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在宅勤務で心も体もだらけた…自分を正すべく、気軽にできる修行はありますか?

プレジデントオンライン / 2020年8月8日 11時15分

慈眼寺で定期的に行われる護摩修法。大阿闍梨を慕って、訪れる起業家や著名人も少なくない。

■時間通りに行動した1000日間の修行

在宅勤務でだらけてしまうのは、2つの軸においてうまくいってないのではないでしょうか。それは「時間」と「行動」です。家に長くいることで緊張感を失い、気がつくと時間が流れていて、何かしようと思っても腰がなかなか上がらない。

「時間」については、朝に一日のスケジュールを決めてしまいましょう。私はどこに行っても、一日の活動を分刻みにして考えます。いつからいつまでは原稿を書く時間、ヨガの時間、畑仕事をする時間と埋め込んでいく。

往復48キロの山道を1000日間歩き続ける「千日回峰行」を実行したときも、時間通りに行動することを意識していました。23時半に起床し、午前0時半に出発。8時半に山頂に着いて、15時半に帰山し、18時半に宿坊に帰ります。

一日中歩き続け、睡眠は約4時間半。体はボロボロになり、野生動物と遭遇することもあるので、簡単に遂行はできません。そして少しでもしんどいと思って休憩したら、あっという間に時間が過ぎてしまいます。そこで遅くなると「何かあったかもしれない」と心配されるので、時間を決めて自分を動かす習慣が身につきました。

スケジュールを組み立てられないという人は、前の日から「明日達成すべきこと」の目標を設定しましょう。それがあれば、自ずとやるべき行動が見えてきます。

大阿闍梨、仙台慈眼寺住職 塩沼亮潤氏
大阿闍梨、仙台慈眼寺住職 塩沼亮潤氏

私の場合、若いときから「世界一の宗教者になりたい」という夢を持っていたので、常にやるべきことだらけでボーッとしているヒマがありません。だからコロナ禍で行動が制限されても、生活スタイルは何も変わりませんでした。

次に「行動」をどうすればいいかというと、周りに人がいないときこそ、より規則正しく生活して、自分を律するように心がけましょう。テレビを観るときは寝転がらずにきちんと座る。読書も床が畳だったら正座して読む。身の回りの整理整頓をして、いらない物はすぐに捨てる。こうした行動を私は「慎独」と呼んでいます。人が見ているところだけカッコつけて、見ていないところでだらしなく過ごしていたら、自分にウソをついているようで自信が持てません。思い切ってオンとオフの切り分けをなくして、「常に素のままだから全部見てくれ!」というスタンスで過ごすと、ストレスがなくなります。

「そんなことは自分にはできない」と思う人がいるかもしれませんが、そんなに難しいことではありません。人間は「怠け癖」と「努力癖」の狭間で生きています。そしてほとんどの人は、怠け癖に向かってしまうものです。きびしいことを体験するより、楽をしていたいですから。でも、そこで心の方向を努力癖に向けようとするのです。頑張りすぎると心身がバテて続きませんから、怠け癖と努力癖の真ん中よりやや努力癖寄りぐらいでかまいません。それを続けていると、だんだん努力癖が身について、そのリズムで生きていると、とても心地よくスッキリとするものです。

■本当の修行は山ではなく里にある

お坊さんはなぜきびしい修行をするのでしょうか。お坊さんは自分より年長者の悩みに対応することがあります。そこで人生の先生として何かを教え伝えるためには、一般の方が一生涯で会得する人生の行を、一定の期間で会得しなければなりません。そこで強いプレッシャーとストレスをかけて成長すべく、きびしい修行をするのです。

といっても、坐禅や滝行といった苦行が、修行のすべてではありません。苦しいことに耐えたから悟れるものではない。それぞれに与えられた立場でそれぞれに与えられた役目を果たしていくなかでも、多くのことを感じて悟ることができます。そう考えると、ビジネスマンも主婦も、みなさん人生という修行なんです。

本当の修行は、山ではなく、里にあるんです。誰もコントロールできないものが2つあります。それは大自然と人間関係です。出かけようとして悪天候のとき、雨に文句を言う人はいません。これはこれでしょうがないと受け入れて、傘をさして外に出かけるはずです。でも人間関係はそうはいきません。意地悪な人と出会ったら、「なんだあの人!」と思ってしまいます。そのとき、天気を受け入れるように、相手や外的状況にとらわれず、穏やかな気持ちでいるために修行をするんです。

その境地を目指したいのであれば、日常生活でイライラしない努力をしてみましょう。イラッとしたり、ムッとしたりして、心の針が揺れることがあります。それを放っておくと、ネガティブな気持ちが増幅して恨みや憎しみを抱えるようになり、人生が悪い方向へと引き寄せられます。だから針が少しでも揺れたら、瞬間的に元に戻すのです。意地悪をされても、「相手を許してあげよう!」と振り切ってしまう。

それを繰り返していると、つらいこと、苦しいことが起きても、「よっしゃ、やってやるぞ」と乗り越えていく心が育っていきます。すると物事がいい方向に転がるようになり、得することが増えていくものです。やがて、「昔のイライラしていた自分に戻りたくない」と思えてきます。

■日常のなかで心の器を広げていく

今思えば、自分が荒行をしていたころは、肩に力が入って成長のスピードが遅かった気がします。それが今は、日常生活の中で心の針を戻すことと慎独の2つを実践しているだけで、ぐんぐん内面的な部分が成長していることを実感できます。

何とはない日常の生き方のなかで心の器を大きくしていって、すべてを受け入れられるぐらいに広げていく、とイメージするとよいかもしれません。

小さな修行は「習うより慣れろ」です。やろうと思ったら、今からでもやってみてほしいと思います。そして、「行を終えたら行を捨てよ」「修行して修行しぬいて、修行したことも忘れてしまえ。万が一悟ったとしても、悟ったことすら捨ててしまえ」。これは私が師匠から教えてもらった修行の基本です。どれだけ高い山に登ったか、何度山に登ったか、というのは修行の本質ではありません。このことを忘れずに、心の針を戻すことや慎独にぜひ取り組んでみてください。

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塩沼 亮潤(しおぬま・りょうじゅん)
大阿闍梨、慈眼寺住職
1968年生まれ。東北高校卒業後、吉野山金峯山寺で出家得度。91年大峯百日回峰行入行。99年大峯千日回峰行満行。2000年四無行満行。近著に横田南嶺氏との対談本『今ここをどう生きるか 仏教と出会う』(春秋社)。

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(大阿闍梨、慈眼寺住職 塩沼 亮潤 構成=鈴木 工 撮影=永井 浩)

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