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全てリセットされた世界経済…懐かしくて新しい"贈与"のシステムが回復させる

プレジデントオンライン / 2020年8月10日 11時15分

近内悠太『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』(NewsPicsパブリッシング)

■「贈与されたこと」に対して覚える後ろめたさ

2020年6月、私自身も分科会のメンバーを務める世界経済フォーラムは21年1月に実施予定の年次総会(ダボス会議)のテーマを「The Great Reset=グレートリセット」にすると発表した。創設者のクラウス・シュワブは、「第2次世界大戦終了から続いてきた資本主義は限界を迎えている。人々を幸福にする新しい経済システムが必要だ」と語る。

「新しい経済システム」とは? それは経済における「贈与感性の回復」だと私自身は考える。資本主義世界では、お金を媒介して財を交換する。お金を意味するファイナンスの「ファイ」は元々「ファイナル(終了)」の「ファイ」と同語源。つまり「お金を払って関係を終了させる」から「ファイナンス」なのである。この関係性を、相互に贈り贈られる関係性に転換することで、エコノミーにヒューマニティを回復させる動きが出てくる、というのが私の考えだ。

現代思想がしばしば考察の対象とする「贈与」という概念を、今日的な意味で初めて取り上げたのはフランスの文化人類学者、マルセル・モースだった。モースは、いわゆる原始社会における経済が贈与によって駆動されていることを示したうえで、私たちの生きる現代社会があまりにも「等価交換の原理」に傾斜しすぎていることを批判した。以来、哲学・思想の世界では「交換」と「贈与」を対置させて考察するのが慣わしとなった。

ただ、実際には両者はそう明確に二分できるものでもない。例えば昨今、コロナの影響で行きつけの店に潰れてほしくないと感じた人が、「落ち着いたらまた飲みに行くね」と将来の飲み代を先払いする、といった行為は「交換」とも「贈与」とも言い切れない、両者の汽水域にあるとしか捉えようのないものだ。

■後世の人々に対して私たちの「肉と血」を贈与

そして、そうした思いに至って初めて、本書のタイトルの意味が腹に落ちてくる。これをいま読んでいるあなた自身も、その周囲にあるすべてのものも「交換以上の過剰な行為」、つまり「贈与」によって成立しているのだ。「贈与された者」は「贈与されたこと」に対して後ろめたさを覚える。だからこそ、私たちは後世の人々に対して私たちの「肉と血」を贈与して社会の建設に携わらねばならない。

20世紀初頭のスペインの哲学者、オルテガ・イ・ガセットは『大衆の反逆』の中で「すべてを自分たちで成し遂げた」と自惚れる凡百の人を「大衆=慢心した坊ちゃん」と名付けたが、大衆とは「贈与されたことへの後ろめたさ」を感じなくなった人なのである。

本書は読者にこの「被贈与」の感覚をおそらく呼び覚まし、懐かしさと同時に後ろめたさも想起させる。それこそが本書の最大のエッセンスだ。一言で言えば、本書を読むと謙虚になるのである。コロナ後の経済のあり方を考えるうえでも一読を勧めたい。

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山口 周(やまぐち・しゅう)
独立研究者・著述家/パブリックスピーカー
1970年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修了。電通、ボストン・コンサルティング・グループ等を経て現在は独立研究者・著述家・パブリックスピーカーとして活動。著書に『ニュータイプの時代』など多数。

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(独立研究者・著述家/パブリックスピーカー 山口 周)

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