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早くも30歳で「人生を持て余している人」は、どこでなにを間違えたのか

プレジデントオンライン / 2020年8月6日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

30歳をすぎると、人生の明暗が少しずつみえてくる。そのため早くも「人生を持て余している感覚」をもつ人たちが出てくる。しかし、それでいいのだろうか。職業人生の設計に詳しいワンキャリア取締役の北野唯我氏は「根本的な理由は『これからの生き方』が定まっていないからだ」という――。

※本稿は、北野唯我・百田ちなこ『これからの生き方。』(世界文化社)の一部を再編集したものです。

■30代半ばにして「人生を持て余す」人たち

「これからの生き方が問われている」

30歳を過ぎたあたりから、そう思うことが増えてきました。

キャリアも30歳を超えてくると、昔の仲間であった同僚や同期たちの中に明暗が少しずつ分かれ始めます。それは単に「出世しているか」「有名になっているか」「お金を稼いでいるか」などそんなどうでもいい短期的な話ではなく、もっと本質的な「諦め」や「人生を持て余している感覚」があるかどうか、です。

言い換えれば、仲間の中から活躍し生き生きと夢を語る同年代も出てくる一方で、30代半ばにして既に世の中の固定観念に縛られ、自分の過去の栄光にしがみついて生きている人も出てくる、ということです。その共通点はシンプルで、才能や能力を持て余した日々を過ごし、なんとなく不満をかかえているということ。そういう悲しい話を聞くことが少しずつ増えるようになりました。

■若い頃に頑張っていた人ほど、持て余している

当然ながら、どう生きるかなどは人それぞれ。本質的には大きなお世話です。あるいは、経済的に苦しい中で自分のことだけでいっぱい、いっぱいになるのは理解できます。ですが、そういう話を聞く際に共通するのは、その割に、若い頃は、勉強や部活を必死に頑張ってきた人たちだったりすることです。むしろ、若い頃に経済的にも豊かな家庭に育ってきた人や、誰もが知る企業に勤めていたりする人ほど、「なんか漠然とした持て余している感覚」を持っていたりするものです。

私はその現象に対して、毎回「なんで、早くも人生持て余している気分になるんだよ。まだ人生、始まったばかりじゃないか……」と内心では思います。ただ当然、そんな言葉を口には出しません。彼らも求めていないことを私自身も重々知っているためです。しかし、同時に「なぜこんなことが起こってしまうのか」と不思議にも思い、「自分より若い人たちにはできる限りそうなっていってほしくない」とも思います。

かつてあれだけ輝いていた仲間やあれだけ夢や目標を語った仲間、楽しそうにしていた後輩、自分よりもはるかに勉強もできて頑張ってきた仲間が、60代ならまだしも、30歳前後でビジネス人生を持て余す感覚をおぼえ、それだけならまだしも、その中からは、高みの見物を決めて「あぁ、あれはこうだよ」といった感じで他人の人生の評論家に成り下がる人も出てくる。その根本的な理由はなんなのだろうか、と。

■「生き方」=「習慣」が定まっていない

私は、それは「これからの生き方」が定まっていないこと、だと最近思うようになりました。

ここでいう、生き方、それは価値観を体現した「習慣」そのものを指します。習慣とは、日々の連続した、時間の使い方を指しており、価値観とは自分の人生にとって大事な要素を強く優先順位づけしたものです。この「生き方」は、必ずしも、仕事をどう頑張るか、ということではありません。

たとえば、著者の私自身は仕事を愛していて、楽しい日々を30代で過ごしていますが、すべての人にとって仕事が最優先であるべきだとは全く思いません。むしろ、多くの人にとって仕事とは人生のごくごく一部ですし、すべてではないこともよく理解しています。あるいは、これまで散々述べてきたように、価値観なんてものはたくさんあり、良し悪しなど存在しません。100%そうです。

では何が問題なのか、というと、それは自分の価値観を明確に理解していないがゆえに、「これからの」自分の人生の生き方を決めていないことだと思います。

■阪神・淡路大震災で見た「2つのコンビニ」

「これからの生き方」、これを考えるのはとても面倒くさいことです。怖いことです。何より答えが見えない分、先延ばしにしたくなるテーマです。ただ、今の世の中では間違いなく必要になっているテーマだと私は思っています。

私は小さい頃、兵庫県西宮市で育ち、阪神・淡路大震災を経験しました。まだ小学校低学年だったため、明確に記憶に残っていることはそれほど多くはありません。ですが、とてつもなく鮮明に覚えていることが少しだけあります。

一つは、自宅の近くにあった、コンビニの話です。

私たちが住んでいた地域は、震源地の近くだったということもあり、震災直後、ガスも電気も水道もすべて止まり、しばらく便利とは言えない生活が続きました。交通網も十分ではないなかで、震災後すぐに、家の近くには特徴的な2つのコンビニエンスストアがありました。一つのコンビニでは、震災後、インフラが止まると急に、商品の金額をべらぼうに釣り上げはじめました。当然、私たちは、物資が足りておらず、十分に火や水が使えない状態なので、菓子パンや、おにぎり、非常食といったものの需要が大きくなります。おそらく、店舗の店長は、それを見越して利益を出そうとしたのでしょう。だから値段を引き上げたようでした。私たちは、なんともいえない感覚を覚えたのを記憶しています。

■子供心に感じた「経営者の生き方」

一方で、全く逆のことをした店がありました。その店は、私の家からは少し離れた場所にあったのですが、そのコンビニエンスストアでは、商品をむしろ安くし、その代わり、「一人一点まで」というように、多くの人に商品が届くように制限をかけてくれました。

今振り返れば、彼らも資本市場の世界のなかで戦っていたので、どちらが善で、どちらが悪かではない、と私自身は感じます。ただ、幼いながらに私はこの2つのコンビニ経営を見て「経営者の生き方そのものが現れているな」と思いました。そして、結果的に、復興を終えた後、前者の価格を釣り上げた店舗は、当時のことを覚えていた地元民から嫌われ、結局、すぐに廃業してしまったのを見て、因果応報とは、まさにこのことだな、と感じました。ただ、これはある意味で、私が見たものの「序章」でした。

なぜなら、もっと印象的なことがあったからでした。復興するなかで、さらに深く印象に残ることがあったのです。それは仮設住宅と呼ばれる臨時の家を巡る、住民と、周りの人間の変化でした。

■苦しいときでも、人は支え合うことができる

震災当時、壊滅的なダメージを受けた私の地元には、多くの臨時の住宅が建てられました。「仮設住宅」と呼ばれるものです。その多くは、公園に建てられ、普段子どもたちが駆け回っていた空間はすべてなくなりました。水は、週に何度か、給水タンクを積んだトラックが地域を回り、そして長い列をなして、私たちは家族全員分の水を調達していました。電気やガスがないし、不安なので、一家みんなでリビングのこたつに潜って寝ました。水は止まり、ガスも止まっていましたが、私たちは支え合いながら生きていました。

その中で、人は本当に「生き方が問われるものだな」と感じることが何度もありました。

一つ目はポジティブなもので、職業や年齢に関係なく、自分より他人を優先できる人がいたこと。たくさんの見ず知らずの人が、私たちを助けてくれたことです。私たち、というのは私の家族というだけではなく、地域の人たちです。多くのボランティアの人がかけつけてくれました。あるいは、それは家族もそうで、知恵を使いながら家族を守ってくれた父や母、そういう姿を見て、生き方そのものだと感じました。

そして、苦しいときでも、人は誰かを助けることができる。人は、自分が苦しいときでさえ、周りの人と支え合うことができる、そう感じていました。しかし、その感想が、全く逆になったのも、この震災がきっかけでした。

それは、何年か経った頃でした。

■元被災者が仮設住宅に暴言を吐く光景

被災した人々が住んでいた仮設住宅は、数年経つと、少しずつではありますが、退去できる人が増え、空き家が目立つようになってきました。私自身は完全に普通の生活に戻っていましたが、私の家の近くの公園には、まだ仮設住宅が残り、そこで生活されている方もたくさんいらっしゃいました。そこにいらっしゃる方は、まだ普通の生活に戻れていない苦しい状態でした。

私は当時、子どもだったので、公園が使えないことは不便だと思いながらも、自分もまた苦しんだからこそ、我慢するしかないなぁ、と思っていました。

しかし、ある日、学校からの帰り道、その仮設住宅に住む人に向けて、暴言を吐く人々を見ました。それは、端的にいえば、「さっさと出て行け」とか「いつまで住んでるんだ」という言葉でした。あるいは、仮設住宅に落書きをしたり、その人の家にゴミを捨てるなどの嫌がらせをして、罵倒し、一刻でも早く追い出そうとしている人もいました。

幼い私がすごく鮮烈に記憶に残ったのは、その暴言そのものではなく、暴言を吐いた人たちが、近隣住民、つまり元被災者たちだったことでした。

■人間の本性は、苦しいときに出てくる

幼い私は、その光景を見て、愕然としました。

なぜなら「自分たちも被災し、たくさんの人に助けてもらったにもかかわらず、人間というのはこんなにも簡単にあのときの恩を忘れ、同じように苦しんだ他者を攻撃できるのだ」と感じたからです。他の地域から来た人ならまだしも、私たちだって被災し、支援してもらってきたにもかかわらず、たった数年経っただけで、自分と同じような、いや、自分たち以上に被害を受けた人のことを容易に攻撃できるようになる。

それが人間なのか、と思いました。

私はこのとき、人間というのは「生き方」だけは嘘がつけないものなのだ、と確信しました。年齢や国籍、職業などは関係ない。

人は言葉で嘘をつくことができても、長い目で見たときの行動では決して嘘がつけない。それが真理であると。

人間の本性というのは、苦しいときにこそ出るものです。コンビニエンスストアの例は、皆が苦しいときに経営者としてどう生きるか、そのものでした。あるいは、仮設住宅に住む人に暴言を吐いた人は、人間として、他者に向かってどう生きるか、そのものでした。

■何者かになりたければ「孤独になる時間」が必要だ

そして、今、私たちはまた「これからの生き方」を考えるタイミングに入ったと私は感じています。

北野唯我・百田ちなこ『これからの生き方。』(世界文化社)
北野唯我・百田ちなこ『これからの生き方。』(世界文化社)

相対的に寿命が長くなり、この国では終身雇用は終わりつつあります。世界的な疫病で大事な人を亡くした人もたくさんいて、その恐怖を世界中が共有しています。あるいは、リーマンショックのように資本市場は大きな反発を起こすことがあり、人の欲は際限がないと感じることも多くあります。

そんな時代に、私たちが問われているのは「これからの生き方」です。過去ではなく、これからどういう生き方を選択するか、でしかない。私はそう感じています。

私は常日頃から、人がもし何者かになりたい、どこかの領域で一目置かれる人物になりたい、誰かを真に支えられる人になりたい、そう思うならば、人生のどこかで孤独になる時間を許す必要があると思っています。

他の人と違うこと、自分の信じた道を行くこと、過去ではなくこれからの生き方を決めること、悩みながら決断すること、これを選ぶとき、誰もが孤独になるもの、不安になるものです。なぜなら、過去と決別する必要があるからです。あるいは、自分の弱さと向き合わなければならないからです。

その孤独になる時間を支えてくれるのは、他人でも友人でもなく、やはり「自分」であり、自分が感じていることを信じられるかどうか、だと感じています。

それは「生き方」であり、論理では完全には証明することはできないものです。

そもそも、他人に説明する必要なんてないものです。自分が本当に親しいと思える仲間や、家族にだけじんわりと伝わればいいもの。それが生き方であるのだと。

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北野 唯我(きたの・ゆいが)
ワンキャリア取締役
兵庫県出身、神戸大学経営学部卒。就職氷河期に博報堂へ入社。ボストンコンサルティンググループを経て、2016年、ワンキャリアに参画。現在取締役として人事領域・戦略領域・広報クリエイティブ領域を統括。またテレビ番組や新聞、ビジネス誌などで「職業人生の設計」「組織戦略」の専門家としてコメントを寄せる。著書に『転職の思考法』『オープネス』(ダイヤモンド社)、『天才を殺す凡人』(日本経済新聞出版社)、『分断を生むエジソン』(講談社)がある。

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百田 ちなこ(ももた・ちなこ)
漫画家・イラストレーター
福島県出身、埼玉県在住。コミックエッセイ、4コマ、広告漫画等を中心に活動中。著作に『地方女子の就活は今日もけわしい』(KADOKAWA)、『理系夫とテキトー奥さん』(イースト・プレス)、WEB連載に「残念OLはキラキラ妄想がお好き」(マイナビニュース)等がある。Twitter/Instagram 。Blog:「ぐだぐだえにっき」

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(ワンキャリア取締役 北野 唯我、漫画家・イラストレーター 百田 ちなこ)

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