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複数の元彼女から「呪います」と言われた格闘家が人間関係で心がけていること

プレジデントオンライン / 2020年8月11日 11時15分

撮影=初沢亜利

人との別れに傷ついたときはどうすればいいのか。総合格闘家の青木真也氏は、「人との距離感や関係性は、惑星のように常に変化する。そう考えれば別れに傷つくことはない」という——。

※本稿は、青木真也『距離思考』(徳間書店)の一部を再編集したものです。

■部屋の窓から私物をぼんぼんと放り投げられた

人との別れを過剰に気にする人は多い。「自分が○○したから別れることになった」「相手から○○されたから別れることになった」など、別れの原因になったことをいつまでもクヨクヨと考えてしまうのだ。

あるいは別れる相手を恨んだり、憎んだり。僕は女性から別れ際に、

「呪います」

と言われたことがある。もちろん僕にも原因があったわけだけど、なぜかこれまでに数人の元彼女からこの言葉をかけられた。「呪ってやる」なんて、恐ろしいイメージだけど、複数から言われたということは、案外、その子たちが極端だったというわけではないのかもしれない。よくわからないけど。

僕は人間関係を「惑星」みたいなものだと考えている。

ある時期にはぐっと近づくけれど、また別の時期には逆に離れていったりと、その距離感や関係性は常に変化する。

どんなに距離が近くなった相手であっても、何らかの事情ができて以降は、それなりの距離を取らないといけなくなる。ファミリーや友人との関係に限らず、仕事や家庭においてもそうではないだろうか。

今は別居している妻と生活していたときのことだ。当時から仲は険悪だった。

ある日の深夜、逆上した彼女はとても感情的になって、僕の部屋の窓から僕の私物をぼんぼんと放り投げてしまった。

1階じゃなくて、アパートの2階だったから、「コイツすげえことするな……」と、呆気にとられたのを覚えている。

■関係をこじらせても絶交や絶縁はしない

当時、妻からのLINEには僕のことを責める文章ばかりが書かれていた。

今でもそんな妻にときどき、LINEやFacebookのメッセンジャーで僕は連絡を取ろうとする。2020年の年始にも「明けましておめでとう」と送ってみた。そうすれば、子どもの写真の1枚や2枚は送ってくれるんじゃないかと期待して。

しかし、無視。ずっと既読スルーが続いていて、今もまったく返信はない。

子どもの顔も別居以来ずっと見ていないし、声すら聞けていない。

こんな状況だけど、僕は妻のことを「面倒くさいヤツだな」とは思っても、「あいつの顔なんて見たくもない」とまでは思っていない。いろいろあったけど、憎いとも思わないし、恨んでもいない。

いつかまた会うときが来るか、なんてわからないけれど、将来的に顔を合わせる機会があれば、そのときに許し合えたらいいんじゃないの、くらいに考えている。

何らかの事情で、もともと取っていた距離よりも、さらに遠くなってしまった相手に対しては、

「いつかきっと許し合えるし、わかり合えるときが来る。それまでは『またね』」

と思ってしまうところが僕にはある。

子どもの頃、友達に対して「絶交」という言葉を使ったことがある人は多いだろう。ケンカして「お前とはもう絶交だ!」みたいに。大人になれば、それがもっと深刻になって「絶縁」と言うのかもしれない。

でも、僕には絶交とか絶縁という考えはない。自分がしたことや相手からされたことが、互いに距離を置くことになった要因のひとつであったとしても、それをまったく気にしていないからだ。

■人との関係は惑星のようなもの

一方で、自分のほうから離れていったこともある。

どうしても許容できないことをされたときや、「この人と関わっていては危ない」と思ったときなどに、「俺はお前とは付き合いたくない」と相手に直接伝えて、今まで以上に距離を確保するのだ。

だけど、それで関係が終わってしまうというものでもない。

一周回って距離感が元通りになって、仲が復活することもある。時間が解決することは案外多い。再び元のような距離に戻りたいなら、互いを許すことや寛容になる気持ちを、自分の中に持てるかどうかだ。

ただ、離れていく相手を無理に引き止めることはしない。去るもの追わず、来るもの拒まずの精神だ。

引き止めてみて「わかった。やっぱりここにいるよ」と言うヤツは、最初から離れるつもりなんかなくて、こちらの出方を試したかったに過ぎない。

だから、ファミリーの関係においても、僕は別れを気にすることはない。自分にとって居場所が必要なときに入ってくればいいし、今は必要ないと思えば出ていったっていい。そのゆるやかさこそファミリーだから。

人との関係は惑星のようなもの——そう考えれば傷つくことだってない。

■群れない人間は唯一無二の存在になれる

僕は周りから「群れない人」として見られている。それどころか、むしろ孤高であるかのように思われているところもあるようだ。

ただ群れることと、ファミリーと集まることの意味合いはまったく違うし、孤独の必要性は僕自身、よく理解している。ファミリーとしてのつながりと同時に僕が大切にしている、孤独であることの意味を考えてみたい。

「群れないこと」を僕は常に意識している。とくに同業者である格闘技選手とはプライベートで付き合うことはまずない。一緒に練習することはあるけれど、練習後やプライベートの時間に連れ立って食事に行く間柄だとはまったく思っていない。

群れない理由は、自分の価値観や「ものさし」を大事にしたいからだ。群れずに自分軸で生きていると、他と自分の違いを意識するようになって、結果的に唯一無二の存在になれると僕は考える。

とはいっても、群れの中で生きていないことへの恐怖感は誰にでもある。群れに属する全員が同じ行動をとって、そこにいる全員が成功する一方で、ひとりで違う行動をとった僕だけが失敗する、そんな疎外感を味わいたくはないものだ。

■恐怖心をかき消してしまう「集団心理」

僕も弱さを持つ人間だ。皆と同じことをやらないでいるとき、正直なところ、怖さを感じることはあった。それでも、皆とは異なる自分のスタイルを貫いてきたことで見えてきた世界は、結果論にはなるけれど、僕には合っていたのだと思う。

僕は群れの中で皆と同じであるのを求めることに危惧を覚える。

例えば、人と群れていると、集団心理が働いて恐怖心がかき消されることはないだろうか。「赤信号みんなで渡れば怖くない」なんていう昔のお笑いの言葉にもあるように、危険を前にしているはずなのに、なぜか「みんなと同じように動いていれば大丈夫だろう」「みんなと同じことをしていれば大変なことにはならないだろう」と錯覚することがある。

フリーランスの格闘技選手として生きている僕は、人に流されてリスクコントロールを誤ってしまうと、最悪の場合、死に直結する。ここでいう死とは、格闘技選手としての終わりを意味する深刻なケガ、さらには文字通りの死を意味するアクシデントでもある。

格闘技選手として生きていくのであれば、危険の兆候を感じ取った上で、その先回りをして行動することができるかどうか。これができないと、選手としてだけでなく人としても死に進んでいくと僕は思う。

■今は正しいものも5年後はわからない

DREAMにいた頃、ファイトマネー未払い問題が発生したことがあった。当時の関係者から「(DREAMは)大丈夫だから」と言われただけで安心していた選手たちもいたけど、僕は冷静に「大丈夫なわけないでしょ? 経営的に危ないよね」と考えていた。

格闘技選手は自分をブランディングしていく必要がある。そのときにベストな身の振り方は何かを考えたとき、危険な場所、沈みそうな団体にい続けるという選択肢は、当時の僕にはなかった。この頃の状況をこの記事で詳しく記すつもりはないけれど、DREAMを離れた僕がその後、ONE FC(現在はONE Championship)と契約を交わしたのは皆さんがご存じの通りだ。

主戦場として活動する団体や地域以外でも、リスクを感じ取る嗅覚は常に必要になる。特にわかりやすいのは、トレーニングやコンディショニングだろう。

これらは方法に流行り廃りがある。研究が続けられる中で、新たに明らかになってくることもあるのだ。今は正しくても5年後には間違った方法になっていたり、逆に5年前は良くないとされていた情報が、逆に正しいものとして認知されたりすることも少なくはないだろう。

だから、僕は「今みんながやっている方法」を何の疑いもなく「いい」と思い込んで、「みんながやっているから安心だ」という理由で、それを取り入れることはない。

周囲と必要以上に距離を詰めずに、情報を広く深く集めながら「自分に合うかどうか」を冷静に考えるのだ。

■失敗してもベストを尽くして生きていればいい

もちろん、迷うことはある。今だっていろんなことに迷い続けている。でも、世間や周りからの影響を受けず、自分の頭で考えて決めたことだけを「正しい」と信じて、僕は生きていくのだ。

青木真也『距離思考』(徳間書店)
青木真也『距離思考』(徳間書店)

僕のような格闘技選手の場合、自分の選択や決定を日々一つひとつ積み重ねて、最終的には試合の勝敗というかたちで結果が出る。でも、それは「そのときの結果」でしかない。勝敗の解釈とはその後の行動で変えられるものだ。

たとえ試合で負けたとしても、もしくは失敗したとしても、自分なりのベストを尽くして生きてさえいれば、失敗という出来事の解釈は変わっていく。

だから僕は群れずに、自分の価値観やものさしを磨き抜いて、それに基づいた行動をし続けたい。それが結果的に青木真也らしい生き方を貫くことにつながるからだ。

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青木 真也(あおき・しんや)
総合格闘家
1983年静岡県生まれ。小学生の頃から柔道を始め、2002年に全日本ジュニア強化選手に選抜される。早稲田大学在学中に柔道から総合格闘技に転身。「修斗」ミドル級世界王座を獲得。大学卒業後、静岡県警に就職するも2カ月で退職を決め、再び総合格闘家の道へ。以後「DREAM」「ONE FC」で世界ライト級チャンピオンに輝く。著書に『空気を読んではいけない』(幻冬舎)がある。 ツイッター:@a_ok_i note:https://note.mu/a_ok_i

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(総合格闘家 青木 真也)

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