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在宅勤務で悟った。嫌いな人が視界に入るし、再び出社は苦痛。どうすべきか?

プレジデントオンライン / 2020年8月2日 11時15分

弱冠22歳で自死を選択してしまった木村花さん。釈迦の教えなら彼女を救うことができたかもしれない。(AFLO=写真)

■自分を変えると相手も変わる

今年5月、女子プロレスラーの木村花さんが、SNSで匿名の人たちから受けた誹謗中傷を苦に自ら命を絶つという、たいへん痛ましい事件がありました。おそらく、22歳の彼女には、自死以外に苦痛から逃れる方法が見つからなかったのでしょう。そうであったのならそれも仕方のないことだと、周囲は認めてあげるべきです。

一方で、この世の一切は常に変化しているという仏教の考え方からいえば、直面しているつらい現実も決して永遠ではないということになります。状況が変わるまでもう少し待つこともできたのではないかと思うと、残念でなりません。

悩んだときは般若心経がお勧めです。これはお釈迦様が亡くなってから500年ほど後に、大乗仏教を体系化した龍樹の思想をまとめたものだといわれています。ここで説かれているのが「空(くう)」。これこそが人間を理解する基本の思想だと私は思っています。この空を正確に説明するのはいささか難しいのですが、要するに「あらゆるものは存在せず、単なる現象にすぎない」といっているのです。

また、仏教には「三法印」という基本的な教えがあります。これは「諸行無常(万物は常に変化する)」「諸法無我(すべてがつながりあっている)」「涅槃寂静(何ごとにもとらわれない悟りの境地)」という3つの真理のことです。要するに、この世界は常に変化し、すべてがつながっていて単独で存在するものなどない、といっているのです。般若心経にある「色即是空、空即是色」も、これと同じことを表現しています。

このように、いっさいは空であり、すべてが変化し続けているというのが仏教の基本思想なのです。そうすると、世の中も自分自身も昨日と同じではないわけですから、自分はこういう人間だと決めつけることや、あの人とはうまくいかないと気に病むことは、いかに意味がないかがわかるでしょう。

開眼寺 住職 柴田文啓氏
開眼寺 住職 柴田文啓氏

木村花さんもものごとを流動的にとらえることができたなら、もう少し楽に生きられたかもしれません。

すべてが流動的だからと周囲から何かいわれるたびに意見を変えていたら、うまくいかないでしょう。迎合ばかりでは、振り回され疲弊するだけです。

自分の考えを持ちながら、そこにしがみついて頑固おやじのようになるのではなく、他人の言葉にも耳を傾ける。そして、変えるべきだと思ったときにはこだわりなく変えればいいのです。

そういう生き方を心がけていると、年齢とともにだんだんと自分の型のようなものができてきます。そうなると何をいわれても「ああ、そういう考え方もあるのか」と平然と受け流すことができるようになります。

にっちもさっちもいかない局面に追い込まれたら、状況が変わるのを待つ、あるいは自分が積極的に変わる。これはビジネスパーソンにも有効です。

私が縁あって仏門に入ったのが65歳。それまではみなさんと同じようにビジネスの世界で、額に汗して働く日々を送っていたので、ビジネスパーソンの悩みは、たいがい察しがつきます。

■溺れる人は助ける、人間の本性は利他だ

たとえば、職場の上司が自分を認めてくれず、それをストレスに感じるのなら、上司の言葉に反発するのをやめて、一切合切を受け入れてみる。そうやって自分の反応が変われば、それを受けて今度は上司が変わるはずです。そうすると2人の関係性もいい方向に変わるかもしれないじゃないですか。

職場では日々問題が発生します。そのたびに対処法を一から考えるのは大変です。こういう場合はこうするとうまくいく、という指針があれば、ずいぶん気持ちが楽になると思いませんか。

その役割を果たすのが宗教です。世界にはいろいろな宗教がありますが、目的が人間の生き方の追求という点はどれも同じだといっていいでしょう。中でも世界三大宗教と呼ばれている仏教、キリスト教、イスラム教の信頼度は高いといえます。説かれている真理が永遠不変のものでなければ、これだけの長い間、世界中の人々から支持され続けるのは難しいからです。

ただし、キリスト教とイスラム教が一神教なのに対し、仏教には唯一絶対の神がいません。それどころか、初期仏教には信仰の対象すらなかったのです。では、開祖であるお釈迦様は人々に何を説いたのでしょう。それは、自分を見つめなさい、ということです。

昔もいまもこの世は自分の思いどおりにならないことばかりで、人々の悩みの種は尽きません。仏教ではこれを「一切皆苦」といいます。だから、悟りを開いたお釈迦様のところへも、救いを求めて多くの人が集まりました。しかし、どうすれば救われるかをお釈迦様は教えてくれません。訴えに耳を澄まし、「こういうふうに考えたらどうですか」とアドバイスを送るのみなのです。唯一絶対の存在がいないのですから、答えは自分で見つけるよりほかないし、見つかるまで考え続けなければならない。仏教にはそういう厳しい一面もあるのです。

その代わりお釈迦様は、考えるためのヒントをたくさん残してくれています。そのうちのひとつが「利他」。目の前で溺れている人がいたら、誰だってわが身のことなど顧みず、助けようという気持ちになるじゃないですか。このように利他というのは仏の心であり人間の本質だというのが、大乗仏教では基本の考え方になっています。

■「人間とは何か」というところに立ち返る

それゆえ、ビジネスでも自分よりもお客様の利益を先に考えるとうまくいくようです。私自身も営業が苦手でなかなか注文がとれず頭を抱えていたとき、ある本にあった「商品を売ることよりも、どうしたらお客様の役に立てるかを考えよ。そうすれば向こうから注文がくる」という一文が目に入りました。それで、藁をもつかむ気持ちで実行してみたところ、本当に注文が入り始めたのです。その本はビジネス書でしたが、そこに書かれていたのはまさにお釈迦様の教えと同じことなのだと、あとになってわかりました。

ものごとがうまくいかないときは、「人間とは何か」というところに立ち返ると、答えが見えてくることがあります。そのために自分を見つめることを習慣にしてみたらいかがでしょう。

その手段として私がお勧めするのは座禅です。姿勢を正して座るだけですから、空いた時間にすぐできます。ただ、座禅というのは簡単そうでなかなか奥が深く、50年近くやっている私でも、いまだに本当の座禅ができているか自信が持てません。それでも、正しい姿勢で座ると気持ちはたしかに落ち着くので、できれば最初はお寺などで指導を受けるといいでしょう。

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柴田 文啓(しばた・ぶんけい)
開眼寺 住職
1934年、福井県生まれ。福井大学工学部卒業後、40年以上のビジネス経験を経て、横河電機取締役を退任後、99年に得度。2001年開眼寺住職に就任。臨済宗妙心寺派宗門活性化推進局顧問も務める。

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(開眼寺 住職 柴田 文啓 構成=山口雅之 撮影=石橋素幸)

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