字でひらがなの書き取りをする中、僕だけ上手に書くことができない。「あ」からいきなり難しくて、苦労しました。周りの子が花丸をもらっているのに、僕は二重丸しかもらえず悔しかったことは鮮明に覚えています。それを母に伝えたら、近所の硬筆教室を見つけてくれました。そこに通ったおかげで字は上達し、生まれて初めて芽生えたコンプレックスは徐々に解消していきました。

花丸、二重丸、ただの丸……。思えば、いろいろな場面で子供たちに優劣を付ける学校でした。裏を返せば、努力することを肯定し、結果をきちんと評価してくれるということです。

勉強のことだけではありません。たとえば「上手に絵が描けた」「教室の本棚を自主的に整理した」「学校で飼っている生き物の世話をした」などの理由で、クラスメートの名前と花丸が黒板に書かれるのです。それは「みんなのことをきちんと見ているぞ」という、先生からのサインでした。だから自然と子供たちに、よいことをしよう、いろんなことに挑戦しようという気持ちが芽生えたのでしょう。挑戦を恐れない気持ちは、いまの自分につながっている気がします。

■先生の長いお説教タイムがあったから今の自分がある

暁星小はサッカーが盛んな学校で、体育とは別に週に1回、サッカーの授業がありました。2年生のとき、日韓ワールドカップが共同開催されたことで、日本中のサッカー熱が高まる中、僕もサッカーが大好きになっていました。だからサッカーの授業は楽しみだったのですが、一方で恐れてもいました。なぜなら、先生の指導がとにかく厳しいのです。

技術的な指導ではなく、取り組む姿勢に対して厳しいのです。チームは子供たちが話し合って組むのですが、先生は、「なぜこのようなチーム編成にしたのか」「リーダーはどうやって決めたのか」「なぜあの独りよがりなプレーを放っておくのか」などと質問してきます。うまくチームがまとまらないと、試合をせずに話し合いが続くこともありました。技術的にはうまくても和を乱すプレーをしたら、めちゃくちゃに叱られましたね。サッカーの授業を通じて、チームビルディングの方法や協調性、リーダーシップとフォロワーシップを身に付けさせたかったのだと思います。

プレジデントFamily編集部『日本一わかりやすい小学校受験大百科 2021完全保存版』(プレジデント社)
プレジデントFamily編集部『日本一わかりやすい小学校受験大百科 2021完全保存版』(プレジデント社)

先生方が厳しかったのは、サッカーの授業だけではありません。授業中はもちろん、休み時間や掃除の時間も含め、子供が何かをやらかすと必ず叱られました。

あるとき、テストの答案が1枚なくなり、廊下で見つかったことがありました。その日は1時間目から4時間目までの授業の予定を変更し、クラス全員が4時間続けてお説教です。暁星小では教科担任制度をとっているので、授業ごとに先生が替わります。だから2〜4時間目の先生にとっては予定外のことになってしまうのですが、そんなことはお構いなし。おそらく先生方の中で、学習よりも道徳教育が大事だということが共有されていたのでしょう。

■伊沢に教員激怒「ものを知っているから、お前は偉いのか?」

僕自身もしょっちゅう叱られていました。いまでも忘れられないのは、次の二つのことです。

電車が好きだった1年生のとき。詰め襟の制服はお気に入りだった。暁星小学校は東京都千代田区にある幼・小・中・高一貫男子校。1888年に創立した伝統校だ。
電車が好きだった1年生のとき。詰め襟の制服はお気に入りだった。暁星小学校は東京都千代田区にある幼・小・中・高一貫男子校。1888年に創立した伝統校だ。

まずは3年生のとき。学校から貸し出されていた歩数計をなくしてしまったことがありました。「やばい、めっちゃ叱られる!」とあせった僕は、朝一番に先生に土下座をしにいきました。そのとき先生は、「それは、ただのパフォーマンスなのでやめなさい。歩数計をなくしたことを謝るのであれば、原因は何だったのか、今後どうするのかをきちんと説明すべきだ」と言われました。たしかにその通りだと反省しました。

もう一つは6年生のとき。そのころ読書や、4年生から通い始めた塾によって知識を広げていた僕は、クラスの中で自他ともに認める物知りな存在でした。社会の授業で先生の投げかけた質問に、僕は頬づえをつきながら手を上げたのです。その瞬間、先生が激怒しました。

「ものを知っているから、お前は偉いのか? 塾に通っているから、人とは違うと思っているのか? そう思っているから、そんな態度に出るんじゃないのか!」

とクラスメートの前で見事に鼻を折られました。このときの経験は、その後の人生に強く影響を与えています。クイズプレーヤーとして活躍するようになっても、「決しておごらないこと」を常に心に留めるようになりました。あのとき本気で叱ってくれた先生には、感謝しています。

先生方のお説教は、優しく説諭するでもなく、暴言で抑えつけたりもしません。大人の言葉遣いで、子供たちを対等な人間として扱い、こちらが理解するまで言葉をつなぐのです。また、子供にとってアウェーである職員室に呼び出すこともありません。子供のホームである教室か、もしくは教科指導室に呼び出し1対1で向き合うのです。おそらく叱り方にもルールがあったのでしょう。

■「やるべきことをやる」「正しい行いをする」「恐れずに挑戦する」

振り返ると厳しい学校でしたが、理不尽に感じたことはありません。カトリックの教えに基づいた教育で、先生方は、児童の誰に対してもフェアだったと思います。

私立小学校に通っていたとはいえ、わが家は、決して裕福ではありませんでした。図工の時間、みんなが新品の彫刻刀を使う中で、僕だけが中古品を使っていました。

「みんなと同じでなくてもいい、うちには無駄に使うお金はない」という両親の考えでしたが、僕は中古品が嫌でたまりませんでした。けれど、古い彫刻刀をからかう友達は一人もいなかったのです。他者を認める文化が児童間にもできていましたね。

僕の知る限り、いじめもありませんでした。いじめの芽のようなものがあったら、先生方が徹底的につぶしていたのだと思います。

1学年120人。男子だけで過ごした6年間は、とても楽しい時間でした。クラスメートのほとんどが暁星中学に進学するので、みんなと別れるのはつらかったけれど、開成中学へと進学しました。先日テレビの企画で6年生の頃の、僕を叱ってくれた先生にお会いできたのは感動しました。

自らの小学生時代を振り返って、あらためて思います。「やるべきことをやる」「正しい行いをする」「恐れずに挑戦する」といった、大人になったいまも僕の中にある行動指針は、間違いなく暁星小学校で身に付けたものだと。

■伊沢拓司が語る【子供の知的好奇心を伸ばす3つのコツ】

1:興味を否定しない
何でも興味を持ったことを否定しないのは大事だと思います。たとえゲームでも深く知ることで、ゲームから派生したさまざまなジャンルの知識へと広がっていきます。

2:さりげないきっかけを与える
いろんなことを知りたいと思ったのは、両親が買ってきてくれた歴史の学習漫画がきっかけでした。それから歴史小説、生き物、サッカーの本など興味の幅が広がりました。最初に娯楽漫画を知っていたら娯楽漫画の世界にどっぷりだったと思うので、適度な抑制も必要ですね(笑)。

3:大人の言葉で話す
補足することは必要ですが、子供を一人前扱いして大人同士の会話で使うような言葉を交えるのはいいことだと思います。語彙が増えると、読書や会話の理解が深くなりますし、自己肯定感も増します。

伊沢拓司氏
撮影=市来朋久
伊沢拓司氏 - 撮影=市来朋久

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伊沢 拓司(いざわ・たくし)
クイズプレーヤー
TBS系列の人気クイズ番組「東大王」でおなじみのクイズプレーヤー、起業家、タレント。1994年、埼玉県生まれ。1994年、埼玉県生まれ。暁星小学校、開成中学・高等学校、東京大学経済学部を経て、同農学部大学院に進学。TBSのクイズ番組『東大王』で活躍。2016年に立ち上げたwebメディア『QuizKnock』で編集長を務め、19年には株式会社QuizKnockを設立。CEOに就任, YouTubeチャンネルの制作やウェブメディアの運営を行っている。近著に『勉強大全』(KADOKAWA)など。

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(クイズプレーヤー 伊沢 拓司 構成=尾関友詩)

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