「普及率9割超」インド人も激賞するインド版マイナンバーカードのすごさ
プレジデントオンライン / 2020年7月29日 9時15分
※本稿は、グルチャラン・ダス、野地秩嘉『日本人とインド人』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
■「会社登記は3日で完了」インドで進むデジタル革命
経済改革の後、IT産業を中心にインドにはニューマネーが登場したのですが、決め手となったのは規制緩和と2017年以降のデジタライゼーション(デジタル革命)でした。アドハーシステム(インド版マイナンバーカード)が一般化されたこともあり、インドではオンラインで税金を払うことができますし、還付もまたオンラインです。
ネルー、インディラ・ガンジーの時代、新しく会社を興そうと思ったら書類が50枚以上も必要でした。会社の登記に1カ月半から2カ月かかっていたのが今ではオンラインで3日でできます。しかし、シンガポールではわずか1日ですから、まだまだインドは遅れています。
聞くところによれば、日本は法務局に届け出をするなどという手間をかけて、手続きに1週間もかかるそうですね。それではIT先進国とはいえません。IT、デジタライゼーションに関しては、日本とインドはそれほど変わらないというか、本人確認や税務申告ではあきらかにインドの方が進んでいます。
2009年のことですが、インドは固有識別番号庁(UIDAI)を創設してアドハーシステムの整備を開始しました。
■インド版マイナンバー「アドハー」、普及率は9割以上
アドハー(Aadhaar)システムは国民識別番号制度の名称です。Aadhaarとは、ヒンディー語でファウンデーション(foundation)という意味。物事の基盤ということでしょう。
アドハーの技術は日本のNECのそれが基礎になっていて、東京オリンピック・パラリンピックの本人確認にも通じるものです。指紋、顔、虹彩の認証を組み合わせ、1日最大200万件を登録できます。
現時点ではインドの人口の90パーセント以上、12億人以上が自身の顔写真、両手のすべての指の指紋、両眼の虹彩の情報を登録し、アドハーによる身分証明カードを手に入れています。5歳児までは登録できないため、登録資格のあるほぼ全員が登録していることになります。
アドハーが導入される前、インドにとって最大の問題は本人確認でした。たとえば「山田太郎」という日本人が、日本国内に1万人くらいいたとします。それぞれ、年齢、居住地、職業などによって本人確認ができますから、銀行口座を開く場合でも、他人が勝手になりすますことは防げます。
しかし、インドの場合、人口は約13億人です。グルチャラン・ダスは珍しい名前ですが、それでも同姓同名が何万人いるのか想像もつきません。ガンジー、ネルーといった姓なら100万人以上、いるでしょう。
インドには銀行口座を持っていない人間も多かった。また、出生証明書の所持者は全国民の半分以下に過ぎなかったし、納税者はさらに少数で、100人に3人程度でした。
■124億ドルの不正支出がなくなった
もっとも大きな問題は福祉の金や補助金を給付する実務でした。銀行振り込みができないから現金で本人に渡すしかない。しかし、本人確認ができないから、誰に渡していいのかわからない。本人確認ができたにせよ、もらうほうはいくらもらえるかわからないのだから、中間で搾取が行われる。
2000年当時、インドでは低所得者向けの食料や肥料の配給の4分の1が不正に支給されていたという事実もあります。公的な身分証明書を所持していない人は、社会生活に参加できる機会が少なかったのです。
アドハーが導入された結果、銀行口座の開設件数は4億口座を超えました。インド人女性が金融機関を利用する割合も27パーセント増加し、携帯電話の利用率も導入前に比べて倍増して、実に人口の79パーセントが携帯電話を利用するようになりました。
そして、貧しい人たちに渡る給付金が銀行振り込みになったことで、中間搾取がなくなり、汚職や不正も減りました。デジタライゼーションのおかげで、政府は124億ドル(約1.37兆円)の不正支出をなくしています。
汚職、一部の人間による不正受給はインドではなくならない問題とされていました。しかし、デジタライゼーションで撲滅することができたのです。
■「アカウントアグリゲーター」による信用調査
デジタライゼーションの一環として2019年末から、アカウントアグリゲーターという新制度が始まりました。本格的になるのは2020年3月からで、運営の主体はインド政府と中央銀行です。
わかりやすく言うと、個人の資産状況をクラウド上に保管し、必要なときに個人の指示で金融機関からアクセスさせる仕組みです。たとえば、次のような指示、振り込みになります。
・借り手はA銀行に対してクラウド上に保管してある書類情報にアクセスするように依頼する
・A銀行がクラウド上にアクセスしようとすると借り手の携帯に確認メッセージが来る。借り手が許可するとA銀行は情報にアクセスできるようになる
・もし、借り手がA銀行から借りないと決めた場合には、アクセス許可をキャンセルする。するとA銀行はクラウド上の情報を得られなくなる
いちいち書類を持って銀行を訪ねたりしなくてもいいし、借り手にとっては少しでも早くお金を借りることができる便利な仕組みです。貸し手にとっても信用の審査が非常に短い時間でできるようになるわけです。
ただ、現在、日本、アメリカ、ヨーロッパでは、GAFAのような巨大IT産業に対して個人情報を勝手に流用することを規制する方向に向かっています。インドの場合はそれとはまったく次元の異なる世界へ舵を切ったわけです。積極的に自らの個人情報を活用してもらおうという政策です。
■「高額紙幣廃止」は現金商売から完全脱皮
政府が2005年から計画してきたデジタル金融プラットフォーム「インディア・スタック」にはアドハーを主軸にして住民票、銀行口座、納税申告、運転免許証や携帯電話番号を連結させます。
2015年には加えて「デジロッカー(Digilocker)」というクラウド上に、こうした書類や卒業証書、職歴、診療記録などの個人データを保管・共有できる機能が加わりました。さらに「イーサイン(E‐Sign)」というデジタル署名認証も法制化され、利便性が高まっています。
2016年にはデジタライゼーションはさらに進化しました。「UPI(Universal Payment Interface)」という金融決済システムが完成し、アドハーの番号と携帯電話番号や決済用アドレスがあれば、わざわざ相手の住所や銀行口座を入力しなくても簡単に送金、入金の決済ができるようになりました。インドのデジタライゼーションはここまで進んでいます。
2016年11月、モディ首相は「高額紙幣廃止、新紙幣発行」を断行しました。日本の方たちは「インドの税務当局が脱税撲滅に躍起になった結果」と思われているかもしれません。しかし、それだけの理由ではないのです。
インディア・スタック、デジロッカーなどのデジタル金融プラットフォームが確立したから、国内に飛び交う現金を強制的に吸い上げることが可能になったわけです。インドはキャッシュレス社会に向かうんだという宣言でもありました。経済活動の9割が現金商売であったインドが、いよいよデジタル経済への完全脱皮を宣言した、というわけです。
■キャッシュレス社会先進国インド
前述の通りインドでは本人確認の手間暇や信用調査の煩わしさから、クレジットカードが普及していませんでした。人口約13億人に対して過去に発行されたクレジットカードの数は4500万枚、普及率はたったの3パーセントです。使う人が複数枚、持っていると考えれば実際には1パーセントに満たないかもしれません。
政府はクレジットカードの普及率を上げるよりも、アドハーとスマホでキャッシュレス社会を実現しようとしています。インドの携帯電話の普及台数は10億台ですから、クレジットカードを普及させるよりも、デジタル金融プラットフォームを整えたほうが時間もかかりませんし、はるかに安上がりなのです。
急速に広まったEコマース(ネットショッピング)や街頭での買い物代金は、直接、自分の口座から引き落としできるため、デビットカードも要りません。お金が足りないときは認証データに基づいて直ちに割賦払いや1000円のローンを組むことも可能です。
キャッシングに目をつけたのが2008年にノンバンクとしてスタートしたDMIとDMIのような金融ベンチャーでした。アドハーとデジタル金融プラットフォームのおかげでいくつものベンチャー企業が誕生したのです。
こうした金融ベンチャーについては、日本の金融機関はちゃんと勉強したほうがいいかもしれませんね。どこの国でも若い人にはクレジットカードやデビットカードよりもスマホの方が身近な存在ですし、扱いに慣れているからです。しかも、体から離すことはない。
■「新紙幣+デジタライゼーション」の可能性
インド経済は新紙幣発行以来、人の体でたとえるなら・血液・に当たる・お金・が流れなくなったため、一時的な心肺停止状態に陥りました。しかし、すでに回復しました。新紙幣+デジタライゼーションがインド経済の血液循環を促進しています。
2017年7月からはモディ首相が悲願としていた物品・サービス税(GST)の全国統一化が施行されました。州ごとに異なっていた間接税が一律となり、物品税や付加価値税がGSTに一本化されたのです。
これまで州境では複雑な税金の手続きを行うために物流の長蛇の列ができていましたが、一気に解消されつつあります。さらに、税率が一律となったため膨大な税務処理コストも大幅に削減されました。
デジタライゼーションの効果が実際に表れています。
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「タイムズ・オブ・インディア」に定期的にコラムを執筆。「ウォールストリート・ジャーナル」、「フィナンシャル・タイムズ」などに随時寄稿する世界知識人の一人。ハーバード大学哲学・政治学科卒業、ハーバード・ビジネス・スクールで学ぶ。リチャードソン・ヒンドスタンの会長兼最高経営責任者(CEO)、プロクター&ギャンブル(P&G)インディアのCEO、P&G本部の経営幹部(戦略企画担当)を務めた。小説『A Fine Family』(ペンギン)、劇作集『Three English Plays』(オックスフォード大学出版局)、エッセー集『The Elephant Paradigm』(ペンギン)などがある。ニューデリー在住。
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ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。
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(著述家、経営コンサルタント グルチャラン・ダス、ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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