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タイに逃れたロヒンギャが、なぜ名古屋のママチャリを売っているのか

プレジデントオンライン / 2020年8月8日 11時15分

1982年、ロヒンギャは土着民族ではないことが合法化され、ミャンマー政府が没収したNational Registaration Card(国民登録カード)。写真はメーソートに逃げてきた人やその家族のカードなど(2015年、メーソートで筆者撮影)。

■タイに逃れたロヒンギャが売っていた、名古屋のママチャリ

2015年、ミャンマーとの国境沿いに位置するタイ北西部の街メーソートにイスラム系少数民族「ロヒンギャ」の難民取材に行った。そこで「ママチャリ」という言葉を耳にして、驚いた。

これまでも、セルビアのバスのラジオから浜崎あゆみの歌が流れてくるなど、思いもよらない場所で日本の文化に触れることはあった。そして、ここメーソートのとある自転車店では大量のママチャリが並んでいた。その店はミャンマーから逃れてきたロヒンギャの男性、カマルさん(仮名)が営んでいた。

UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、世界では少なくとも約1000万人が無国籍の状態にある。たとえ迫害される状況下であったとしても、パスポートなどがないため、合法的に国境を越えることができない。そのため、命を危険にさらしてでも、高額な代金をブローカーに支払い、船などで国外脱出を試みる人が後を絶たない。

ロヒンギャの人々も無国籍とされ激しく迫害されてきた。差別、殺人、放火、レイプなど、暴力的な民族浄化を受けてきたのだ。多くはミャンマーの国外へ逃げたが、カマルさんもその1人だった。ママチャリは日本の名古屋に逃げた兄から中古のものを輸入し、修理して販売している。

■難民申請が認められる人はごく一部だ

日本では群馬県館林市にロヒンギャのコミュニティーがあり、約260人が暮らしている。しかし難民申請が認められる人はごく一部だ。労働許可などの資格も与えられず、仮放免という「待った」の状態が10年以上も続いている人もいる。パスポートがないためにほかの国へ逃れることもできない。

「ここでは仕事は続けられるから」。それがカマルさんが1人でタイに留まった理由だった。

しかしタイに不法滞在している彼の生活は今後どうなってしまうのか、わからない。新型コロナウイルスで私たちは移動を制限され、仕事も自由にできなくなった。しかし、それ以上に自由を奪われた状態が日常の人々が世界中、そして私たちの近くにもいる。今日本で、ママチャリを見るたびに、遠い国でママチャリを磨いているカマルさんが目に浮かぶ。

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伊藤 詩織(いとう・しおり)
ジャーナリスト
1989年生まれ。フリーランスとして、エコノミスト、アルジャジーラ、ロイターなど、主に海外メディアで映像ニュースやドキュメンタリーを発信し、国際的な賞を複数受賞。著者『BlackBox』(文藝春秋)が第7回自由報道協会賞大賞を受賞した。

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(ジャーナリスト 伊藤 詩織)

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