草刈正雄が「台本の文字が涙でかすんだ」という朝ドラの名シーン
プレジデントオンライン / 2020年8月14日 9時15分
※本稿は、草刈正雄『人生に必要な知恵はすべてホンから学んだ』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■ヒロインの“おじいちゃん”役は初体験
ひとつの役でいろんな人間を生きられるのは、役者冥利に尽きることです。
しかも、念願のカウボーイハットをこの歳でかぶれるとは! 『ローハイド』、『シェーン』、子どもの頃に観た西部劇では、なくてはならないもうひとつの銃(ガン)、それがハットでしたから。
この二つを見事に叶えてくれたのが『なつぞら』(2019年)、19年ぶりの朝ドラ出演でした。『走らんか!』(1995年)、『私の青空』(2000年)に次いでの3本目です。
大森寿美男オリジナル脚本、NHK連続テレビ小説100作目『なつぞら』。戦災孤児の主人公・なつを育てる柴田家の祖父役。ヒロインの“おじいちゃん”役というのは初の体験でした。それにしても、この歳にしての初体験。人生、いやはや何が起きるかわかりません。
演じたのは、柴田泰樹という開拓民一世の男。18歳のときに単身で十勝に入植し、荒れ地での稲作を諦め酪農を始めたというパイオニアで、貧しさゆえの妻の病没という消せない過去も背負っています。男手ひとつで娘を育て上げた根気は、大樹を思わせる彼の名前に宿るものかもしれません。なんせ、無口で不器用な男。それでいてまた、いろいろな表情を持つ男なのです。
■他人ンチの子どもも平気で叱るようなオヤジ
ずばり、喜怒哀楽が激しい。愛想はないが、噓もない。怒りっぽくて頑固だが、ずっこけるところもある。娘の富士子には頭が上がらない。そして、甘いものが好き。僕自身と重なるところも少なからずあり、送られてくる大森寿美男さんの台本にずんずん引き込まれていきました。
長年、大自然とがっぷり四つに組んできた男です。だから、負けても負けても、諦めない。「諦める」という選択肢が、ハナっからない。広大な土地を舞台にした、不屈の男。十勝の大気が足の先から頭の先まで漲る男。僕自身、開拓の世界は未知でしたが、泰樹のような親父はよく知っている男でした。昭和30年代、僕らの幼少期には必ず周りにいたものです、こんなふうに頑固で口下手で、いつもいつも怒っているようなオッサンが。他人ンチの子どもも平気で叱るようなオヤジです。
■多くのスタッフが『真田丸』チームでもあった
さらに嬉しかったのが、大森さんのホンに“真田”の空気が隠し味として使われていたこと。気づかれた方もいらっしゃると思いますが、『真田丸』の台詞もさりげなく入っていたり、真田一門の面々が大事な役にキャスティングされていたりと、まるで昌幸が時空を超えて十勝平野に駆けてくるような気がしてきました。しかも、チーフディレクターの木村隆文さんをはじめ、多くのスタッフが『真田丸』チームでもあったのです。よーし、思いきり暴れてやるぞ! そう決めた途端、泰樹の鼓動が耳の奥から聞こえてきました。
不思議なものです。素の自分はノミの心臓。若い頃から台詞がなけりゃ、女性も口説けない。くよくよといつまでも失敗を引きずってしまうし、体調の良し悪しを気にして寝込んでしまうこともある。この歳になると、体のあっちこっちにおかしなところが出てきて、それはもう恐怖でしかない。診てもらっている医者の先生にも「草刈さんは、ちょっと神経質だからね。これをああして、こうしてくださいね」と言われて少し落ち着くも、またちょこっと変化があるとすぐに落ち込んでしまう。
要するに、泰樹と僕は、真逆の人間なわけです。だからこそ、芝居としてこういう器量のデカい男を演じられるのは嬉しくて仕方ない。僕なりに泰樹の芯の部分を想像できたとすれば、「諦めない」というあの感触を、自分なりに知っていたからかもしれませんが──。
こうして開拓者精神のドラマが始まりました。
■泰樹に受け継がれている「開墾魂」
撮影に入る前に、「十勝開拓の祖」と呼ばれた依田勉三さん(1853~1925年)のドキュメンタリー番組を観ました。勉三は伊豆の豪農の家に生まれて慶應義塾で学びますが、病で帰郷。30代を目前に、北海道開拓を志して「晩成社」という開墾会社をつくった人物です。その後の艱難(かんなん)辛苦の足跡は、とてつもない頑張りと不屈さの道のりで、未開の地であった十勝野に魂を捧げた記録でした。
勉三の開墾魂は、泰樹に受け継がれています。泰樹は、1902年に富山県から入植し、「晩成社」の指導を受けたという設定でした。勉三が帯広で開拓を始めたのが1883年。泰樹は、開祖の志を引き継ぐ若者でした。そこから43年の歳月が流れたのちに、『なつぞら』の物語の幕が開きます。
■「堂々と、ここで、生きろ」に学ぶ人生の知恵
1946年、終戦翌年の初夏。十勝の酪農一家、柴田家に奥原なつがやってきます。
〈ええ覚悟じゃ。それでこそ赤の他人じゃ〉
放映初週第2話。義理の息子が戦友の孤児を引き取ってきたことに、「役立たんヤツを増やしてどうする」と言い捨てた翌日、なつ自身が「ここで働かせてほしい」と頭を下げる。すかさず「偉い!」と応え、面と向かってなつに言い放つ泰樹の台詞です。
それは優しさでもありました。続く、第4話。なつの頑張りを認めた泰樹が、帯広になつを連れてゆき、〈お前は堂々としてろ、無理に笑うことはない。謝ることもない〉、ありのままの自分でいいと、静かに語りかけるのです。
〈堂々と、ここで、生きろ〉
この台詞は、大森さんのホンを読んだときに真っ先に胸に響きました。堂々と、ここで、生きろ──。ああ、自分のいまの道を歩いてゆけ、ということか。何かが台詞に憑依したかの如く、気づくと自問自答をしていました。まるで自分に言われているような気さえしてきて、台本の文字が涙でかすんでしまう。僕も歳を取ったものです。
人生にリハーサルはありません。9歳のなつに「堂々と、ここで、生きろ」と言う泰樹は、「いまを、生きろ」と言いたいんじゃないか。常にいまが「本番」であり、だからこそ、堂々とゆけ、と。
ひょっとしてこれは、生きる知恵かもしれません。なぜなら、堂々と自信を持っていまこの瞬間を生きることで、自分の足元からずうっとのびてゆく道が見えてくるからです。たとえそれが、自分にしか見えない道だとしても。少なくとも、泰樹はそうやって生きてきたのでしょう。
〈堂々と、ここで、生きろ〉
シンプルな言葉です。
ですが、何層もの色を帯びる言葉です。台詞にした途端、なつに言い聞かせるのと同時に僕の奥にも返ってきました。
■「小なっちゃん」に感じたプロの情熱
撮影当日のこともよく覚えています。なつを演じた子役の粟野咲莉ちゃんと、アイスクリームを食べながらのシーンでした。なつが自分で搾った牛乳でできたという設定です。このアイスが、じつに美味しくてね。僕は甘いもの好きなので、「なつ、よくぞやった」という気持ちに拍車がかかったかもしれません、ワンテイクで演出の木村さんからOKが出ました。
するとしばらくしてから、
「もう一回、やらせてください!」
自分の演技に納得がいかなかったようで、“小なっちゃん”咲莉ちゃんがリテイクを申し出たのです。どうやら泣きたかったのに泣けなかったらしい。撮り直したシーンが放送され、全国の朝ドラファンが涙する結果になったのはご存じの通りです。
彼女は、泰樹の言葉に涙を流すなつの気持ちをとことん考え抜いていた。僕があのとき現場でありありと感じたのは、なつと一体化した彼女の熱、見事なプロフェッショナルの情熱でした。よし、俺もやるぞ! と思いましたね。そりゃもう、俺もやらなきゃ話になりません! 同じ俳優としてそんな彼女に反射できたのは、このうえなく幸せなことでした。
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俳優
1952年福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区)出身。69年デビュー。70年に資生堂のCMに起用され人気を博す。以後、俳優としても活動開始。74年に映画『卑弥呼』で映画デビュー。以来、『復活の日』『汚れた英雄』など数々の話題作で主演するほか、テレビドラマ、舞台でも幅広く活躍する。2016年NHK大河ドラマ『真田丸』や19年連続テレビ小説『なつぞら』などでも大きな注目を集め、新たなファン層を獲得した。09年から教養バラエティ番組『美の壺』(NHK BSプレミアム)の2代目ナビゲーターを務め好評を博している。
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(俳優 草刈 正雄)
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