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コロナ拡散、交差点で就寝…「迷惑系YouTuber」が逮捕されても絶対反省しない理由

プレジデントオンライン / 2020年8月4日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Khosrork

新型コロナウイルスをまき散らしながら不可解なパフォーマンスを繰り広げたユーチューバーが、このほど逮捕された。

■ノーマスクで咳をしながら感染

今どきその大口にマスクも手も被せぬまま、ゴッホゴホゴホと何度も咳込むTシャツ姿の肥満男。優美な錦帯橋(山口県岩国市)の欄干を手でなでまわし、これ見よがしに「山口(県)、サイッコー!」などと叫び、重そうな体でのしのしとアーチ型の橋を上る。下りで足を踏み外してハデに尻もちをついたのはハプニングのようで、大仰な悲鳴は本当に痛そうだ……。

7月11日、自ら「迷惑系YouTuber」を名乗る、へずまりゅうこと原田将大容疑者(29歳)が、滞在先の山口県内で窃盗容疑により逮捕された。5月に愛知県内のスーパーマーケットで、会計前の魚の切り身パックを開けて店内で食べた後、空のパックをレジに持参。その一部始終を撮って投稿された動画を見た店主が警察に相談、身柄を拘束したという。

冒頭は山口県内を巡回した際の動画の一場面。魚の切り身の映像と併せてみても不愉快以外の何物でもない代物だが、なんと原田容疑者本人が新型コロナに感染していたことが判明。県内で発生した感染者3人のうち2人が原田容疑者との接触が原因だったのでは、といわれる。村岡嗣政山口県知事の「何てことをしてくれる、という思い」はあまりに当然すぎる。

■「面白い」とはどういうことか?

原田容疑者のように、ネット上でおかしな方向に暴走してしまう人は、なぜ絶えないのだろうか。それは、モラルのタガが外れた動画にも、それを「面白い」と感じる視聴者が少なくないからだ。では、そもそも「面白い」とは何なのだろうか?

「面白い」は、映像や活字をなりわいとする者のいわば“至上の価値”を、たった一言で言い表している。しかし、これを詳しく説明せよと改めて言われても、意味が広すぎ、曖昧すぎてとらえ難い。ある事象を見聞きした者の心にさまざまな情動を引き起こせること……だろうか。通常であれば、その情動とは楽しかった、泣いた、笑った、勇気が湧いた、新しい、納得した……等々、社会通念上プラスと評価されるものを指している。

メディア業界——報道も含めて——に従事する者であれば、もう少し深堀りした「面白い」の定義、たとえば「おや、まあ、へえ」とか、「『犬が人に』ではなく『人が犬に』かみついたらニュース」とか、実地から学び取られた格言を、一度は耳にしたことがあろう。

■動画を「視聴する」のと「つくる」のとは次元が異なる

しかし、こうした“プラスの”情動を起こすコンテンツを恒常的に生み出すには高い技術が要るし、それを身に付けるには時間と経験が要る。生まれつきその才能を身に付けている者はまれであるし、それとて一発屋で消費されて終わる公算が高い。あれこれ試行錯誤するうちに偶然、「面白い」ものが仕上がることも1度や2度ならあり得るが、それを継続できなければ仕事として成り立たない。

しかもネットは紙や電波以上に、場所によっては夥しい数の視聴者が気楽にタダ見できる環境にあり、個々のコンテンツの賞味期限はだいたい短い。そこで絶え間なく「面白い」動画を作り続けるには、いわゆる才能に加えて、修行僧のようなストイックさと探求心が求められる。ユーチューバーの頂点と目されるHIKAKINが圧倒的な支持を集めているのは、視聴者もそこを承知しているからであろう。

当たり前すぎることだが、よほどの才能と、そこに継続的に打ち込めるほどの情熱がなければ、ユーチューバーを職業になどと考えないほうがよいといえる。1人で手軽に立ち上げられ、楽しいことをやって有名になれる、稼げる……という幻想を真に受けてはいけない。一見楽しそうなそのお手軽さは、責任のない「消費する側」のお手軽さ。「つくる側」は汗水たらしてアイデアを出し、苦労して形にしても、消費されるのは一瞬である。消費と制作はまったく次元の異なる作業だという現実に、早く気づかねばならない。

■承認欲求だけ肥大化した乱入者

ところが、それに気づかずにコンテンツ制作に手を出して、ダークサイドにはまる人々がいるようだ。SNS界隈にすっかり定着した「承認欲求」という言葉があるが、まさに“有名”になることでこの承認欲求を満たそうとする人々、もっと言えば承認欲求だけが肥大化した人々は、簡単に参入できるのをいいことに、安易に視聴者の“マイナスの”情動を引き起こすほうに走ってしまう。

なぜなら、そういう乱入者は苦労して作り続ける才能も気概もないから、簡単で技術は要らないが、刺激の強い映像づくり——他人に嫌がらせをする、傍若無人に振る舞う、社会規範をわざと破る等々——に励むからだ。バイトテロの延長のような、モラルや羞恥心さえ捨てれば低コストでできるパフォーマンスである。視聴者に生じる情動は、ムカつく、気持ち悪い、嫉妬する、等々。厄介なことに、こうした“マイナスの”情動は誰の中にでもあって、しかも“引き”は強いから人は集まってしまう。こうした小児病のような行為をなぜか「すごい」「面白い」と錯覚し、それで名前を売った人を、「有名な人」というただそれだけの理由で崇拝している視聴者が多数いるようなのだ。彼らにこのただの乱入者と“マイナスの情動”のスレスレを攻めるプロの芸人とを区別するだけの目利きは、到底期待できまい。

こうして多数の視聴者を得て、「オレは有名人になった」と錯覚してしまった乱入者は、うれしさも手伝ってか承認欲求を暴走させる。「すごい有名人」に何かを仮託してくる視聴者のさらなる要求に応えようと、やることもエスカレートする。その“やること”とは、面白いアイデアを練ったり技術を磨くのではなく、上述のような低コスト・ノーモラルの蛮行をより過激化することである。その行きつく先を、原田容疑者はわかりやすく体現してくれた。

■新聞・テレビ・雑誌も「何でもあり」だった

どんなメディアにもその黎明期から青年期にかけて、何でもありのカオスの時代が必ずある。新聞も「羽織ゴロ」、つまり身なりは立派なゴロツキと呼ばれ、戦後に週刊誌が発足するまでは、その肩代わりをするようなえげつない記事を掲載したし、昭和期のテレビもワイドショーや深夜のバラエティで、それはそれはどぎつい映像をオンエアーしていた。

週刊誌・写真誌もさまざまなトラブルを重ね、1986年にはビートたけしのフライデー襲撃事件も起きた。いずれも「言論・表現の自由」を声高にうたう一方で奔放な活動であれこれやらかし、痛い目にあいながらその都度社会と何とか折り合いをつけてきたわけだ。

インターネット全般、中でもユーチューブと一部ユーチューバーは、ユーチューブ本体がかけている規制にもかかわらず、日本の社会の中でそのあたりの折り合いがまだついていないのではないか。まっとうなユーチューバーが多数存在する一方で、原田容疑者の逮捕後も、亡くなった著名人の親族を名乗るニセモノの動画投稿が「不謹慎系」と称して、わが物顔で動画を発信している。

渋谷のスクランブル交差点にベッドを置いて就寝する動画をアップしたという意味不明の案件も(道路交通法違反、書類送検)。当人が作成した動画とは関係ないが、私生活での公然わいせつや傷害、空き巣、大麻の不法所持等々、ちょっと検索すれば一部ユーチューバーのモラルに欠けるトラブルはいくつも出てくる。

へずまりゅう案件が、こうした状況が変わる何かの転換点となるのかどうかは、少し時間がたたないとわからないが、その亜流が何かまた懲りずにトラブルを起こす可能性は十分ある。ユーチューバーもそのファンも、そして運営するユーチューブ側も「言論・表現の自由」は尊重しつつも、よりよい折り合いの付け方を模索すべきだろう。

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西川 修一(にしかわ・しゅういち)
プレジデント編集部
1966年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒業。生命保険会社勤務、週刊誌・業界紙記者を経てプレジデント編集部に。

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(プレジデント編集部 西川 修一)

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