加藤一二三の神秘体験「たしかに聴いたのです…」神は一体なんと伝えたのか
プレジデントオンライン / 2020年8月15日 11時15分
■天才が明かす悩みの処方箋
加藤一二三が名人となった1982年7月31日、東京・千駄ヶ谷の将棋会館の外は大雨だった。
中原誠名人に挑戦した加藤の将棋は、九分九厘負けだった。しかし、圧倒的不利だった加藤に、一筋の光が差す。それが歴史に残る「3一銀」である。これで中原玉は即詰みとなり、加藤は名人となった。
「神の秘蹟ですよね。それが何年もの月日を経て3一銀が見つかったということです」
忘れてならないのは、加藤が42歳で名人になるまでの道のりはあまりに長い遠回りだったということだ。
「将棋は四段からプロですが、当時最年少の14歳7カ月で私は四段になりました。奨励会の顔ぶれはわかっていて、そんなに強敵もいませんでしたし、『プロ棋士は確実』という自信もありました。そして、トップ10人で行われるA級八段リーグ(優勝すれば名人への挑戦権が得られる)に18歳で入りました」
誰もが神武以来(じんむこのかた)の天才・加藤一二三が次世代の名人となることをつゆほども疑っていなかった。そして20歳で大山康晴名人に挑戦するが、加藤は1勝4敗で完敗した。
「敗因は、そこまで名人に執着していなかったということです。まだ挑戦する機会はいくらでもある。努力すればそのうち名人になれると、どこか安易な思いがありました」
「安易」だった加藤はA級からも陥落する。
「私は計36期A級でしたが、密かに誇りに思っているのは5回陥落して5回復帰できたことです。そんな人はなかなかいないですから」
当たり前だろう。そもそもA級までたどり着けない者がほとんどだ。名人が社長なら、A級10人は「取締役」だ。棋士の大部分は1度も「取締役」に上がることなく人生を終える。加藤は名人挑戦の翌年に陥落するが、1年でA級に復帰している。
■加藤一二三は信じる力を手に入れた
勝負師は「勝利師」ではない。つまり、必ず負ける。
「不調になると、みんな何かを変えようとします。将棋界に笑い話がありましてね。負けるたびに千駄ケ谷駅から将棋会館までの歩く道を変えていたら、負けすぎて歩く道がなくなったと。私の人生哲学として、将棋で全力は尽くしているのだから私は何も変える必要がないと。歩く道も変えないし、スーツやネクタイも変えない。人間って、成功の直前に道を変えてしまうことが多いんですよ。もう少し執着できれば、成功できるかもしれないのに。夜明け前が一番暗いのに、その暗さに耐えられないというか。頑張っているのだから、トンネルの先に光明はあると信じてきました」
信じる力を加藤に与えたのはカトリック信仰だった。
「68年、大山名人に勝って十段のタイトルを獲得しましたが、次の年にリターンマッチで敗れ、半年間不調に陥った。70年12月25日にカトリック下井草教会で洗礼を受け、パウロという洗礼名を授かりました。以来前進あるのみです」
加藤はこの前後から、是が非でも名人を、と執念を燃やすようになった。
「人は普通努力します。努力することは尊いのだけれども、その努力の上に神の恵みが加われば、もっと飛躍できるというのが私の人生観で、実際に実現しています」
73年、再び加藤は名人挑戦者となる。しかし、中原名人に4連敗した。
「ところが、そこで神秘体験をしたのです。教会のミサで、“あなたは今回名人になれなかったけれども、いつの日か名人になれますよ”という神の声をたしかに聴いたのです。そして私はこれを錯覚とは思わなかった。だからその9年後、3一銀を見つけたときにあの秘蹟はこういうことだったのかと合点し、“そうか”と叫び銀を打ち込んだのです」
■1000回も負けても信仰を貫いた
加藤は、キリスト教の聖地巡礼で1度も将棋道具を持参したことがないという。
「84年には夫婦で巡礼に行き、帰国後王位のタイトルを獲りました。中には、“聖書さえ読めばイエス様がわかる”と豪語する偉い人もいますけどね、やっぱり現地に行くと百聞は一見にしかずというのは必ずありますよ。イスラエルに行くと精神が活性化されるというか。オリーブ山から聖地エルサレムを見て、私は人生で一番深い感動を覚えました」
加藤は自他共に認めるクラシック音楽愛好家だ。そして、プロ棋士が必ず観る映画が天才モーツァルトと凡人サリエリの相克を描いた『アマデウス』である。
「5回見ましたよ。私が一番感動したのはね、皇帝の御前演奏、野外演奏会でですね、モーツァルトがピアノを弾いて夫人がいかにも幸せそうに聴く場面ですね。あれが彼にとって公私ともに絶頂期だったのかなと。そのときに流れたのがピアノ協奏曲の第22番なんですよ。英雄の変ホ長調というらしいのですが、NHKの『N響アワー』で作曲家の池辺晋一郎先生にその話をしたら、“あれを好きという人ははっきり言って変人です”と言われましたよ」
今さら加藤一二三が変人であることを否定する必要もあるまい。棋士としての役割を終えた加藤が、今や『ひふみん』として知らぬ者がいない存在になったのは言うまでもない。
「こういう取材がない日も、若手有力棋士のものを中心に将棋の研究を続けていますよ。藤井聡太さんの将棋の解説などを依頼されますからね。私は史上初めて1000回負けました。それまでの人は、これだけの回数負ける前に棋士生命が尽きてしまうんですよ。一回名人になれて、1000回負けるまで将棋と信仰を貫けたことが1つの誇りですね」
神武以来の天才でさえ、「安易」な時期があったが、遠回りの末、頂点にたどり着き、1000回負けるまで天職を全うした。
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将棋棋士
1940年1月1日生まれ、福岡県出身。神武以来の天才と称され、最高齢勝利記録・史上最多対局数・史上最多敗北数など「誰にも破ることができない」と評される偉業を成し遂げている。
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翻訳家・通訳者・ジャーナリスト
1979年生まれ。2000年米国ニューヨーク州立大学ポツダム校入学。イスラエルのテル・アヴィヴ大学にも交換留学。英語とスペイン語の多言語話者。
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(翻訳家・通訳者・ジャーナリスト タカ 大丸 撮影=永井 浩)
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